番外編.ダァヴ、鈍感な家族にツッコミを入れる


 7月10日に「聖獣と一緒!」二巻が発売されるのを祝して、ちょっと昔の話をお届けです。

 よろしければお楽しみください。






 まったく、とダァヴは内心でため息を吐いた。吐かざるを得なかった。

 神の油断で罪のない一つの魂が、無力な体でダンジョンの中に転生するなど。創世して以来、初めての事態だ。

 今回の神の失態は、情報収集を終えて帰ってきたダァヴの耳に入った時点で、何かしらの手をすぐさま考えなくてはならない出来事にまで発展していた。到底聞き流せるようなものではない。現世の事情により、輪にかけて多忙な身の上だとは重々承知しているけれど、いくらなんでもうっかりし過ぎではないですかお父様。そんな文句も言ってる場合ではない。

 その瞬間にダァヴも居合わせていたのなら、一言だけでも注意を促せただろうが、それも今更だ。すでに起きてしまった事は、もう取り返しがつかない。

 巻き込まれた彼女の命は、二十歳の彼女は、戻ってこないのだ。

 転生者を保護する者として、神はカーバンクルを選んだ。柔らかい毛と、威圧感を与えない姿かたちの、心根が優しい聖獣。神に任命された時、彼はすぐに頷いて了承したらしい。

 ダァヴの役目は、カーバンクルが転生者である女性に心を配るよう、知識の補助を短い間にできるだけ詰め込む事だった。体の脆い、幼い子ども。気を付けなければならない事は、いくつだってある。

 それらを懇切丁寧に説明したのだが。


<では、私からの話は以上ですが、よろしいですわねカーバンクル? 彼女は異世界に転生しただけでなく大人の体から幼児へと変貌してしまったのですから、混乱するはずですわ。まずは落ち着かせて、現状の説明をするのですよ>

<うん>


 そう頷いた淡い色の末っ子は、ダァヴを前にしてようやく話が終わるとばかりに視線を逸らした。まったく、そういう態度を隠しもしないから終わらないのだと思ったが、今はそれどころではないと切り上げる。

 急がなければならない事はカーバンクルもわかっているのだ。だからこそ、ダァヴの長い話が少々気を揉んでしまうのだろう。あれもこれも必要だと言葉を重ねてしまった私も悪いですわ、とダァヴは反省した。

 伝えねばならぬ事はすべて言った。少なくとも初日から幼女を蔑ろに扱いはしないだけの知識は、詰め込ませたはずである。この子は優しい子。経験は足りないが、それも一緒に過ごすうち慣れていく事だろう。

 なんて安易に考えていた事を、すぐ後悔する羽目になるとはダァヴはまったく思っていなかったが、この時は大丈夫だろうと納得してしまったのだ。


<最後に。カーバンクル、こちらを持っていきなさい>

<手鏡? 何で?>

<鏡は女性にとって大切なアイテムですのよ……残酷ではありますが、現実を見やすい道具でもありますの>

<ああ、なるほどね……>


 ぼんやりとした表情で持ち手部分をくるりと回していたカーバンクルが、ふっと顔を上げた。緑の瞳が揺らぐ。


<ねえダァヴ。僕で大丈夫かな>

<あら、不安?>

<……いや、別に。心配だとか、人が怖いとか思ってないけど……ただ、僕は生まれてから神様のお遣い程度の事しかしてこなかったから。人の一生に寄り添ってあげられる自信はないよ>


 そう言って、カーバンクルが鏡で自分の顔を見る。少し眉根を下げた、情けない顔だ。珍しく心情を零した末っ子を、ダァヴは優しい眼差しで見つめる。


<大丈夫。誰であろうと初めての事は不慣れですし、漠然と不安を抱くものなのですよ。その思いを感じてきたのは、あなただけではありません。皆が通る道で、そして克服してきた事ですわ>

<……勇者と旅をした事がある聖獣の方がよかったんじゃ……>

<あなたがこれから寄り添う子は、あの子聖獣達が愛した勇者達ではないでしょう。譲るのは、少々酷というものですわ>

<……そうかな>

<ええ。それに仕事を押し付けるなと怒られますわよ>

<押し付けてるわけじゃないよ失礼な!!>


 カーバンクルの頬がぷくぅっと膨れたので、ダァヴはくすくすと笑った。からかわれたと察した末っ子が、顔を大きく逸らす。


<カーバンクル……もし、もしも>


 ダァヴはくちばしで、カーバンクルの肩をつついた。柔らかい毛をより分け、地肌をくすぐるように擦り上げる。


<転生者の方と仲良くなれそうになかったら、帰ってらっしゃい>

<……うん、わかった>


 手鏡をぎゅぅと抱き締めたカーバンクルが、微笑む。<行ってきます>と言って、可愛い末っ子は転生者の元へ旅立っていった。

 

