六郎くんの家庭事情


都内でも高級住宅地と呼ばれる場所の、更にその中でも一等地に構える“とある豪邸”。

この家には、世界中で知らない者はいないと言われている一家が暮らしている。

その名は、神壁家。

当主の神壁獅子雄は、先代の父が経営していた小さな町工場を引き継ぎ、天才的な経営手腕と類い希なるカリスマ性に加え、奇想天外な発想力で世界企業へと発展させた。

世界規模の大企業となった神壁コーポレーションでは、ロケットから100円グッズまでありとあらゆる商品を扱い流通させており、世界の25%は神壁で作られていると言っても過言ではない。

そんな豪腕の経営者と呼ばれる神壁獅子雄は美しい妻と結婚し、3人娘達と4人の息子達を授かり、そこへ1匹の犬を加えた大家族で幸せな暮らしをしている。

その中でも、神壁家の四男“神壁六郎は、天才的な頭脳に加え身体能力も高く、将来は獅子雄の後継者と噂されている人物である。


朝陽のまぶしい光に起こされ、一人のイケメンが目を覚ました。

一人で使うには広すぎると感じるような10坪もあるこの部屋は、神壁六郎の寝室兼自室である。

キングサイズのベットでパンツ一枚の半裸という寝姿は、この部屋の主である神壁六郎の昔からの習慣である。

ベットから起き上がった六郎は、寝ぼけた頭を覚ますため窓辺に立っていた。

朝の温かな陽射しと、春の柔らかな風を感じながらのんびりと朝の余韻に浸っているのである。

そこへ、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

トンットンッ。

小さく開いたドアから、背筋の伸びた白髪交じりの細く長身な紳士の装いをした眼鏡の似合う初老の男性が、小さく頭をさげ六郎に声をかけた。


「六郎様、朝食のご用意が整いました。

皆様お待ちかねですのでダイニングへお越しください。」


「わかった。ありがとう田村さん。

着替えを済ませたらすぐに向かいます。」


「かしこまりました。

では、お待ちしております。」


田村と呼ばれた初老の男性は静かにドアを閉め、そのまま去って行った。

この田村さん、実は只者ではない。

今年で70才になる田村政宗。

歳を感じさせない俊敏さに加え、頭の回転が速く機転も利く。

神壁獅子雄が成功したのも、この田村がいたからこそである。

その正体が、悪魔や天使ではないか言われてもおかしくない程に、家事はもちろん大抵のことは何でもこなし、全使用人の憧れ的な存在である。

もちろん神壁家に仕える使用人のトップであり、この人がいないと神壁家はまわらないとまで言われる程の切れ者なのだ。


田村が呼びに来たと言うことは、全ての“朝食”の準備が整ったと言うことだ。

六郎は、田村が去って行った後、早々に身支度を済ませ、部屋の出入り口扉の前に立った。

(よし。今日も俺は、完璧だ。)

自室の扉の内側に張られた鏡で、様々な角度から自分の姿を見渡し、日課となっている“俺的チェック”を終えると、満足げに部屋を出た。


ダイニングの重たく大きな扉を開けると、見慣れた8畳ほどの広さのあるテーブルに、今家にいる家族が座り、周りには田村を含めたこの家で働く執事とメイドが六郎の到着を待っていた。

今いる家族とは、家族の中でも2人足りないからだ。

別にやましい理由があるわけでもなく、長女の一美は結婚して海外生活を送っており、長男の二郎は出張中の為留守にしている。

そんな二人を除いた他の家族全員がテーブルに揃っている。


ダイニングテーブルには、一見豪華で美味しそうな雰囲気を漂わせた母の手料理が並んでいる。

そして、六郎が来るのを待っていた家族全員は、誰も食事に手を付けようとしない。

ちなみに、この家では料理の得意な田村のような執事やメイドがいるにもかかわらず、朝食だけは獅子雄の妻である美和子が作る事になっている。

夫婦共に、お互い仕事の忙しい日々を送っていたある日、美和子が母らしい事をしたいと獅子雄に言ってきた際、何故か獅子雄はこの“朝食”を美和子にやらせるという承諾をしてしまったのだ。

