April : Day 07
Episode 013 「それぞれのペース」
智史と早川が並んで座っている。
テーブルを挟んだ正面には笹原と、その隣に一人の女子生徒がいた。
「ですからわたし、笹原さんとお友達になりたいんです!」
「私はもう少し段階を踏むべきだって言ってるの。
「でも友達って距離が縮まらないとなれませんよ?」
「だから、そのための時間と順序が必要で」
「一緒にお昼ご飯を食べるとか、放課後に最寄り駅までお話しながら帰るとか、それくらいのことでいいんです。それも駄目ですか?」
「ええと、だからね……」
槙野と呼ばれた女子は笹原のクラスメイトであるらしい。そして彼女は笹原と友達になろうとしているようだった。
二人の距離感は押しては引いてを繰り返している。
今日の昼休みは初めに智史と早川だけが揃っていた。笹原の到着は遅れていたのである。よく口喧嘩に発展する相手がいないとなれば、穏やかな気分にもなるだろう。
そこへ笹原が槙野を連れてやってきた――ではなく、槙野が笹原を追ってきたと表現するほうが適当かもしれない。到着が遅れた理由も、彼女が関係していると予想できる。
噛み合わない女子二人の会話は空回りし続けていた。
積極的に話題を取り出しては広げようとする槙野を横目に、笹原は助けを求める。
「ねえ綾乃、なんとか言ってあげてくれないかしら」
「早川さんはどう思いますか? わたしじゃ、笹原さんと友達にはなれないんでしょうか」
槙野も同時に早川へと問いかける。
口を出す内容でもないと判断した智史はスマートフォンを取り出した。
「そうね……」
一考して、早川は槙野の価値観へと正対する。
「由美奈は何も積極的な否定をしているわけじゃないのよ。ただ自分のペースを乱して欲しくないだけなの」
「そうなんですか?」
「まあ、それは確かだけど」
決まりが悪そうに笹原は返す。
パーソナルスペースと呼ばれるものがある。他人の接近をここまでなら許せる、という心理的な縄張りを指していて、警戒心が強い人間ほどその範囲は大きくなりやすい。相手との関係にも左右されるが、主に自身の言動が不用意に阻害されることを嫌うのである。
「育った環境や感覚の違いでしょうね。二人の会話を聴いてたけど、そもそも二人がイメージする友達っていうものがズレてるように見えた。だからうまくいかないんだと思う」
「友達ってそんなに大きく捉え方が変わるものですか?」
「一般的にそこまで違いはないでしょうけど、だからって同じだと断言できることでもないとわたしは考えてる。どんなことにも個人差があって、すべてが噛み合うとは限らないから」
早川が智史と笹原を盗み見た。
一筋縄ではいかないという客観的な意見に、槙野は
「つまり、笹原さんと仲良くなるにはわたしの理解が足りてないってこと? でもそれを知るにはもっと距離を近づける必要があるような。だけど現状それは難しくて……。うーん、なんか複雑になってきたなあ。友達になるってもう少し単純なことだと思ってたのに」
交友関係を良好に築けていた人間にとっては、考える前に飛び越えてしまうような話なのだろう。年少期の子供が自分の足で立てなかった時の感覚を忘れてしまうように。
あくまで相手のペースに合わせながら、早川はゆっくり物事を分解していく。
「それこそ相手や環境によるんだけどね。初めは意気投合しても、くだらない喧嘩をして仲違いする場合がある。逆に最初は意見が合わなくても、小さなきっかけで距離が縮まる場合もある。そればっかりは試してみないと分からないことなの」
早川が再び二人を盗み見る。
それに気づいた智史は怪訝そうな表情になり、笹原は眉をひそめた。
「要するに、笹原さんと友達になるのは諦めたほうがいいってわけですよね……。今はお互いのことをしっかり話せるような状態じゃない」
結論を急いだせいか、槙野の先読みは悲観的であった。
「んー。なら例えばなんだけど、ここにいる男の子と友達になれって言われたら、あなたはすぐに仲良くなれる?」
白羽の矢が立った智史は思わず顔を上げる。槙野も同じように問題の男子を見る。合った視線の一つが俯いて、バツが悪そうに答えた。
「すぐにはちょっと……。難しいと思います」
「私は無理ね。そんな気にはなれないわ」
問われていない笹原が苦言を呈する。
「そうですよ先生。どうして分かりきったことを聞くんですか」
「ここは普通ショックを受けるところよ、和島くん」
早川は咳払いとともに本題へ戻る。
「まあ今の反応とまったく同じとは言えないだろうけど、感覚はそれに近いと思うの。友達になるより前の段階の、心構えの話ね。否定的になってしまうのは性別の違いもあるでしょうけど、何より彼のことをあまり知らないからだよね?」
「……そう、ですね。そうなります」
「それは悪いことじゃない。誰だって知らない相手には壁を作る。だけど仮によ。あなたと彼がクラスメイトだったとして、同じ教室で過ごしていたら? 色んな一面を知って友達になっているかもしれない。そうはならなくても、最初に比べたら印象が大きく変わっているかもしれない。そうでしょう?」
「確かに、そういうパターンもあった気がします」
近い実感があるのか、槙野ははっきりと頷いた。
「むしろ大っ嫌いになってる時もあったりするわよ?」
「あーそれな。あるある」
笹原が余計なことを付け足し、智史も蛇足を添える。
好ましくない意見の一致に苦笑いしながら、早川はまとめた。
「可能性については色んなことが言えるわ。でもそうなるのは大抵、お互いのことを知らないからなの。理解を深めるには時間が必要になる。今のあなたたちも、まだその段階にあるんじゃないかしら」
「わたしはスタートラインにすら立ててなかったんですね……」
具体的に現状が浮き彫りになり、彼女の肩が落ちる。
人一倍優しい人間の声がした。
「ペースは人それぞれ違う。だから、本当に友達になりたいなら、少し気長に待っていて欲しい。それがわたしからの、由美奈を見てきた友達としてのお願い……かな」
はにかむ大人の女性を前に、彼女は呆然として瞬きを繰り返した。
甲斐甲斐しく生徒の面倒を見るカウンセラー。その姿に智史は思う。世話の好きな人であると。そうして支えられ、助けられた生徒が何人いるのだろうと。
「……相変わらず、お節介なんだから」
笹原が思い入るように呟いた。
「そっか。焦りすぎたんだ」
自身の気持ちに正直であった槙野は、だからこそ欠けていたものに気づく。
二人の少女は、そこで初めて真正面から向かい合った。
「笹原さん。わたしね……一人のクラスメイトとして、少しずつ笹原さんのことを知っていきたい。そのことを、許してくれますか?」
慎重に探るように、純粋な好意が紡がれる。
相手が悪い人間でないことくらいは笹原も分かっていたのだろう。
「それぐらいなら、まあ、認めてあげる」
「……っ! ありがとう笹原さん!」
肯定の言葉を耳にして彼女の体が動く。握手を求め、両手を差し出そうとした。
それが不格好な形で止まる。
「ごめんなさい。つい癖で。こういうところがいけないんですよね、きっと」
叱られた子供のように呟いて、手を引っ込めようとする。
それを。
「今はまだ難しいけど。私も、少しは頑張るから」
笹原の手の平が捕まえた。
控えめではあったが、槙野の手にも確かな感触が伝わる。
少しずつ相手を知っていくこと、その小さな心がけが二人にとっての前進になる。
嬉しそうに笑う女の子と、恥ずかしそうに微笑む女の子がいた。
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