66.幼女、100階へ行く



首から下がる認可タグを確認、テクトのエプロンにもちゃんと見やすいように着けた。テーブルもカーペットも洗浄してアイテム袋に片付けた。「もちろんこれも必要だよね」ってダリルさんが渡してくれた、商品や洗浄請け負いの相場が書かれた紙も、ちゃんとアイテム袋に入れた。なくさないように一つ一つ、確認しながら。リュックはしっかり背負ってる。移動する準備は、できた。

新品のブーツで足音鳴らして、猫耳と尻尾を私の意志で動かしてワクワク感をゆっくり抑え込む。ふー、落ち着け私。このダンジョンに生まれて半月、初めて違う階層に行くし、そういえば宝玉も、保護のやつ以外は初めて使う。久々のファンタジー要素に心躍らないわけがない。興奮するのもわかるけど、それじゃあ商売はできないんだよ。私は今から『妖精のしっぽ』の店主なんだから、ケットシーは幼女らしくしてられないからね。

なんて思ってたって、そう簡単にこのドキドキ感は抑えられやしないんだけども!

胸に手を当てて深呼吸してると、ルウェンさんが青い宝玉を取ってこっちを見た。行くの?行くんだね?100階かあ、どんなところだろ!


「準備はいいか?ルイ」

「はい!」

「念のため説明させてもらうけど、青い宝玉は転移の宝玉。宝玉に体の一部だけでも触れていれば、起動する人が行った事のあるどの階層でも多人数で移動できるわ」

「宝玉のそういう、人数制限ないところ便利でいいですよね」

「使用回数制限はあるけどね」

「今日から何個でも買ってください!」


元手タダの販売価格万単位とか、美味しい以外の何物でもないです。何より私とテクトの苦労が報われるので是非買ってほしい。


「そうそう、その勢いだよ。冒険者のために色々売ってってね。期待してるよ」


人畜無害そうな笑顔で手を振るダリルさんを、若干引いた表情で一瞥したマルセナさんは、私の方へ向いた時にはにこやかに微笑んだ。切り替え早ぁい。


「何か困りごとがありましたら、グロースさんに伝えてください。定期的に来るそうですので」

『お茶が美味い』

「グロース君、ルイ君のお茶は確かに美味しい。王都でもなかなか巡り合えない美味しさだ。でもお茶に魅了されて僕の護衛っていう本分忘れないでね?」

『ここに来る前に、ギルドマスターをギルドに放り込めばいい?』

「君って結構力技に頼る時あるよねぇ」

『ギルドを不定期で抜け出す人が何か言ってる』

「フットワーク軽いって言って?」

「お茶目的で宝玉何度も使用する人はこの界隈でもほぼいませんが、必要な職務を全うしないうちに外出をする常識外れのギルドマスターも問題です。自重してください」

「マルセナ君に怒られちゃったよ」

『人のせいにしない』

「あんたらそれ延々終わらねぇからさっさと帰れ」


ディノさんにツッコミ入れられたお三方は、「どうせならルイ君が商売するところも見たいんだけどなー」とぼやくダリルさんを連れてダンジョンを脱出した。いやあ……すごかったなぁ……なんかもう、強風の直撃を受けた感覚がまだ残ってる気分。


「さて、行きましょうか」


シアニスさんの手が肩に添えられて、はっと我に返る。そうそう、これから100階に連れてってもらうんだよ。衝撃に固まってる場合じゃない。


「最初は保護の宝玉と同じ浮遊感がありますが、問題はありませんか?」

「だいじょーぶです!」


保護の宝玉を使うと一瞬光に視線を遮られて、眩しいっと思った時にはふわっと体が浮くのを感じ、その直後には安全地帯に足を下ろしてるんだよね。まるで車に乗って坂道を降りてくような、あるいはジェットコースターのような浮遊感。私苦手じゃないから平気なんだよね。だから保護の宝玉使う時はちょっとワクワクしてた。


<僕もあの感覚は好きだなぁ。神様の所に転移する時には感じないから、宝玉使うのちょっと楽しくなったもの>


そりゃあすべてにおいて上位互換になっちゃう聖獣の転移と、一般的に出回る宝玉の転移を一緒にしちゃいけないと思います。原理はわからないけど、きっとあれだよ。プロの体操選手が演技後にピタッと着地して止まるのと、お子様の側転がふらふらして最終的にマットに倒れちゃうくらいの差があるんだと思う。着地点の誤差が極端に少なくて正確なのが聖獣の転移、誤差が多くてたたらを踏んじゃうのが一般的と思えば納得の性能差。

まあ、何事も楽しんだもん勝ちだから、宝玉はすごく優秀って結論になるね。テクトも私も浮遊感楽しい、これダンジョン内で健全に生きるのに重要だから。

ルウェンさんが差し出す宝玉に手を添える。周りを囲む皆さんも手を伸ばした。ちゃんと触ってるのを確認して、ルウェンさんは頷いた。


「100階」


そう言うと、宝玉の真ん中にあった数字がぼやけて、108から形を変えた。宝玉の数字が100になった!すごい、こうやって移動したい階層を選ぶんだね。実際見てみるとすごい不思議。墨が滲んだところから数字が浮かぶ感じ?


