1st Chapter

April : Day 01

Episode 002 「新しい始まり」

 春休みは終わり、新学期が幕を開けた。

 昨年度まで高校一年生だった者は高校二年生となる。

 事実だけを簡潔に並べれば言葉は多くならない。智史にとっての季節の移り変わりは、それ以上でもそれ以下でもなかった。


 することは今年度も同じである。

 制服に腕を通し、電車の景色を眺め、駅から校舎へと歩く。

 校門を過ぎると昇降口の前に数十の生徒がわだかまっていた。新学期初日の今日は新しいクラス名簿が掲示されているのだ。名前の記された一覧表に視線が行き交う。ハイタッチをする者や、ひっそりと肩を落とす者がいる。

 一度溜め息を吐き、智史は人混みに割って入る。肘鉄を一発だけ貰いながらも先頭に辿り着いた。無駄なく目を動かし三つ目の枠の中に自分の名前を確認する。こういう場面では和島という苗字は勝手がいい。

 各々に一喜一憂する人並みを横目にしながら、智史は早々に教室へ向かう。




 始業式を経て、午前中の内に放課後はやってきた。

 今日の智史の主な感想は二つ。相変わらず校長の話が長かったことと、二年生で扱う教科書を入れた鞄が重たいということだ。


 新しいクラスに関して思うことは一年生の時と大差がなかった。騒がしそうな人もいれば物静かそうな人もいる。どのクラスになったとしても、似たり寄ったりの感想を浮かべただろうと智史は考える。

 自己紹介に至っても簡素なものだった。名前を述べ、当たり障りもなく『よろしくお願いします』と添えて着席。一年前のように『趣味や特技なんかも加えようか』と言い出すような担任でなかったことが智史にとっての救いである。中には長ったらしい自分語りを敢行したお調子者の男子もいた。仲良くなれないであろうことは語るまでもない。


 鞄を肩に掛けて、智史は席を離れようとする。

 いくつかの視線があった。

 かすかに感じられたそれらは目で追う前に消える。

 一年生の時から引き続き、二年目となるクラスメイトも中にはいるだろう。時折だが、様子を窺うような好奇の矛先に突かれる感覚があった。しかし、それ以上のアクションはない。敵意がないのであれば人物特定は徒労だ。


 新しいクラスメイトの誰と話すこともなく、智史は教室を出る。

 そして、慣れ親しんだ場所へと歩いていく。

 顔を見せるようにと直接連絡が入るのは珍しいことだった。




 カウンセリングルームのドアが開くと、人の良い笑顔が来客を迎える。


「あら、久しぶり。きみも今日から立派に二年生だね、おめでとう智史くん」


 早川は休憩中だったようで、応接用のソファに座っていた。テーブルには湯気を立てているティーカップが一つ。


「……相変わらず先生は先生なんですね」

「言いたいことがあるなら素直にぶつけてもいいのよ?」

「先生は裏表のない明るい人だなあ、と思いまして」

「智史くんはいつになったら裏側を見せてくれるのかな」

「距離の詰め方を間違えなければ、そのうち分かるかもしれませんよ?」


 言葉は暗に名前呼びのことを指摘している。


「相変わらず和島くんは和島くんみたいね」


 朗らかに笑うと、早川は一度紅茶を口にした。

 智史はソファに腰掛ける。砕けた態度を前にしながら、呆れつつも安心を得ていた。

 普段から積極的に会話のキャッチボールを行おうとする早川だが、無理に長続きさせようとはしない。コミュニケーションを取りつつも引き際は弁えているのだ。

 親しみやすさと馴れ馴れしさは似て非なるものである。不快感を与えないまま、付かず離れずの距離を保つこと。自然体で関係を維持するのは単純ながらに難しい。

 早川との程良い距離感は智史にとって悪くないものだった。

 ティーカップがソーサーに戻され、次の話が始まる。


「クラスのほうはどうだった? わたしからも先生方に頼んで、ある程度はバラけるよう配慮してもらえたはずなんだけど」

「居心地は、まあ普通です。苦にはならないと思います」

「なら良かった」


 早川は、心から安堵していた。

 未だ率直な感謝こそ伝えていないが、智史はその優しさに何度も救われている。


「わたしからできることは、ひとまずこれで終わりよ」


 一つの区切りを付けるように、早川は報告をした。


「そう、ですね」


 タイミングだった。切り出すには絶好の流れ。

 口にすべき気持ちは決まっている。声さえ出すことができれば。

 けれど簡単ではなかった。軽口であればいくらでも吐き出せるのに、肝心な場面に限って容易ではなくなる。智史一人のために時間が止まるわけもない。


「和島くんは新しいクラスで、友達……できそう?」


 話題は早々に次へと移った。

 今度はまた違った意味で智史の口が開き辛くなる。


「……どうでしょうね。数人でわいわいやるより、一人で過ごすことのほうが気楽なので」


 早川が気遣ってくれているだけ、本音を語るには心苦しいものがあった。だが偽ることに意味はない。一番に話し難い傷口を、智史はすでに見せてしまっている。


「そんなことだろうと思った。だから今日はきみに」

「――綾乃、失礼するわよ」


 唐突に女性の言葉が割って入った。前置きの挨拶もなければ事前のノックもない。

 まるで勝手を知るように遠慮なくドアを開けた声の主は誰か。

 振り返り、智史はその姿を確認した。

 一人の女子生徒が立っている。


 綺麗の一言だった。

 顔の作りや立ち姿に非を打つ隙がない。制服を着ているからには同じ生徒であるはずなのだが、大人びた双眸そうぼうがその確信を鈍らせる。美少女というよりは美人という括りが相応しいのではないか。それが智史の第一印象だ。

 その女子生徒は早川以外の人間がいることに気づく。


「もしかして綾乃、仕事中なの? ならどこかで時間を潰していたほうがいいかしら。それとも後日に回したほうが都合いいかな?」

「構わないわ、入ってきて。むしろ由美奈ゆみなを待ってたの」


 二人の会話は違和感なく砕けている。距離の程は友達としてのそれだろう。不自然な部分はなかった。年齢の違いを気にする様子も、名前の呼び捨てに違和感もない。


「私を? ……もしかして、そこにいる彼も関係あるの?」


 由実奈という女子生徒は早川の隣に座った。鞄を置く所作や立ち振る舞いにも粗雑な点は見られない。だからこそ、静やかで凛とした存在感を放っている。


「そうなるわね」


 早川はさも平然と返す。

 話の内容には智史も含まれているようだった。当然無視することはできない。


「先生、話が見えないんですけど。説明はあるんですよね?」


 一度咳払いをして、早川は居住まいを正した。


「それじゃ改めて。和島くんと由美奈を呼んだのはね……」


 まるで勿体ぶるように言葉が区切られる。

 沈黙の中で視線が集中する。


「二人はきっと友達になれる――そう思ったからよ」

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