ラムコーク

「…はようざいまーす」


「あぁ、おはよう。ミサキ、遅刻は困るよ。他の子の手前もあるからさぁ」


 一体誰に口を聞いてるんだ、このオッサン。


 アタシがいなかったら、いくら売り上げが落ちると思ってるのか。


 アタシは、オッサンを睨みつけて控え室と書かれた黒い扉を乱暴に開けた。


 全面が鏡の前にある丸イスに腰を下ろし、タバコに火をつけて大きく吸い込む。


「あ、ミサキさん、おはようございます。新島さん8時頃からいらっしゃってますよ」


 薄いピンクのドレスを着て、スワロフスキーが散りばめられたカチューシャをつけた若い女が猫なで声で言った。


「あ、うん知ってる。灰皿取ってくんない?」


「あ、はぁい」


『梨花』と名札のつけられているその子は、アタシに灰皿を差し出した。


 実際はアタシよりずっと年上だが、『ココ』では年下ということになっている。


「玲子さん来てる?」


「あ、来てますよ」


「そう。後で控え室に来るように言っといてくんない?」


「え……」

 先ほどまでの猫を被ったような笑顔は消え、彼女は戸惑いの表情を浮かべた。


「話があるから」


「えっと…、ミサキさん落ち着いてください」


「梨花、アタシは玲子さんを控え室に呼べって言っただけよ。

 わ、か、っ、た?」


 タバコの煙を吐き出しながら、睨みつけた。


「あ…はい」


 彼女は俯いてポーチとハンカチを手にして控え室を出て行った。


 昨日、玲子さんが休みの日に、ミナから一部始終を聞いていた。


 彼女がアタシの客に、執拗に営業しているということと、アタシが休みの日には、枕営業してるとかあることないこと言ってくれてるそうだ。


 いつかこんなことになるとは思っていた。


 だいたい彼女は、アタシがこの店に入った時から気に入らなかったのは気づいてた。


 これだから年なんて取りたくない。


 若いコに嫉妬して、嫌がらせして、それで客に媚びを売って、そんなことで客がつくわけがない。


 もう年なんだから、お前なんか誰も相手にするわけないだろ。


 お前に尻尾を振ってるのは、見せかけだけの飼い犬で、本当はお前の多少なりとも残ってる人脈にありつこうとしてるハイエナだってこと、なぜ分からないんだ。


 だいたいその年でキャバ嬢かよ。


 アタシは黒いレースのドレスに着替えると控え室を出た。


「新島さん。いらっしゃい。また来たの? 少しはアタシのこと休ませてよね」

 男の耳元に甘い声で囁いた。


 そしてテーブルにつくと、手際良く自分の水割りを作り乾杯をする。


「なんだよ。ミサキ。今日は朝まで飲み明かすぞ」

 男はアタシの腰にその汚らしい手を回した。


「じゃあラストまでちゃんといてよね。今日はアタシがラストソング担当だから」

 腰に回った男の手を掴んで、手を繋ぐような素ぶりで、男の傍らに戻す。


 さも、『手を繋ぎたいの』という雰囲気を出しながら、『汚くて虫酸が走る』と心の中で唱える。


「お、そっかそっか。じゃあ、その代わり今日は俺の席にずっといろよな」


「ダメよ。うちには可愛いコたくさんいるんだから、楽しんでって」


 ダメよ。お前みたいなエロオヤジの相手だけなんてしてられないの。


 その時、玲子さんが新島さんの席に来た。


「どうも、新島さん。こないだはご馳走さまでした」

 年増を隠すように気色の悪い甘えた声を発する。と同時に、ド派手な赤いドレスから覗く谷間を男が見える角度に傾ける。


 古くさい手だが、エロオヤジにはこれが一番よく効く。


 彼女はアタシに一瞥をくれたが、その目は敵意に満ちていた。


 新島さんは明らかに、困惑した様子で玲子さんに受け答えをしていた。


「なぁに? 新島さん玲子さんと食事行ったの? 浮気もの」

 アタシは顔色も変えずにそう言う。


「違うよ。あの日はミサキが休みだったからさぁ。ねぇ、玲子ちゃん」


「そうよ。新島さんは悪くないわよね」


 玲子さんはそのままアタシたちのテーブルに腰を下ろした。


 宣戦布告ってヤツだ。


 そう、よく分かった。


「ミサキさん、ご指名です」

 アタシはそのままボーイに呼ばれて他の席に着いた。


 今日の気分は最悪だ。


「すいませんドリンクいいですか?」


「あぁミサキちゃんのラムコークもう頼んどいたよ」


「あ、海藤さん覚えてくれたんですね」


「当たり前じゃん」


 アタシの働く店は、新宿の歌舞伎町にあるいわゆるキャバクラというたぐいの店だ。


 アタシはこの店に入って2ヶ月あまり。


 そして、今この店のナンバーワンは、アタシだ。


 くだらない。


 キャバクラも学校も家もくだらない。


 アタシの人生はくだらない。


 だけど今は、こうやって働いている。


 夏に、友人の里香が妊娠した。


 父親はバックレたらしい。


 里香は泣いていた。


 子供を産みたいと泣いていた。



『何言ってんの? うちらまだ、中学生なんだよ?』



 中学に入って、ずっと仲良くしてきた友人だ。


 うちらはよく似てた。


 親がどうしようもない。


 どうしようもない家のコは、どうしようもなく生きるしかない。


 ある意味自由で、ある意味孤独。


 それをお互いが理解し合えた初めての友人だった。


 産みたいと一晩中カラオケで泣いていた里香を見てアタシは言った。


『アタシが父親になったげるよ。だから、産みな。


 だけど、後悔したら、殺すから。

 

 産まなきゃ良かったなんて言ったら、殺すから』


 そんなこと言ったら、うちらの親と、同じだから。


 中学2年の秋、初めて誰かのために何かしてあげようと思った。


 まだアタシたちは、幼くて、子供だった。


 自分たちの行動に、何か責任を持てるほど大人じゃなかった。


 だけど、それでも精いっぱい生きてるつもりだった。


 何のために生きてるのかなんて、分からなかったけれど——。

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