April : Day 08 - Part 1

Episode 015 「恋心にこそ誠実な」

 基本的に智史の行動範囲は狭い。移動を最小限に留め、会話も殆どが事務的なもの。自然と関わる人間の数は限られてくる。同学年との交流がそうであれば、一年生や三年生に対しても同じことが言えた。

 生徒会や行事に携わる実行委員会、ひいては部活動にも参加していない。積極的に人と関わろうという気持ちがない以上、言葉数が少なくなるのは道理である。智史の学校生活の中で、唯一会話が長続きするのは昼休みだけだった。


 学校とは勉学に励むための場所。そう言い切ってしまえばそれまでの話なのだ。

 授業にさえ出席していれば表面化する問題は存在しない。

 誰が誰と関係していても。誰が誰にも干渉しなくても。

 同学年であれ他学年であれ、接点がなければ接しようがないのである。




「先輩は押しの強い後輩の女の子ってどう思います?」


 新一年生の女子生徒が距離を詰めつつ上目遣いをした。隣に座っている智史は逃げるように目を逸らす。


「どうって……べ、別に普通だし。てかそのあざとい眼差しを向けるんじゃない」

「そう言いつつも満更じゃなさそうですね」


 したり顔の後輩女子は余裕に溢れていた。


「いやいや違うって。今のはずるいだろ。近づき方が露骨っていうか強引なんだよ。ドキッとなんかしてない驚いただけだ。……そしてお前は睨むのをやめろ」


 チクチクと刺さる視線を辿れば、その先には笹原の姿がある。テーブルを挟んだ向かいに座りながら退屈そうにしている。


「なんの話? 私がいつ睨んだって言うの? 被害妄想じゃないかしら」

「不快感に塗れた軽蔑の目をしてたと思うんだが」

「きっと気のせいよ」

「ああ、そう」

「……戸惑うことがあっても、効果的だったのは間違いないですよね。実践に活かさないと」


 智史と笹原の小競り合いを余所に、発端である後輩は冷静な分析をしていた。

 雑然とする空間の中、唯一の大人である早川は和やかに微笑を浮かべる。


「学生はこれくらい賑やかなほうがいいわよね。見てて飽きないし」

「何呑気なこと言ってるんですか先生。これじゃ収拾つかないですよ」

「それもそうね」


 居住まいを正しながら、早川はこの場に対する姿勢を改めた。




 昼休み中、カウンセリングルームに来客があった。

 新一年生である彼女は現在恋をしているのだと言う。つまり、持ちかけられた議題は恋愛相談の類だった。

 早川が本題に触れる。


「それで確か、相手は部活の先輩だったわね」

「そうなんですよ。中学時代からバスケ部に入ってて、高校からはマネージャーとして活動に貢献できたらと思ってたんですけど、凄い好みなタイプの先輩がいまして。これはもう行くしかないのです」


 他人の恋愛話に身が入らない智史は、適当な相槌を打つ。


「はあ、そうなのか」

「そうです行くしかなのです!」

「お、おう……」


 後輩の勢いに、先輩であるはずの智史は終始圧倒されていた。

 方向性は恋愛関連に絞られているが、彼女の気持ちには確かな力がある。その意欲は持たない者が見れば眩しく映ることだろう。


「入学してすぐに歳上を狙うとか、チャレンジャーだな」

「恋する乙女なので。てへっ」

「……どこまでが本気なのか分からなくなりそうだ」


 いくらかの感心を覚える智史だったが、後輩女子の本質を掴むには至らない。


「それでですね、もう少ししたら四月も終わりじゃないですか。つまりゴールデンウィークがすぐそこまで来てるんです。だから――」


 一呼吸を置いて、少女は続く言葉を言い切った。


「これを機会に、攻めてみようかなと思ってまして」


 茶目っ気のある言動が一変する。そこにあるのは真剣な瞳だった。

 入学してから一ヶ月と経たないうちに、新一年生が上級生を相手にアプローチを試みようとしている。年齢の差こそあれど、彼女に躊躇う様子は見られない。

 軽快な態度の奥には、意中の相手への真っ直ぐな想いが隠れているのだ。

 それを感じ取ったのか、笹原も真面目な応対に移る。


「なるほどね……。で、具体的には何をするつもりかしら。デートに誘ってみるとか?」

「あ、いえ、その約束はもうしました。あとは対策を万全にするだけです」

「へえ、そうなの。手早いのね」


 淡々と進んでいく展開に、智史は驚きを禁じ得なかった。


「早い早いよ。恋愛に積極的な奴ってみんなこうなの? 首尾が良すぎるんですけど」

「何を狼狽えてるんですか先輩。恋する乙女って、つまり行動する女の子のことですよ?」

「な、なんとなく筋が通っているような気がする……」


 歳頃の女の子は大人への階段を駆け足で登っているようだ。


「そこまで段取りが整っているなら、どうしてここへ? 問題はなさそうだけど」


 早川の疑問に、後輩がはきはきと答える。


「それはそうなんですけど……順調な時ほど怖いと言いますか、見落としがあるんじゃないかなって。歳上の男性を相手にする場合の注意事項なんかがあれば知りたいなと。そう思ってここに来ました」

「助言が必要か判断に迷うくらい、しっかりした子ね。あなたは」

「それほどでもありますですっ」


 自分のキャラクターというものをきっちりと把握しているのか、自信に満ちた姿に違和感はなかった。明るく思い切りのある言動がプラスに働いているのかもしれない。


「んー、そうねえ……。強いて言うなら、軽い女だと思われないように注意することかな。あなたは随分と落ち着いているし、勢いに任せるタイプでもないみたいだから。事前の下準備も怠っていないんじゃない?」

「一応は、考えてあります」

「やっぱり。それでね、相手のために尽くすのは構わないんだけど、度が過ぎると甘く見られちゃう時もあるから気をつけて。都合がいいだけの女にはなっちゃ駄目よ」

「そっか、気が利きすぎるのも考えものか……。ふむふむ、駆け引きってヤツですね。用心します!」


 適切なアドバイスが施され、それは真摯に受け止められる。

 そこにあるのは正しくカウンセラーの姿だった。親しみやすい振る舞いに、気遣いの溢れた言葉。早川は何より、子供に寄り添うことのできる大人だと言える。

 そして新一年生の女の子は、立派に恋をしている一人の女性でもあった。浮ついた軽い気持ちではなく、本気で相手のことを好いているのだろう。一年先に生まれた智史より、余程大人びているのかもしれない。


 他人と積極的に関わることのできない男子高校生からすれば。

 二人が立つ場所は遠く、誰かを想うには未熟だった。


 あるいは、そのすぐ傍のこと。


 恋愛について正面から真剣に向き合っている人間を前にして。

 笹原もまた、眩しそうに目を細めていた。

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