114.ヒューさん、カルチャーショックの一日
翌日。昨日の強風が治まり青く晴れ渡った朝。
食後のお茶をまったり飲んでいた皆の湯呑みが空になったのを見計らって、さて、と呟きながら立ち上がる。
「今日は来客の予定があるから、口の中を洗浄したら、やらなきゃいけない事始めよっか!」
なんたって、ヒューさん達の生活用品を一式買い揃えなきゃいけないし、午後にはグロースさんが来るからね。制約の印を解除してもらわなきゃいけないから、お昼までには出掛けられるようにしたいなぁ。
わくわくした様子でカタログブックを取り出した私を、ヒューさんはきょとんとした顔で見てきた。
「何か、あったっけ?」
「いっぱいあるよー」
ちなみにヒューさんから、癖でなければ敬語を止めて欲しい、と朝一番にお願いされたので敬語は取っぱらった。ヒューさん的には、私に敬語を使われるとムズムズするそうだ。実年齢でも私の方が年下なんだけどなぁ。
お腹いっぱい食べれた充足感からか、若干ぼやけてるというか、瞼が落ちそうなヒューさん。そんな寛ぎ中のメンタルに衝撃与えるけど、ごめんね。
「まずヒューさんとキースくんの服を買う」
「え」
「後、靴も欲しいよね。芝生は裸足で走っても気持ちがいいけど、ダンジョンに出るなら何足か欲しいし」
「人の足は脆いですし、ダンジョンの床は石がたくさん落ちていて危険です。靴は必ず買わなければなりませんね」
「だよねー。それから大きなダイニングテーブルと椅子、食器類も揃えないといけないし」
「ま、待って待って! そ、そんなに必要? 僕はこの服だけで十分だよ!?」
慌てたヒューさんがパジャマの胸元をぎゅっと握る。私達は視線を合わせて、あ、キースくんがコテンと首を傾げながらこっち見てる可愛い……合わせて、またヒューさんの方を向いた。
いやいや、寝巻でいいはずがないんだよなぁこれが。私が色んな服を着せたい気持ちは勿論ある。でも第一に、グロースさんに会わせるのに経済力を示せないようじゃ、服さえまともに揃えられないと保護は任せられないって言われるかもしれないし……そうなったら聖樹さんが荒れそうだなぁ。
うーむ、どうやって説得するかねぇ。
「ヒューさん、私達はもう家族です。それなのにヒューさんだけパジャマ一着、私達は好きな服を着る。それっておかしいよね」
「う、そう……だけど。でも、僕なんかに、これ以上は……」
まーた“なんか”が出てきてるよ。これは仕方ない。彼に一番効く方法で行こう。
「ヒューさんは、聖樹さんに怒られてもいいの?」
「え……」
バタンッと大きな音を立ててウッドテラスへの扉を開く。こっちはね、聖樹さんを話題に出すのが一番効果的だってわかってるんだよぉ!
どうしたの? って言うようにざわっと揺れた聖樹さんに向かって、口の周りに両手を添え、一言一句逃さないように大きな声を張り上げる。
「聖樹さーん! ヒューさんがねぇ、自分の事をないがしろにするのー! 服いらないとか、外に出るのに靴いらないとか言うのー! どう思いますかぁ!!」
ザァアアアア!!
風もないのに聖樹さんの枝が荒れる荒れる!! 激しく上下左右に揺れて、大分否定的な動きだ。これは怒っていらっしゃるな、よろしいヒューさんこの反応を見るがいい!
テクトに促されて出てきたヒューさんが、目を見開いた。
「君は、そうか……このままでは、駄目だと言うんだね」
<……きちんと人らしい生活を、健やかなる活動を。と騒いでいるね。このままだとヒュー、聖樹の根元に引きずり込まれて強制的に休ませられるよ。正常な判断も出来ないくらい疲れている、って思われてね>
聖樹さんの心を読んだテクトが補足すると、ヒューさんは眩しそうな顔をして俯く。
いや待って、今、根元に引きずり込むって言った? 根元貯金みたいに人を根っこの隙間に沈めていくの? マジ?