「行くぞ……転移」


ぶわっと光が広がって思わず目を閉じる。宝玉からは手を離さないように踏ん張ってるけど、それもすぐに浮いた。いつもの浮遊感の後、足が地に着いて光が収まったので目を開ける。


「わあ……」


そこは108階とはまったく様相が違かった。

第一印象は、案外大きくない、だった。108階の上り階段を背に転移した私達は小ホールみたいな開けた場所にいるわけだけど、それも私が常駐してる安全地帯より随分と狭く感じた。そのホールから続く廊下は、いつも見てる廊下よりずっと低くて幅が狭い。嘘でしょあの道でさえ108階では狭い分類なのに、それより狭いとかこの階層のモンスター、詰まったりしないの?


<ここではそれほど大きなモンスターは出ないみたいだね。詰まるなんて事はないし、楽に戦闘できるみたいだよ。僕らが居る階層とモンスターが異常に大きいだけ>


そうなの?って事はあれか。モンスターが大きいからダンジョンが大きくなったのか、その逆か、みたいな話になるのかな。なるほど、少なくとも108階のモンスターみたいに大きさで威圧してくるようなやつは出てこないって事ね。

次に目が行ったのは、壁や床。水晶みたいな壁だなって思った。もしくはガラスコートされたIH。石レンガみたいな継ぎ目が一切見当たらないツルツルした壁はわずかにほの白く、煌めく鉱石が所々埋まっているのか、松明の明かりが揺れるたびキラキラしてとても綺麗。足元も同じ素材を使われてるのか、ちょっと滑りそうだなって思った。実際ブーツの底を擦らせてみると、キュッと音がして止まった。うん、案外滑らない。

108階のおどろおどろしさが嘘みたいに、綺麗な階層だ。

私が好奇心旺盛にキョロキョロしてると、不意に皆さんが力を抜いて、いつの間にか持ってた武器を下ろしてた。え、何?

私が不思議そうに見上げるてるのに気づいたオリバーさんが、短剣を片付けながら苦笑した。


「この階段前のスペースでも、モンスターがいる時があるんだよ。転移した先で突然攻撃されたりするから、移動にも気が抜けないんだ」

「ああ、そういえば!」


前にテクトが教えてくれたような気が……!忘れてた!

肩に乗ったテクトの、呆れたため息が聞こえる。ごめんね!もう覚えたから!安全のために忘れないから!


「今日は運がいいな。戦闘跡もないし、元々いなかったんだろう」

「ルイとテクトだけで転移する時は必ず隠匿の宝玉使ってからにしなさいね?あれは転移しても効果続くから」

「はい!」


人に見られる可能性もあるんだし、108階以外は隠蔽魔法じゃなくて隠匿の宝玉使った方がいいんだろうなぁ。今度使ってみようね、テクト。


<僕の隠蔽魔法の方が間違いなくルイを安全に進めさせる事ができるけど、気配が突然出てきたって怪しまれても困るしね。まあ仕方ない>


うんうん、そうだね。ちょっと拗ねてるテクト可愛いね。って思ってたら<拗ねてないから!>とぺちぺち叩かれた。ふへへ、癒しだわぁ。え、論点がずれてるって?お昼ご飯前なのに疲労溜まりすぎなので癒しが欲しいんですぅ。うん、今日絶対昼寝長くなるわ。大体ダリルさんのせいって事にしておこう。



















もう昼が近いっていう事で、徒歩での移動じゃなくて宝玉で一気に安全地帯に転移する事にした。いっぱい食べる皆さんは食事の準備も早めにしないと大変なんだよね。わかる。普段は3人分しか作らないのに、法事とかあると親戚がどっと集まって料理するのも大変だった。何事も早め早めにって考えて作らないと間に合わないんだよね。オードブル頼んだって足りないんだこれが……好き嫌いがあるからね。皆が好きなものは真っ先に消えてしまうから、オードブルだけに頼るわけにはいかないんだよ……この話は忘れておこう。どっと疲労感が増す。

安全地帯に転移すると、階段前スペースの綺麗さに劣らない、綺麗な小ホールだった。うっわあ……私は何で100階に転生できなかったのか、ちょっと真面目に考えちゃうくらい綺麗。私の煩悩強いから108にこだわったの?物欲センサーがそんな所まで仕事しすぎたの?普通にショックだよ。

先に休んでる人はいなかったので、好きな場所にカーペットを置く。広がった状態でアイテム袋に入れてしまえば、引っ張り出した時にそのままの状態で出てきてくれるのが大変便利で好きです。幼女の力でも簡単に出来ちゃうし、いちいち片付けの手間が減るっていう、主婦の味方って所が好感持てるわぁ。

