ジャンポールエヴァン

 中学時代なんて、たいした思い出はない。


 なんやかんや事件は起こったが、くだらないことばかりだった。


 中3の時に、アタシの主催してたいわゆるギャルサーは、結構注目を集めた。


 女子大生がやってるギャルサーの名前だけ借りて、実態は中学生中心で仕切るいわゆる妹ギャルサーというやつだ。


 有名になるうちに、ギャルサーの派閥抗争なんかに巻き込まれた。


 ケツ持ちがどうしたとか、バックの半グレがどうしたとかで、結局大金を支払って示談したりした。


 遊び気分のノリで加入してたサークルメンバーはドン引きで、次々連絡が取れなくなっていった。


 事実上の解散になり、アタシは一人でその大金のカタを持つハメになった。


 大した金じゃない。


 キャバで半月稼げば済むような額だ。


 金の問題よりも、「アタシらは、家族だからぁ」などと偉そうにうちのサークルの名前を使って遊びまくっていたヤツらが、蜘蛛のコを散らすように連絡がつかなくなったのには、さすがのアタシも閉口した。


 まぁ分かってはいたことだが、ちょっとはこたえた。


 結局、思春期特有の悪ぶりたい精神で


「親なんて関係ないし」とか

「うちらにはうちらしかいないし」など

 と言っていたヤツらも、メンドクサイことになったら、

「アタシらは美夜里と違って親にバレたらやばいから、ごめんね」

 ということなのだろう。


 まったく肝が据わってる。


 結局トモダチなんてそんなものでしかない。


 高校は都内の有名バカ女子校に進んだ。


 金さえ積めば誰でも入れて、校風もなんでもありで、卒業も出来る。


 アタシにとって申し分ない。


 高校に行く意味すらよく分からなかったが、父親だという人が来て、高校だけは卒業するようにと言われた。


 それに従うつもりは無かったが、金はいくらでも出すし、学校はどこを選んでもいいと言われたので、里香と同じ高校に進むことにした。


 里香の学力では、こんなもんだ。


 高校に上がると、マスコミの仕事もよくこなした。


 バイト感覚で始めた女子高生が多数所属するマーケティング会社と芸能プロダクションが合わさったような事務所で、仕事を手伝ってるうちに、なんとなくマスコミ関係の仕事も増えて来たのだ。


