番外編.終着点にて



「はぁああああ……」


ふわんふわん。

柔らかく発光する小さな浮遊物が、ダァヴの前を横切った。そのままどこぞへと進んでいく。

空と同じ闇夜のように暗い川を挟むように青々と茂る草花。葉の先に夜露が垂れ、漂う光達が傍を通るたび、きらりと瞬く。

数多の光が川に流されふわふわと浮かぶ。明かりなど必要ないほどの数。しかし、それらがいくら集まろうとこの闇夜が晴れる時は来ない。

日本人ならば、これは蛍の光だろうと感嘆するかもしれない。だが、ここは生命の営みなどとは無縁だ。

一見、幻想的な景色に見える。10人が見れば、10人とも息を呑み、そしてどこからともなく這い寄る寒気に腕を抱くだろう。生者に耐えられる空気ではない。

ここは生き物の行く末。すべてが辿り着く先、魂の終着点、そして新しい旅路の出発点。

神の領域、と誰かが語った場所だ。

そこにダァヴは佇んでいる。光の行く先をぼんやりと眺め、隣で肩を落としている男へと声をかける。


<お父様、あまり落ち込まないでくださいまし。カーバングルも、あの子も、あまり気にしてはいませんでしたわ>


無防備に転生の流れへ足をさらす男―――この世界の神は、ダァヴの優しい声に再三垂れ流していたため息を止めた。

隣に佇む純白の鳩に、憂いの表情を見せる。


「でもよー、あんなにカーバングルが怒る事って今までなかったじゃん?そらー、うっかりやっちまった俺が悪いけどさ」

<ええ、全面的にお父様が悪いです>

「うぐっ……」


今現在、輪廻の輪は魂が溢れかえるほど、神の領域で滞っている。終わらない戦争によって、毎日大量の命が失われているからだ。

人だけじゃない。動物も、草木も。命すべてがこの一つの輪に流れ、そして詰まってしまった。

その時に来たのだ。ルイの魂が。生け贄にされた数万の魂と共に。

ルイは勘違いしていたが、彼女召喚された時に死んだ。周囲の者を巻き込む邪法のせいで、無差別に人を襲う目映い光が瞬いた。その光が車両の飛び込み事故を引き起こし、ルイは、あちらで死んでしまったのだ。だから魂だけが引き寄せられ、行き場を無くして彷徨い消滅するはずだった運命を、生け贄の魂達と共に流されてしまった。

そしてルイは、異世界の魂だというのに召喚の間もなく、たくさんの魂に次々と沙汰を下していた神の目の前に、突然現れた。

神の目には、この世界の者か異世界の者か、すぐにわかる。ルイの魂を見て、神様はすぐに気づいた。この世界の者でないならば、異世界の者。しかし今この世の転生の流れにあるならば、勇者ではないと。

そして魂しかないのならば、すぐ輪廻に入れねば消滅してしまうと。

それでは哀れだと、通常ならば戦争が終わるまで留まらせる場所へ安置するのを、転生の流れへと落とした。魂を浄化しなかったのは、せめて生前の知識が戦争の中で身を助けるだろうと思ったからだ。

一番肝心な、意識はろくに確かめもしなかった。


「俺もさー、終わらない作業に苛々してたのは悪いと思うよ。意識ありなのに気づかねーって、もう酷すぎじゃん?神失格?」


だから神様の言い分もわからないではないのだが、カーバングルが憤っていたのはそこではない。


<滅多な事は言うものではありません。事実であっても>

「オイコラ」

<冗談ですわ。お父様が神失格だなんて、ありえません。彼女が邪法の被害者だと知って、すぐに他の巻き込まれた者達を救ってくださったでしょう>


神様の背後に、小さな池がある。ふわふわと光が集まる池だ。光の数は少ない。

邪法の召喚に巻き込まれた、勇者以外の者達だ。ルイを流した後、慌てて輪廻から離れ漂い溶けた心身を集めてきたのは他ならぬ神様だ。今はこちらの世界にゆっくり慣らしている所で、生前の体がその魂を守っている。

本来ならあの子もここに留まり、平和な時代になってから流せたはずなのに……考えても詮無い事だ。

ダァヴは池を一瞥して、神様の膝をつついた。


<カーバングルを即座に送ったのも、少女へのアフターケアもよい判断でした。ですが、自分のミスを隠したのはいけませんわ。特に、彼女の保護を直接行うカーバングルに何も説明しなかったのはよろしくありません。しでかしてしまった事は必ず報告なさいまし>

「ういっす……いつまで経っても、俺ぁダァヴに勝てねぇなぁ」

<父親と言うものは娘に勝てぬものですわ>

「ははっ。神でもか!」

<ええ。あなたは神様でもありますが、私達聖獣のお父様でもありますから>


あなたが、私達を娘息子可愛い子ども達と呼ばなくなるまでは。

ダァヴはその言葉を呑み込んだ。別に、言わなくてもいい事だ。神様もわかっている。

だからあえて、彼は聖獣を子ども達と呼ぶのだ。

神様が立ち上がった。川から足を上げたのに、濡れた様子は一つもない。この川に見える流れは、水で出来てはいないからだ。


「しゃーねぇ!再開すっかー!」

<あら、急にやる気を出されましたわね>

「きちんと働く父親の背中ってのを見せなきゃなんだろ?人ってのは大変だよなぁ」

<別にそれだけが父娘おやこの意思疏通の手段ではありませんが、お父様が働く事には賛成ですわ。また魂が溢れてきましたもの>


川の流れる先、網にかかる魚のように光が詰まってる。一粒も流れない川の行く先は、この淡く光るものの闇夜に覆われている神の領域よりも、暗い。

あの領域が、死者と生者の境目だ。

神様が選別を始め、浄化し、光を手ずから流せば先は明るくなるのだが。それをしばし止めて休憩していた事から、また詰まってしまったんだろう。いや、詰まったから嫌になってしまったのか。

こうして、神の選定が間に合わず、待たされている魂が川から離れ、ふよふよと漂い行方知れずになる事もある。ダァヴが先程見逃した光も、それだ。

聖獣は魂を見て、人の本質を見抜く。そこに身体と言う壁があろうとなかろうと、関係ない。すべてを見通す目を前に、ただの生き物が抗う術などない。

あれは女児連続誘拐殺人事件の犯人、幼子の泣き喚く姿に悦びを感じる快楽殺人者の魂だった。先日ナヘルザークにて冒険者に捕えられ、死刑に処された犯罪者。ルイの命を脅かしてたかもしれない者だと思うと、たださえ気に入らぬ魂が存在を見るのさえ汚らわしいものに感じてきた。

だから無視した。


<(私も存外、身内贔屓が過ぎるという事かしら)>


あのような輩、沙汰などずっと後でいいとダァヴは記憶の奥底に仕舞い込む。選定を始めた神様に何も言わず寄り添った。

しばし冥府の闇に恐れ惑うがいい。







<そういえば、カーバングルは今、テクトと名をつけられて呼ばれていましたわ>

「何だそれ。いつ?見逃しちまったなぁ」

<箱庭を作っている時ではないです?私が行った時にはもう呼ばれておりましたもの>

「ふーん、テクトねぇ。可愛いじゃん。俺もそう呼ぼ」

<2人とも、喜ぶ事でしょう。本当に、可愛い子達ですわ>


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