110.奴隷について学ぼう
「よーし! 準備出来ました!」
お粥を無事に作り終えた後、テーブルにノートとペンを取り出した。リトジアも真面目な顔で隣に座る。
私はめっちゃ燃えてるんだ! ヒューさんとおチビさんを酷い目に合わせたアホを法的に裁いてもらわなきゃ! でもそのためには、グロースさんにヒューさん達の現状を事細かに話さなきゃいけない。その時に私が奴隷制度を詳しく知らないんじゃ、ちゃんと説明できないからね。ダァヴ姉さんから教えてもらう事にしました!
リトジアは「聖樹様の代わりを務めさせていただきます!」と宣言して、同じように聞く態勢である。気張ってる様子だけどこれ、ヒューさん達にちょっと庇護欲が湧いてるのかな? 一緒に箱庭へ行くんだし、仲良くできると嬉しいなぁ。
こっちの準備はオッケーですよ! そう言う私を、ダァヴ姉さんは軽く頷いて眺める。
<さて。ルイが誤解するのも仕方ないとは思うのですが……本来、奴隷というのは制約の印を刻まれはするものの、人権そのものを深く侵害されるような立場ではありませんのよ>
「え、そうなんですか?」
<あまりよろしくない扱いをする国もままありますが、このナヘルザークでは一つの制度として活用されてますの。簡単に言いますと、やむを得ない理由で作った借金を返せなくなってしまった人が、労働するので買ってください、と自身を売り込む制度ですわね。奴隷商の仲介で販売、契約した
へえー。借金を返す最終手段、みたいな?
歴史的にあるような、道具扱いというか……人権を丸々無視するタイプじゃないんだね。制約の印が怖すぎて、ほんの少しでも逆らったら否応なく苦痛を与える、さらにやばいやつだと勝手に思っていたけど。
<彼は非常識な主人に当たってしまったようですが、そのような事は普通ありませんのよ。無償労働ですけど、最低限の衣食住を主人が施す義務もありますし、無茶な労働時間を強いる事も違反に当たります>
なるほどー? 最低限の、衣食住ねー?
もう一度ヒューさんを見る。毛布からちょこっと覗く、筋肉が落ちた細い腕や足、疲労感マシマシな顔。そして思い出すのは、綻びだらけのボロくて薄い服、汚れたつっかけ、刃こぼれの剣、保存状態のよろしくない袋とパン。はい、この時点でヒューさんの雇用主もとい主人はアウトですね。罪状増やしときまーす。
奴隷商は国の認可を取得した人のみ出来るそうだけど、怪しい人にヒューさんやおチビさんを売りつけたんだし、そもそも違法である戦争捕虜を奴隷として扱ってる。奴隷の来歴も調べない奴隷商っておかしいのでは? 借金肩代わりする事もあるんでしょ? だいぶ怪しいので厳重注意って備考に書いときますね。
「どれい本人が売り込むって事は、自分の得意分野をアピールできるって事ですよね。普通は」
<ええ。奴隷商が紹介する形で、自身を買えばどのような労働を提供できるか、発言する権利は勿論ありますわ。戦いが得意な者は護衛を、算術が出来る者は商家の手伝いを、洗浄魔法が堪能な者はメイドなど……それなりの主張が出来ます。買う側もそれを考慮して奴隷を選びますのよ。普通は>
だから間違っても無理難題な労働……例えば戦う
つまり、木こりだったヒューさんをダンジョンに放り込むのはまごう事なき犯罪! よーし、罪状さらに追加ぁ!!
