115.アフターケアと健康診断
ヒューさんは案の定、泣いてしまった。
「よろこんで、くれてた? 僕は、皆に、何もできなかった……同じように、苦しんでいただけなのに……」
って最初は困惑してたんだけれど、グロースさんが奴隷の人達から聞いた話だとそうじゃないらしい。
ヒューさんは本人が言った通り、目立って人助けをしていたわけじゃない。それでも、体中が痛くて伏せる人の背中をさすったり、配布されたなけなしの薄い毛布を率先して分けたり、荒んだ気持ちを慰めるように寄り添ってくれた。自分だってつらかった状況で、それでも周りを気遣ってくれたヒューさんがいたから自分達は生き長らえる事ができた。ここ数日見当たらなくて心配していたけど無事で嬉しいと、彼らは口を揃えて言ったそうな。
ああ、なんか想像できるわ。聖樹さんに向かっている時のヒューさんってそういう、傍にいて安心させてくれる感じだよね。劣悪な環境の中でも曲げられなかった本来の性格が、結果として色んな人を救ってたって事なんだなぁ。
「……心の拠り所があったから、周りを見れる余裕が少しあっただけで……僕はそんな、大層なものじゃないよ」
そう言って首をさすったヒューさんは、しばらくは不思議そうにしていた。でも段々と話を呑み込めてきたのか、小さく頷き始めて。それから、皆が無事でよかった、と涙をぽろぽろ零し始めた。本当によかったって、何度も呟きながら。
「おじたん、いたい?」
「痛くなくても泣いちゃう時があるんだよ」
不安そうにしているキースくんの頭を撫でる。首を傾げる彼の小さな手にタオルを渡して、ヒューさんに届けてもらおうか。
ぐいぐいと顔に押し当てられるタオルに、ヒューさんは肩を震わせて笑った。
<遠慮……というより、自己肯定感が低い人だね>
<そこはこれから治していく予定です。ヒューさんを前向きに進路変更してくれる、心強い仲間もいますし>
<そう。俺が横から入ってもこじれそうだし、ルイに任せる>
<はい、任せてください!>
なんて、微笑ましい光景の陰でこっそりグロースさんと会話する。
グロースさんから詳しい話を聞くにあたって、<カンペのままじゃ面倒でしょ、テレパス使えるようになったって言えば?>と助言をくれたのはテクトだった。目から鱗だったよね。実はその瞬間までグロースさんがテレパス使いだってすっかり忘れていた事を、ここに白状します。
突然ふんふんと鼻息荒く興奮した私は、皆の目には怪しく映っただろう。それでも「私テレパス習得したんです。直接会話できるようになったんですよ!」って言うと、グロースさんは目を瞬かせてから、ゆるりと微笑んだ。<テレパス仲間だね>っておもむろにカンペを片付けたのである。
頭の中に響くグロースさんの生声は、低すぎず野太くなく。とても落ち着いた声音でした、とだけ言っておこう。つまりイケボです。
テレパスのお陰で格段とスムーズになった中継役だけど、またヒューさんを泣かしてしまったなぁ。いや、色々と吐き出させた方がいいのかな? 涙は心の浄化とも言うしね。
<さて、時間が惜しいからこのまま話を進めるけど>
<ヒューさん達の保護の話ですか?>
<正解>
だよねー。うん、不当な扱いを受けてる奴隷を保護したからそのまま一緒に暮らしますだなんて、世間や法律が許さないよねー。
でももう決めちゃったかならなぁ。
<うちの関係者が、もうヒューさん達は箱庭に住むものだと思って張り切ってるんですけど……っていうか私も家族だと思って身内扱いしてますが。彼らを引き取る事は難しいですか?>
<仲良くなるのが早いな……まずは今回の被害者達の話になるけど、全員が奴隷という立場から解放され、それぞれ身の振り方を決めるまでの猶予が与えられる。しばらく暮らせるだけの衣食住と、新生活のための支度金が用意されてるんだよ>
<え、めっちゃ手厚い。期間はあるんですか?>
<保証期間は最低一年。その間に休養をとって心の整理をして、故郷に帰るなり、この街で就職するなり、好きに選べるように法律で決まってる>
<すごい……アフターケア万全じゃないですか。どこから資金出てくるんですか、その制度>
一人分の生活費だけで、そうだなぁ、贅沢しないで1ヵ月5万とざっくり仮定してみよう。今回の被害者はダンジョンに入ってた人達だけでも30人なので、1ヵ月で150万……1年だと1800万!? さらに支度金も付けるとなると、すごい額が動くね!?
