番外.100階層の住人達



「お、良い匂いがするね」


100階層の廊下を進んでいると、オリバーの鼻が、ひくんと動く。続いてディノが頷いた。


「珍しい事もあるもんだ。アレク達いるよな?」

「うん、それにクリス達も調理中だね。食欲をそそる匂いしかしない……これはすごいな」

「ルイが教えるって言い出してから、ほんの9日くらいだったか。すげー成長してんじゃん」

「あの子が毎日来るとは限らないんじゃない?半分の4日程度と見積もったとしても、劇的過ぎる変化だわ」

「ふふふ。ルイもアレク達も、頑張ったんですねぇ」

「美味しいご飯が作れるのは良い事だな」


なんて、それぞれ思った事をのんびりと語り合いながら、安全地帯へ入る。もちろん、モンスターがついてきていないか、気配察知に優れたオリバーが殿で確認しながらの入場だ。何もいないのならばそのまま、もし1匹でもそこにいたら騒がれる前に仕留める。安全地帯の中でくらい、モンスターの喚きに煩わされず休みたい。ダンジョンに潜る冒険者達の間では、暗黙の了解だ。


「やっほー!ルウェン達元気そうじゃーん」

「よう、久しぶり」

「お疲れ」


獣人の中でも聴力と嗅覚に優れたドロシー、モーリス、アリッサが真っ先に片手を上げた。今日のアリッサはツンと澄ましているのか、やけに言葉が短絡的だ。彼女は気分の上げ下げが激しい。ただ、どんな時でも根の善良さが滲み出るから、クリス達の間では末っ子の位置にいるのだろう。今もドロシーに頭を撫でられて意味がわからず威嚇している……つい構ってしまいたくなる雰囲気も、彼女の良い所である。

他の面々にも軽く挨拶して、空いてる一角に荷物を下ろす。エイベルはコンロの前に集まっているアレク達の隙間から、フライパンを覗き込んだ。


「豚焼いてんのか」

「おー。昼にオークとかち合ってさ。今日は盛大に肉増し豚丼にしようぜって話したんだよ」

「ほお、そりゃいいな」

「フライパンも肉も、全然焦げてないね」

「ふっふっふ、だろぉ?俺達だってちゃんと、上手く焼けるようになったんだぜ!ルイ先生が丁寧に教えてくれた賜物だな!」

「う!」


じゅうじゅう音を立てて焼けている薄切りのオーク肉は、良い匂いを保ちながら一端皿へと移された。焼き加減もちょうどいいし、厚さもまあまあ均一だ。元肉屋だったのではと疑われるエイベルには遠く及ばないが、数日前に肉塊しか切り出せなかったさまを思い出せば、遥かに大きい進歩だ。


「肉の切り方も上手になったじゃない」

「そこはテクト先生の教えだな!あんな小さいなりして、でっけぇ肉の塊も簡単に捌いちまうんだ。マジですげぇよ」

「普通なら包丁が通らなくなると思うんだがな、涼しい顔して切るんだよ。しかも厚さは全部均等。それを何とか真似してたら、多少マシにはなるわな」

「切り方を何度かやって見せた後、じーーっとこっちを見てくるんだよなぁ。ちょっと緊張すっけど、ミスっても変な顔しないで待っててくれるし。優しい先生だよ」


どうやらルイもテクトも、料理教室に関しては問題ないようだ。楽しそうに語るアレク達に、軽く頷き返す。

その間にもどんどん焼かれていく肉に、ルウェンは唾を飲み込んだ。そうだ、うちの夕飯もオーク肉にしよう。絶対にそうしよう。


「しかし本当に多いな。そんなに焼いて、アイテム袋の貯蔵は大丈夫なのか?」

「おう!ぶくぶくに肥えたでっけぇオークだったからさぁ、実はまだ半分くらい余ってんの!」

「各部位を盛りまくっても全員に行き渡る量だぜ!宝箱はあんまりだったけど、モンスターは大当たりだったな!」

「だなー!まあその分、解体が大変だったけど!」

「図体でけぇと血抜きが面倒だよなぁ」

「そんなにやにやしながら言われたって、ムカつくだけですけどー?」

「残念だったわ。左の道へ行けたら、私達がオークを仕留められたのに」

「悪いねぇ、俺らに運が向いちゃって」


基本的に、冒険者達は同じ道を進まない。ダンジョンの特性上、人がすでに漁り尽くした道をなぞるのは損でしかないからだ。

だから分かれ道に出会ったら、それぞれが納得する方法で、決めた方向へ進む。今回、T字路に突き当たった彼らが選んだ方法はコイントス。表裏を当てれば左、外せば右だ。アレクが投げて押さえたコインを、選んだのはクリス。これでは文句の言いようがない。