あ、ごめんテクト。睨まないで、口出さないから。
「それは……困るなぁ。恩や借金を返さないと、いけないから」
あ、ヒューさん的に根元に埋められる事自体に拒否反応はないのね……もしかして地元じゃ当たり前の事象だったのかなぁ。
私が遠い目をしていると、ざあざあと葉音が柔らかくなった。大丈夫ならいいの、みたいな感じに聞こえたけれど、どうやらヒューさんも同じように受け取ったらしい。また気を遣わせてしまったね、と呟いた。それは私に向かって言ったのか、聖樹さんに言ったのか、わからないけど……<両方にだよ>あ、はいそうですか。テクトさんナイスフォロー。
とにかく! 彼の気分が前向きになったなら聖樹さんに直談判してよかったよ。
ヒューさんが私に向き直った。意を決したように喋り出す。
「その、なるべく驚かないようにするつもりだけど。僕は元々、自給自足の生活をしていたからあまり高い買い物はした事がなくて……やっぱり毎回驚くし、恐縮すると思うけど。君の思うままを受け入れられるように、頑張るよ」
「大丈夫、何も目玉が飛び出るような服を買うつもりはないし。なるべく驚かせないように心がけるね!」
数が多くて最終的な値段は高くなるかもしれないけど。そこはまあまあ、ぼかしておこう。
でも明日はとっても大きな買い物をする予定なんだよね。“僕なんか”が発動しないように願ってます! また聖樹さんのお世話になりませんように!
じゃあ買い物するかって事でリビングに戻ってカタログブックを開くと、ヒューさんもキースくんも揃って首を傾げた。そういえば2人の前でカタログ使ってなかったっけ。
買い物が出来る便利な魔導具だと伝えると、ヒューさんは物珍しそうに全体図を見ようと近づいたり下から覗いたり。キースくんは結局何を言ってるのかわからなかったのか、「ほんー!」と上機嫌だ。分厚い長編大作に見えるけどね、これ中身白紙なんだ。キースくんが気に入りそうな絵本が販売されてればいいんだけど……それ以前に、絵本ってこの世界に存在してるのかな。
「ちょっと……いや結構、独り言喋るけどそういう仕様だから、気にしないでくれると嬉しいなぁ」
<使用者権限っていうものがあって、登録した人にしか案内をしてくれない魔導具なんだよ。君らはあまり、こういうものに詳しくなかったね>
「魔導具は、うん、どれも見かけた事があるくらいだ」
「こちらのカタログブックはテレパスのように、音声がルイに届くですよ。私も聞いた事はないのですが、買いたいものの絵が並びますので、一緒に選ぶ事は可能なのです」
「へえ」
ヒューさんは見当がつかないようで、白い紙面を見下ろしている。ここは百聞は一見に如かず、是非体感してもらおう。
「ナビ、この世界で一般的な男性用の服を出して。派手なものより、落ち着いた色合いの方がいいかな」
――かしこまりました。
ぱっと現れた魔導板に、ヒューさんの肩が大きく跳ねた。驚くよねー、わかるわかる。対してキースくんは目をキラキラさせて、画面に指を伸ばしてきた。触ってもいいけど、使用者権限で君の指には反応しないよー。
「こんな感じで、操作するのは私だけなんだけど、皆で見て選べるようになってるんだ。便利だよねぇ。あ、この機能、箱庭にいる人達だけの秘密ね。外の人達には、鑑定が出来る魔導具だと思われてるの」
「か、鑑定もできるの? これ?」
「できちゃうんですよー」
さらに銀行機能もあったりするし、魔族の方々には知られてるけど、そこは追々説明しよう。今は買い物だ!
