Episode 005 「お節介な人」

 カウンセリングルームに残る二人は、一人の男子生徒を静かに見送った。

 ドアが閉まり、空気が切り替わる。

 由美奈は隣から早川の横顔を見た。我が子の成長を見守るような柔らかい笑みを浮かべている。想像した通りの表情があったので、呆れて溜め息を吐いた。

 過去、早川からメールで呼び出されることは何度か経験していた。生徒の悩み相談に付き合わされ、意見を求められたのである。今回も同じような展開になると高を括っていたのだ。


 自分自身にも触れる内容は予想外のものだった。

 早川の瞳は終始和島を捉えていた。けれど、並べられた言葉は由美奈の耳にもしっかりと残っている。

 友達を作れと言う。

 抱えている事情を知っていて、それでも同世代の友達を作るべきだと早川は言っている。良き理解者がたった一人でも傍にいれば構わないと、由美奈は考えているのに。


 睨むように向けていた視線に早川が気づく。それでも変わらずに微笑むばかりだった。

 あの笑顔の前では、由美奈も他の生徒と等しく十代の少女に過ぎない。小言を並べたところで簡単にあしらわれるのが関の山だろう。何人の生徒の目に留まり、美人だなんだと褒めそやされようとも、この関係性だけは変わらない予感があった。

 そのことがいつも以上に癪に障ったので、由美奈は皮肉混じりに呟く。


「物好きでお節介な人よね、綾乃は」

「怪我をした野良猫を見ると放っておけない性分なの」

「それは私に向かって言ってるの?」

「二人に対して、かな」


 由美奈はその言葉の真意を掴めない。

 早川は終始二人を似た者同士のように扱おうとしている。


「彼のこと、どう思った?」


 この質問にはどのような意図が含まれているのか。

 由美奈から見た和島智史という男子。思うところは、あるにはあった。

 忌憚きたんのない率直な意見を述べる。


「そうね……。異性から初対面で嫌われたのは初めてかも。ちょっと新鮮だったかな。今まで会ったことのないタイプだと思う」


 聞き終えた早川は嬉しそうに言う。


「中々の好印象みたいね」

「絶賛したつもりはないんだけど」

「男の子を否定的に見ていない時点で、由美奈の中ではかなりいい部類じゃない?」


 指摘され、改めて考える。確かにその通りだと思い至った。自分の感性を理解してくれることが嬉しくもあり、同時に少しだけ腹立たしくも感じられた。

 素直ではない由美奈は蛇足を加える。


「ついでに言えば、綾乃が気に入りそうな男の子だよね」


 口から出た何気ない言葉。

 対して早川は目線を下げる。まるで過去を振り返るように。


「まあ、ああいう子は特にね。全部自分の胸の奥に閉じこめて。苦しみの重さで潰れてしまいそうで。……人知れず崩れ落ちてしまったことを後から聞かされるって、辛いの」


 カウンセラーとしてではなく、一個人としての心情が滲む。

 早川という人間は、いつだって他人の心に大きく気を配っている。

 今の由美奈には到底できそうにないことだ。


「それって、この前言ってた彼氏さんの話?」

「ええ、まあ。色々とあったから」

「そっか」


 二人の間でそう多く話題には挙がっていないが、相手は昔からの知り合いらしい。恋愛経験の乏しい由美奈にとってそれは、友達という間柄と同じく、難しい人間関係だった。


「私にもいつか、そんなふうに大切だと思える人ができるのかな」


 明るい声色ではある。

 それとは裏腹に、由美奈の心境は晴れない。

 まるで、叶わぬ願いに思いを馳せるようだった。


「大丈夫よ」


 形だけの中身に欠けた言葉に対して、早川は根拠も述べずに言い切った。


「あなたたちなら、きっと大丈夫」

「どうして複数形なのかしら?」

「さあ。なぜでしょうね」


 詳しく尋ねたところで、その理由まで辿り着けないことを由美奈は知っている。


「ほんと、お節介な人」


 あくまでも口調は呆れるように。それでいて親しみを込めながら。

 お人好しの早川に、由美奈もまた救われている。


「用っていうのは彼のことだったんでしょ。なら、私もそろそろ帰るわ」

「そう? 春休み明けで久しぶりに会ったんだし、ゆっくりしていかない?」

「人の気も知らずに誰かさんが好き勝手言ってくれたじゃない? だから私も、考える時間が欲しいの。色々とね」

「思った通り。やっぱり似てるわね、二人って」

「似ているかどうかと、私が気に入るかどうかは別問題よ。じゃあ、また」


 鞄を持って由美奈は立ち上がる。

 ドアの向こうに消える背中を止める声はない。


「きっと気に入るわ。わたしがそうだもの」


 人知れず早川は呟いた。

 否定的でありつつも、二人の高校生は前向きに今回のことを捉えようとしている。大人はその様子を見守りながら、背中を少し押してあげるだけでいい。

 カウンセリングルームは、悩みを抱えた子供たちのためにある。

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