「クリス達はコカトリスですか?」

「宝箱のある部屋に群れが出来てて……エリンの魔法で、一網打尽」

「しばらく鳥肉には困らないですぅ」


ほくほく顔のエリンが、上機嫌でコカトリスのもも肉をさばく。豚より鳥の方が好みだからだろう。彼女は鼻歌まじりに包丁を操る。

コカトリスは鋭すぎる羽と足、そして毒のある頭部と内臓と尻尾が不食部分。それ以外は問題なく食べれる。太い足で素早く駆け回るため、特にもも肉が上質で美味い。

余計な脂身を削ぎ落し、筋を切り、両面に満遍なくフォークを刺していくと、シアニスが不思議そうに眼を瞬かせた。


「何をしているんです?」

「こうすると肉が縮んで固くなるのを防いだり、味が良く染みるようになるらしいですぅ。ルイに教えてもらいましたぁ」

「まあ。それは良い事を聞きました」

「あ、うっかりバラしちゃいましたねぇ」


普段なら、どんなに些細な情報だろうと対価を要求するものなのだが。

エリンは気の抜けるような笑顔のまま、肉の下拵えを続ける。


「ルイのお人好しが移ったのかもね」

「そうですね。私も思わず聞いてしまいました」

「不思議だよね……彼女がいるだけで、気が抜けてしまう……」

「まだ数日しか会ってないけど、完全に絆されてるわね私達」


クリスの言葉に、離れていながらも皆が大きく頷いた。気持ちは同じらしい。その後も宝玉を買った事や洗浄魔法がやはり素晴らしい事などを聞くと、ルイとテクトが無事に雑貨店を営めているようで安堵した。

宝玉を売りたいと自ら言っていたとはいえ、色々と無理難題を吹っ掛けてケットシーを装わせているのは、ギルドマスターとグロースに見つかった上に、誤魔化しきれなかった自分達の油断が原因だ。ルイとテクトが笑顔でいるなら問題ないが、無理をしているようなら止めなければならない。ギルドを騙した事で罰則もあるだろうが、始めさせてしまったからには、軌道に乗るか、終わりまで責任を持たなくては。

自分達の夕飯準備に取り掛かりつつも、セラスはふと気になった事を口に出した。


「もしかしてクリス達も、ルイから料理を教えてもらっているの?」

「ええ。味付けのバリエーションが欲しかったし、料理スキルのレベルアップもかねて。私達まだCなのよね」

「向上心は大事だよねー!」

「俺達は脅されたけどな!!」

「ああー……ドンマイ」


どこのパーティでも、女性に口では敵わないんだなぁ。とオリバーは内心呟いて、間も置かずハッと我に返る。

あまりに仲良すぎてよく忘れるけど、ここ男女別のパーティだった。














「ご飯食べながらでもいいから話し合いたいんだけれど」

「えー。ゆっくり飯食いたぜ俺らはー」

「なんつって、どうせ早食いになるんだけどなぁ」

「冒険者の悪いところな」

「ルイとテクトに関する事なのですよ」

「「よし聞こうじゃねぇか」」

「そう言ってくれると思ってたわ」

「あんた達は……もう」


彼らの陽気なノリは助かる。付き合いの長いクリス達は呆れた様子だが、話自体には異論ないらしい。誰が指示するまでもなく敷布を大きな円状に広げ、それぞれ顔が見えるように座り食事を開始する。


「で、話って何よ?」

「ルイとテクトをもう少し上の階層へ連れて行くかどうか、考えちゃうのよね」

「あー……うーん。俺らは愉快なお兄さんなので問題ないとして」

「それ自分で言う?」

「あ!もちろん、クリス達は頼れるお姉さんだから大丈夫だよ!」

「フランに太鼓判押されてもなー」

「うちの馬鹿がすまんな」

「……いつもの事だけど、呑気が過ぎる……」


なんてしっかり組がぼやいてるのも気にせずに、フランはオーク肉を嚥下して話を続けた。


「すぐ上の安全地帯まで戻った奴らは大丈夫だと思うけど、その上は駄目そうじゃね?街ですれ違っただけで睨まれるもん」

「だろうなぁ。俺らはギルドの依頼で話しに行ったが、始終、嫌な顔されたぜ」


97階層を拠点にしている冒険者達は、武器持ちのオークが100階で出ると聞いて喜んでいた。以前ここまで潜った時は、遭遇出来なかったらしい。

問題は、93階の連中だ。

ルウェン達が安全地帯に入った途端、敵対心をむき出しにして、粗を探すようにじろじろと睨みつけてくる。ハッキリ言って、不愉快だった。


「つーか、まともに聞いてさえいなかったよな。顔を合わそうともしやがらねー」

「私達の事が嫌いみたいね、彼らは」


嫌われる理由の、大体の見当はついてるが。


「自分達が下層まで降りれねぇのを八つ当たりされてもな」

「まあまあ、そう言ってやるなよ。悔しい気持ちは俺らもわかるし」

「そう言う割には仲良くしてくれるわよね、あなた達」

「だってお前ら、話してて気分いいしな。普通に好感が持てる。実力が追い付かないのはそれとは別の話だ」


甘辛いタレが絡んだオーク肉に噛り付いたアレクが、口の中にご飯をかき込んだ。自分が言った事に照れているのか、リスのように頬へ詰めていく。フランとクライヴなら照れないだろうな、と思いつつ一人一人確認していくと、案の定素直な2人だけが笑顔で頷いていた。他は視線が合わない。