びっくりして固まってると、グロースさんがすっと親指を立てた。
<全部加害者から回収して還元してる>
<なるほど納得。むしろもっとやれ>
私は力強く親指を立て返す。いい還元方法だと思います!
テクトに<無駄ににこやかな笑顔してる……>って引き気味に言われたけど、本心からの表情に失礼だなぁ!
<そういう事情だから、ヒューとキースがルイの元に残ると決めたなら、俺達に君らを引き離す権利はない>
<一緒に暮らしても良いって事ですね?>
<そう。ただ支度金目当てに、引き取ったと見せかけて金だけ奪うゲスが過去にいたせいで、被害者保護の場合だと支度金は一切出なくなる。それは了承して>
<はい……え、問題ってそれだけです? なぁんだ、よかったー!>
保護する人が安全かどうか審査するから外に行くぞ、とかだったらすごく困るなって思ってたんだけど。いやぁ、ほっとした。
<書類審査はいるよ。奴隷の被害者を引き取るのは、一筋縄ではいかない>
<それくらい全然いい……いやよくないです、私の字が壊滅的です。次の機会にしましょう>
<ルイは冒険者ギルドと商業ギルドの両方と契約しているから、身元の証明は出来る。後はしばらく養えるだけの経済力を示せばいいから、タグの更新をすれば解決するな。次来る時に必要なものを持ってくる>
<駄目だ全然聞いてらっしゃらない>
うぐぅうう! もし書類審査にダリルさんが関わってたら、まーた字の事を言われそう。練習中なんだもの見逃してよぉお。
頭を抱える私を見て、グロースさんは小さく噴き出した。ふすって息の抜ける音がする。
<若者をからかって楽しんでるんだ。多少は甘んじて受け入れてやって>
<ダリルさんよりとんでもなく年上なグロースさんがそれ言います?>
<俺は年下をからかう趣味はない>
<趣味って言いきったぞこの人>
「キースくん、お姉ちゃんみたいに、口をあーって出来る?」
「あー」
私が口を大きく開けるのを真似して、キースくんも歯をむき出しにして開けた。おお、ちいちゃくても立派な犬歯。口開け合戦を楽しんでるその隙に、グロースさんが口内を覗き込んだ。
<喉は腫れてない。キースも異常なし>
「お、異常なしだって! よかった!」
「よかたー!」
キースくんがぴょこんと跳ねる。可愛いのう。よかたー! と騒ぎながらヒューさんに抱き着いていった小さな体は、もう健康体らしい。もちろん、受け止めた後に背中を撫でてあげるヒューさんも。
実はあの後、グロースさんに健康診断も頼まれた仕事のうちだからやるよ、って言われたんだよね。医療知識も持ち合わせているグロースさん有能では? 年の功だとは思うけどすごいわ。2000年の功はでかい。
ギルドの人なのにテレパスという高等スキルが出来る医療行為が出来る人、というハイスペックイケメンにヒューさんが大分混乱してたなぁ。魔族の説明も交えつつ、診察が始まったよね。
ちなみにお医者さんでお馴染みの聴診器は、この世界でもお馴染みだった。グロースさんが首に下げた時はちょっと興奮してしまったよね。仕方ない、ここに白衣があったら私は小躍りしてた。それがなかっただけマシだと思います。
一仕事した、という顔でお茶をすすり始めたグロースさんから、テレパスが届く。
<2人とも、思っていたより酷い状態じゃなかったよ。ポーション飲ませた?>
<ヒューさんだけ、怪我がひどかったので中級ポーションを>
<だからか。ポーションの余波で傷んだ内臓も修復されたんだろう。その後眠たそうにしてなかった?>