 マスコミ関係の仕事とはつまり『サクラ読者モデル』とか、いわゆるヤラセVTRのたぐいに出てくる『危ない女子高生の実態』だとか


 テレビや雑誌の取材、マーケティング関係のレポートや、実態調査、ライティングの仕事など様々な仕事をした。


 こういう仕事は、本当にぶらぶら遊んでいるだけの女子高生では使いモノにならないらしい。


 アタシより派手に遊んでる女子高生は山ほどいたが、結局こういう仕事は大抵同じメンバーに回ってくる。


 むしろ、相手の求めている情報を察知して、面白おかしく『本当らしく』演じれる力や、納期や時間をきっちりと守れる能力が必要だった。


 それには当然社会というモノをよく知っていないと務まらない。


 要するに『派手でギャルな女子高生の皮をかぶった社会人』でないと、シビアなマスコミ業界では扱いづらいということらしい。


 必要なのは、派手な女子高生を演じれる個性のない女優であり、女子高生ではない。


 バイトはバイトでそれなりにワリは良かったのだが、なにかと金も必要だったし、高2になるとアタシはまたキャバの仕事を再開した。


 バイトの方では裏方の仕事や単発のエキストラなどの手伝いは続けた。


 毎日がとても単調だった。


 他人からは十分刺激的に見えていただろう。


 だけどアタシの心は何も満たされてなどいなかった。


 むしろ逆。


 確実に何かを失い続けている感覚で支配されていた。


 そうやって高校を卒業するころには、いろんなキャバを転々として、すっかりいっぱしの夜の蝶“ミサキ”であることにも慣れた。


 むしろミサキでいる自分の方が本当の自分に近いような気さえしていた。


 19歳になった秋。


 一応まだバイトの事務所に籍は置いていた。


 もうほとんど事務所に行くことは無かった。


 正直ウンザリしていた。


 自分とは、かけ離れた大人の求めるスキャンダラスな子供を演じるのにも疲れた。


 乱交パーティーに行ったこともあるし、ドラッグパーティーにも行ったことがあるし、知らないオッサンから金を巻き上げたこともあった。


 それを聞くだけで、大人は大喜びする。


 スキャンダラスな女子高生の実態の出来上がりだ。


 乱交パーティーは、『合コン』の頭数合わせだからって頼まれて、行ってみたら実は乱交で、興味ないからソッコー帰った。


 正直、男には困ってないし。


 いくらなんでも見れないくらいのブサイクとヤルのは100パー無理。


 何しろくだらない。



 ドラッグパーティーは、トモダチに誘われてクラブに行ったら、ドラッグを配ってるヤツがいて、くだらないからアタシはそのまま帰ってきたってだけ。


 体を大事にしたいから、とかそんな理由じゃなくて、クスリ漬けにされて風俗で働いてその金を全部クスリに注ぎ込んでるヤカラを周りでしょっちゅう見かけてた。


 あんなバカな人生を送るくらいなら死んだ方がマシだ。


 オッサンから金を巻き上げたのは、援交目的で札束チラつかせてくるオヤジがムカついて、カラオケで酒で酔わせて現金をゴッソリいただいただけ。


 援交を持ちかけた手前警察になど行けるワケがない。


 自業自得だ。


 スキャンダラスな要素は何もない。


 むしろそういう子供じみた“遊び”にもウンザリしてた。


 アタシの人生はくだらない。


 そう割り切ってはみても、やはりどこかでプライドのようなモノを捨てきれなかった。


 それにはたった一つだけ、理由がある。




 それは……



 アタシの中にある、断片的な記憶だった。





 自分が必死になって生きていたころの記憶。


 純粋に一つのことに打ち込んだ。


 妄想のようなその記憶の呪縛に、なぜ自分の人生は、今こんなにも何もないのか、誰のために生きてるのか分からなくなった。


 アタシが今のアタシじゃなかったころ。


 世界はとても美しかった。


 誰かを純粋に、心の底から愛することが出来た。


 ただそれだけは、事実だったのだ。


 ケータイの着信音が鳴り響き、ディスプレイを見ると知らない番号からだった。


「あ、ミヨリさんのケータイですか?」


「はい……。あの、どなたですか?」


 本名で知らない電話番号から掛かってくることは、あまり無かったので、アタシは一瞬警戒した。


「あの、私は新生出版の城之内と申します」


 出版社…?


「なんでしょうか?」


「突然連絡して申し訳ありません。以前お仕事でお世話になっていた新川というライターからミヨリさんの話を聞きまして…」


「あっ…あぁ、はい新川さん」


 新川さんは、以前に何度もやりとりをしてるライターさんだった。


 もう連絡を取らなくなって随分と経っていた。


 新川さんの紹介で雑誌の記事なんかも連載していたことがある。


 いわゆる怪しいエロムック本だ。


「彼の手がけていた雑誌なんかを見ていてですね、ちょうど昔ミヨリさんが書いていたコラムを読んだわけなんです」


「あぁ……あれは…、新川さんにこんな感じのネタで書けって言われて、適当に書いていたものなんです」


「ええ、そうだと思います。ちょっと有り得ない話も出てきますしね」


 あからさまに、自分の書いた記事のダメだしをされ、若干カチンとは来たが、それも事実なので反論のしようが無かった。


「それで、何の用件ですか?」


「あぁ、はい」

 彼は話が少しズレたことを自覚したように少し笑いを含ませて返事をした。


「実は、今、女性誌の編集部でお手伝い出来る人を探していましてね、もし興味があればどうかなって思ったんですけど…」


「え? アタシがですか?」

 あまりに唐突な話に少々驚いた。


「あ、別に手伝いなんでそう大した仕事じゃないんですよ。ミヨリさんがその気がないなら他をあたりますし」


 この人…正直過ぎるというか、ハッキリものを言うタイプだな、と思ったが、嫌な感じではなかった。


 そう思ったのが思わず声に出てしまった。


「あ、なんかおかしかったですか?」


「…いえ、とても率直でいいと思います」

 アタシはようやく笑いをこらえると、そう言った。


 もし彼のキャラクターに愛着を持たなかったら、アタシはきっとそんなどうでもいい金にならなそうな話断っていたに違いない。


 でも、アタシはその話を受け入れていた。


「いいですよ。昼間はいつでも空いてます。本業に響くので、午前中は勘弁願たいですけどね」


「あぁ、夜働いてるんですね。構いませんよ。バイトですから」


「良かったら遊びに来てください。銀座のミッドナイトって店ですから」


「あ……、これはこれは。はは。いやすごい人に電話してしまったな」


「いえ、構いませんよ。アタシなんてまだ新人のようなものですし、社会勉強が必要ですから。一応本業の方は“ミサキ”という名前で通ってますので、よろしくお願いいたします」


