美少女ゲーム

林桐ルナ

美少女ゲーム start

 その日病院から連絡を受けた俺は、すぐさま会社から飛び出した。


 多分病室に集まったヤツらは、遺産のことばかりをまだ生きている爺さんの隣でヒソヒソと話しているに違いない。


 俺は地下鉄の階段を駆け降りると、電光掲示板に目をやった。


 次の電車の発車時刻は5分後。腕時計に目をやり、やはりタクシーにすれば良かったかと苛立たしく舌打ちをした。


「随分急いでるんですね」


 すぐ脇から声がしてそちらに顔を向けると、その声の主の目は真っ直ぐに俺を捉えていた。


 瞳孔の輪郭すらも分からないような漆黒の瞳。まるで猫みたいだ、そんな印象を俺に与えた。


「誰かが死んじゃう、とか」


 少女はそう言うと、クスリと口元に微笑を浮かべる。


 その少女の美しさに比例するように気味の悪いその表情に、俺は少女から視線を外して前に向き直った。


「あなたはその人が死ぬことを期待してる。そうですよね」


「いい勘してんだな。そういう才能は違うことに使った方がいい」


 そう言いながら再度電光掲示板と腕時計を見比べた。


「退屈じゃないですか、生きているのって。明日も私は私が死なないことを知ってる。みんなそうです。明日自分が死ぬかもしれない確率は、明日自分が生きている確率に比べたら無いにも等しい。だから今日という日の価値は、明日となんら変わりありません。そういうのって、退屈ですよね」


 少女はクスクスと笑い声を漏らす。


 気味の悪いその少女の言葉を無視して、暗いトンネルの先を見つめていると、電車のライトが二つこちらに向かって来るのが見え、ようやく俺は安心感を抱いた。


「いつ死んでしまうか分からない今日の方が、ずっと楽しいと思いませんか? 私は、そう思います。死ぬことを期待しながら生きるって、すごく楽しいんですよ」


 ちょうどその時に電車がホームに滑り込んで来た。少女の言葉に言い知れない不安を覚えた俺は、ふと彼女の方へ顔を向ける。


 少女はホームぎりぎりに立ってこちらを向いていた。あと一歩でも前に進めば、彼女はその先の闇に吸い込まれてしまうだろう。


 電車の警笛がホームいっぱいに鳴り響く。



「ゲームなんですよ」



 息を呑むほどに美しい笑顔を俺に向けたその少女は、手に持っていた大きな紙袋を、まるで偶然の出来事のようにその手から離した。


 それが彼女の手から滑り落ちて、鈍い音を立てながらレールの上に着地した瞬間、電車は俺たちの目の前を通過した。


 目を見開いて動けないでいる俺の頬に、ピシャリと冷たいモノが跳ねた。


 それを手で拭う。


 無色透明な液体。


 あたりには柑橘系の香りがたちこめ、その香りのする方へと目をやると、それはおびただしい数のオレンジだった。


 その残骸が、目の前の車輪にまとわりついている。


 我に返った俺は周囲を見回したが、そこにはすでに、少女の姿は無かった。


 そんな気味の悪い出来事に遭遇した俺は、結局爺さんの最期を看取ることは出来なかった。


 だが、憂慮していた遺産については、意外なことに、孫である俺に財産の半分を相続させるということが遺言書に記載されていると執行人の弁護士から連絡が来たのだった。


 残り半分は、予想通り親戚ではなく赤の他人に贈与すると記載されていたらしい。


 俺は、俺への相続について、たとえ記載されていなくとも、唯一の孫として相当の遺産相続を主張するつもりでいた。


 俺の爺さんは会社をいくつも持つ資産家で、そのため生前から金目当てに集まる親戚とのトラブルは絶えず、現役を引退してからはどんなに取り繕ったお愛想伺いの親戚とも会うことすら無かった。


 だからこそ、俺に遺産を残すという爺さんの意志はかなり意外ではあったが、これで俺の長年の目的は達成した。


 この金をどう使おうが、もはや俺の自由なのである。


 そんな折に、俺の事務所へ一人の男がやって来た。


 どこで聞いたのかその男は、俺が莫大な遺産を相続したことを知ってやって来たようだ。


 男の要求は、俺の金を貸して欲しいということだった。


「もちろんタダで貸してくれと言っているわけじゃありません」


 男はいかにもビジネスマン気取りの細淵の眼鏡をかけ直すと、突然こう切り出した。



「あなたの好きな美少女を、あなたに差し上げます」



 俺は男がふざけているのかと思いそれを笑い飛ばす。しかし、男は大真面目に話を続けた。


「まず、4体の美少女をあなたにお貸しいたします。その貸与として、1体につき2500万、合計で1億円私共にお支払いいただきます。


 1週間後に、4体のうち一番気に入った美少女1体を残し、私共には残り3体の美少女を返却していただくのです。


 その貸与分の金額7500万は当然全額あなたに返却いたします。


 そして、最終確認として、あなたの選んだ美少女が、あなたの物になることを承諾すれば、その少女を差し上げ、さらにその少女の貸与分の2倍、つまり5000万あなたに差し上げます。


