April : Day 09 - Part 2

Episode 019 「生意気な奴」

 翌日の昼休み、先にカウンセリングルームへと顔を出したのは智史だった。

 それとなく早川は様子を窺う。


「いらっしゃい。調子はどうかしら? 和島くん」

「普通ですよ。特別何があったわけでもないですから」


 淡々と語る智史は、一見して大丈夫であるように見える。

 平常に見えるからこそ、早川はなるべく当たり障りのない対応をしていく。特別なことはなかったと言う男子生徒のために。

 数分の他愛ない雑談を経て、今度は笹原がドアを開けた。


「どうも。今日も今日とて相変わらずのようで」

「お前こそ、憎らしいほどに普段通りだな」

「お互い様みたいね」

「とっとと座れよ。こっちは待たされてるんだから」

「あら、それはごめんなさい」


 同じといえば同じような、いつもの応酬が交わされる。

 智史も早川もテーブルに弁当を出しているだけで、食べ始めてはいなかった。

 いつからか、三人が揃うまでなるべく食事を待つようになっていた。五分程度ではあるが、早川は遅れている相手が到着するまで弁当の蓋も開けようとしない。それでいて、先に食べても構わないと言うのだ。すでにその場にいる一方も、我先に昼食を食べ進めるのは気が引けたのである。結果的にそれは日常の中の習慣に変わろうとしている。


 簡単に足並みが揃うことはないが、かといって連帯感が一切欠けているわけでもなかった。

 顔を合わせるようになり、一緒にいることも増えた――けれど、たったそれだけの相手。

 その関係性を表す言葉を、二人はまだ知らない。




「あれからどう? 槙野さんとはうまく付き合えてるの?」

「まあ、そこそこかな。教室を一緒に移動したり、体育の時にペアになったり。できることから少しずつだけど」

「良かったわ。順調みたいで」

「それにしても随分と慎重だな。友達作りになると、さすがに他人の反応は気にするわけだ」

「私だって誰に対しても喧嘩腰でいるわけじゃないわよ。それに、距離感を間違えて彼女に迷惑をかけることだけは避けたいから」

「なんだよ、距離感を間違えるって」

「……説明しなきゃいけない?」

「別に……。興味本位で聞いてみただけだ。気にするな」

「そう言う和島くんは? 世間話でもできるようなクラスメイトは見つかりそう?」

「授業で分からなかった部分を先生に質問するのは、世間話に入るんですかね」

「入らないと思うなあ。あと、クラスメイトじゃなくて先生って……」

「意外ね。君のことだから教室ではまったく口を開かないんだと思ってたのに」

「事務的なやり取りくらいはするさ。隣の席の奴と言葉を交わすこと自体は俺にだってある。誰とも口を利かないでいると、それはそれで逆に目立つからな。必要経費みたいなもんだよ」

「人のことを言っておいて、結局は君も周囲の反応を気にしてるわけよね」

「まあな。そのお陰で、今のところは注目を浴びずに済んでるよ。誰かさんと違って、中身も外見も平凡な男子高校生だからさ。誰かさんと違って」

「没個性の間違いでしょ」

「……見た目ばっかりで可愛げのない女が何言ってんだか」

「へえ、それはそれは……。素敵なお世辞をありがとう」

「わたしはお世辞抜きで二人のこと可愛いと思ってるわよ?」

「先生には聞いてません」

「綾乃には聞いてない」

「どうしてそういうところだけはピッタリなのかしら、あなたたちは……」




 言ってしまえば、平凡な昼食の時間だった。

 基本は早川が話題を振り、智史と笹原が受け答え、些細な小競り合いを繰り返す。

 以前と変わらない日常の焼き回しのようである。そう思えてしまう程度には各々が小さな違和感を覚えていた。普通を意識するあまり自然体を演じてしまっているのだ。それに加えて、譲れないものは譲れないままでいる。


