番外編 熱の先
※ 戦争の被害者の話が出ます。前より凄惨です。
嫌な予感がした方はある程度下の方へスクロールでお願いします。
生れ出た瞬間に感じたものは、熱だった。
抗いきれぬ、身を焦がす熱だ。
次に感じたのは頭に該当する部位へかかる、大きな負荷。妖精から精霊へ、昇華したからこそ得た知識の流れが、私の頭を圧迫した。痛みすら覚える圧力だ。視界がぼやける。
しかし、それらすらも吹き飛ばす焦土の臭い。生き物が焼ける、嫌な臭い。ジリジリと、足元から横から覆いかぶさる木々から、熱が這い寄ってくる。
森が燃えていた。
人の、悪意の炎だ。戦火がついに森まで手を伸ばしたのだ。
妖精の頃は気付かなかった、聞き取ることが出来なかった森中の悲鳴が、過敏になってしまった精霊の耳に突き刺さる。
いたい、くるしい、あつい。たくさんの声が発せられては、消えていく。痛々しくも叫ぶ声が、ほんの一瞬後には小さな呻きに変わり、あまりの非道に口元を抑える頃には、他の誰かの悲鳴にかき消されてしまう。
たった一夜で、この森に住まう生命を燃やし尽くしてしまうというのか。人の争いというものは。
精霊の耳には火が回った森の声がすべて聞こえた。小さな生き物の、草木の、森に残った動物達の断末魔が。
そして、森へ逃げ込んだ人々の悲鳴。それを追い、捕まえ、容易く命を奪っていく残虐な人の愉悦交じりの声が。逃げた人々を炙り出すため、さらに火矢を飛ばす者。今、また、運悪く矢に貫かれた者が命を落とした。
もはや森とは呼べないその土地で、まともに立っているものは凄惨たる者どもだけだった。
そのすべてを、精霊は聞き取り、感じ取ってしまう。
なんという、なんと恐ろしい事を、平然と行えるの……!
私は震えた。
怒りだったのか、恨みだったのか、わからない。その時は確かに、私の頭は真っ白になって、無遠慮に流れ込んでくる知識が邪魔に感じた。いや、その知識の一部、攻撃魔法の部分だけがやけに鮮明に脳裏へ浮かんだ。
これは、もはや、天啓ではなかろうかと。奴らのもとへ行き、精霊の魔法で吹き飛ばす事こそ、高次の存在へ昇華した使命ではないかと思い始め。
飛んで行こうと顔を上げ、その先に、見知った者達が倒れているのを見つけた。
「あ……」
思い出した。とても大切な事を。何故、足を欲したのかを。
苛烈な感情は、あっさりと塗り替えられてしまった。
「あああ、……ああっ」
気付けば、覚束ない足取りで前へと進んでいた。熱せられた石に躓きそうになりながら、一歩一歩。
「っぐう!?」
何かに足を取られた。水辺へと全身を打ち付けて、痛みに呻く。
炎が揺らめく湖は、見るも無残に濁りきっていた。普段ならば清涼な湧き水を湛え、命を育んできた湖。それが、茶とも黒ともわからぬ色になっていた。何が原因でこうなってしまったのか、そして、自分の足元に何があったのか、考えたくもない。
私は起き上がった。前へ、進む。どこからか、巨木が倒れる音がした。
「ああ……皆さん……」
私の声なき声を感じ取り、それでも生まれ育った場所だからと、残った生き物達。逃げる生き物達を見て戦争の気配を悟っていながらも、この土地を守りたいと残った猟師。
皆が、息絶えていた。さっきまでは、生きていたはずなのに……傷付きながらも水辺へと集まり、身を寄せ合っていたというのに……私はそこへ寄り添いたかったはずなのに……!!彼らの恐怖を、取り除くことすら出来なかった……!!
体から力が抜けた。私は何も出来ない精霊だ。役立たずだ……
背後で、木々が燃え落ちる音がする。炎が、すぐそこまで迫っている。
何故、彼らはこの森へ火を放ったのか。私達が何をしたというのか。わからない。わからない。誰かが森へ逃げ込んだから?戦争が隣国で起こったから?
