Episode 021 「ガムシロップがふたつ」

 スマートフォンに着信が入ったのは放課後になってからだった。智史が靴を履き替えて昇降口を出ようとした時である。一度壁際に寄り、ポケットから取り出して画面を確認する。家族からの連絡か会員登録サービスのメールマガジンの通知だろうと思っていた。


「……嘘だろ」


 予想が外れる。それは本来であれば、来るはずのない相手からのものだった。

 新着のあったメッセージアプリを開く。連絡先の一覧には家族と早川の名前が並ぶのみである。高校の同級生やそれ以前の知り合いは登録されていない。

 それとは別で、トーク一覧に最近知った人物の名前が表示される。

 智史は恐る恐るメッセージの全文に目を通した。

 最寄り駅の傍にあるカフェについての位置情報と、その下に文章が続く。


笹原『ここに来て

   このことは綾乃も知ってるから

   どうするかは君の自由よ』


 智史は一つの事実を思い出す。昼休みにカウンセリングルームから一旦抜け出した早川と岸谷が戻ってくる前に、笹原は確かに放課後のことについて言及していたのだ。けれど岸谷の相談と午後の授業を挟んだことで、それをすっかり忘れてしまっていた。

 おおよその事態を呑み込んで、智史は検討する。

 無視することは簡単だが、笹原は卑怯にも早川の名前を出している。最後の一文が自由意思を尊重しているように見えていても、実質は強制招集なのだ。応じずに後日このことを指摘された場合、今度は同席しなさいと念を押される可能性もある。それさえも拒んでしまったならどうなるか。

 智史は想像する。笹原であれば迷わずそこを突いてくるだろう。器の小さい男だなんだとなじられる光景が脳裏を掠めていく。

 授業を終えた学生にとっては待ち望んでいた放課後の時間。それを憂鬱に感じるのは初めてのことだった。


 メッセージに添付された位置情報から地図アプリを起動。画面に表示されたマーカーを目指して智史は歩き出す。

 制服の高校生の姿が散見できる大通りから横道に逸れて、しばらく進んだ先にその店は建っていた。智史が外から観察した限りでは、雰囲気の良さそうなカフェだなという印象だった。同時に敷居が高そうにも見える。待ち合わせに指定されなければ、この場所を知ることもなかっただろう。

 智史は人の目が自分に向いていないことを確認すると、できる範囲で店内を覗いた。

 笹原の姿は確認できなかった。

 心の中の天秤が傾く。より自分に適した難易度へ。取り得る選択肢を二つ比べて、高くはないハードルのコースに逃れようとする。


「……何そこで突っ立っているの?」


 免れようとした先には笹原の姿があった。

 突然の呼びかけに焦りながら智史は弁明を開始する。


「いや危機回避能力は重要だと思うわけ。下手なことをして火傷なんてしたくないし、注文する時にサイズとかスムーズに伝えられなかったら嫌じゃん。つまりそういうことだよ」