 アタシはお決まりの営業口調で、冗談ぽく付け足した。


「是非伺いますよ。その前に、ウチに入ったら新人ですから、なんでもやらせますけど、大丈夫ですか?」


「もちろん。仕事はキッチリこなします。有り得ないネタ探しと人脈なら、任せてください」


「はは、頼もしいですね。それじゃまた連絡しますから」


「はい。待ってます」


 電話を切ってから、アタシは久しぶりに自分が少しウキウキとした気分でいることに気付いた。


 出版社で働くというのも、まぁ悪くない。


 いつまでも水商売をやっていられるワケでもないし、人間関係はおそらくどの職場よりも血なまぐさい。


 そう思ったが、やはり一番の理由は彼のキャラクターだったのかもしれない。


 変わった人だが、どことなく健全な芯の強さと穏やかさを持っていると感じた。


 アタシの周りには、媚びてくる男や、下心しかない男ばかりだった。


 職業柄、当然のことだし、もう慣れた。


 恋愛関係のない男の人の健全でフツーな会話が物珍しかっただけなのかもしれない。


 だけどアタシは、なんとなくはしゃいでいた。


 OLのような昼間の仕事をするんだな、似合わないけど…。


 ちょっといいな。


 ううん、やっぱ結構いい。


 そんなことをずっと脳内で繰り返し考えていた。


 家に帰ると一通の手紙が届いていた。


 アタシの住んでいるのは、日本橋にある高層マンションの上層階だった。


 家賃は20万。


 正直安くはなかったが、今は好きに暮らしたかった。


 貯金だって十分にある。


 キャメル色のソフトレザーのソファーに体をあずけた。


 手紙の差出人は母だった。


『元気にしてる?


 ずいぶんと連絡ないから、どうしてるのか心配してるわよ。

 お兄ちゃんも美夜里に会いたいって言ってたし。


 一応これでも母親だから。


 それはまぁいいとして、お父さんが、入院したらしいの。

 今度はもう最後になるかもしれないわ。

 ガンが腰に転移してたらしいのよ。ずっと会ってないでしょう?

