95.野菜とミントと散歩とそれから



本日は真っ青が広がる晴天。うっすら雲もかからないほど明るい朝だ。

毎朝の日課である、家庭菜園の見回りをする。苗は萎れてないか、芽は出たか、その確認のためだ。箱庭の土に直接植えた菜園は地下水脈から勝手に必要な分の水が染み出るので、水やりの必要がない。それでも病気にならない可能性がないわけではないから、観察は毎日するようにしている。

とまあ、こんな仰々しく言葉を並べといてあれだけど、本当はワクワクが治まりきらないので勝手に足が進んでしまうだけなんだよね。三人揃ってご飯後のお茶時間に体をそわそわさせて、飲み切ったら即駆け出しちゃうあたり似てきたなぁ、としみじみ思う。


<何も出てないね>

「さすがに芽はまだ出ないよねぇ」

「そうですね。発芽はしているかもしれませんが、土から顔を出すのはもう少々先でしょう」


ドリアードが土に手を当てて、しばらくしてから微笑んだ。


「きちんと定着しているようですし、数日待てば出てきます。お預けですね」

<卵といい、野菜といい、随分待たせるね。もっと早く伸びると思った>

「箱庭は魔力が芳醇ではありますが、空気中や地中の魔力に成長速度を過分に早める効果はありません。例え一瞬で成長しきったとしても、おそらく味気のない出来になるでしょう。それではテクト様もあまり喜べないかと思います」

「美味しい野菜を食べたいならじっくり待てって事だね」

<ふうん。野菜作りってそんな長期戦なんだ>

「そうですね。数ヵ月はかかると思って腰を据えた方がよろしいかと……」

<数ヵ月!?長くても一月くらいかと思ってた……!>


テクトが肩をびくっとさせて目を見開くので、うんうん頷いて見せる。

小学校の頃の私は、登下校の道にあった畑の成長を確認するのが日課だった。芽が出て、茎が伸びて、花が咲いて、実が出来て、枯れて土の栄養に変わって……一年で何度も楽しませてもらったなぁ。自分の背丈がトマトの茎を越した年は嬉しくて、お婆ちゃんとお爺ちゃんに報告したっけ。その畑のお世話をしていた農家のおばちゃんに毎日挨拶してたら、収穫時期に「採れたてだよー!美味しく食べな!」って野菜貰ったのは毎年の良い思い出。じゅるり。


「私も拙いながら手伝っていますし、環境が素晴らしいので外のものより早まるとは思いますが……精霊や自然による成長促進と言うのは、成る速度を早めるよりも、より良い成長を促す意味が強いので」

<はー……大変なんだね、野菜を育てるって>

「そう、一朝一夕じゃ出来上がらないんだよ。農家さんはすごい」

<侮っているわけではないけど、覚えておこう。農家はすごい>


さて、菜園の見回りが終わったら次は雑貨店妖精のしっぽの方の仕事だ。水樽に湧き水を注いで、マルセナさんの依頼も始めよう。午後は抱っこ紐作らなきゃだし、忙しいね!楽しい忙しさ!

葉物野菜を50箱分、結構な数だけどグロースさんは『次は半月くらい間を空ける』って言ってたから、毎日5箱ずつやってれば間に合う。コツコツやろう。

家に戻ってカタログブックにキャベツを頼んでいると、覗き込んできたテクトが、そういえば、と声を上げた。


<ルイが野菜の種や苗ばっか買ってたから忘れてたけど、青じそとかは植えないの?あれも土に植えて増やせる草なんでしょ?僕は青じそ、たくさん食べたい>


ははあ、テクトさんや。あなた昨日の青じそたっぷりもちもちポテトで味を占めたな。最初はこんなに青じそ必要なの?って首を傾げてたけど、一口食べたら止まらない衝撃だったやつ。

ほくほく柔らかになるまで茹でたじゃがいもをフォークやマッシャーで潰して、みじん切りした青じそ、片栗粉を入れて混ぜる。そこにバター、コショウ、チーズとマヨを追加してしっかり混ぜた後、小さく丸めて平べったく形成。この作業はハンバーグみたいに空気を抜く必要がないから、初めて調理に触れる子も気が楽でいいね。ドリアードも楽しそうだった。

平べったくしたタネをフライパンで両面こんがりさせる。じゃがいもはすでに火が通ってるし、他の材料は生でも食べられるものだから、焼き色を付けるだけでいいっていうのも気軽でいいんだよね。先に混ぜておいた醤油、砂糖、みりんの合わせ調味料を流し込んで、軽くひっくり返して出来上がり。

これがまたご飯に合うんだよねぇ。甘辛い味に青じその香り。チーズと片栗粉でもちっととろり。たまりません。


<うんそう、昨日ので青じそはやっぱり美味しいと思って。増やしたいな>

「香草類はどうしようかって思ってたんだよね。とりあえず食べたい野菜だけ菜園に植えた形になったけど、もちろん私も青じそは欲しいよ。後バジル取り放題してピザとかジェノベーゼ作りたい。ただ、何か地植えするのに抵抗があるっていうか」


いや、青じそとかバジルはそんな繁殖力ないって聞くし……ミントの悲劇は起きないと思うけど。


「香草の地植えは……危険が付きまといますからね。繁殖力的な意味で」


真剣な顔をするドリアードを見て察した。この子、体験してるな?


