Episode 039 「対等であるために」

 放課後を迎えたことで校内に喧騒が広がる。部活に励む者、寄り道を計画する者、皆一様に余っている元気をどこかへぶつけようとしているようだ。

 自由な時間を手にした生徒たちが教室に残る理由は少ない。蜘蛛の子を散らすように人影が校舎の外へと向かっていく。そういった大多数と同じように、とある女子生徒たちが帰路に就こうとしていた。靴を履き替えた二人が肩を並べる。

 最寄り駅までの道のりをともに歩くこと。槙野悠香が笹原由美奈の友人になってから、日常の一幕として定着しつつある風景の一つだ。

 世間話が好きな悠香は率先して話題を振った。


「それにしても塚本くんは懲りないね。由美奈が素っ気ない態度を取り続けても果敢にアプローチしてくるんだから」

「本当に飽きないわよね。もっと他のことに熱意を向けてくれれば楽なんだけど」


 笹原は肩をすくめながら深々と嘆息する。

 先刻のことである。ホームルームが終わり教室を出ようとしたところ、悠香と笹原はクラスメイトに声をかけられていた。塚本というその男子生徒は何事にも人との関わりを第一としているらしく、時折遊びの誘いを持ちかけてくることがある。


「彼がカウンセリングルームにまで乗り込んできたあの日から、その頻度も多少は減ってきてるけど……はっきり拒絶したほうがいいのかな」


 ゴールデンウィークに入る前の一件を振り返りながら、笹原は真剣に検討をしている。

 男子に関することで悩まされる姿を、悠香は頻繁に傍で見ていた。


「でもさ、今までだってそこそこ厳しい言い方で正直な気持ちを伝えてるんでしょ。それ以上にどんな方法があるの?」

「そうなんだよね。強硬な手段を選んじゃうと、今度は逆に他のクラスメイトとの関係が悪化しちゃうし……」

「強硬な手段って例えば?」

「人格否定する勢いで悪口を叩きつけるとか、みんなの目の前で恥をかかせるとか、耳にしただけでドン引きするような噂を流すとか」

「すらすらと出てきた案がどれも怖いくらいに具体的なのは気のせいかな……。え、まさか本気でやるつもりじゃないよね?」


 直接的な悪意を他人に向けたことがない悠香は、一抹の不安を拭うために問いかける。


「分かってるわよ。そういうことはもうやらないから安心して」

「実行したことはあるんだ。凄いなあ」


 自身にはない価値観や行動原理があることを、悠香は笹原との会話を通じて実感することが多かった。

 異なった思考や言動に触れ、違った経験を持つ存在と接する。

 それが好ましいと思えるかどうかは別として、単純に面白いと悠香は思う。

 同じ感覚を持たない、という事実を楽しむことができている。


「まあ結果的にどう対処するとしても、男子が相手なら気は楽なんだけどさ……」

「そうだね。女同士の問題だと、無駄にこんがらがったりするからね」

「…………」


 歯に衣着せぬ笹原が何事かを思い出したように黙る。

 悠香は頭を過った可能性を取り上げた。


「もしかして、また嫌がらせでもされた?」


 笹原は男子に対する敵意を隠そうともしない。

 意中の相手がぞんざいに扱われた時、それを快く思わない一部の女子たちが腹いせを行うことがあった。


「違うの悠香。今回は、そういうのじゃない」

「じゃあ何? その口振りからすると、何かあったことは確かなんだよね?」

「まあ、そうだけど……方向性はむしろ真逆っていうか」


 要領を得ない説明に悠香は困惑する。

 ここで話題を切り替えては不自然になるので、笹原は正直に打ち明けることにした。


「昼休みの合間に、ラブレターを貰ったの」

「それって男子からじゃなくて?」

「女の子から」

「……本当にあるんだ、漫画の中だけかと思ってた」


 悠香から思わずといった驚きの声が零れる。そういった要素が含まれる作品を目にしたことはあっても、身の周りで実例を耳にする機会はなかったからだ。

 不意に、後方で注意を促すベルが鳴った。合間を縫うように一台の自転車が二人を追い越そうとしている。

 邪魔にならないように悠香が慌てて道を譲る。

 反面、笹原は唐突なこと対しても落ち着いて対応していた。

 悠香は動揺する素振りの少ない友人に疑問を投げかける。


「ひょっとして今回が初めてじゃなかったりする?」

