○ ロバ

 痩せた灰色のロバであった。

 ロバは怠惰そうに岸に上がると、ぶるぶると全身を震わせた。水滴が蓮太郎にふりかかる。しかし蓮太郎はとにかく全てを受け入れる。

 あらゆる生命は決して人間の為に存在するわけではない――ということを踏まえた上で、敢えて家畜として見た時、ロバはあまり有用な動物ではない。まず、食用には適さない。人を乗せたり荷を運んだりすることはできるが、ウマに比べると体格・従順さ共に劣る。ウマより優れているのは、粗食でも大丈夫ということぐらいである。中国では「見掛け倒し」、西洋では「愚か者」の象徴とされる。

 有名な油彩画『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』で、ナポレオンは白馬に乗ってびしっとポーズを決めている。本当はロバに乗ってとことことアルプスを越えたのだが、ロバなんぞでは格好がつかない、英雄に見えないと判断されたのだ。当時ナポレオンを乗せたロバはどれほど無念だったろう! もしやロバの性格が一般的に従順でないのは、絵から外された恨みが遺伝子に刻み込まれている所為ではあるまいか。

 そんな、ただでさえ不憫な動物なわけだが、落ちてきたロバは、尻尾の付け根が少し右に曲がっている。いや、「少し」ではない。一瞥してわかるぐらいはっきりと曲がっている。

 蓮太郎の視線に気づいたのか、ロバは尻尾を隠すように体の向きを変えた。どうやら彼(彼女? 不明だが、面倒なのでオスということにしておく)は結構気にしているらしい。

 じろじろ見て悪かった。そう思った蓮太郎は、ロバに「ごめんね」と言った。

 ロバは「んひんひんひ」と甲高い声で鳴いた。

 怒っているのか許してくれたのか、その鳴き声ではよくわからなかったが、その後ロバはどこかへ行ってしまうでなく、足元の草を食べ始めたので、少なくともすっかり嫌われてしまったわけではないようだ、と蓮太郎は思うことにした。

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