April : Day 03
Episode 009 「言葉には言葉を」
時間割に沿って平日は進む。
少年少女は高校生としての感覚を取り戻していく。
迎えた昼休み。生徒たちは教室の中で思い思いに行動をしていた。
新しいクラスメイトと積極的に話す者や、馴染みのある既存の関係で満足する者。気ままに単独行動をする者に、他クラスの友人を訪ねに行く者など。それぞれの時間の使い方がある。
智史は鞄を持って教室を出た。向かう場所は決まっていた。気を落ち着けられる空間、気心の知れた相手は限られている。
廊下を歩く。
談笑をする何人かの生徒とすれ違う。ドアが開いたままの教室からは弾んだ声が聞こえる。それらは他人事のように智史の心中を通り抜けた。近くて遠い環境。何かが違えば自分もそこに混じっていたのかもしれない。可能性の未来が浮かんでは消えた。
智史は一人で、廊下を歩く。
それこそが自ら望んだ立ち位置である。誰に言われるでもなく選び取ったものを、捨てることはできない。
だとしても、絶つことのできない繋がりもある。
目的地であるカウンセリングルームのドアの前で、智史は一度立ち止まる。
一人で生きること。それは強さなのか、あるいは弱さなのか。結論を導けないまま現在に至っている。考え続けて、悩み苦しんで、辿り着いたのがこの場所だった。どっちつかずの心は彷徨いつつも前へと手を伸ばす。
ドアを開けると、智史は思わず立ち
早川はソファに座り、隣にいる誰かと一緒に食事をしていた。その先客は目を引く綺麗な女子生徒。つまりは笹原由美奈である。
談笑を楽しんでいた笑顔の一つが、はっきりと怪訝なものに変わった。
「……なんだ、来たのね。折角のガールズトークだったのに。新しいクラスメイトと仲良くお喋りでもしてなくて良かったの? お話ができる相手の一人や二人くらいいるんでしょう?」
まだ二度目の対面だというのに、出迎える笹原の物言いは挑発的で棘があった。
言うまでもなく、智史にその選択肢はない。
「生憎、そんな相手はいないよ」
「そう。それは残念ね。ご愁傷様」
「……へえ」
「なんで最初から喧嘩腰なのよ二人とも」
呆れつつも早川が
しかし、智史に黙るつもりはなかった。露骨な悪態にそれ相応の言葉を返す。
「お前こそ、ここにいていいのか? 適当に笑顔でも振りまいておけば、同級生の男子なんてイチコロだろ」
「どうして私がそんなことのために笑わなきゃいけないの?」
「お前なら周りの連中が勝手にちやほやしてくれるんじゃないかと思って」
「…………」
「…………」
「無言で睨み合ってないで、お昼食べましょう? 和島くんも座って座って」
気まずい空気の中、臆さず発言できるのが早川である。
横着したところで切りはない。智史はテーブルを挟んだ女性二人の向かいに腰掛けた。
歳上の女性に大人しく従う男子の姿を目で追い、笹原は呟く。
「君こそ、綾乃の笑顔の前じゃ骨抜きみたいね」
「精神的にも大人な先生のほうが信用できるってだけだよ。誰かと違って」
「何か文句があるなら素直に言ってみたら?」
「こらそこ、いちいち
早川の言い分はもっともだった。
智史は心の底から憤っているわけではない。
「この程度で怒るほど俺は短気じゃありませんよ」
「ええそうよ。こんなの、ただの挨拶じゃない」
笹原も同様に落ち着いた態度を見せる。だがそれは敵意がないことを示すものではない。再び鋭い視線がぶつかる。二人は互いの心境を察していた。
相手のことが気に入らないのだ。単純に、癪に障るのである。
「なんだかんだで息は合ってそうに見るんだけどなあ」
「敵意剥き出しの状態でそれはないと思いますよ、先生」
「どうして私が男子なんかと……」
指摘を耳にしながらも、早川はどこか前向きだった。
「それはほら、陰口を共有することで芽生える交友もあるじゃない。……あれ? 当人同士がそれをぶつけてたら陰口じゃないわね」
「綾乃、論点がズレてる」
「でも本音を隠したり偽ったりするより、全部吐き出し合えたほうがいい場合もあるから」
早川の発言を、智史は自分勝手に解釈した。
「なるほど。相手をアウトにするまでが言葉のドッジボールですもんね」
「ふうん、じゃあセーフになる顔面を狙っていこうかしら」
「……本当は仲良くなれるんじゃない?」
二人を見比べながら早川は問いかけた。それを笹原が応酬する。
「ただ揚げ足を取るのが上手なだけでしょ」
「ああ、二人とも捻くれてるものね。地頭は悪くないのに友達がいないから、余計に……」
「ちょっと、私と彼を同じ括りにしないでちょうだい」
智史はそれらの発言を聞き流さなかった。
「本当に、お前は友達がいないのか?」
初めて聞き及んだ話でもないのに、そう尋ねていた。
世間一般であれば、整った容姿を備えた人間が輪から弾かれることは多くないはずである。少なくとも智史が遠目に眺めてきた者たちはそうだった。笹原が交友の場で不利になるとは考えづらい。取り巻く周囲の人間に問題があるのか、もしくは。
「そうよ。私は私の思うように生きてるの。文句がある?」
問いに対して、笹原は睨みながらに堂々と主張する。
それは他者との繋がりが乏しくとも、真っ直ぐに生きる人間の言葉だった。
「……声を張り上げて独りぼっち宣言か。凄いな」
「まあ、良くも悪くも我が強いからね、由美奈は」
苦笑しつつも、早川はフォローを入れる。
それでも智史の認識は変わらない。
「我が強い、ね。……確かに、こうやって話してる限りでは性格悪そうだし」
「余計なお世話よ」
積極的な否定ではなかった。本人も自覚しているのかもしれない。
智史は、笹原の印象を改める。
友達の有無を絶対のステータスとはせず、自分の考えに従った姿勢を貫くことは容易ではない。学生であれ社会人であれ、集団から外れて孤立することはデメリットも多いはずである。
そんな物好きな生き方を選ぶ同世代の人間は多くない。智史はそう思い込んでいた。
「喧嘩するほど仲が深まるといいんだけど」
不意に早川が呟く。
「私がコレと仲良くなれるかしら? 簡単じゃないと思うけど」
「先生が間にいなかったら、とっとと教室に戻ってますよ」
二人は不満を口にする。近しい立ち位置にいたとしても、それだけのことだった。無理に壁を作る必要はないが、わざわざ馴れ合う必要もない。
「そんなこと言って、そもそも教室だと居心地が悪いからここに来てるんでしょう?」
言わずともその通りなので、返す言葉は出なかった。
「由美奈もそうでしょ? 二人とも、今までみたいにここに来ていいんだからね。昼休みのカウンセリングルームはいつだって生徒を待ってるから」
「はいはい。そうですね。お気遣いどうも」
「うわ、由美奈ったら凄い不服そう。これじゃ前途多難かしら……。もうなんでもいいから、とりあえず先にご飯食べましょう?」
笹原は完全に食事を忘れていたことに気づく。智史は弁当を取り出してすらいなかった。鞄の中を探っていると、テーブルの向かい側から溜め息が届く。隠す気のない文句が続いた。
「余計なのが来たから、すっかり気が削がれちゃったわ」
「頻繁にコレがここに出入りしてるんですか、先生? 憂鬱だなあ」
「……なんか、面倒臭いわ。二人って」
早川はさり気なく心からの愚痴を零す。
特に弾む会話もなく、ちぐはぐな時間が流れていった。
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