103 鍛錬と月の話



「さて、それでは始めましょうか」

「はい!」


 テーブルに何冊かの本を広げて、私と向かい合うシアニスさんが微笑んだ。教科書が届いたから、今日から念願の魔法授業が始まるんだよね! 待ってましたー!

 卵を何度か撫で終わった後、ルウェンさん達は探索に出掛けてしまったので、ここにいるのは私とシアニスさん、それからオリバーさんだけだ。テクト? 探索するならついて行こうかなって、ルウェンさんの隣を歩いてったよ。ああいうのを見ると、やっぱり男の子だなぁってしみじみ思う。私達がやる散歩とは、楽しむ目線が違うんだろう。

 ルウェンさん達は、ここ数日で装備を一新したらしい。グランミノタウロスがボロボロにしたものより性能が劣るらしいけど、この階層を回るくらいなら問題ないんだとか。私には性能の良し悪しはわからないけれど、ヒビが入ってない状態は目に見えてとても安心できる。安全第一に探索してくださいね皆さん。

 装備のグレードアップは、資金と自分達の鍛錬が仕上がるまでには揃えたいって言ってた。牛を倒すために、命を預けるに足る装備が必要なわけだ。前のものより良いものを、ってなるとお金もそれだけかかる。

 今はすべてにおいて、準備期間。今日の探索もそれに含まれているらしい。

 というのも、探索に行くって言ったルウェンさん達4人は、安全地帯で二手に分かれてしまったんだよね。前は皆で揃って出掛けたのに。びっくりして左右をきょろきょろした私に、シアニスさんとオリバーさんが装備の事ととか、これからの予定を軽く教えてくれた。

 まずはそれぞれの能力のレベルアップ。元々、はぐれたり手が離せなかった場合を想定して、最大人数6人から2人までの連携は備えていた。108階で徘徊してるモンスターくらいなら、最低人数の2人でも撃破可能な実力を持っているらしい。マジか。あの巨体パラダイス達を2人組で倒せるの? 回復担当のシアニスさんも? ま、マジかぁ……


「ただ、倒せるものばかりを選んで満足していては、私達のステータスは向上の余地がありません。牛へは到底届かないでしょう。一人一人の実力を底上げするには、単身でモンスターに挑むべき、というのが皆で出し合った意見なのですよ」

「つまり分かれ道に行き当ったら一人ずつになるつもりで、二手に分かれたんだよね」

「ええー……だ、大丈夫なんですか?」

「危険かどうかを自己判断するのも、今の私達には大切な事ですし……1人ずつ宝玉も持ちましたし、ね。大丈夫でしょう」


 そうなんだよ。宝玉がたくさん欲しいわって言われて、探索前に全員分売ったんだよね。このためだったのかぁ。


「テクト、ジャマになりませんかね……ルウェンさんとディノさんについて行っちゃいましたけど」

「前の様子からして、問題ないと思うな。テクトは俺達の様子をただ見てるだけだったし……あ、でもカメレオンフィッシャーの時は楽しそうに囮してたっけ」


 あー、囮くらいまたしてあげてもいいよって言ってたなぁ。いや、たぶんテレパスで皆さんの心構えを読むだろうから、大人しく傍観してくれると思うけど。ルウェンさん達と出掛けると、保護者から男の子モード入っちゃうからなぁ。

 一応、釘刺しとこうか。


 <テクトー。ルウェンさん達の邪魔しちゃだめだよ>

 <わかってるよ。今日はおとなしく、後ろから見てる>

 <うん、それならいいと思う。気を付けていってらっしゃい>


 テクトは離れてても同じ階層にいればテレパス届くから、本当ありがたいね! 言い忘れた伝言もすぐ届く、ケータイもびっくりなチートだ。


「シアニスさんは私の勉強の先生で……オリバーさんは何するんですか?」

「俺はここから、散開する4人の気配を追う鍛錬だよ。牛の気配を探れるようになれば、奇襲の手も視野に入れられるでしょ。どんな手段でも、勝ち筋が見えるようにしたいんだ」


 そのための、レベルアップ。微笑んだオリバーさんは、勉強の邪魔にならないようにと壁際へ進み、腰を下ろした。座禅の格好だ。テクトもああして瞑想してるし、どの世界でも共通の集中できる姿勢なんだろうな。スッと目を閉じた後は、彼の気配が薄れてしまったように思える。視界に入っているのに、じっと見ようとすると滑ってしまう感じ?


