ストロベリーミルクティ
中学校に上がる時に、父の転勤にともない、生まれ育った横浜から、東京に引っ越した。
イチョウの舞う中学2年の秋。
「この本面白いよね。私も読んだ」
本を読みふけっていたぼくは、隣に人がいるのにも気づかず、熱中していた。
「あ、うん。この作家好きなんだ」
話しかけて来たのは、今度の席替えで隣になった女子の、天童ミヨリだった。
彼女は、このクラスの学級委員をしている。
頭が良くて、テニス部の部長もしている。
キレイとは言えないが、真面目で清潔感のある女の子だった。
細い黒縁の眼鏡が、彼女に良く似合っていた。
「他の作品も持ってるの?」
「うん。…貸してあげようか?」
「いいの?」
「いいよ。もう読んだから」
「ありがとう。今度持ってきて」
彼女はニッコリと微笑んだ。
あまりじっくり見たことが無かったが、笑うとこんなに華やかな笑顔を見せるんだな、と思った。
ぼくはなんだか照れくさくなり、また本に顔を落とす。
「…うん。分かった」
「桜井くんって変わってるね。いつも本ばっかり読んでる。部活行かないの?」
「うちは、行かなくてもあんまり気にしてないから先生が。ぼくは、シナリオ書いてるだけだし」
「そうなんだ。役者なのかと思った」
「違うよ。演劇部だって役者やりたいヤツばかりじゃないし。照明とか小道具とか、そういう裏方やりたいヤツもいるし」
「そうなんだ。シナリオ書くの好きなら、文芸部にすれば良かったのに」
「う…ん、なんてゆうか、自分の書いたものを、誰かに演じてもらうのが好きなんだ。紙の上の架空の物語に命が吹き込まれる感じが」
「面白い」
思わず彼女の顔を見上げた。
「な、何が?」
「桜井くんって、もっと話しづらい人かと思ってた」
「え?」
「学級会とか、授業とかで発言したことなんてあんまりないじゃない?」
少し考えたが、正直に話した。
放課後の教室は、生徒もまばらだった。
「……苦手なんだ。人前で話すのが」
「普通は、そうだよね」
「天童…さんは、違うでしょ?」
「私も、本当は苦手」
「そう…なの? だって学級委員やってるじゃん」
「やりたくてやってるワケじゃないよ。誰かがやらなきゃいけないから、やってるの」
「そうなんだ。えらいんだな」
「全然えらくないよ」
「今日は部活行かなくていいの?」
ほとんどの生徒が部活に行くか、帰宅してしまっていた。
「今日は、コレ」
天童さんは足元を指差すと、苦笑した。
足首には大きな湿布が貼られていた。
「捻挫?」
「うん。さっき階段から落ちちゃって保健室行ってきたとこ」
「歩けるの?」
「ちょっと痛いけど、なんとかね」
ぼくは、彼女の痛々しい足元を見つめた。
テニスで小麦色に日焼けした細い足だった。
「……途中までなら、いいよ」
ぼくは思いきって言った。
「え?」
彼女は一重の細長い目をまんまるにさせて聞き返した。
「だから……、途中まで送るよ。危ないでしょ?」
「いいよ。そんな大げさなことじゃないし」
「ぼくも、帰るとこだから」
ぼくは読んでいた推理小説を閉じると、カバンにしまいこんで、立ち上がった。
天童さんは、照れくさそうに足を引きずりながらついてきた。
「なんか、ごめんね。本読んでたのに」
「いいよ。また家に帰ったら読むから。その間に犯人が誰なのか考えておくし。だいたい誰かは検討はついてるけど、まだ動機がよく分からない」
「はは。桜井くんって本当に面白いんだね」
帰り道は、イチョウの葉が一面に敷き詰まっていて、まるで黄色い雪のようだった。
「桜のシーズンになると、桜しかないんじゃないかってほど桜が舞い散るのに、イチョウのシーズンになると、どこもかしこもイチョウだらけになるな」
ぼくは適当に思ったことを、呟いた。
「うん。なんか、秋の雪みたい」
天童さんはそう言った。
なんだか返答の言葉が、思いつかなかった。
同じことを考えていたとは、恥ずかしくて言えなかった。
イチョウの木を見上げる彼女の姿は、なんというか、とてもキレイで、胸がドキドキした。
「私ね、芹沢直哉って監督の映画が好きなの」
天童さんはイチョウを見つめながら言った。
「あっ……」
ぼくはその言葉に反応した。
「なに?」
「いや、…ぼくも好きなんだ」
それは、あの映画の監督だった。
「今度、新作公開するよね」
「うん。『赤い三日月』でしょ?」
「そう」
そう言ったきり、天童さんは黙り込んでしまった。
なんか、声をかけた方がいいのかなと思いながら、うまい言葉が思いつかず、イチョウ並木の道の終わりまで来てしまった。
「本当に、ここでいいの?」
「うん。もうすぐそこだから…」
「そっか…うん、…じゃあ、また」
ぼくは彼女の進む方と反対方向へ歩き出した。
夕日の射すイチョウ並木は、とても美しかった。
「待って!!」
後ろから聞こえた彼女の声に思わず振り返る。
「映画、一緒に行かない?」
「え……」
「今度の日曜日。一緒に行こう!」
ぼくは、ただ何も言えず、頷いていた。
天童さんの頬も、まるで夕日に染められたように赤く染まっていた。
ぼくは、彼女の瞳を直視することが出来なくて、そのままその場から立ち去った。
秋の風に誘われて、イチョウの葉は、吹雪のように舞い散っていた。
天童さんは、なんでぼくなんかを誘ったんだろう。
別にただ、芹沢直哉が好きだから、誘ってくれただけなのかもしれない。
だけど…
なんか……
告白されたような気持ちだった。
先ほどの彼女の姿を思い出す。
『映画、一緒に行かない?』
オレンジ色に染まる夕日。
黄色く舞うイチョウの葉。
そして、赤く色づいた彼女の頬。
まるで、映画のワンシーンのように、鮮明に思い出すことが出来た。
まったく容姿は違うのに、まるで天童さんは、あの紅葉の中に佇む少女のように見えた。
それは2度目の、恋の予感。
なのかもしれなかった。
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