○ 釣り人

「おかしいのう。このあたりのはずなのじゃが」と、水面を見ながら釣り人は言った。

 サンタクロースのような真っ白のあごひげ。ハンチング帽にチェック柄のシャツ、ポケットのいっぱいついたベスト。右手に釣り竿、左手に網を持っている。

「何をお探しなんですか?」と、蓮太郎が尋ねた。

「お前さん、このあたりでヌシを見なかったかね?」

「あの魚のことでしょうか?」と、蓮太郎は滝壺を指さした。

 ヌシのお姿(魚影)は相変わらず神々しくていらっしゃる。

「おお、あれじゃあれじゃ!」と、釣り人は喜んだ。

「やっぱりヌシだったんですね」

「そうじゃとも。お前さんもあれを狙っておるのかね?」

「いいえ」

「では、竿を出させてもらうとしよう」

「釣れるといいですね」

「ありがとう。じゃがな、釣りというのは、釣れるか釣れないかではない。釣るか釣られるかじゃ」と意味不明な言葉を残して、釣り人はずんずんと滝壺に向かっていった。

 大工は以前よりも速いテンポで斧を振るい、早くも三本目の木を伐り倒そうとしている。そうめんを食べて元気になったのかも知れないし、何か他に張り切る理由ができたのかも知れない。

 歴史研究家は息を荒げながらルールブックのページを繰っている。ルールブック本人は、余計なことを言わない方がいいと考えたのか、ずっと黙っている。

「そりゃあ」と気合いを入れて、釣り人が竿を振った。

 それぞれが充実した時間を過ごしていた。

 蓮太郎は椅子に座って空を見上げた。わたあめのような雲がのんびりと流れていく。

「満ち足りたひとときの長さを二倍にしようか?」と、ランプが言った。

「二倍にしても、無限にはならないよね」と蓮太郎が言った。

「うん」

「じゃあ、やめておくよ」

「そっか」と、ランプは淋しそうに言った。

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