 最後くらい顔出してあげなさいよ。今はお父さんに家族って言えるのは、あんたくらいなんだし。

 住所書いておくから、気が向いたら行ってきなさい。』


 何の義理があってあんな人にアタシが会いに行かねばいけないのか…。


 ふざけた話だ。


 自分の人生に先が見えた時だけ、子供扱いするなんて。


 中1の時、父はアタシに言ったはずだ。


『お前さえ生まれてこなければ、こんな人生を送ってなどいない』


 父は有名企業の部長で、母は保険会社の営業をしていた。


 アタシには兄が一人いて、年は6つも離れている。


 それでも兄はいつもそばにいてアタシに優しくしてくれた。


 ほかの子のお兄ちゃんよりも、ずっと頭が良くて格好良かった。


 アタシはそれが自慢だった。


 いつも母も父も留守がちだった。


 しかしそれは、二人とも忙しいためだと思っていた。


 アタシの家が何か人とは違うと気づき始めたのは小学3年くらいの時だ。


 そのころ結構仲のいい友人に、『美夜里ちゃんとこはボシカテーなんだよね?』と言われた。


 ボシカテーってなんだろう。


 いまいちアタシは意味がよく分かっていなかった。


 おうちに帰って、お兄ちゃんに聞いてみた。


「お兄ちゃん、ボシカテーってなぁに?」


「あぁ……」

 兄が制服を脱ぎながら、ちょっと複雑な表情をしたのは、よく覚えてる。


「それ、友達に言われたの?」


「うん…」


「うん。いろいろあってお母さんとお父さんは結婚してないんだ」


「えっ……!」


「あ、でもね、美夜里のお父さんは、お父さんだから心配しなくていいんだよ」


 なんだか余計に分からなくなった。


 お父さんはお父さんなのにお母さんと結婚してないってどういうことなんだろう…。


「お兄ちゃん……」

 アタシは何故かすごく不安になり、涙が出そうだった。


「心配要らないよ。もしなんかヒドいこと言うやつがいたら、お兄ちゃんがやっつけてやるから」


 兄は、シャドーボクシングのようにシュッシュッと拳を前に伸ばした。


 お兄ちゃんは笑顔だった。


 それを見てアタシは心の底から安心した。


 でもきっと、兄は傷ついていたに違いない。


 いずれ、可愛い妹にも父と母の関係は分かってしまうだろう。


 隠しきれるはずはないのだ。


 そしてアタシが生まれてしまったばっかりに、兄の人生は、180度変わってしまったということも。


 母は父の愛人だった。


 そして父も母の愛人だった。


 ようするにW不倫というヤツだ。


 なんてことはない。


 次第にアタシもその事情がのみこめてきた。


 母はそのせいで離婚したが、父はまだ離婚していないということのようだった。


 兄はそこまでは教えてくれなかったが、さすがに理解出来た。


 父は週に2回ほどしかうちに帰って来ない。


 そんな家はまず滅多にない。


 アタシは母や兄を問い詰めた。


 父はどうして家に帰って来ないのかと。


 兄や母は、苦しそうな表情を浮かべるばかりで、特に何も教えてくれることはなかった。


 そしてアタシが中学1年に上がるころには、もうすべてがどうでもよくなった。


 ただ父だけがひどく汚い人間に見えた。


 そして母さえも、いなくなってしまえばいいと思うようになった。


 家に何時間も帰らなかったこともあるし、ナンパされてそのままついて行って、その男の家に寝泊まりもした。


 どうせ家に帰っても、自分の居場所なんてなかった。


 そして中学1年の時、父に呼び出された。


 行ったこともない高級ホテルの部屋だった。


「美夜里、男の家に寝泊まりしてるそうだな」


「お前に関係ねーだろ」


「なんだその話し方は」


「うっせーな。父親でもないくせに父親面すんじゃねーよ」


「もう一度言ってみろ」

 父はアタシの胸ぐらを掴んでそう言った。


 アタシはそんなことでひるまない。


「オッサン、それ以上汚ねー顔近づけたら、ぶっ殺すよ?」


 父は躊躇なくアタシの顔面をひっぱたいた。


「いったい誰のおかげで、いい暮らしが出来てると思ってるんだ」


「うちらのどこがいー暮らしなんだよ! 歪んだ家庭に育てられて、まわりからは白い目で見られて、可哀想ねって同情されて、あげくに父親は帰ってこねーし。お前に説教なんてされたくねんだよ!」


 アタシは、ぶちまけられたカバンから放り出されたハサミを手にした。


「ぶっ殺してやる。お前なんか父親じゃねえ」


「殺してみろ。どうせ私の人生はお前のせいでめちゃくちゃだ」


 体中の血がわき返った。


 殺してやる。


 本当にそう思った。


 そして立ち上がり、父親めがけて、ハサミを突き刺した。


 ドスッ


 鈍い音がした。


 そして、目の前にいたのは…


 兄だった。


「お兄ちゃん…?」


 ハサミの刃先からは真っ赤な血が滴り落ちていた。


 兄の顔は苦痛に歪んでいた。


 兄の右腕からは鮮血が次から次へと流れ落ちた。


「お兄ちゃん!」


 アタシはハサミを投げ出して、兄を抱きかかえた。

 何度も何度も兄を呼んだ。


「お兄ちゃん!」


「美夜里…、バカなことするんじゃない…。こんなことして何になるんだ?」


「本当だな。聡の言うとおりだ」


 父は、カバンを手にすると、その場から立ち去った。


 そして、部屋のドアの前で、吐き捨てるように言った。


「お前の母親には心底がっかりしたよ。あれだけ私には迷惑かけないと言っていたくせに、なんだこのざまは。

 子供の一人もまともに育てられないで。

 まったく聡もいい迷惑だな。父親の違う妹の面倒を見させられて。

 お前さえ生まれてこなければ、私たちはこんな生活を送ってなどいない。

 お前が聡に申し訳ないと思うなら、もう少しまともな生活をするんだな」


 それだけ言い残すと父は部屋から出て行ってしまった。


 兄は…



 泣いていた。



 この時アタシは、兄が泣いているのを初めて見た。


 アタシの記憶の中の兄は、いつも笑ってた。


 いつもとっても嬉しそうに笑うのだ。


 そしてアタシの頭を撫でる。


『美夜里。美夜里』


「お兄ちゃん…ごめん。ごめん。お兄ちゃん…泣かないで」


 その時、ホテルの従業員が入ってきた。


「お客様、大丈夫ですか!?」


「大丈夫です。ちょっと手が滑ってしまって…」

 兄はもう泣いてはいなかった。


 そして、いつも通りの笑顔を作った。


 ホテルの従業員は、それ以上何も聞かずに、兄とアタシを病院まで連れて行ってくれたのだ。


 待合室で待つ間、アタシは兄と過ごしてきた、この十数年のことを思い出していた。


 兄は、優しかった。


 優しすぎるほどに優しかった。


 心が崩れそうだった。


 兄の苦しみに耐えられなくて。


 苦しかった。


 涙は、とめどなく、とめどなく流れた。


「美夜里」


 見上げると、そこには兄の笑顔があった。


「帰ろっか」


 兄の右腕には大きな包帯が巻かれていた。


「お兄ちゃん…、腕大丈夫なの?」


 兄はすぐにアタシの意味するところが分かったように、腕を支えてササッと筆を持つ仕草をして見せた。


「すぐ治るよ。それよりさ、今日は久しぶりに美夜里の手料理が食べたいな」


「…うん。いいよ、ハンバーグでしょ」


「うん」

 兄はアタシの頭にポンと手を置いた。


 兄が兄以上の存在になったのは、きっとこの時からだったのだと思う。


 アタシたちは、半分しか血の繋がっていない兄妹。


 それでも、半分は本当の兄だった。


 その現実は、一生変わることはない。






 愛し合うことは


 一生ない。



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