「制約の印って、主人に逆らうと苦痛を与えるそうですけど、借金から救う制度のナヘルザークでも使われてますよね? 物騒ですけど、何でですか?」
<それは印の拘束力が、毎日真面目に働く方々には発動しないからですわ>
「基本的には無害って事?」
<ええ。個々の契約にもよりますけれど、余程怠惰か反抗的な態度でなければ、主人の方も逆らったとは思いませんもの。奴隷側も、折角自分を選んでもらったのですから、真面目に働かない者はおりません。ただ問題は、己を売り出したにも関わらず仕事を放り出す、ごく少数の輩にありましたの>
「え!? 働くから借金助けてーって、自分から言ったようなものなのに?」
<ええ。武力でもって主人を脅し、金品を奪って逃げ出す奴隷も、昔は多くいましたわ。悲しい事ですけれど、そのような悪行を繰り返す事で稼いでいた奴隷もおりましたのよ。印はそのような悲劇を二度と生み出さないため、採用されていますわ>
そんな怖い人が横行してた時代って……ていうか、奴隷ってそんなアグレッシブに主人に向かって犯罪しまくるものだっけ……? 世界が違えばあり方も変わるんだなぁ。
<そうそう。制約の印には、契約内容も刻まれておりますの>
「えーっと、私がギルドと契約した時みたいなやつです?」
<うん。ああいう特殊な紙を使って、それぞれの借金や販売金額に応じた、あー、自身の買い取りまで働く期間と、主人との取り決めを印に刻む。奴隷商が立会する形でね。連名で契約するから、奴隷も主人も契約を確認したい時はいつでも調べられるみたいだね。印に手を翳さなきゃいけない手間があるけど、奴隷としては身分証にもなる。自分はどこどこの家と契約してる者だってね。で、期間きっちり働ききったら解約。印から解放されて、一般的な生活に戻れるんだね。なんならそのまま、奴隷してた場所に再就職する事だって出来るよ>
私の疑問に答えたのはテクトだった。ヒューさんとおチビさんの記憶を深く読み込んでいたテクトは、休憩しよ、と言いながらお茶を飲んだ。ふう、と息を漏らす。
最後の方だけ聞いてるとお試し雇用期間みたいなノリなんだけどなぁ。残念ながら奴隷の話なんだよねこれ。
<ただまあ、彼らの場合は一方的に契約させられたみたいだから、不利ばかりの内容だったよ。労働期間がほぼ一生分だったり、他者に不満を訴える事を禁止したり、ダンジョンで手に入れたものは許可なく使うなとか……ああ、後は主人の顔色を見て行動しろ、みたいな馬鹿っぽいのまであった>
「え、待って? 一生こんな生活環境で働けって? 無理やり契約させたの? 奴隷商立ち会ったんでしょ止めなよ!!」
今までの話からして、どっちかに不利が偏らないように調整する役割じゃないの!?
<この奴隷商もなかなか、腐った性根だったからね。ヒューの目の前で金銭のやり取りして、堂々と見逃してるんだよ>
「はい奴隷商も犯罪者確定で!!」
厳重注意どころの話じゃないわ、要注意人物だわ!! あくどいにも程があるでしょ!! もぉお、テクトが読み取った契約内容、全部書いてグロースさんに告げ口するから! 覚悟しろ悪党ども!
テクトに言われるがままトンデモ契約を書きなぐっていると、ふと疑問に思って首を傾げた。
「ヒューさんって自分の主人から、おチビさんをさらったんだよね?」
<そうだね>
「それって“主人の不利益になる事はしない”にあたったり……する?」
<するね>
は? え、じゃあ、制約の印、発動してるのでは? だって現在進行形で逆らってるって事だもの、ね?
<うん。ヒューはずっと、癒えない痛みに苛まれている。体がきしむ程の激痛ではないよ。なんていうか……うん、偏頭痛がずっと治らない感じ? うまく表現できなくてごめん。とりあえず僕が言いたいのは、ヒューは痛みを覚悟の上でおチビをさらったから、なかなかに根性のある、良い奴だと思うって事>
「……契約からくる苦痛ですと、ポーションでは治りません、よね?」
<そうですわね>
皆の視線がヒューさんに集まる。時々、苦しげな顔で腕をさすっていたのは悪夢で
「念のため聞くけど、テクトとダァヴ姉さんはその……強制的に契約解除とか、そういうチートは持ち合わせてたり、」
<ないよ>
<人の世にはあまり介入してはなりませんので……そのような勝手は出来ませんの>
でーすよねー。いや、うん。わかってた。無理を言ってすみません。これはそもそも人同士で解決しなきゃいけない問題だった。
ヒューさんには申し訳ないけど、完全な安眠までもう少し待ってもらおう。
「っていうか私ポーション飲ませちゃったけど、これ、“ダンジョンで手に入れたものは許可なく使うな”に当てはまる? さらに苦痛が増したりとかしてない?」
<ああー。あれは“与えられた”部類に入るから許容範囲。ルイがヒューに瓶を開けて渡した、つまり使用済みのものを渡したから、施しとして印は判断したみたいだよ>
はーーっ、何その抜け穴みたいな理屈!! っていうかそういう判断って制約の印がするもんなのね危なー! 数十分前の私ナイスすぎでは!? 本当に本当の結果オーライだよ!!
「はあ……これはちょっと、とりあえず、休憩挟もうか」
「そう、ですね……特に何かしたわけではないですが、疲労感があります」
「リトジア、精神的にも疲れると体ってダルくなるんだよ。甘いもの食べて休もう」
羊羹は幸い、まだ半分以上あるし。全員分を切って皿に載せて、リトジアには追加のオレンジ水を注いだ。
煎茶を抽出してる間に、羊羹を一口ぱくり。んんー! 濃厚な甘味に小豆の風味。もったりとなめらかな舌触り。何度噛んでも幸せが溢れるような……歯茎にちょっと残っちゃうのが、実は結構好きだったりする。お茶で流した時に、ほんのり甘さが舌をかすめて、何とも言えないワクワク感が味わえるから。
ヒューさんの胃が良くなったら、羊羹食べさせてあげたいねぇ。おチビさんは一口大に切ってからあげないと。
なんて未来に思いを馳せていると、テクトがそっとテーブルに手を伸ばし、銀紙に包まれた羊羮をめくってバクリと……
「あー!! そっちまだ切ってなかったやつ!!」
半分残ってたのに、一口で食べちゃったの!?