「ああやって、自分の存在感を消しつつ、気配を探っているんです。こうなると私達がどんなに騒ごうと動きませんよ、彼」

「人やモンスターの気配にだけ集中してるんですか?」

「ええ。私達の存在は察知してますが、遠くの方まで意識を伸ばしているので細かい事まで把握出来ないようです。だから緊急時以外はあまり声が届きませんね」

「なるほど」


 つまり勉強でわからない事を質問したり、多少声を張ったりしても、オリバーさんの邪魔にはならないって事だね。すごいなぁ。

 あのとんでもないモンスターを倒すために、皆さん頑張ってるんだね……これシアニスさんも、私なんかに構ってないで鍛錬したいんじゃ……

 おずおずとシアニスさんの表情を伺うと、マイナスイオン全開の微笑を向けられた。心なしか、ふんすふんすと張り切ってる雰囲気である。


「さあ、ルイも勉強頑張りましょうね! 私、一度は教師らしい事をしてみたかったんです!」


 あ、これ私の事迷惑だとか思ってないわ。<正解>とテクトの忍び笑いが聞こえた。
















 シアニスさんの授業は、とてもわかりやすかった。私が呑み込みやすいように、かみ砕いて教えてくれる。学校の先生じゃなくて、家庭教師って感じだね。

 この教科書は私専用らしい。これも借金返済の形なんだろう。すみませんねぇ、大金に尻込みしちゃって。本の方が気楽に受け取れるので私の精神には優しいです。

 教科書の紙は真っ白でしっかりした材質、糸綴じされているけれど、少し分厚い紙がカバーの役割をしているようで、多少濡れても大丈夫そうだ。インクで印字された綺麗な文字が並んでいるから、文章も読みやすい。印刷技術あるのか、この世界……主に魔導具関係に日本人の存在をひしひしと感じるので、おかしくはないんだけど……最初に拾った冒険者さんの遺産がね。紙もすごく古かったし、今の時代もそういうものかと思ってた節がある。

 内容は章ごとに分かれてて、小学校の頃の教科書を思い出した。いや、目次で目当ての項目を探しやすいですけどね? 各所にイラストが付いてるから、尚更昔を思い出してしまってだね? これ絶対、勇者が関わってるじゃーん。思わず笑いだしそうになって、シアニスさんに首傾げられたんだぞ、どうしてくれる。

 自分が必要だと思った事はどんどん書いた方がいいですよ、と言われたのでシアニスさんに補足された事を、ページ内に必ずある空きスペースに書き込んでいく。どうやらメモする前提で刷られた本みたい。ノートに書き写す文化がないのかな? 不思議だけど、自分の字が汚い事の方が私にとっては重要度が高い。ええい、まだミミズがのたくった字だけど、前よりはよくなったんだ! 読めるから問題無し!

 今日の授業は今まで皆さんが話していた事の復習。というより、私がどれだけ基本を理解しているかの確認みたい。「魔力の基礎」と銘打たれた教科書は、とてもわかりやすくまとめられているので大変助かった。前にメモしたやつはね……私の字を察してください。

 一区切りついた頃、うーんと肩を伸ばした。ずっと字を書いてると上半身が固まるよねぇ。集中も長続きしないし。そんな私を見て、シアニスさんは微笑んだ。


「少し休憩しましょうか。今日は私が、紅茶を入れますね」

「はーい!」

「オリバーは……まだ鍛錬中のようですから、後にしましょう」


 えっ? 思わずオリバーさんを見ると、座禅の姿勢を崩さず目は閉じたままだった。あれからずっと集中してる上に、まだ続けるつもりなの? すごいな……1時間は優に超えてると思うんだけど。

 シアニスさんがティーセットを出して、茶葉を2杯、そして沸騰したお湯をポットに注ぐ。シアニスさんも、お湯は暇な時に沸かしておく派かな? アイテム袋の良い活用法だよね。ついでに出されたクッキーに手を伸ばしていると、磁器製の花柄があしらわれた丸いポットから、湯気と共にほんわか紅茶の匂いがしてきた。ううーん、良い香り。


