初恋のキヲク
林桐ルナ
ビタースィートチョコレート
初恋は淡くほろ苦い。
それが他の人にとってもそうなのかは、分からない。
だけど、ぼくは初恋を思い出す時、その記憶の中で生きる少女は、とても可愛らしく、彼女を見る度に胸がじんわりとあったかくなるあの感覚を、今でも思い出せる。
淡くほろ苦い。ビタースィートのチョコレートのような、その感覚。
口に入れた瞬間に広がるカカオの芳醇な香り。
とても甘いのに、後に残るのは少しだけほろ苦い味わい。
それがぼくの初恋の記憶。
小さなころからぼくは、外で走り回ったりするよりも、映画を見たり、本を読んだりするのが好きだった。
物語の中に入り込むと、外で走り回るよりもずっと自分は自由な存在になれた。
物語の中での自分は、ある時は殺人事件を解決する名探偵、またある時は空を飛び回るスーパーヒーローになれた。
そして小学校5年生の秋、一人自宅で留守番をしていたぼくは、恋に落ちた。
初めての恋だった。
彼女は、とても瞳が大きくてまるで人形のような可憐な少女だった。
少女と言っても、ぼくよりはずっと年上だったが…。
浜辺に、少女が一人で佇んでいる。
夕焼けの中に少女のシルエットが長く伸びる。
今まで起こってしまった最悪の出来事たちを思い返しながら、可憐な眼差しを下に落としていた。
「もう生きていても意味がない…」
少女はそう呟く。
こんなに可愛らしくて、こんなに若い少女が、もう生きていても意味がないなんてことを言うには、それだけの理由があった。
彼女の目からは、大きな涙がじわりとにじみ、溢れ、流れ落ちた。
そして彼女は立ち上がると、真っ直ぐに前を見つめて歩き出す。
その先にあるのは、静かに揺らぐ、海。
少女は、どんどん海の中に入り込んでゆく。
後ろから走って来た刑事が、彼女を追いかけて海に入ってゆくと、彼女の肩を掴んだ。
「何やってるんだよ! こんなことしても、お母さんは帰って来ないんだそ!!」
そして泣き崩れる彼女に、刑事は言う。
「もう忘れてもいいんだ。悲しいことは忘れて、君の人生を歩んでいい。
君の人生は誰のものでもない。
君だけのものだ」
そして静かにピアノの美しい調べが聞こえてくる。
逆光に映る二人のシルエットを残して、エンドロールが流れてくる。
ぼくはそばに置いてあるリモコンを手にすると、巻き戻しボタンを押した。
「もう生きていても意味がない…」
そう言った彼女の顔は、本当に死を見つめているかのような儚い輝きを持っていた。
「生きていても意味がないだなんて、そんな悲しいこと言わないで」
ぼくは、ブラウン管の中の少女に呟いた。
古びた映画の中で、ただ彼女一人が、とても色鮮やかな光を放っていた。
きっとぼくだったら、彼女にそう言うだろう。
幼いぼくは、ただ彼女がそんな顔でそんな悲しいことを言うのが、とても演技のようには見えなかった。
その日から、留守番で一人のときは、必ずその映画を見た。
何度も繰り返し、その悲しい結末の映画を見た。
彼女の明るい笑顔に、心があったかくなっても、ラストの苦しいほどに悲しい瞳を思い出すと、胸が切なくなった。
パッケージの裏面には、製作年が書かれている。
ぼくが生まれる前の映画。
きっと彼女は、今はもうずっとこの映画よりは大人になってしまっているだろう。
だけど、そんなことは関係なくて、その映画の中で微笑む彼女に夢中になった。
落ち葉が舞う色鮮やかな紅葉の中に、少女が佇む姿。
それだけで、こんな夢のような世界が、存在しているとは思えなかった。
映画ってなんて不思議な世界なんだろう。
まるで現実のように映し出される映像たちは、創りものの虚構なのだ。
そしてぼくは、映画と彼女の世界にのめり込んで行った。
ぼくが初めて恋をしたのは、映画の中の少女だった。
少女の出演した映画をたくさん見た。
しかし少女はその年より、大人になることはなかった。
彼女は18歳で命を落としていたからだ。
自殺、したのだそうだ。
だから、少女はもうこの世には生きていない。
ぼくは、この世にはいない少女に恋をした。
それが淡い、ぼくの初恋だった。
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