<さて……>


 ダァヴは羽を広げて、納まりがいいよう整えた。まるで人が体を伸ばすかのような、そんな仕草だ。

 カーバンクルのテレパスは、長い年月を使用してきたダァヴより幾分か。その拙さの隙間を縫って心の奥深くへ潜り、一方的に読心が可能である事は吹聴はしていないが、聖獣の中でも年長者の間では当たり前の事実であった。ダァヴは淑女なので普段は聖獣きょうだいの心を覗き見る事はしないが、今回は緊急事態なため、カーバンクルの不安を解すためにと少々覗かせてもらった。

 

 それ故の激励と、最後の甘やかしだった。だが。


<神様とお話ししなければならない事が、一つ増えましたわね>


 普段は丸いダァヴの目が、剣呑に尖る。












 神はすぐに見つかった。輪廻の流れを背後に、両手で抱えられそうなサイズの球体をいじっている。ダァヴはその横に降り立ち、神様を見上げた。

 見た目は若い男だ。100人が見れば100人とも美しいと答えるだろう、造り物めいた美を湛える男。喋らなければ軽薄さもありませんのに、という言葉はダァヴの優しさで胸の中にしまわれた。

 そんな神様が顎を撫でながらいじっている球体は、半透明の膜で覆われている。支えもなくフワフワと浮いて、中には茶色いものが下半分に詰められているようだ。

 神様が扉を開くような動作をすると、あっさり二つに割れた球体が開いた。右手人差し指が球体の下側を横切ると、茶色に細い青の線が通った。


<これは……大地と、水脈ですわね>

「おうよ。ダンジョンに転生しちまったんじゃ、ろくに生きられねぇだろ? 逃げ込む場所は必要かなと思ってよ。特に体もいじってやれなかったから、戦闘関係は全然向いてねぇんだ、あの転生者」

<それではカーバンクルを保護者にしたとしても、不利がすぎますわ。ダンジョンの外に出れたとしても、モンスターが日常と隣り合わせの世界で一から生活する事は難しいでしょう>

「だよなぁ。でも生まれちまった後じゃあ、俺は手を出せねぇしな」


 そう言いながら球体をぴたりと閉じる。元の丸に戻ったそれは、ふわりふわりと浮き続けた。

 土地と水の次は、空か? と独り言ち、神様の右手が球体の上側を撫でつける。球体のが赤く色づいた。世界は今、夕暮れ時らしい。


「ま、と連動しとけば間違いねぇだろ。空気と魔力も循環させて、と。後はこの空間を留めておくもんが必要なんだが……ダァヴ、何かちょうどいいの保存してねぇか? 柱的なのが理想なんだけど」

<そんな雑に頼む事じゃないでしょう。心当たりはありますけれど……というかお父様? まさか、これで完成などと言いませんわね?>

「は? いや、だから、後はを打ち込んで終わりだが?」


 至極当たり前のように返されて、ダァヴはつい頭を抱えた。駄目だこのお父様。

 人の生活をちょこちょこ観察はしていたけれど、その見方がちょこちょこだったが故に、過程がごっそり抜けていらっしゃる。例えるならばそう、村おこしをしようと決意した人達が次の日には衣食住に事足りる村を営んでいるかのような、そんな認識しかない。

 もう一度言おう。心の中で。駄目だこのお父様。


<水脈通しておけば大丈夫などという楽観的な考えは即刻捨て去ってくださいまし! 人は水脈から直接水を飲む事などできませんのよ! ましてや転生者は今幼い姿をしているのですから、無理難題にも程がありましょう! 知識も体力もない子どもに井戸を掘れと!?>

「え!? 井戸って子どもでも簡単に掘れるもんじゃねぇの!?」

<出来ませんわよ無理を仰らないで! 大人でも数人がかりで掘るものですし日にちもかかりますのよ! 掘れたとしてもすぐ飲める水ではありませんわ!! 泥が混じっているものは幼い体に毒ですのよ!!>

「マジで!?」


 慌てて神様は球体を再び開いた。水脈へ指を当て、上へ滑らせる。すると青い線が二股に分かれ、土の上に指が抜けた途端、茶色の大地に青が広がる。

 湧き水の誕生であった。

 垂れ流していては飲めません、おわかりですわよね! とダァヴの激を受け、積み石を追加した。石の隙間から水が湧くようになり、その水が濁らず溜まるように石を組み上げていく。


<それにこの剥き出しの土! これでは転んだ時に怪我をしてしまうでしょう! 見た目も荒野のようで心がすさみます、芝生くらい生やした方がよろしくてよ!>

「お、おう!」

<今回の転生者は元々は大人の女性なのです! この景色ではあまりに殺風景、あまりに癒しが足りませんわ! 四季折々の花が咲く場所があってもよろしいでしょう! 遠くに空しか見えないのでは逆に不安を煽りましてよ! 山でも森でも付け加えて奥行きを出してくださいまし!>