それからは皆でカタログブックとにらめっこ。ヒューさんとキースくんに似合う服はどれだ選手権の始まりである。っていうか主にキースくんが着たら可愛いだろうなっていう、もこもこ変身シリーズの取り揃えが素晴らしく多くて。目移りしまくったよね。
わかるでしょ? 小さいお子さんが、動物を模したもこもこフード被ってパタパタ走り回るあの愛らしさ。おしりから伸びるぺたんこ尻尾。そんなキースくんの愛嬌を最大限増すようなアイテムが、パジャマだけじゃなくてアウターにも展開されてるんだよ!? 悩むじゃん!? 自前の耳と尻尾があるだろって? それとこれとは話が別だよ!! もちろん、彼本来のケモ耳尻尾も愛らしいけども!
結局、悩んだもの全部買ったよね……いいんだ、これは必要だったから買ったんだもの。無駄遣いじゃない。
ただ、変身シリーズに関しては日本産のものばっかりなので、アウター以外は尻尾のあたりに穴を開けてあげないと座りが悪そうだ。現に今も、パジャマのズボンや幼児パンツが邪魔だったようで脱いでるし。上着だけのワンピース状態も可愛いよキースくん。お腹冷やすと悪いからタオル巻いておいたよね。
買い物中に怖かった事と言えば、ヒューさんが「いつか絶対お金返す……数字を覚えて……いつか絶対返す……」って呟いてた事かな……買い物を借金と考えて心の平穏を保ってるよぉ。一つの数字も漏らさず覚えようとしてるのか、目がちょっと血走ってて怖かったよぉ。序盤で計算しきれなくなって頭抱えてたけど。
「よし、じゃあ購入して……今まで選んだものが大きな箱に入って届くんです。目の前に」
「目の前に!?」
ぽんっと気の抜ける音と共に、段ボールが現れる。と同時に、ヒューさんが硬直した。うーん、私はファンタジーなら何でもありみたいな印象があったから平気だったけど、彼はこのショックに耐えられなかったか……
復活まで待ってられないから、荷物開けてくけどね!
「リトジア、この包装取っていってくれる?」
「はい!」
「テクトは値札切ってってね。キースくん、絵本はなかったけど、いっぱい絵が描いてある本はあったよ。どうかな?」
「これ、きーの?」
「うん。キースくんの図鑑」
この世界で絵付きの本を検索したら、図鑑しか出てこなかったんだよね。その中でも身近な存在っぽい魔獣の図鑑を買ってみた。喜んでくれるといいんだけど……
私の心配をよそに、キースくんはぱあっと表情を明るくさせて、重たい図鑑を両手で抱き締めた。
「きーの、だよ!」
はああんっ、一気に浄化された気分んん! 買ってよかったぁああ!!
たまらず身悶えてると、テクトから変態っぽいとツッコミをもらった。ええもう変態でいいよ! この可愛さの前では皆が変態だ!!
『どうも』
軽い挨拶が書かれたカンペを両手に、グロースさんが安全地帯にテレポートしてきた。憩いのスペースでお茶を用意してた私は、元気よく片手を上げる。
「お久しぶりです、グロースさん! 昨日はわがままを聞いてくださってありがとうございます」
『ありがたい情報だった、むしろ感謝してる。
後日、情報提供者には報酬が出るから、届けに来るよ』
「わぁい」
いやあ、前は報酬とかビビったり身構えたりしてたんだけどなぁ。もう慣れたよね。これも成長と言うべきか。
「グロースさん、こちらが今回保護したヒューさんと、キースくんです」
「は、はじめまして!」
「はじまし、てー!」
かちんこちんに緊張してるなヒューさん……大丈夫。グロースさんは絶世のイケメンだからビビるのもわかるけど、味方ですからね。
キースくんは図鑑を両足に挟む感じで器用に抱っこしながら座り、朝からずっと上機嫌だ。相当お気に召したらしい。あれ選んでよかったー!