何もわからない。頭が痛い。そういえば、ずっと知識は流れ込んでいる。もういい。こんなもの、いらない。誰の役にも立たない。彼らを癒す事が出来ないものなんて……
「ああ、何だ……あんた、水辺の妖精か」
顔を上げると、いつの間にか傍に男がいた。見知った男だ。毎日森に入って、湖でよく休憩していた。森のすぐ外にあった村出身で、そして、残った男達の中でも1番若い者。猟師だ。森から命を貰い、森を整え、森を生かす者達。赤に照らされてわかりづらいが、そこら中が煤けている。
「私が……わかるの」
「わかるさ。あんたの頭に、妖精の木と同じ花がついてる。そうか、あんた動けたんだな」
「……動けても、私なんて……」
「何だ。震えてんのか」
すぐ近くに火が迫っているというのに、男の声はのんきだった。余りにものんきだったから、素直に受け答えしてしまった。
妖精の木とは、私の事だった。猟師の間では水辺の妖精とも呼ばれていた。時折、枝を伸ばして袖を引っ張りからかうと、猟師達は笑って喜んでくれた。その思い出が駆け抜けて、胸が苦しくなる。
男がしゃがむ。その腕には、事切れた獣がいた。殊更丁寧な動きで獣を寝かせた男は、深く息を漏らして座り込む。
「こいつか。俺の相棒だったんだがな、先に寝ちまったよ」
「……そう」
狼のような獣だ。メスの魔獣だった。男の猟を手伝っては、よく撫でられて尻尾を振っていた。良い関係を築けた猟師達だと、思っていた。彼女はもう、その怜悧とした目を見せる事が出来ない。
よくよく見れば、ここで絶えた者達は綺麗な顔で寝ていた。均等に寝かされて、一様に目を閉じている。凄惨な表情をしている者は、誰一人としていない。
「彼らは、あなたが?」
「ああ。まあ、何の手向けにもならん、気休めだ。俺がただしたいから、してる」
自分の命を守るのではなく、他者のためにこの火の中駆け回ったと。男は何気ない風に言い切った。
この水辺に辿りついた者の目を一人一人閉じ、森へと入っては仲間や生き物を連れて並べ、気が狂いそうな環境で、ここまで。
どれだけの胆力を持ち得る人なのか。
「もう、限界のようだがな」
男の言葉が本当ならば、彼はもうすぐ死ぬらしい。そんな気配を見せないまま、のんきな声が言葉を続ける。
「あんたはまだ平気そうだな。やばそうになったら水に入っとけよ。生き残れるかもしれん」
「どうして、そんなに強くいられるの?」
私の目には、彼が強がっているようには見えなかった。ただただ、やりたい事を淡々とこなして、そして、死をあるがまま受け入れるつもりのようで。不思議な人だ。怖くはないのだろうか。
男は私を見て、笑った。無邪気な、どこか照れたような笑みだ。背後でゴウッと炎が渦巻く音がする。
「強くなんざねぇさ。ただまあ、男ってのは女の前ではかっこつける生き物でね。美人に見つめられちゃ、震えも止まるさ」
「美人……?」
「あんたの事だよ。いやあ、極々普通の猟師人生で終わるかと思いきや、最期にこんなべっぴんに会えた。俺の人生は満更でもなかったらしい」
「……もう死ぬのに?何故満足した顔をしているの」
「俺はやりたい事はすべてやった。こいつらを戦争屋風情に踏みにじられたくなかった。ここなら森と共に死ねる。だからいいのさ」
男は寝転んだ。地面も熱いだろうに、実に満足そうに体の力を抜いていく。
「私……私は、」
「……あんたはどうやら、満足できてねぇらしい。どうしたんだ。まだ一応、時間はありそうだ。聞くだけ聞こう」
「答えては、くれないのですか……」
「俺はいつも、空気が読めないと言われてな。まあ見当違いな事ばかり言ってしまうらしい。だから聞くだけだ」
「……わからない」
「ん?」
何故だか、死に瀕するこの状況で、話してしまう。彼には、そういう気分にさせる何かがあった。
「私は、何をしたかったのか……もう、わからなく、なって」
「おう」
「最初、最初は……皆に寄り添いたいと、思って……それで、足が、欲しくて」
「ほうほう。え、そんで姿かたち変わったのか?」
「はい」
「すごいな妖精。んで?」
「気付いたら、この姿に、なって……森の、みんなの、悲鳴が、聞こえて……」
「うん」
「森の、どこかで、人が、誰かを殺して、その、悲鳴も、聞こえなくなって……」
「そうか、聞こえたか」
「……頭が、真っ白になって……誰かをなぶる人達を、殺そうって、思ってしまったの……」
「そうかぁ……」
「私、そんな事、したくて、この姿になったわけじゃないの……でも、でも……!許せなくて……!!」
「耳が良すぎるってのも、困りもんだな……げほっ」
「あ……い、息……煙が」
「大丈夫だ。ちょっとむせただけだ。でもまあよかったよ。あんたがここに残ってくれて」
「え?」
男の手が、私の茶色い腕を掴んだ。触れてから気付いた。彼の手は震えていた。
「どうやら俺も、死が近いとわかればかっこつけるのも忘れて怖がる真っ当な生き物だったらしい……だがあんたのお陰で、それほどでもないんだ。あんたの話を聞いてたら、落ち着けたよ」
「……私、役立ち、ました……?」
「おう。こんなちっぽけな男の矜持を守ってくれたんだ。いくら感謝しても足りねぇ……」