「ドリアード……あなたはミントの悲劇をご存知か」

「ルイ……もちろん、森を侵食されてそこらじゅうがミント臭くなった過去がありますので。たった一つの種でさえ菜園には入れたくありません」

「わかります。すごく、わかります」


昔、遊び半分でミントの茎を畑に投げた輩がいた。畑の隅でわさわさと増えたミントは瞬く間に野菜の畝へと伸びていき……大惨事になる前に気付いたおばさんが「誰じゃミントなんぞ捨てた馬鹿はー!!」と大激怒しながら根こそぎ駆除してたのを思い出す。いやあ、あそこには鬼がいたね。おばさん普段はにこにこ笑顔なだけに、かなりのショックだった。後日、近所の悪ガキが親同伴で謝りに行ったらしい。般若が降臨したと噂では聞いた。

そんなわけで家庭菜園初心者な私も、ミントの怖さを知ってるのである。私とドリアードは固く手を握り合った。おお、友よ。


<何この結束力……>

「テクトはミントの怖さを知らないからそんな悠長にしてられるんだよ!香草の生命力と繁殖力を甘く見てる!!」

「種一つで箱庭すべてがミントになってしまっては遅いのですよテクト様!!慎重になるルイの気持ちもわかってあげてください!!」

<う、うん……>

「まあそれはそれとして、青じそとバジルはよく使うし、鉢植えなら育てていいよね。大きめのにしようか」

「はい!」

<結局植えるんじゃないか!!>





















そして翌日。まさかの二日で抱っこ紐が出来上がった。想定よりずっと早いんですが、マジか。

にこやかな笑顔を浮かべるテクトから、クロス抱っこ紐を受け取る。頭からかぶり、胸元のスペースに卵をそうっと入れ込んだ。私が抱えて苦じゃないサイズの卵は、ズレる事無くその場に収まった。ちょっと引っ張ってみたけど、糸がほつれそうな気配はない。腰も楽だ!


「おお、すごい!私の体にすっぽり入る!卵も全然ズレない!!完璧な出来だよ!!」

<僕の手にかかれば裁縫だろうとすぐに習得できるよ。ルイの記憶を手本にしてるからこそだけど、覚えはいいからね!>


ふふーん!と自慢げに胸を張るテクト。いやー、今回は本当テクト様様だった。

案の定、クロスした部分にまったく歯が立たなかった幼女の手の代わりに、早々にテクトが代行してくれる事になったんだよね。真っ先に力加減を間違えて、針を一本バキッと折ったのは忘れるとして。

それでも私の助言と記憶から学習して、数時間のうちにメキメキ上達したテクトが針を泳がすように布を縫っていく様は、ドリアードと一緒に拍手するくらいのかっこよさだった。よっ!さすがテクト!


「いや、偉そうな事言っといて全部テクトに任せちゃったなぁ。ありがとうテクト」

「心なしか、ルイに抱っこされて卵も喜んでいるように思えます。この子が満足できているのもテクト様のおかげ、ありがとうございます」

<ま、まあね……ほら、ルイ。ぼうっとしてないで早く歩いてみて、違和感がないか確認してよ>

「ドリアード、これテクトの照れ隠しだからね。素っ気ない風に見せて可愛いところだから」

「ふふっ、わかりました」

<もう!早くやって!!>


テクトが本当に怒る前にやりますか。

卵に手を添えて、数歩前に進む。うーん、卵で足元が見えないけど、歩くだけなら邪魔にはならないね。試しにしゃがんでみると、ちょっとバランスを崩しそうになった。これは危ない。


「幼女だから仕方ないけど、一人で立ったり座ったりは止めた方が良さそうだね。椅子に腰かけるのは問題なさそう」

<布や糸が切れそうな音もなかったし。作りとしても問題ないね>

「私やテクト様がいつでも補助しますから、疲れた時は仰ってくださいね」

<ああ、そうだね。安心して歩けばいいよ>

「うん。頼もしいなあ」


ねえ卵、君はいつ頃生まれるのかな。手にしたばかりの卵はしばらくかかるとクリスさん達も言ってたし、私達はゆっくり待つよ。親が三人だけれど、びっくりしないでね。楽しみに待ってるよー。