素早く靴を脱いで席に着いたグロースさんが、さらさらとペンを走らせる。
『俺は冒険者ギルドの職員、グロース。今回の事件の担当者。
経緯は全部報告してもらったから、まずは制約の印を解除しよう』
「へ、あ、え、えーっと……」
「グロースさん、ヒューさんは字が読めないんです」
この世界、教科書が出回ってるから識字率が高いかと思いきや、そうでもないらしい。ヒューさんの故郷の村では本の類いはほとんどなかったそうで、字に触れる事はなかったんだとか。
『だろうと思った。保護した人のほとんどが字読めなかったから』
それってつまり、ヒューさんのように穏やかな暮らしを営んでいた人達を襲撃したり奴隷に仕立てる輩が、世間には多くいるって事ですかね。闇がふかぁい。
私が「グロースさんはとても信頼できる人だから安心して」と前置きしてからカンペに書いてある事を説明すると、ヒューさんは何度も頷いた。
「あ、ありがとうございます! キースの印は背中にあって……」
キースくんの小さい体を抱き上げて、めくるよ、と一言声をかけてから上着をずり上げる。柔らかな背中全体を覆うくらい大きな円が描かれていた。円の中は複雑な模様で、僅かに光って見える。ダンジョンが薄暗いからかな。妙に目立つ気がする。
グロースさんがアイテム袋から四角くて長い……サランラップみたいなものを取り出した。え、もしかしてそれ魔導具?
『制約の印用の魔導具だよ。
これを任意の場所に当てて伸ばす事で、印の着脱が出来る。
今日のために借りてきた』
へぇ、なんかアイロンと熱転写シートみたい。実際にくっつくのは人の肌だから、タトゥシールの方が似てるのかな?
「解除する時、熱かったり痛かったりします?」
『痛みを与える事は一切ない。
ただ、魔導具自体が冷たいから、それは伝えておいて』
「冷たくてびっくりするかもしれないけど、痛くないからね。キースくん、ヒューさんにくっついてれば大丈夫だよ」
「ん」
魔獣図鑑をヒューさんと挟むように、ぎゅうぅっと抱き着いて。キースくんは顔を隠した。
それを見たグロースさんはカンペを置いて、魔導具をキースくんに向ける。細長い一面を淡く光る印の上部に当てると、小さな身体はぴくりと震えたけれど、それだけだ。魔導具がゆっくり下げられていく。
キースくんは本当に、頑張り屋さんだなぁ。帰ったらご褒美にボーロあげよう、絶対。
魔導具が印の下まで滑りきると、制約の印は綺麗さっぱり消えていた。おお、すごい!!
「消えたよ、印! ほら、次はヒューさん!」
「あ、ああ。そうだね」
キースくんの綺麗になった背中をするりと撫でて、ほっと溜息を漏らしたヒューさん。早く印を取ってあげたかったんだなぁ。あんな小さい子に不穏な契約内容が刻まれた奴隷の印がついてるとか、精神衛生上よろしくないもんね。
上着を戻して、よく頑張ったな、とキースくんに声をかけてから、ヒューさんも背中を向けた。
「僕も、背中に」
「……同じ模様、ですね」
『印は同一だ。契約内容の量に比例して、印が大きくなる』
「なるほど」
つまり、制約の印が背中いっぱいに広がってるヒューさんはやべぇくらい契約が科せられてたって事だね。そういえばいっぱい箇条書きした覚えがあるわ……頭痛くなってくるわぁ。
グロースさんが着脱の魔導具を付けると、ヒューさんも体を震わせた。ゆっくりと這わされるそれを見ていると、肩をトントンと叩かれた。グロースさんだ。
彼は左手で魔導具を動かしながら、右手でカンペをめくった。それを見ろ、と指を差す。
『奴隷達がヒューの無事を聞いて喜んでいた。
ってそれとなく伝えてくれると助かる』
ああ。それは、それはとても、嬉しい情報だ。何よりの薬だと、私は思った。
「ヒューさん。あのね……」
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