 しかし、その少女があなたの物になる承諾をしなければ、少女は私共に返却していただきます。


 もちろん貸与分の2500万も返却したします。


 どうでしょう?あなたには全く損はないお話なんですよ。


 ただし、きちんと4体の美少女をご返却いただければのお話ですが」


「返せなかったら、どうなるんですか?」


「その時は、1体につき5000万の弁償金をお支払いいただきます」


 にこにこと笑いながら話した男の話は、なんとも突飛で、冗談でなければ異常だとしか思えない内容だった。


 まるで簡単なゲームの説明でもするかのように、スラスラと述べ終わった男は、俺の顔をのぞき込むと最後にニヤリと笑った。


「貧乏人にはパソコンの中でしか出来ない美少女ゲームを、現実で本当の美少女で楽しんでいただこうというのがこのゲームの趣旨なのですよ。もちろん貸与した少女をどう扱うかはあなたの自由です。


 これは、資産家だけが出来る高級な、ゲームなんですよ」


 まるで夢のような話ではあったが、俺はその男の眼差しに吸い込まれるようにして、その取引に応じていた。


 金の引き渡しも、少女が俺の手元に届いてからでいいということで、俺には躊躇う理由などはないように思えた。


 1億なんて金は、今までの俺だったらとても支払える金などではない。しかし今は、いつでも工面出来るほどの金額なのだ。


 俺の中の悪魔は甘い囁きと香りを放ち、一気に俺を飲み込んでいった。


 その時俺の脳裏に聞こえていたのは、あの時の少女の言葉だった。


『ゲームなんですよ』


 目的を遂げた退屈な俺を見透かすように、その少女が耳元で囁いていた。


 そして俺はその声に導かれるようにして、その異常なゲームの扉を開いたのだった。


 爺さんの住んでいた豪邸の玄関で、俺は落ち着かずにタバコをつけては消し、またつけては消す。


 今日、本当にここに美少女が来るのか、まだ俺には到底信じることは出来ない。


 やはりイタズラなのか、それとも悪趣味な詐欺か、冷静さを取り戻すとそんなことばかりを考えた。


 そして、約束の時間である午後8時ちょうどに、玄関のチャイムは鳴った。


 俺が玄関門へと向かうと、そこには美少女と言って差し障りのない容姿の少女たちが4人並んで立っていた。


 パーマのかかる茶色い髪の童顔の少女。


 ショートカットでスポーティーな印象の少女。


 露出の多い服装をした大人っぽい少女。


 そして、黒髪で猫のような目をした少女。


「また会いましたね」


 そう言ったのは、黒髪の少女だった。


 その少女こそが、あの駅で出会った少女だったのだ。


 少女たちは1週間も生活をするというのに、なんの荷物も持ち合わせていない。


 それを俺が尋ねると、「だって私たちに服はいらないんですよ」と意味深な微笑みを浮かべたのも、やはり黒髪の少女だった。


 俺は少女たちのために用意した食事を振る舞い、いくつかこのゲームについて質問をすると、そのまま少女たち一人一人に当てた部屋に案内して自室に戻った。


『彼女たちをどう扱うかはあなたの自由です』


 その言葉が頭の中で幾度となく巡り、その日俺は最悪の眠りに就いた。


 彼女たちをどうするかは、もうすでに俺の中では決まっていた。


 それから5日間、俺は彼女たち全員を連れ出しては、水族館や動物園や映画館などに出掛けた。


 デートと言うよりは遠足で、俺は彼女たちに好きな物を好きなだけ買い与え、今までに食べたことも飲んだこともない高級な物を口にして過ごした。


 そして彼女たちと過ごすこととなる最後の晩、俺は一人の少女を選んで自分の部屋へと呼び出したのだった。



 少女は部屋に入るなり、その猫のような目をこちらに向けて口を開く。


「二人きりになるの、初めてじゃないですか?」


「ああ、好きなとこに座って」