げほげほっ、と男が咳き込む。気付かぬうちに、煙が濃くなっていた。もう水辺も見えない。
男の手は、熱を失いつつあった。
「ああ……いい気分だ。ありがとうな、傍にいてくれて……」
「いいえ……こちらこそ。あなたのお陰で、私は
精霊が暴走すると、厄災とも呼べる災害が起こる。その暴走は、生命の営みとは違う、他の命を奪う行為から端を発する。残虐の限りを尽くすと、魔力や精神の均衡が崩れ、そうなってしまう。今、流れ込んできた知識が教えてくれた。
彼が仲間や、森の生き物達の尊厳を守ろうと動いてくれたから、私は正気に戻る事が出来た。感謝しても足りないのは、こちらの方だ。
「もう、大丈夫だ……水の、方へ……」
「ええ。わかっています……あなたが寝るまで、傍にいさせて」
「……ああ……あんたは、いい奴だ……助かれよ、ちゃんと……」
「え」
「……むね、はって、生きろ……」
そのまま、眠るように息を引き取った。力なく倒れた手に縋るように、思わず抱き締める。
彼の事はずっと見ていた。幼い頃、父親に手を引かれて森を散策していた事も。初めて獲物をしとめ、歓喜に震えた事も。湖で涼もうとしてうっかり深い所まで沈んでしまった事も。ちゃんと、覚えている。
私にとって猟師達は、愛しい隣人だった。森の生き物達と同じく好きな人達だった。
木々の倒れる音が近づいてきた。死は、すぐそこにいる。
彼らと共に、死ねたなら……
私は目を閉じて衝撃を待った。
木に潰された私は、しかし生き残ってしまった。
精霊になったがために、共に死ぬ事が出来なかった。
「聖獣様は、人の声を聞き、ここまで来てくださったのですよね」
<ええ>
焼け野原をぼんやりと眺めながら、私は白い鳩―――聖獣様へ話しかける。
聖獣様はこの世へ干渉する事が難しい。神の子である聖獣様は、神の代弁者や観測者にはなるけれど、命の操作までは出来ない。どんな事も、見守る事が彼らの義務だからだ。
生きるも死ぬも、私達の自由に任せられている。どんな生き物でも彼らにとっては平等だ。
何もかもを燃やし尽くされた土地を見ると、虚しくなるけれど。私は不思議と、聖獣様へ八つ当たりする気も、人を恨む気にもならなかった。あんなにも苛烈な衝動は、どこに消えてしまったというのか。わからなかった。
ただ。
<あなたをどうしても助けて欲しい。誰も自分を看取る事など出来ないと諦めていた所を、あなたに救われたと。助けてくれねば暴れるぞ、などと……ふふ。元気な子ですわ。魂になれば眠り神の沙汰を待つのが摂理だというのに、彼だけははっきりと意識を持って、神様へ直接喧嘩を売っておりましたの>
人の切なる願いを跳ね除けるような、無情な方々ではない。時には勇者の加護として、1つの奇跡として、聖獣様方は手を差し伸べる。
私は、今、奇跡を目の当たりにしていた。彼は、どうしても私を生かすつもりらしい。
<寿命全うして満足するまで生きろ。彼の言葉ですのよ>
「……精霊に寿命などないと言うのに……」
本当に。
いい男に育ったものだ。彼の生末を見られなかった事が、殊更悔しい。
「ドリアード、私的には日当たりの良い南側がいいと思うんだよね。風も良く通るし、家庭菜園にはぴったりだと思うんだ」
午後は箱庭の大きさを教えてもらう事になった。
予定地くらいは決めようか、と箱庭をぐるりと回りながらルイは聖樹様の方へ視線を向けた。なるほど、確かにあちら側はよく日が当たる。
「良いと思います。聖樹様のお膝元でしたら、より良い成長を期待できるでしょう」
「え、聖樹さんって植物の生育関係のスキルも持ってるの?」
「木属性の最高位、聖樹様ですから!」
「聖樹さんマジ聖母……!」
ルイの言っている事は時々わからない事もあるけれど、彼女が聖樹様を慕っているのはよくわかる。
彼女の事情は聖獣様から聞いている。神様の間違いでダンジョンに生れ落ちてしまった、私と同じ、戦争の被害者。
いや、私とまったく同じじゃない。彼女は現状に腐る事なくその小さい体で目一杯、生を謳歌している。
きっと彼が言っていた、満足するまで生きろ、の言葉は、彼女を見ていれば深く理解できると思う。あなたこそが、彼に一番、近しい子。私に生を教えてくれる子。
彼は、私の殺意を否定しなかった。受け入れて、そして傍にいる事を喜んでくれた。私という存在に、意味を持たせてくれた。生きろと言った。
彼女は、私に共感してくれた。一緒に泣いて、役立たずな私を受けれ入れてくれた。彼以外の人に受け入れてもらえるかと不安に震える私に、家族になってと言ってくれた。精霊の、私の力を貸してくれと微笑んでくれた。
私を
それがどれだけ得難い事か。奇跡の中にある私は、焼け野原を思い出すほどに噛みしめる。
「少なくとも、ルイが人生を全うするまで死ねませんね」
「ん?何か言った?」
「楽しみです、家庭菜園」
「うん!ドリアードも植えたい野菜や果物があったらどんどん言ってね!」
「はい」
そして―――彼がいつか転生し、立派な成長を遂げたその日には。彼は私を忘れてしまうけれど、見つかるかもわからないけど、言ってやりたいのだ。
今のあなたは満足してますか、と。
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