 まだどこか、ぎこちなさが消えない。

 蟠りを解消できないまま、平静を装うとしていた。

 しかし、それは狭い空間の中での話。

 カウンセリングルームの現状に関係なく、相談者はやってくる。


「……あの、失礼します。早川さん、今お時間よろしいでしょうか?」


 ドアの隙間から顔を覗かせたのは生徒ではなかった。そこにいるのはスーツを来た大人の女性、つまりは学校の教職員である。


「岸谷先生じゃないですか。どうしました? 生徒と何かトラブルでも?」


 事情を問う早川に対して、岸谷と呼ばれた女性教師はなぜか室内へ入ろうとしなかった。困り顔の岸谷の視線は、ソファに座る先客二人に向けられている。


「すいませんが、生徒がいる場で話すようなことではないので……できれば別の場所で話せると助かるんですが」

「そういうことですか。でしたら場所を変えるしかなさそうですね。じゃあ、ええと……」


 早川は迅速に対応しようとするのだが、ここには懸念材料がある。智史と笹原を二人だけにしてもいいのか、判断に迷っていた。


「不安に思うようなことなんてないですよ、先生。そもそも気が合わないのは今に始まったことじゃない。それは先生だって知ってるはずですよね」

「大丈夫よ綾乃。今さら悪化しようがないもの」


 智史は早川の様子から当たりをつける。笹原も言い聞かせるように言葉を繋げた。


「それに、約束は守るから」

「……分かったわ。二人とも、少し待っててね」


 やり取りの中にあった約束という言葉。内容を知らない智史はその点が気にかかるも、余計な物言いを挟まなかった。

 駄目押しのセリフに納得した早川が腰を上げる。ドア口で成り行きを窺っていた岸谷と一緒に、別の場所へと歩いていく。


 部屋に残された二人は、初め口を開かなかった。

 スマートフォンを片手に智史は無言を貫こうとしていた。

 だが、もう一人は違う。


「もし文句があるのなら、聞いてあげるけど?」


 沈黙の中にあって、笹原の声はよく通っていた。

 当然耳に届かないはずもなく、少しの間をおいてから智史は答える。


「ねえよ、別に」


 返された言葉は短く素っ気ない。

 先程までいた早川から見て、智史は正面に、笹原は隣に座っていた。テーブルを挟んで二人は対角線上に位置している。会話のために場所を移ることもなく、正対することはない。

 智史と笹原は斜めから互いの姿を捉えていた。


「遠慮しなくてもいいのよ?」

「遠慮なんかしてたら、今日ここに来てないだろ」

「それもそうね」

「もしかして、遠慮してるのはお前のほうなんじゃないのか?」

「……そんなふうに見えたかしら。気のせいでしょ」


 憶測への反論を交えながら、けれど笹原は視線を逸らした。

 智史は勝手な憶測に従って語り始める。


「俺は気にしてないんだよ、本当に。そもそもお前は間違ってなかった。そんなことないって本気で否定できるようなことじゃなかった。そうだろ?」


 一瞥を返しただけで、笹原は何も言わない。


「お前が余計な気を回さなくたって俺は平気なんだ。昨日のあれがなんだって言うんだ。あの程度のことで、どうして逃げなきゃいけないんだ」


 感情を荒らげてしまった昨日の出来事を、当の本人が『あの程度のこと』であると言い張っている。智史にとっての尺度では、まだ上があるとでも言うように。


「俺はお前が思っているほど弱い人間じゃない。……そうでないと、示しがつかないんだ」


 己を鼓舞するように強く断言する。

 数ヶ月前の智史であれば、こうはならなかっただろう。

 ここまで持ち直したのは良いカウンセラーと巡り会えたからである。

 カウンセリングルームを除いて、学校の中に居場所らしい居場所はなかった。

 たった一人、傍にいて、理解しようと努めてくれた人がいる。

 智史の幸運はその一点に尽きている。


「君は思ってたよりも、しっかりしてるのね。物分かりがいいというか、達観してるというか」

「お前はお前で、中々のもんだと思うぞ」


 間髪入れずに文句が飛んだ。

 まるで調子を取り戻すように、笹原は小さな笑みを浮かべる。


「そう……そうね。君がそこまで言うんだったら、私も余計な気なんて回さない」


 控えめだった眼差しが力を取り戻す。


「君は今の君のままでいいと思う。そうじゃないと張り合いがなくてつまらないもの」


 それを聞いた智史は納得がいかない様子だった。


「同じ空間にいるからって、わざわざ俺を相手にする必要はないんだぞ? 早川先生だっているし、この間ここに来たクラスメイトの女子とも関係は良好なんだろ。構うならそっちを選べばいいじゃないか」

「そうしたとしても昼休みになれば結局は顔を合わせるし、話すことにもなるでしょ?」

「……下心に溢れてる短絡的な男子とは、関わりたくないんじゃなかったのかよ?」


 昨日の発言を引き継いで、智史は自虐的に尋ねる。

 しかし、今日の笹原は昨日までと少し異なっていた。


「確かに私は、欲が透けて見えるような男子が嫌い。だけど、君はちゃんと自分を律してるみたいだから。その点は、まあ、悪くない部分なのかなって。そう思えたから」

「お前……」

「ただ、以前よりはマシに見えるようになったってだけで、君なんかのことを好きになれるわけもないんだけどね」


 変化した側面がある。とはいえ、笹原の根本的な人間性は変わらないままだった。

 相対している智史の返しも変わることはない。


「あっそ。……俺には最初から、お前なんて生意気な女にしか見えてねえよ」

「ふふっ。そうね。そうなんでしょうね」

「何笑ってんだ」

「ごめんなさい。低レベルな言い争いは今までに何度もあったけど、真っ当な口喧嘩をするのって、多分君が初めてだから。そうだったんだなって思ったら、なんかおかしくて」

「こっちは好き好んでお前と口喧嘩してるわけじゃないんだけどな」

「私だけが悪いって言うの? 馬鹿は休み休み言いなさい。聞いてるこっちが疲れるから」

「本当に口が減らない奴だよ、お前は」

「お互い様でしょう。何を今さら」


 誤魔化しのない自然な笑顔を見せながら、笹原はのたまうのだ。


「君だって言ったじゃない。私、生意気な女なの」


 そして、疑念の晴れた、澄んだ瞳が智史を捉える。


「だからついでに、減らない口から言わせてもらうけど……放課後はどうせ暇してるんでしょう? 少しの間だけ、私に付き合いなさい」

「――は?」

「戻ったよー。二人とも、お利口にしてるかしら?」


 ドアが開いたのは丁度その時である。

 戸惑う智史の素っ頓狂な声は、帰ってきた早川の入室によって上書きされてしまった。

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