同じ妖精族なのに、うちの妖精は素直成分をどこに置いてきたのだろうか。エイベルはセラスに睨まれないよう、スープと共に言葉を呑み込んだ。


「まあ、誰でもがそう切り替えられるわけじゃないのよね。お疲れ様、慣れない依頼で大変だったでしょう」

「そうね。でも、好意的じゃない視線なんてよくある事よ。わざわざ思い出して気にしてるのはルウェンだけ」

「……俺は気付かないうちに、彼らに何か仕出かしてしまったのだろうか」

「って感じで、話題に出るたび悩んでるんだよね」

「ルウェンらしーい」

「ほっときゃいいのに、ルウェンは気にしすぎだ」


真正面から誠実に向き合おうとするルウェンの存在が、奴らは特に気に入らないんだろうとは察している。どんな努力も惜しまず、仲間を信じ、信じられ、誰の言葉も疑わない。まるで物語の主人公のような男が、あまりにも眩い男が、受け入れがたい。

だからルウェンのどんな言葉も、鬱屈した奴らには不快でしかなかっただろう。裏を探そうと刺々しい言葉を使ってしまうのは、わからないでもないが……あれは度が過ぎる。棘どころか、毒だ。

“108階の怪物にルウェン達が遊ばれた”という事実を、その深刻さや意味を理解しようとせず、鼻で笑い馬鹿にしてくるようでは……悪意を前面に毒を吐く輩がいる階層には、さすがにルイやテクトを連れてはいけない。


「でもまあ、そうね。値段も低く付け過ぎないようになってきたし……そろそろ97階には、行ってもいいかもしれないわね」


値段に関して人一倍気にしていたクリスが言うなら、間違いないだろう。念のため確認する予定ではあるが、安心要素が1つ増えた。


「ありがとうございます。勉強のついでに、折を見て提案してみますね」

「そういや魔法を教えるって言ってたっけ。生活魔法が増えりゃあ、俺達も助かるわけだし。そこらへん頼むぜシアニス」

「ルイが何を使えるようになるかは、私ではどうにもなりませんよ」

「ええー。そうかぁ?ルイ先生の事だから、便利になるーって生活魔法増やしそうだけどな」

「目に浮かぶわ」

「そんでゆくゆくは色んな階層に出没するようになるのかね……」

「出来る事ならもうちょっと、いやもうしばらく、100階だけに来て欲しいけどねー」

「それな」


あの無垢な少女ケットシーと可愛らしい妖精の、穏やかな気持ちにさせてくれる優しさを、歪められたくない……どうやら思う事は皆、だいたい同じらしい。

ただ、気になるのは街で会った胡散臭い魔族。オリバーの気配察知がほんの少し触れただけで、訳も分からず恐怖に陥れられたあの2人。グロースの友人だと言っていたが、彼らの言葉は信用できるだろうか。本当に、108階に行ってないのだろうか。

あの日真っ青で震えていたオリバーは、今はもう平気そうにしている。アルファルドという前髪の長い男が、話しかけてからストンと落ち着いてしまった。

後から聞くと、こういう事らしい。


「最初、人ごみの中から気配を探し当てた時。気付いたら、周りの人達が消えて、自分1人が真っ黒な空間に立ってた。そこから空間の先は見えなくて、左右上下どこも暗くて、つい焦って走り出した。でもどんなに走っても、黒の果てが見えない。俺なんて簡単に塗りつぶされて消されてしまう……そう錯覚させる何かがあった。

でも一瞬、怯んだ時には、彼らの気配は。どれだけ探っても、だよ。

俺が彼らの片鱗に触れた瞬間に、スキルでも届かない奥深くまで隠されてしまったんだ。皆が話しかけた後も、俺が探ったと知ってるはずなのに知らないふりをされて、怖かった。すごく。

でもあの人が俺の額に触った時。なんとなくルウェンに似てると思った。本気で気遣ってくれてるんだって、察してしまった。

保っていた気力が、全部抜けたよ。敵うわけないって思った……が、世界には存在してるんだね」


そう言うオリバーの横顔は、諦めにも似ていた。

彼の気配察知はとてつもなく鋭敏だ。時に人の感情さえ察してしまうオリバーの苦労も、ずっと一緒だったルウェン達が、よく知ってる。

その彼が、敵対者でないと言うのなら。おそらくそうなのだろう。だがその理由は?魔族の2人が強力だろう実力を隠し、このダンジョンに現れた目的は?それがわからない限りは、信用できない。

彼らは本当に魔族だったのか。魔族ならば角も、食事量が多いところも特徴と合ってはいる。100階層あたりを探索できるだけの強さも、身体能力が高いという噂が事実ならば持ち合わせているだろう。グロースの友人であるというのは、嘘偽りないのだろうか。気安い間柄と思えるほど、発言に容赦はなかったが。

不特定な話題を振るのは、さすがに躊躇った。せっかく楽しい食事に戻ったのだ、水を差すのは止めておこう。

グロースに会ったら情報の一つでも吐くまで追及してやる、と心に決めた。



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