「そういえば、魔法以外でも何か知りたい事はありませんか? 私達で答えられるものなら、何でも話しますよ」

「え、うーん……そうだなぁ。あの、私って世間に疎いじゃないですか」

「そうですね」


 ここで否定しないあたり、シアニスさんなりの優しさだよねぇ。はっきり言ってくださってありがとうございます。


「実は日付もあまりわかってなくて。今日ってその……何月の何日、ですかね……」

「ダンジョンに籠っていると、幾日経ったかわからなくなりますから。仕方ないですよ」


 あ、これは私が相当やべぇって事が伝わってないな。


「いや……えー……一年の月日を、何て言うか知らない……んですよね」

「あら、まあ……暦を知らなかったのですね」

「はい……お恥ずかしながら。その、勉強不足な上、外を見た事がほとんどなく……」


 最近の日記なんて、転生してから何日目、って書いてるしね。1の月とやらがいつ終わったかもわからないんですよ……

 しょぼくれる私の頭を、シアニスさんが撫でる。はわわぁあ。


「知らない事は恥じなくてもいいのです。知らないままでいるよりずっといい。言いづらい事だったでしょう。教えてくれてありがとうございます」


 柔らかく微笑んでくれたシアニスさんによってとろけさせられた私と、クッキーと紅茶をお供に追加の授業が始まった。 

 この世界では、1年は370日と決められているらしい。全国共通の暦なんだって。地方によっては数え方も変わりそうなものだけどねぇ。どうも月の数が関係しているらしい。

 夜の空に浮かぶ月は、一月ひとつき経つごとに一つずつ増えていく。月はどんどん増えていって、最終的には七つになるんだって。え、待って、七つ!?


「そしてなんと、また一月経つごとに一つずつ減っていくんです」

「減るの!?」


 シアニスさんが丁寧な文字で書いてくれた一年の内訳は、こうなっているらしい。


 始まりの1の月 30日

 始まりの2の月 30日

 始まりの3の月 30日

 始まりの4の月 30日

 始まりの5の月 30日

 始まりの6の月 30日

 満ちる月    5日

 終わりの6の月 30日

 終わりの5の月 30日

 終わりの4の月 30日

 終わりの3の月 30日

 終わりの2の月 30日

 終わりの1の月 30日

 暗闇の月    5日


 昔から夜空に浮かぶ月の数によって決められた月日で、ずっと変わらない暦なんだって。うるう年とかないんですね。

 ほとんどの一ヵ月が30日固定なのに対し、何故か5日ずつ取ってる謎の一月が二つある。っていうか始まりから折り返して終わりなのは何なの。一年が始まって終わってまた始まるから? それとも月が減って悲しいな、終わってくなって事なの? 物悲し過ぎでは?

 一番気になるのは月の数だよ、数! テクトから月は増えてくよって聞いてはいたけど、減るのは聞いてないし! 満ちる月とやらで最大数の七つの月が輝いて、その眩い光によってモンスターの活動が沈静化するんだって。平和だね素晴らしい! 対して、暗闇の月ではまったく月が出ないそうだ。つまり日本でいう新月。

 

「あれ……月が出ないって事は、ずっと暗いって事ですよね? 怖すぎませんか?」

「ええ、とても危ないですよ。月の光がなければ、モンスターはとても活発化しますから。夜の間ずっと」

「とんでもない5日間ですね!?」


 夜は寝かせないぞ(大群×命の危機)! って事ですか物騒過ぎるよ! だから物悲しい名称にされてるのかな。しかも肝心の5日間なんて、暗闇の月だよ。文字通りだけど、もうちょっとこう……絶望感を払拭できる名前はなかったのかな。


「最近では花火の月とも呼ばれてますよ。覚えはありませんか、一年のうち5日だけ、花火を打ち上げ続ける夜を」

「あ」


 ああーっ、テクトが言ってた! あれって、花火が上がる暗闇の月が終わったから、始まりの1の月だよって意味だったんだね!! はー、納得。


「花火には魔除けの効果がありますので、古くからモンスター避けとして使われています。一年のうちに沢山の花火を貯蔵して、5日間上げ続ける。これでモンスターの被害は激減しました。他にも手はありますが、花火が一番広範囲に効きますから、大きな街での主だった手段になりますね」

「はー……すごいですねぇ」


 つまり花火は祭りを盛り上げるものじゃなくて、命を守るものっていうのが常識なんだね。ずっと体に振動が来て眠れなさそう……いやそもそもモンスターが怖くて眠れないわ。

 他に教えてもらったのは、“始まり”や“終わり”と付いてるのは言葉のまま、一年の始まりから終わりまでを意味しているらしい。さっきのは私が悲観的すぎましたね……いやだってほら、カメレオンフィッシャーみたいな例もあるし。ちょっと疑っちゃうじゃん?

 さらに不思議な事に、どんなに離れた土地から空を見上げても、3の月では三つだけ、5の月では五つだけ月が出てくるらしい。全国共通の暦なのはこれが理由なんだって。

 ちょっと待ってよどうなってるんだ月。どの地方から見てもきっちり数が揃うとかおかしいよ、不思議が過ぎるでしょ……


「あと面白い事といえば……七つの月はそれぞれ色が違う、という事ですかね」


 え、何それ勘弁してください。もうファンタジーなお月様の話題はお腹いっぱいですよ!

 でも気になるので今度教えてくださいね!!


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