 俺は自室のベッドに腰掛けてウイスキーに口をつけながらそう言った。


「あのさ、君に話がある」


「そうですか。奇遇ですね、私も聞きたいことがあったんです」


「先に君の話を聞くよ」


 俺が言い終わると、彼女は俺の目の前にある肘掛け椅子に腰掛けた。


「どうして、私たちを抱かないの? 貸し出された少女をどうしようが、あなたの自由なんですよ」


「どうして…。さぁ、どうしてかな」


「これは、ゲーム。そういうゲームなんです。たとえ私たちを檻に閉じ込めて生活させたって、誰にも咎められはしない」


 少女はあの時と同じような不敵な笑みを浮かべ俺を見上げるように覗き込んだ。


「じゃあ、その理由を話すって言ったら、本当に……なんでもするんだな?」


「もちろん」


 少女はにっこりと笑うと、左腕の袖を肩までまくしあげて見せた。


 そこにあったのは、無数の傷跡。


 まるでミミズのように腫れ上ががったそれが、彼女の白い腕を覆い尽くすように水平に何本も走っていた。


「これ、自分でつけたんじゃありませんよ。抑えつけられて、ヤラれたんです。私に、怖いものなんて、何もありませんよ。失うものも」


 俺は息を呑んで彼女の瞳を見つめる。


「じゃあ……、裸になれ」


 喉の奥から絞り出した俺の言葉に頷いた少女は、座ったままスカートの下に手を入れると、下着をゆっくりと下へ下げる。


 そしてそのまま足を両側に広げると、彼女の短いスカートは僅かに乱れて、その奥にあるものが露呈された。


 まるで彼女はその行動を楽しむかのような挑発的な仕草で服を脱いでいくと、最後に残ったブラウスのボタンを一つずつゆっくりと外し、それを全て脱ぎ去ったのだった。


 正直に、俺は彼女に魅せられていた。


 彼女の体は見事な稜線を描き、白く光る肌はとてもしなやかで、その肌に触れる時の柔らかさは、疑いようがなかった。


 まるでそれは、抱かれるために作られたモノ。そう思わせるほどの美しさと妖艶さを放っていた。


 俺は、緊張から溜まる唾液を、何度となく彼女が脱ぎ終わるまでに飲み込んだ。


 荒い息づかいを押し殺すようにして彼女から目を背けると、俺は彼女にこう言った。


「そういうこと、君は誰の前でもするの?」


「やれって言ったのは、あなただよ」


「やれって言われたら、やるのかって聞いてるんだ」


 そう言い終わると、彼女の目を見つめた。


 いや、睨みつけたと言った方が近いかもしれない。



「そうだよ」



 彼女が呟いたのと同時に、俺は床に落ちていたブラウスを掴みあげると、少女の肩にそれをかけてやった。


「もういいから、服を着ろ」


 そして俺はまたベッドに腰掛けると、ウイスキーを一口含んで話し始めた。


「俺の母さんは4年前に死んだ。うつ病だったんだ。精神薬の飲みすぎで、呆気なく死んだ。


 母さんがうつ病になったのは、要するに働き過ぎで、なんでそんなに働かなきゃいけなかったかって言うと、うちは母子家庭で、小さい時に父さんが家を出てってからずっと、母さん一人で俺を育ててくれてた」


 彼女は、服に手を通さないままに、俺の横に静かに腰掛ける。


「だからうちはひどく貧乏で、水族館も動物園も映画館も、母さんと行った記憶なんてない。ようやく母さんを俺が連れて行けるようになった時には、すでに母さんは心の病に蝕まれてた。


 母さんの家は元々金持ちの資産家で、金なんていくらでもあった。だけど、家を飛び出して駆け落ちした母さんがいくら泣きついても、爺さんはびた一文金を渡してはくれなかった。


 金なんていくらでもあるのに、爺さんは俺の母さんを見殺しにした。


 俺は、そんな爺さんが許せなかった。いや、今でも許せない。その頃に知ったのが、遺産相続の遺留分という制度で、いくら爺さんが俺にびた一文渡したくなくとも、唯一の孫である俺には、爺さんの遺産の半分を相続する権利があるということを知ったんだ。