私がカーペット広げた隣にルウェンさん達は鉄板を置いて、その周りをぐるりと囲むように敷布を並べた。これが皆さんがいつもやる食事スタイルなんだそうな。

皆さんが私のカーペットとテーブルを使わないのは、108階とは別の階層に来たからだ。正確には、私のカーペットスペースが商売する場所、って決まったから。

ここはもう、事情を知らない人の目が来る階層。他の冒険者から見たら、何で商売する場所に我が物顔で飯食ってんのこいつら?ってなって混乱させてしまうかもしれない、って事でもう1つ別にスペースを取る事にしたんだよね。ご飯食べてるところにポーション売って!とか言いづらいもんね。だから私とテクトが前に使ってた敷布も、鉄板の輪に加わってる。店の準備が終わったら、そっちでご飯食べるんだー。

テーブルを出して、テクトのスケッチブックを取り出す。大きいスケッチブックは角度つければ立つので『ポーション・宝玉売ってます』とか書いておく事にしたんだ。そしたら私がお隣にご飯食べに行ってても、カーペットが何のスペースなのか一目瞭然。気楽に食事ができていい案だと思うんだよね。

もちろん書くのはテクトです。字、上手だからね……くそう、私もいつか上手く書きたい。

私は安全地帯全体の埃や汚れを落とす事にした。まだ人が来る階層だからか、床は汚れ少ないんだけどね。敷布置く前に洗浄魔法かけるからだろうと思う。108階より断然マシだけど、それでも汚れが一切ないわけじゃない。食事をする場所でもあるんだし、私が落ち着かないのでやろう。

洗浄魔法をかけてると、今日も休まされてるシアニスさんが興味深げに近寄ってきた。


「ルイの洗浄魔法は本当に、綺麗ですね」

「そうですか?ありがとうございます」

「魔法をかけた所もそうなのですが、何より泡が、今まで見たどの方の魔法より澄んだ色をしているように見えます。それが光を浴びてキラキラと……誰もが使える日常的な魔法のはずなのに、一種の芸術のように見惚れてしまうんです」


ええー!そんな褒められるような、すごいものじゃないけどなぁ。掃除なんて毎日してた事だし、洗浄魔法だとその知識と経験が生かされる上に作業効率がぐんっと上がるんだもん。疲労感もそんなにないから、楽しくて仕方がないんだよね。

だから、えー、楽しんでやってた事を褒められちゃうと、頬や頭をかきたくなってしまうんだよね。つまり照れちゃう。


「そこまで言われると、その、照れますね」

「ふふ。一緒に洗浄してもいいですか?」

「はい!」


洗浄魔法を隣り合ってかけてると、野菜をザクザク切る音がし始める。あっちも着々と下拵えを始めてるんだなぁ。さっさと掃除終わらせようか。今日のお昼は何だろう。またカメレオンフィッシャーの魚みたいな肉食べたいな。肉も好きだけど、肉が続くと魚食べたくなるんだよね。お昼に出なかったら夜ご飯に私が作ってもいいなぁ。


<ルイ、書き終わったよ>

「あ、テクトありがとう」


テクトが持ってきたスケッチブックには、開いたページの両面にそれぞれ『ポーション・宝玉売ってます―妖精のしっぽ―』『ただいま開店中 洗浄魔法でピカピカ清潔に!』と、大きく書かれていた。これはわかりやすい。っていうか、親しみやすい?感じ?


<あ、わかる?ルイの記憶から良さそうなのを引用したんだ>


なるほど道理で見やすいわけだよ。特にピカピカの方、近所のクリーニング屋さんの看板に店名と一緒に書いてあったもん。これ採用!!


<冷やし中華始めましたっていうのも候補にあったんだけど……あ、何人か来る>


それある意味ネタってツッコミ入れる前に、テクトが廊下へ顔を向けた。気付けばオリバーさんも同じ方向に視線を向けてた。釣られて皆さんも廊下を注視する。

どんな人来るんだろう。ルウェンさん達以外の冒険者は、どんな人達なんだろう。お人好しが多い、とは言ってたけど……

しばらくすると、鉄板で食材が焼ける音以外に話し声が聞こえてきた。高い声だ。女の人かな。


「だからぁ、アリッサが前に出すぎなのが悪いと思いますぅ」

「なーに言ってんのよ。アタシはモンスターの懐に潜ってなんぼでしょ?」

「そりゃそうだけど、ここはもう100階層なんだし、今までみたいにいくとは限らないじゃない。モンスターも強く、早くなってんのよ。さっきだってギリギリ避けれたからいいものの、危うく腕持ってかれる所だったんだからね」

「アリッサは反省した方がいいと思いまーす」

「アタシだけが悪いの!?」

「興奮して飛び出す癖を止めろって事でしょ……陣形を考え直す頃合いなのかもね……あ」

「先客がいた、か……え」


廊下から安全地帯に入ってきたのは、5人の女性だった。先頭にいた猫耳の女性が、私を見て、シアニスさんを見て、ぐるりと見回してルウェンさん達を見つけた。その直後、信じられないとでも言いたそうな顔で、あ、あ、と母音だけ零したかと思うと、消えた。いや消えたように見えるくらい素早く、仲間の後ろに隠れてしまった。

え、何事?



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