「それで、どうすることになったのかしら?」

「…………」

「…………」


 智史が黙って帰ろうとすると、進行方向を遮るように笹原が立ちはだかる。

 もう一度横を通り抜けようとしたが、止められてしまう。

 あと一回だけフェイントを入れつつ突破を試みるも、骨折り損に終わった。


「諦めなさい。躊躇する気持ちも少しは分かるけど、時間を無駄にしたくないでしょ?」

「はいはい。仰せの通りに致しますよ……」

「よろしい」


 笹原に導かれるままに、智史は渋々とカフェの店内に足を踏み入れた。




 二人は案内された席に着いて、注文する品を選んでいた。

 メニューに載っている見慣れないカタカナを、智史は難しそうに眺めている。


「正直、来てくれるとは思ってなかったんだ」


 向かい側に座る笹原が、いかにも意外そうに呟いた。


「どの口がそれを言うんだか……」

「でも、目の前ってところで逃げようとしたわよね。私の到着が遅くならなくて良かったわ」

「もう少し余裕を持って来てくれたほうが助かったんだけどな」

「嫌よ。ああいうやからと一緒にいるくらいなら、私は――」


 続く言葉を笹原は呑み込んだ。認めることが癪に障るような、不機嫌な態度を晒す。

 一方、智史はたった今口から出た単語のほうに着目した。


「なんだ? ああいう輩ってのは」

「今週末からゴールデンウィークが始まるでしょ。だからその休みを使って仲を深めたいって考えてる男連中がちらほらいるってわけ」

「いいじゃんか、モテモテでさ」

「……私が、本当に喜んでいるように見える?」


 笹原の不服そうな様相を正しく判断すれば、答えは明らかである。


「悪い悪い。嫌がられると思ったんで、つい口が滑った」

「へえ、わざわざそんな気を遣ってくれたんだ。ならついでに、ここのお会計も君が全部負担してみたらどう?」

「なるほど、俺に貸しを作るわけだ」

「自分の分くらい自分で払えるわ。見くびらないでちょうだい。君に頼るなんて惨めな真似するくらいなら、意地でもアルバイトして代金稼ぐから」

「よく舌が回るな。言ってることが百八十度変わったぞ」

「そんなことより何注文するか決まった?」


 二転三転していく話題に溜め息を吐きながら、智史は正直に答えた。


「ああ、無難にアイスカフェラテだな」

「つまらないのね。こんなに種類があるのに」

「いいんだよこれで。下手な冒険して苦い思いはしたくないし」


 見栄を張るつもりのない智史は素直な意見を述べる。

 その発言を受けて、笹原がなぜか黙り込んだ。


「どうかしたか?」

「……っ、なんでもない。我慢して苦いの全部飲み干すなんて馬鹿らしくなるだけよね」


 何かを誤魔化すようにして店員を呼ぶと、笹原はそそくさと自分が望むメニューを伝えてしまった。

 続けて智史も注文を済ませる。


「結局、お前もカフェラテを頼むんだな」

「君の前で背伸びしたって仕方ないでしょ」


 そっぽを向きながら笹原は言い返した。

 然程の時間もかからず二人分のアイスカフェラテが運ばれてくる。

 二人は迷わずガムシロップに手を伸ばすと、それを加えてストローで混ぜ合わせた。

 口を付けた智史が感想を言う。


「ちゃんとしたとこで飲むとやっぱりうまいな」

「そうでしょう」

「この店は自分で見つけたのか? やるなあ。俺なんてコンビニで漫画雑誌とそのついでに買うくらいだよ」


 智史にしては珍しい素直な賞賛を、笹原は躊躇いながらも否定した。


「……綾乃に教えてもらっただけよ」

「なんだ、そうだったのか。カウンセリングルームはコーヒーとか常備してるし、早川先生もその辺詳しいんだろうな」


 自分の発言への反応を見て、笹原は雑念を払うように首を振った。本人が気にしていても、他人にとっては些細なことである場合は多い。

 余計な言及をすることもなく、話題は次へ。


「俺の連絡先も、早川先生から聞いたわけだ?」


 智史の番号やアドレスを知る者は限られている。学校に関わる人間の中で、それを伝えているのは早川だけだった。


「快く教えてくれたわよ」

「ああそう……。なら現地集合だった理由は? 事前に合流してからだったら、俺だって逃げようとはしなかったかもしれないぞ。多分、あるいは、おそらく」

「……それも考えたんだけど、除外したわ。私が君と一緒に歩いてるのを学校の誰かに知られてしまったら、きっと周りは騒ぎ立てるから」

「さすがに自意識過剰だろ」


 当事者でない智史には余計な心配にしか見えなかった。

 笹原は首を振る。


「残念だけど経験があるのよ。中学の時、同じ委員会になった男子と一緒に下校することがあったんだけどね、それが数回続いただけで、その男子は他の男子から敵意を向けられるようになってしまったの」

「そんなことで……いや、まったくないってこともない話なんだろうな、そういうのは」


 不用意に否定することを智史は控えた。

 他人を攻撃するきっかけは、目を凝らしさえすればどこにでも転がっているものだ。


「安直な考えよね。……ただまあ、一緒に下校した男子は私のことが好きだったみたいなの。大方、委員会が同じなのをチャンスだと思ったんでしょうね。そこから徐々に距離を詰めようとした。だからこそ墓穴を掘ってしまったんでしょうけど」

「はあん。大変だな、お前も周囲の人間もさ」

「あら、随分と簡単に言ってくれるじゃない?」


 智史の態度が気に入らなかったのか、笹原の物言いに棘が見え隠れする。


「そりゃ他人事だからな。それともあれか、空っぽの同情でもするべきだったか?」

「……面白い冗談を言うのね」

「睨むなよ。もののたとえだろ」


 あからさまに笹原の表情は歪んでいた。

 二人は知っている。互いのことを簡単に理解できるわけもないのだと。

 一定のラインが常に保たれている。


「一応言っておくけど、同情なんて最初から求めてないわ。そもそも私は、その男子から毎回一緒に帰ろうって誘われるのにも正直うんざりしてたの。だからその件に関して私はなんとも思ってない。むしろ取り巻きを一人削ってもらえて感謝したくらいよ」


 つっけんどんな口調で笹原はまくし立てた。

 端から聞いているだけだった智史は、追加された情報に辟易とする。


「どれが原因で何が悪いのか、一気に判断できなくなったぞ」

「ありがたく思いなさい。わざわざ学生の出入りが少ないお店を選んであげたんだから。もしも人目の多いところだったら、いつの間にか噂になって、あることないこと言われて、大勢の男子から目の敵にされてたかもしれないわね」

「世知辛い話だな、まったく。……寛大な措置をどうもありがとよ」


 強がるように形式上は礼を返した智史だったが、笹原の配慮はありがたいものだった。

 衆目に晒され、敵意を浴びせられ、居場所を失う――そのような事態だけは避けなければならない。

 智史が多少なりの恩義を感じていると、笹原は駄目押しの言葉を付け足した。


「綾乃が君を気に入ってるんだもの。くだらないことをして余計な気を回させるわけにはいかないでしょ? 感謝されて当然よ」

「……ああ、安心しろ。その感謝の気持ちってヤツをたった今失ったところだ」


 今の智史と笹原の関係性では、素直な結果にはならない。

 互いに一線を越えず、一方に偏りもせず。

 二人は相変わらずの平行線を維持している。

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