April : Day 02

Episode 006 「変わらない立ち位置」

 始業式に続き、その翌日は入学式が行われた。

 在校生は自宅学習という名の休日を大いに有効活用したことだろう。

 だが、特別な行事が済まされてしまえば、日程は平常なものへと移行する。すでに配布された時間割通りの日々が待っている。


 朝のホームルームを終えた担任が教室の外へ出ていくと、自然と喧騒は広がった。

 春休み気分が抜けきらないクラスメイトは、授業が正午を跨いで六時間目まで続くことを嘆いていた。一方では本格始動する部活に対する意欲や愚痴を吐き出す生徒がいた。あるいはクラス替えを経て新たに知り合った者同士で、探り探りの会話を交えている。


 しかし、誰もが交流を望んでいるわけではない。

 智史は自分の座席から何気なく教室の全体を確認した。一学期の始めということもあり、生徒の席は右前から五十音順で並んでいる。そのため和島智史の席は窓際の一番後ろだった。室内を見渡すのに不都合はない。

 誰に話しかけようともせず、自身の座席から動かない背中もいくつか見受けられる。

 人付き合いに積極的でない生徒はこのクラスにも一定数存在している。そういう生徒はそういう生徒であると認識されるだけで、何か特別な扱いを受けることはない。なので智史だけが悪目立ちすることも、気を遣ったクラスメイトに声をかけられることもなかった。


 つつがなく時間は進んでいく。

 二年生にとって今日は授業の初日なので、本格的に教科書や板書を目で追うのは明日から、というのが全体の大まかな流れだった。教科が変わるごとに先生自身の自己紹介があり、授業の進行や中間テストまでの範囲についてなど、基本的な内容が説明される。

 英語の時間、教室に訪れたのは若い女性の先生だった。教員になってから三年目になると言う。授業に関係のないプライベートな質問を投げかけるクラスメイトの男子を見て、智史は苦笑いを浮かべた。柔らかい言い回しで先生は話題を逸らしていたが、人によってはその手の話自体を苦手とする場合もあるだろう。

 内心どう受け止めているのか。それは当人にしか分からない。


 智史は小さく首を振った。クラスの雰囲気やノリといったものに馴染めていない。手持ち無沙汰のまま緩やかに時間が流れていると、間を埋めるように余計な思索を巡らせてしまう。

 自分自身の内側と向き合う割合が増えていた。




 何事もなく午前中の授業が終わる。

 昼休みを迎えたクラスメイトは思い思いの相手と、あるいは複数人で昼食の用意を始めていた。そういった些細な接点から交友関係は生まれていくのだろう。

 片や、智史には休み時間を教室の中で過ごす気がない。

 鞄を持って立ち上がり、廊下に出る。向かう場所は一つだけ。他のクラスに友達がいるわけでも、購買で何かを買うわけでもない。

 カウンセリングルームで昼休みを過ごすことが、智史にとっての習慣となりそうだった。

 廊下を進み、突き当たりの階段に差しかかる。

 下のほうから複数の生徒が上ってくる。


 その中の一人の女子生徒と、不意に目が合った。


 女子の顔色が変わる。漏れ出た不快感が、やがて憐れみとなり、静かに視線は逸らされる。

 階段を下りながら、あくまでも智史は平静を崩すまいとする。相手が誰なのかを思い出すことはできない。けれど、向けられた表情の意味は知っていた。

 その女子は横にいた生徒たちの影に隠れるようにして、智史の横を通り過ぎていく。交わされた言葉はない。わずかな間、目が合っただけ。

 だというのに、踊り場では一つの溜め息が零れた。

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