ところで。


「試し歩きでダンジョン行く?あそこ小石さえない真っすぐな道が多いから、歩くだけなら楽だと思うんだけど」


箱庭は緩やかーな丘になってるので、今の私だと転びそうなんだよね。家の中はユニット畳があったりベッドがあったりするし、障害物が多い。

ダンジョンに小石さえない理由?でっかいダンゴムシのせいです。


<いいんじゃない?疲れたらすぐ帰る事にして、散歩がてら宝箱も開けようか>

「賛成です。テクト様のお力で、危険もありませんし」

「じゃあ行こうか!」


聖樹さんに出かけてくるねーと手を振って、ダンジョンへ。オーク地帯を飛び越えるような動きは卵に良くないので、今日は右側へ行くことにした。地図が必要になるくらいには複雑だけど、基本的に真っすぐな道が多い右側だ。それに、上級ポーションを引き当てた記念すべき方向でもある。何か良いものが宝箱から出てきそうな予感がする!


「見えないとは思うけど、ここがダンジョンだよー。君が生まれた所だよー」


卵を撫でつつ、語りかけてみる。何の反応もないけど、何だかによによしてしまう。妊婦さんのお腹を撫でた時のような、そんなこそばゆさだ。

隣を歩くドリアードもテクトも、微笑ましいものを見る目をしてる。そうだね、そんな顔になるよねわかる。


<あの分かれ道を左に行くと、小部屋がある。そこに宝箱があるね>

「じゃあそっちに行こうか。まずはドリアードが開ける?」

<そうだね、宝玉じゃないのが見たい>

「では私が開けますね」

「またドリアード伝説が更新されそうな気がするなぁ」

「な、何ですかその伝説!」

<僕らにとってかなりの衝撃だったからねぇ。伝説と言っても過言じゃない>

「テクト様まで!」


なんて笑いながら宝箱をいくつか開けた頃。腰が重たくなってきたので帰ろうかと話してた矢先に、テクトが急に横へと視線を逸らし、私達を壁際へと下がらせた。

尋常じゃない様子だ。テクトの真剣な顔に、ドリアードも黙って私へくっつく。しゅるりとツタを伸ばして、私と卵を包むように柔く巻いた。


「何か来たの?」

<侵入者、かな>


ドリアードの体が強張ったので、手を握る。大丈夫、隠蔽魔法は次元をずらして認識させなくする魔法。私達がここにいても、気付かれる事は絶対にない。それがモンスターだろうと、人だろうと。


<この階層に突然現れた気配を、モンスターが追いかけてる。随分と弱々しい気配だけど……来た!>


右側の道にしては、長い廊下だった。その奥から、黒い点が飛び出してきた。それを追いかけるように、何がしかの叫びを上げながらキマイラがすっ飛んでくる。相変わらずデカい!遠目でもすぐキマイラだってわかる!

黒い点に爪を振り下ろし、それがひらりと避けるとぎゃうぎゃう喚く。何だろ……あの避け方は、虫?


<ルイにはまだ見えないか。ドリアードは?>

「なんとか見えます……あれは、蜂ですね」

「はち?」


ぎゅっと目を凝らす。猛スピードで走るキマイラの前、黒いと思っていた点に黄色が差してくる。点の上に何かが掠れてるようなものが見えて、それが目では数えきれない速さで羽ばたいている虫の羽だとわかったのは、ドリアードが蜂だって言ってくれたからだ。

蜂とキマイラが、瞬きするうちに眼前へと近づいてきた。ここまで来ると、良く見える。羽の周りにふかっとした毛が見えて、くびれがない。

逃げているのは、蜜蜂だ。普通の物より何倍も大きい、私の頭ほどの蜜蜂が、頭上を通り過ぎた。


<助けて>


びゅんっと風を切るように飛んで行く。その後ろ姿を、じっと見る。


<まだ生きなきゃ>

<誰か>

<女王様>

<こんな所じゃ>

<助けて>

<次の子孫を>

<助けて>

<生きたい>


テクトのテレパスとは違う、途切れ途切れの思考がたまたまぶつかってきたみたいな、そんな悲鳴が聞こえた。

悲痛な叫びが、聞こえてしまったのだ。


「テクト、あの子助けてあげられる?」

<あの思念は、明確にルイへ助けを求めた訳じゃない。思考がばらまかれているだけだ>

「それでも」

<……わかった、二人は先に安全地帯へ帰っておいて>

「うん。お願い」


私はまだ何も出来ないから。相棒に託すしかない。

頼もしく駆けて行ったテクトを見送って、私とドリアードは緑の宝玉を取り出した。


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