April : Day 04

Episode 010 「印象との違い」

 疑問があった。

 授業が行われていない昼休みの間、智史は教室を離れることにしていた。カウンセリングルームの居心地が良いという理由もあるが、必要以上の他人との関わりを避けているのである。人間同士の問題は相手がいなければ発生しようがない。

 自身の行動原理は自分が一番理解している。

 ならば、智史の目の前にいる彼女についてはどうなのか。


 初めて出会った日から数日が経つ。カウンセリングルームには三人の顔触れがあった。早川がいて、智史がいて、笹原がいる。接し方が改善されることはなく、噛み合っているようでそうでもない会話を何度か繰り返している。

 新学期が始まり、多くの生徒は新しいクラスで新たな人間関係を築こうとしていた。大多数の人間は孤立しないように振る舞い、教室での立ち位置を意識する。智史の場合は単独行動を受け入れているので問題は少ないのだが。


 対して笹原は早川と他愛ない会話を楽しんでいた。その居住まいに違和感はなく、自分のクラスについて気にしている様子は見られない。その気になればクラスの中心になることも難しくないはずなのに。

 それでも、この場所を選んでいる。

 できることがあるにも関わらず、しようとはしない。その心境とは果たしてどのようなものなのか。意味もなくぼんやりと、他人の行動原理について智史は考えていた。


 すでに三人は食事を終えている。主に笹原と早川が雑談に花を咲かせ、時折振られた話題について智史が意見を添える。それ以外の時は手持ち無沙汰なのでスマートフォンをいじっていた。頻繁に会話に混ざらずとも、反応さえ返していれば咎められることはなかった。

 誰もが積極的に強く関わろうとまではしていない。気に入らないからと駄々をこね、相手がこの場にいることに大きく反発するわけでもない。

 智史は思う。それは不思議な気分だった。

 退屈ではあるが、窮屈ではなかった。




「失礼しまーす」


 不意に、ドアをノックする音と間延びした声が聞こえた。

 部屋へ入ってきたのは三人の女子生徒だった。


「早川さん久しぶりー。今年度もお話に来たよー」

「まあ、ようこそ。空いてるところ座って」


 気軽な振る舞いの彼女たちにも、早川は笑顔で対応する。

 カウンセリングルームはそもそも生徒たちのために解放されている空間である。訪ねる自由は誰にでもあるのだ。そんな当たり前の事実を智史は失念していた。

 特定個人のためだけにこの部屋があるわけではない。


「お邪魔しま――あれ?」


 ソファを確認した三人は、すでに座っている一人の人物に注目していた。


「笹原さん、だよね?」

「そうだけど」


 肯定の言葉を聞いて、目の色が変わる。


「マジで? ラッキー。あんたの話聞いてくれるかもよ」

「んー、あたしはいいってえ」

「折角なんだから相談してみなって。意見が多いに越したことないっしょ」

「だよね。笹原さん恋愛経験豊富そうだし」

「……なら話してみよっかなあ」

「そうしなってマジで」


 三人は仲間内で話を進めていく。


「私は別に、そんなことないんだけどな」


 引っかかる部分があったのか、笹原はひっそりと溜め息を吐いた。

 その間にも三人組は言葉を交わしていた。けれど。


「あー、ええと……もしかして出直したほうがいいですか?」


 女子生徒三人の視線が先客である一人の男子生徒に集中する。

 無言の圧が彼女たちの主張を示している。智史はそれを素早く感じ取った。他人との関わりは著しく少ないが、だからといって空気が読めないわけではない。加えて、こういった展開には身に覚えがあった。

 日常的に単独でいるからこそ、周囲の人間が同調していく様を客観的に把握することができる。一方の連帯感が強まるほどに、もう一方が受ける疎外感は確実なものへと変わっていく。

 そこから逃れる術は一つ、距離を置くことだ。

 智史は鞄から財布を取り出すと、黙ってソファから立ち上がる。


「あ、和島くん……」


 状況を察していて、それでも早川はかける言葉を悩んでいた。


「無理されても、こっちが迷惑なだけよ」


 助け船のつもりではないのだろうが、笹原は愛想もなく意見を述べる。智史に否定するつもりはなかった。建前を口にして、この場から離れようとする。


「飲み物を買いに行くだけですから」


 そこへ、一人の女子から心ない謝罪が届いた。


「ごめんねー、追い出すみたいな流れになっちゃって」

「別に。ガールズトークに水を差しちゃ悪いだろ」

「それなー」


 以降、智史は閉口した。会話を試みることに意味はなかった。

 女子三人はさっさとソファに腰掛け、思い思いの話を始めている。


「聞いてくださいよー。新しいクラスの男子がレベル高くてー」

「マジ羨ましい。こっちなんて大したのいなくてさあ」

「笹原さんはどうなんですか? 告白されたって噂結構聞くけど――」


 三人の話す声は大きかったが、部屋を後にする人間にとっては興味のない事柄だった。

 半ば解放されたような気持ちになりながら、廊下に出た智史はドアを閉める。

 その一瞬。

 ぎこちない笑みを作る笹原の姿が、視界に入った。




 三人組がカウンセリングルームを出るまで、智史は廊下の片隅で様子を窺っていた。五時間目が体育だったらしい彼女たちは、弾かれたようにドアを開け、飛び出していく。

 交代するように部屋へと入ると、申し訳なさそうな声が迎えた。


「ごめんなさいね。あの流れじゃ仕方なくて……」

「別に。大して気にしてませんよ」

「だといいんだけど」


 早川は硬かった表情を和らげる。

 それに次いで、笹原にも思うことがあるようだった。


「変なところで気が利くのね」

「いや、あの手の女子が多い空間にいるのはちょっと難しいだろ」

「それにあの三人が出ていくまで待ってるとか、地味な損するし。運がないんじゃない?」

「あの場に残ってたほうがよっぽど損すると思うんだが」


 何かしら返ってくる言葉があると智史は予想していた。反して笹原は、心から辟易したと言わんばかりの溜め息を零す。


「それもそうね。実際、私も少し疲れたわ」

「お前はお前で大変そうだな。ああいうのを相手にするって」

「慣れれば簡単よ。あれくらいならね」


 その発言はまるで、元々は慣れていなかったと言っているように聞こえた。

 智史は、女子ならば誰でも色恋の話で盛り上がれるものと思っていた。けれど、必ずしもそうではないのかもしれない。些細なことでも理解の及ばない部分は多い。異性に対する印象は漠然としていて、断言できることのほうが少ないのだろう。

 五時間目を知らせる予鈴が鳴った。智史は急ぎ足で鞄を回収する。


「じゃ、俺は教室に戻るから」

「……気楽でいいわね、男子って」


 他人に聞かせるでもない独り言は、当の男子の耳に届いていた。


「その通りだったら、良かったのにな」


 ぽつりと呟いて、智史は退室する。

 その独り言もまた、人の耳に入ってしまう。


「どういう意味かしら、綾乃?」

「思うほど気楽じゃないってこと、かな……」


 笹原の問いかけに対して、早川はただただ苦笑いを返した。

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