「はいよー!」


 段々ノリに乗ってきたのか、呆れられさらには怒鳴られているというのに楽しげな顔で花畑を造り、実体のない虚像の山や森を付け加える。

 その頃にはダァヴも落ち着いて、神様の作業を見守っていた。何度かため息は吐いていたが。


「なぁダァヴ、他には?」

<……はあ。天気を外と連動するのはよいと思いますが、あまりに寒暖差が激しいと人の子は簡単に死んでしまいますわ。せめて猛暑や雪、嵐などは緩めてあげてくださいまし>

「ほいよ。そういやダァヴ、候補の心当たりって何だ?」

<先日、聖樹を保護しましたの。少々弱ってはおりますが、これは村一つより随分と小さい空間ですし、留め支えるくらいは出来ましょう。無理強いはしたくありませんし、聖樹が了承してくれればですけれど>

「あー……じゃあ瘴気とか入ったら困るやつだな。そこらへんもいい感じにやっとくわ。ダァヴはその聖樹への説明、頼むぞー」

<あなたのその“いい感じ”がとても不安なのですよ、私>

「はっはっは。信用ねーな、俺!」

<先程の言葉だけでは、まったく、足りなかったようですわねお父様>

子どもが厳しい……」











 聖樹の了承は得られた。

 が、再び輪廻の流れに戻ってきたダァヴは、神様の前でベージュの塊がぴょんぴょん跳ね回っているのを見つけた。あれはカーバンクル。もう戻ってきたのかと思ったが、よくよく観察してみるとどうも様子がおかしい。

 カーバンクルが、苛立たし気に尻尾を振り回している。どうやら珍しく、怒っているようだ。


<じゃあとりあえず、これで帰るけど。僕はまだ! 言い足りないんだからね!>

「お前……あれだな。ダァヴに似てきたな」

<今それ言うところ!? まったくもう!!>


 最後に悪態をついて、ぱっと消えた。おそらく転生者の元へ帰ったのだろうけれど、いったいどうしたのか。


<カーバンクルが来ていたのですね。どうなさいましたの>

「いやー。ほら、あれ、転生者が戦闘関係の能力皆無だって話。あれ、どうにかしてくれーって、喧嘩腰でテレポートしてきてさぁ、使えそうな魔法は覚えさせたけどよ、ちょっとショックだよなぁ。反抗期なくて可愛かったカーバングルに、めっちゃ怒られた……」


 大分落ち込んでいるらしい。カーバンクルが帰るまでは平然としていたというのに、今はその場にしゃがみ込んで肩を落としている。ダァヴがあれだけ言っても応えなかった神様が、末っ子に怒られてここまで反応するとは。

 なるほど、叱られ慣れというのはよろしくありませんわね。とダァヴは思った。そして、さらに畳みかける事に決めた。

 ちょうど言わなければならない事があったと、思い出したので。


<それだけではないでしょう? あの子が怒る事はほとんどありませんわ。他にも何か隠していたから怒鳴り込んできたのでしょうね>


 ぐっと神様の呻く声が聞こえた。なるほどやはり、カーバンクルも気付いたのだ。神様がカーバンクルに、自身の不手際を隠して保護を任せた事を。


「何だよダァヴは知ってたのかよぉ」

<私があなたの隠し事を暴けなかった事がありますか。私がこの場にいなくとも、聖獣きょうだいの誰かがお父様の様子を見ておりますから、不在の間何かあったら報告するよう話はつけておりますの>


 そもそもお父様は、隠し事をすると言動がぎこちなくなるでしょう。とは付け加えないでおく。

 そんな事は露知らず、神様は今度こそ崩れ落ちた。


「そりゃダァヴ長子の言う事は逆らえねぇよなぁ! くっそ俺の威厳がダァヴに負けた!」

<弁論はありませんの? ではお父様はカーバンクルに、自身がしでかした事を内緒にしていた、あえて黙っていたと、そう判断してもよろしいのかしら?>

「ちげーって! ちょっとうっかり言い忘れただけで、カーバンクルに白い目で見られたくないとかそういう理由で黙ってたわけじゃねぇから!!」

<語るに落ちてますわよお父様>

「ああ! しまったぁあ!!」


 失態に失態を重ねた神様は、キッと涙目でダァヴを睨みつけた。まったく怖くない。むしろ家族補正で可愛いと呆れの気持ちゲージがぐんぐん上がっていく。呆れが勝らないうちにからかい……ごほん。

 きちんと話をしておこう。


「だってあいつからジト目向けられるとすげぇ胸が痛くなるんだぞ! つい誤魔化しちゃうじゃん? 俺悪くないと思います!」

<では私のジト目は痛くないから平気という事ですわねお父様>

「駄目だわめっちゃ痛ぇわ無理だわー!!」


 こうして色々とからか……話は途切れず、箱庭が完成するのにしばしの時間がかかった。出来上がった箱庭や他のお土産などを持参してダァヴがカーバンクルの元へ赴けば、幼女を直に石畳へ寝かせて放置している衝撃的光景を見る事となり。

 さらなる説教が始まった事は、言うまでもない。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る