 そして爺さんは死に、俺は、俺たち親子を苦しめた爺さんの遺産の半分を相続することになった。


 復讐のつもりだった。だけど……、勝ち取ったんじゃない。


 遺言に、そう書いてあったんだ。だから俺は、今こうやって分不相応なお屋敷に一人で暮らしてる」


 いつの間にか、最初に言おうとしてたこととは全く違う話を俺はたんたんと彼女に話していた。


 酔いのせいか、ひどく虚しい気分になり、その事務的な口調とは裏腹に、俺の目からは涙が溢れ出していた。


 少女は、まるで今の話を聞いていなかったかのように、突然、「キスしていい?」と言うと、俺の返事も待たずに俺の唇に彼女の唇を重ね合わせた。


 そして、俺の頬にそっと手を置くと、その唇を離して、「キスしてあげるよ」と笑顔を作ったのだった。


 まるで今までに見せていたものとは違う、優しくて愛らしい表情。それに違和感を覚えなかったわけじゃない。


 しかし俺は、彼女にすがりつくように抱きつくと、そのまま堰を切ったように彼女の唇を奪っていたのだった。


 そしてそのまま朝まで、俺と彼女はただ気が狂ったようにキスだけを何度も、何度も繰り返した。


 忘れてしまいたいことがたくさんあった。それでも忘れてしまえないことがある。


 それをどうすればいいのか分からずにいる。


 生きているのがひどく退屈で、もうどうなってもいいとさえ思えた。


 生きてることは残酷で、死ぬということへの衝動すらも湧かなかった。


 ただ俺は、生きる屍になりたいのだ。


 ただ動物のように欲望だけに従っていたかった。


 全ての思考を止めたまま……


 ただ、感覚だけを感じる人形になってしまいたかった。


 細くて長い舌の感触。

 体から沸き立つオレンジの香り。

 吸い付くようにすべやかな手触りの肌。

 埋まっていく指の感触。

 彼女の味と息遣い。



 きっと彼女もそうなのだ。


 こんなにも退屈な毎日を、どうにかしてしまいたくて、こんな生き方しか出来ないでいる。


 ゲームの中でしか生きていけないその少女の体は、柔らかくて温かかった。


 人の体に触れながら、こんなにも悲しいと思ったことはなかった。


 そしてこんなにも、愛しいと思ったことはなかった。


 ゲームなんかじゃない。リアルだった。その感情の全てが。



 その次の日、俺がようやく起きたのは、昼過ぎだった。


 ベッドの横に彼女の姿はなく、屋敷の中のどの部屋を見ても、少女たちの姿はない。


 まるで夢でも見ていたかのような気分に陥り、シャワーを浴びて服を着ると、あの男から電話がかかって来たのだった。


 俺が約束の場所である駅前のロータリーに到着すると、男は怪訝な顔で俺を迎えた。


「もしかして、お一人ですか?」


「ええ。ご覧の通り」


「では、4体ともご返却いただけないということでしょうか?」


 白々しいその言葉を聞き終えると、俺はその男に向かって、「彼女たちをどこへやったんですか?」と問いただした。そこには、疑いの余地などはない。


「人聞きの悪いことを言わないでください。私共は知りません」


「いい加減なことを言うな」俺はその男を睨みつけてそう言った。


「あなたは十分に彼女たちで楽しんだはずだ。彼女たちがあなたの元からいなくなったということは、あなたが彼女たちに逃げられるようなことをしたからじゃないんですか?責任転嫁は良くないですね」