<美味しかったからつい。このサイズだと口内の幸福感が半端ないね>
「テクトが満足なら何よりだよ! 今度は粒が残ってるタイプの羊かんも準備するね!!」
<やった!>
何なら煉羊羹だけじゃなくて水羊羹とか、抹茶味やチョコ味、栗羊羹に芋羊羹、水まんじゅうとかも用意するし布教してやるわー!!
でもめっちゃびっくりするから、今みたいにいっぱい食べたい時は事前に言ってほしいなー、もう少し食べやすいサイズに切るからね! あと口の中が甘ったるくなってると思うから煎茶飲みな!! ちょっと抽出時間が長くなった気もするけど、あれだけ口に詰め込んだんだから渋い方がいいよね! テクトのは特に渋くなるように最後の一滴注いであげるからねー!!
<テクト、幼い子どもは先達の真似をしたがるものなのですよ。塊を飲み込むのは危険ですし、そのような食べ方は今後控えた方がよろしいのでは?>
<ぐ>
「となると、食べ方も直す方向になりますかねー。テクトのフォークやスプーンの持ち方は危なっかしいし」
<うぐ>
「そういえば、テクト様とルイで器具の持ち方が大分違いましたが……あれは手の大きさが関わっているのではないのですか?」
「ううん。テクトは最初からぶっ刺す感じの食べ方だったよ。それで食べやすいならいいかなって思ってたんだけど、おチビさんが真似して、万が一のどに刺さっちゃったら困るねぇ」
<ぐぬぬぬ……>
悔しげに唸ってますけどテクトさん。癖を直すいいタイミングなのでは? 食べ方一つで印象変わる、とも言うしねぇ。あと単純に、ご飯がスムーズに食べやすいし。これ重要。
<……仕方ない。これも世間に慣れる訓練だね>
「本当の子どもを相手にするようになるとは思わなかったもんねぇ」
私は中身が大人の
実際の所、不安はあまりないんだよねぇ。
「どっちかって言うと、テクトの前にヒューさんがずっと腰抜かしそうで」
<ああー。ルイは初めて箱庭に入った時、長い
「それは言ってくれるなー」
ヒューさんを聖樹さんに会わせると決めた時点で、私は、私達は、彼らを箱庭に迎え入れる事に決めた。だって聖樹さんの身内じゃん? むしろ受け入れない選択肢はなかった。
誰にも邪魔されない場所でゆっくり体を休めて、聖樹さんとお話してほしいし、おチビさんは健やかに育ってほしい。
リトジアにも勿論聞いたけど、彼女は躊躇なく頷いてくれた。逆に私が再度確認しちゃうくらいだったよね。「迎え入れるとなると、きちんと紹介するよ? 隠れていられないよ?」と言うと、「ルイを見習っているだけですわ。それに、人と顔を合わせて接してみたいとは、常々思っておりましたし」とまあ、あっさりと晴れ晴れした笑顔で返された。うちの子が強い。かっこいい。
というわけで、ヒューさんとおチビさんの奴隷の証拠である制約の印をどうにかするのが、当分の目標だね。またまた燃えてきたー!
「はいはいダァヴ姉さん! 子どもを奴隷にするのは犯罪じゃないんですか!」
<条件が多くはなりますが、犯罪にはなりませんのよ>
例えば、親が病弱だとか怪我人だからという理由で子どもを代わりに立てる事もあるそうだ。この場合の借金って、医療費が主な原因らしい。うん、病院通うのってお金かかるよね、わかる。
子どもが奴隷になった時は、成長を妨げると悪いので早寝させたり、年に数回は実家へ帰らせるように義務化されてるらしい。思ってたよりずっと優しいな? なんか時代劇に出てきた、行儀見習いとして奉公させてるみたいな感じがする。
「でもおチビさんは働けませんよね?」
<ええ。あの年頃の子どもが起用される事は、まずありませんわ>
そうだね自分のご飯も食べさせてもらうような年代だものね。労働できるまで育ってないからね!? 奴隷商も罪状追加ぁ!
私とリトジアがノートに噛り付いている間、ダァヴ姉さんがテクトだけにテレパスを繋いだ。その厳しい視線は、テクトが初めて見る冷たさだった。
<つまり、あの子は労働以外の目的があって、売買されておりますの……ええ、記憶を読み取ったあなたなら、よくおわかりですわね?>
<人ってああも醜くなれるものかと、驚いたよ。ルイやリトジアには、聞かせたくないね>
<
<そうだね……ところでこれグロースには全部ぶちまけていいんだよね?>
<ええ勿論。余すことなく、悪行全て話しておしまいなさい。我々は、手出しは出来ませんけれど、口は自由ですからね?>
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