<あー、結構爆睡してましたね>
お昼を作るまでウトウトしてたし、ご飯食べてる途中に力尽きてた。そういえばよく寝てたなぁ。
<どれくらい寝てた?>
<2、3時間ですかね。夜もすぐ寝ちゃいましたよ>
<それくらいの睡眠で済んだなら問題ない。このまま経過観察で構わないよ>
え、何ですかその言い方。怖いですよ。不穏です。
<ポーションの摂取が体の負担になるんですか?>
<言い方が悪かったか。命に係わる怪我に比べれば、ごく軽い副作用だ。普通はゆっくりと癒していく怪我を一瞬で治すから、その分疲労が増す>
そんな説明、鑑定には出てこなかった。ええー、ポーションって万能な薬だと思ってたんだけど……
<たださえダンジョンを駆けまわって疲れている所に、さらなる疲労感が増した事でヒューさんは爆睡していたって事ですね?>
<そう。でもポーションを使った選択は間違っていない。血液を失ってしまう方が人体には悪いから>
それは、まあ確かに。貧血で苦労しているシアニスさんを見てれば、ポーションを使う方が正しい選択だと今でも思う。
あまり気にしすぎないように、と付け加えてグロースさんは私の頭にポンっと手を載せた。
<ヒューは体力が落ちてはいるけど、それ以外は問題ない。疲労も随分取れてるし、夕飯からは普通の食事に戻していいよ>
<本当ですか? やったぁ!>
これで今日から、精のつくもの食べさせられるぞ! ふんっと鼻息荒く、腕まくりをする。
昨日から消化しやすい食事を出してたけれど、お腹を壊す様子もなかったし、もしかしたら胃腸も回復してるのかなーって期待してたんだ。でも素人判断で食事の切り替えは怖いし、どうするべきかと思ってた所でグロースさんの診断ですよ。ありがたやー!
<じゃあ今日は肉で>
真っ先に反応したのはテクトだった。昨日今日と、素朴なご飯ばっかだったもんねぇ。そろそろガッツリお肉が食べたくなる頃だと思っていました。
<さすがに脂っこいものは胃が驚くから止めた方がいい。様子見しながら食べさせて>
<はーい!>
今日はどうしようかなぁ。久しぶりに丼系いく? ふわとろ卵の親子丼、野菜たっぷり中華丼、昔懐かし三色丼。どれも魅力的だなぁ。
物足りなさげなテクトには、からあげを添えようね。専門店の大きなからあげなら、大満足してもらえると思う。
大学の近所にあったお店は、鶏もも肉を大きめにカットしてお肉本来の味を楽しめるように味付けは控えめなタイプ。たださえ歯応えよろしい衣なのに、もっとカリッとさせたやつか、肉汁多めのジューシーなやつか、濃い味が好きな人には特製にんにくダレや塩ダレかけたやつとか、メニューが豊富なんだよね。
めいっぱい開けた口に放り込んで噛んだ瞬間に、じゅわぁっと肉汁が
テクトが食べてれば気になるだろうし、ヒューさんとキースくん用にいくつか一口サイズに切っておこうかな。様子見ながら食べてもらえれば私も安心だし。
と思い至った所で、テクトとグロースさんから無言の圧を感じてハッと我に返った。あれ、私、今回グロースさんにも思考ダダ漏れした!?
<ルイのテレパスは凶悪だ。腹が減ってきた>
<テレパスを駆使したルイの無差別テロ被害者の会へようこそグロース。君は今回のご褒美に追加でからあげをねだってもいい。僕が許す>
<うわー!! ごめんなさいー!!>
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