「一度だけ告白されたことがあるの……中学を卒業する時に」

「そっか、そうなんだ」


 相槌を打ちながら、悠香は自身のことのように考えを深めようとする。

 けれど、その試みは空回りした。同性同士の具体的な関係を想像できなかったからだ。仲の良い女友達の、そこから先の展開を描けない。

 歩きながら言葉を交わしていた二人は、交差点に差し掛かろうとしていた。

 点滅していた信号がその色を変える。

 女子高校生は、赤い光の前で立ち止まった。


「由美奈はどうするつもりなの?」


 当事者でない悠香にとっては、日常の裏側に隠された秘境を覗くような気分だった。

 一拍の間が置かれる。

 心中を整理するような深呼吸があった。


「明日の放課後に二人きりで会うことになってるの。だからそこで伝えるつもり。気持ちに応えることはできないって」


 躊躇いはなく気後れするような様子もない。

 恋愛事に関して、笹原は消極的な姿勢を保っている。

 主だった理由は多感な思春期に抗えない男子の言動にある。取り繕われた態度の奥にあるものを毛嫌いしているのだ。好意に潜む下心が、素直に受け止めることを難しくしてしまう。

 しかし、今回に限っては前提が異なる。

 導き出された結論には、男性に対するものとは違った重みが込められていた。

 渡れない道路の向こう側を望みながら、悠香が呟く。


「女の子の場合でも、由美奈は迷わないんだね」


 信号機は未だ歩行者を認めない。

 様々な車が目前を行き交う中、笹原は絶えず正面を見ていた。

 多種多様な感情を向けられてきた過去があるからこそ、堅牢な理性は実直に働いている。


「異性を相手にするのとは違って、同性へ告白はハードルが高いでしょ? それでも気持ちを伝えようとしたってことは、それだけ本気なんだと思う。だから期待に背くことになるとしても、ちゃんと向き合わないといけないんだ。逃げずに結論を待ってくれている彼女の、その勇気と覚悟を蔑ろにするなんて真似、私にはできないから」


 少女の瞳は、同じ年月を生きる女の子の大人びた姿を映した。

 真剣な眼差しの先で、信号が青を示す。

 笹原に肘で体を小突かれて、悠香は横断歩道を歩き始めた。

 車道を渡る二人。遅れた一方がその足取りに追いつく。何か声をかけようとして、けれど普段通りの気軽さを発揮することはできなかった。

 いくら悩んだところで立派な文句は浮かばない。急ごしらえの代物では深慮に到底及ばない。

 同じ場所に立つためには、同じく心からの思いを伝える必要がある。

 熟考の末に、吐息が形を得る。


「――偉いね」


 悠香はそれだけを口にした。この一言しか見つからなかったからだ。

 多くの表現を重ねたとしても真意が届く保証はどこにもない。余計な蛇足で塗り固めては本末転倒だろう。だからこそ、最初に浮かんできた切な感心を短く添える。

 程なく後ろ姿が足を止めた。入れ替わるように前へ出た悠香が振り返る。その視線から笹原は逃れようとした。

 再び二人の肩が並んだ時、一方の歩調は少しだけ早くなっていた。


「私は別に、普通だって」

「今、照れたでしょ」

「……照れてません」


 強がる笹原は口許を手で覆った。だが頬の色を隠すことまではできない。午後の陽射しが橙を落とすまで、まだ時間がかかりそうである。

 悠香はからかうように薄い赤を指先でつついた。嫌がる友人の反応を堪能してから、ようやく探し当てた言葉を紡ぐ。


「当たり前のことを当たり前にできるって、とても立派なことだと思う。わたしだったらどう返せばいいかも分からなくて、先延ばしにしちゃいそうだから」


 素直な称賛が送られる。自身に及ばない部分があることを知りながら、そこに卑屈さは見られない。嫉妬や劣等感とは無縁の、尊敬の念が表れている。

 違いがあることを前提に、対等でいられるからこそ二人の友好関係は成り立つのだろう。


「なんかこれ……帰り道に歩きながらするような話じゃないね」

「ふふっ。そうだね」


 今さらの発言をしながら女子二人が笑い合う。

 曇りのない純粋さに触れて、笹原は無防備に破顔した。

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