 男は何やら書類を取り出すと、「では、弁償金をお支払いいただかなくてはいけません」とニヤリと笑いながら俺に告げた。


「金は払う。だけど条件がある」


 俺は、その書類に書かれた2億円という文字を眺めながらそう言った。


「最初から詐欺なのかどうか知らないが、金を払ったら彼女たちを自由にしてやって欲しい」


「そんな条件は呑めませんね。私共は彼女たちがどこにいるのかさえ知らない」


「タダでとは言わない。その条件を呑んでくれれば、あと1億追加で払う。こんなくだらない金持ちのゲームは、これで終わりにするんだ」


 吐き捨てるようにそう言うと、俺はその書類を破り捨てた。


 まるで、俺の手にした金を全て破り捨てるように。


「そんなこと出来ないよ」


 背後から聞こえた声に振り向くと、そこには見覚えのある猫の目が二つ並んでいる。


 昨日と違うのは、彼女の目にはバッチリとメイクが施してあり、渋谷にでもいそうなごく普通の女の子の格好をしていた。


 どこか神秘的な雰囲気を称えていた昨日までの彼女とはまるで別人のようなその姿に、俺は自分の目を疑った。


「そんなこと出来ないよ。そんなゲーム、最初からないから」


 彼女はそう言うと、男に「藤木さんごめん、気が変わった」と告げ肩を叩いた。


「どういうことだ」


「どういうことって、あんたは騙されたってこと」


 そして少女は、ことの一部始終を俺に話したのだった。


 彼女は爺さんの愛人で、というよりも彼女はいわゆる金持ち相手の高級娼婦で、爺さんに生前大変可愛がられていたそうだ。


 すでに老いぼれた爺さんとは体の関係があったわけではなく、まるで爺さんは自分の子供を甘やかすように彼女を可愛がったのだと彼女は語った。


 そして死期の近づいた爺さんは、彼女にこんなお願いをしたのだと言う。


『私の遺産は家族や親類の誰にも渡したくない。だから、お前に私の遺産の全てを譲るつもりだ。しかし、私には孫が一人いる。私の死後、きっと彼は遺産の遺留分の請求をして来るに違いない。だから、最初から遺言には彼の取り分である私の遺産の半分を相続させることを記載しておくことにした。


 しかしこれはそういうことにしておくだけだ。私の死後、彼の相続した分の遺産は、お前に取り戻して欲しいのだ。


 私の最後の我が儘だと思って、どうか必ずそうして欲しい』


 その爺さんの我が儘を叶えるために、彼女はこの詐欺を実行した。


「私ね、お爺ちゃんにはすごく世話になったし、お爺ちゃんがどれだけ孤独だったか知ってる。だから、あんたから全部遺産を取り上げてやろうって思ってたんだよね。どうせゲームみたいなもんだし。だけど、気が変わった。あんたから貰った1億は、あんたの口座に振り込んでおいたから」


 彼女はそれだけ言うと、クルッと体の向きを変えて駅へ向かい歩き出した。


 そして突然何か思い出したようにこちらに振り向くと、


「それと、私の分の遺産、あんたに全部あげる。自分の生きてくお金くらい自分の体で稼げるし。その方が性に合ってるから。そんでそのお金さ、もっとちゃんとしたことに使って」


 と彼女は手を振って駅の構内に消えていった。


 呆然とその彼女の姿を眺めていた俺は、我に返ると彼女を追いかけるようにして駅へと走り出した。


 改札を抜け、ホームへの階段を駆け上がる。


 辺りを必死で見回すが、そこに少女の姿はない。


 ふと目の前を見ると、反対側のホームに彼女の姿があった。


 俺が彼女を見つけたのと同時に、彼女も俺を見つけ、視線は2本のレールを越えて交差した。


「じゃあ、俺がお前を3億円で買ってやるから、俺の娼婦になれ!」


 目いっぱいにそう叫んだ俺に、一瞬目を丸くした彼女は、まるで猫みたいなその目を細めてニヤリと笑った。


「私、そんなに安くないし!」


「うるさい。いいからお前は黙って俺に買われりゃいんだよ!! そっちの方が、そんなことしながら生きるよりよっぽどマシだ。いつ死んでもいい生き方なんて、そっちの方が退屈なんだよ!!」


 そう言い終わるか終わらないかのうちに、彼女のホームには電車が滑り込んで来て、俺は彼女の姿をまた見失った。


 電車の発車ベルが鳴り、それがゆっくりと走り出した後のホームには、もう彼女の姿はなかった。


 結局、名前すらもよく分からないままに、もう二度と出会えないであろう彼女の唇の温もりだけが、ハッキリと思い出せた。


 キスしかしなかったあの時の彼女だけは、嘘偽りのない姿だったと俺は今でも信じてる。


 そして、最初に出会った時の、生きているのが退屈だと言った彼女の言葉も。


「なんて女だよ……」


 そう溜め息をついて俺はその場にガックリとしゃがみ込んだ。


 その時、オレンジの香りがふっと漂った気がして、顔を見上げた。


 向かい側のホームには、一人の少女の姿があった。猫みたいな目をした美しい少女が、ポケットに両手を突っ込んで、思わず息を呑むくらいに美しい笑顔をこちらに向けている。


「バカじゃん。あんたに手に負える女じゃないよ、私」


 そう叫んだ少女は、ポケットから一つのオレンジを取り出すと、腕を大きく振りかぶって、ポーンと空に向かって思いっきり投げた。


 青空の中に、オレンジ色の虹が架かる。


 太陽の色をした果実は、光を反射してキラキラと輝いていた。


 そしてそれは、とっさに手を伸ばした俺の手の中にストンと収まった。


 俺はそれを握り締めると、ホームの階段を駆け下りて、彼女のいるホームへと向かって走り出した。


 今度こそ、自分の力でそれを勝ち取ってやるために。



 彼女の屈託のない笑顔を見た瞬間、爺さんが俺に残したかった物は金などではなかったのかもしれないと、そう思えた。


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