何故、そんな余計な事を承諾してしまったのかは謎である。

これには深い事情があり、美和子はどうしようもない程の味音痴なのだ。

なんとその料理は一度味見をしてから、食卓に出される。

そう、美和子は料理の下手な人によくある味見しないという常識が通用しない特殊な人種なのだ。

そして、これはもはや食べ物ではない。

美和子の作った料理を例えるならば、科学兵器と言えるレベルのものである。

美味しそうな見た目に加え、何がどうなったらそうなるのか、食欲をそそるよい香りがする料理に、そんな事が本当にあるのかと信じなかった使用人が昔一人いた。

美和子の手料理を食した生きる伝説と言える獅子雄の忠告を聞かなかったその使用人は、一口食べた後意識を失い救急車で運ばれていった。

集中治療室で一命を取り留め、なんとか意識を取り戻した彼が言った一言は、

「三途の川のほとりには、美しいヒナギクの花とユリの花でいっぱいでした。」

と夢うつつな事を言っていたという。

結局その使用人は、その後も悪夢にうなされる生活を送り、心の病にかかったという名目で離職する事になってしまったのだ。

心優しく人柄も良かったのだが・・・

美和子の手料理で、惜しい人材を失ってしまったものだ。


そんな“朝食”が並ぶ神壁家では、今「いただきます」という恐怖のかけ声を発しようとしている。


「がはははは!

おはよう、遅かったな六郎。

早く席につきなさい。せっかくの料理が冷めてしまう。

がはははは!」


「わかったよ親父」


扉の前で気の迷いか、立ち尽くしていた六郎にダイニングの奥から大男が声をかけてきた。

ダイニングテーブルの奥、上座に座する筋肉隆々の大男は、どう見ても筋肉バカにしか見えないが、この漢こそ神壁コーポレーションを築いた神壁獅子雄である。

服の上からでもわかる程にたくましく盛り上がった筋肉に加え、豪快な風貌という外見では想像も出来ないくらい天才的な頭脳と天性のカリスマで神壁コーポレーションを世界企業にした張本人である。

獅子雄の横には、料理を創った美和子が座っている。

本来なら、獅子雄の美和子とは逆側の席に座るはずだった長女一美の席と、美和子の隣に座る二郎の席が今は空いている。

そんな感じで、獅子雄と美和子の二人が座るテーブルの奥から、長男長女といった順に座る決まりになっている。

六郎は、決められた自分の席に向かおうとした。

すると、妹の七々子がにっこりと満面の笑みで六郎に近づき、大きな瞳でじっとを見つめながら、


「お兄様♡

どうぞ♪こちらへ♡」


と言って、六郎の腕を全身を押し当てるように抱え、席まで引いていった。

七々子は神壁家の中でも末っ子で、とても甘えん坊な妹である。

六郎から見れば2才年下で、この春からは中学生2年生になる。

七々子は、長くさらさらな髪が揺れ、まるで出来過ぎたフランス人形を画に描いたような美少女である。

その純真無垢な笑顔には、ファンクラブが発足されるほどの可愛さと美しさを持っている。

六郎の座る場所は元々、左右に振り分けられたテーブルの順番では四郎の隣で五郎の前だったが、ある日を境に突然七々子と次女の三和の横に座る事になっていた。

そして、七々子とはテーブル配置だけでなく先ほどの席までの案内も含め、何故か色々といつも物理的に距離が近い。

七々子は、いつも六郎だけに対して必要以上にべったりな態度をする。

七々子の六郎に向けられた妹の愛情は、時々殺意すら感じる程である。

ある日、六郎が諸用で七々子の部屋に訪れたとき、留守だと思った六郎が七々子の部屋を開こうとした瞬間、全力疾走の七々子が扉を

バタン!!

と、勢いよく閉め、六郎の前に立ちはだかった。

その時の七々子は、異常な程の冷や汗と引きつった笑顔という、普段では見ない表情を浮かべていた。

そして、要件だけを早々に済ませたが心配になった六郎は、執事の田村に七々子の様子がおかしいと相談した。

すると、


「七々子様もお年頃ですので、六郎様、乙女の部屋に入るのは、やはり控えた方がよろしいかと思いますよ。」


と言われ、六郎は一先ず納得した。

しかし、その直後田村が小さく口にした、

(・・・知らない方が、良いこともありますから・・・)

という言葉が、六郎の中で今でも引っかかっている。


六郎の引かれた腕はそのままにした状態であるが、家族全員がダイニングテーブルに揃った。

座った六郎は、

(席が七々子の隣に移った時からイスが変わったような気もするが、きっと些細な事だろう。)

と少し前の事を思いだしていた。


そして、獅子雄の一言によって、今朝も緊張の“朝食”が始まった・・・


「全員揃ったな。

よし!

ではいただこう・・・か。」

と、獅子雄がナイフとフォークを手に取った瞬間、美和子が何かを思い出して急に立ち上がった美和子は、にっこり笑顔の横で両手を合わせて、


「そうでしたわ。

卵を使った料理にはやっぱりマスタードがなくっちゃね♪

今取ってくからちょっとみんな待っててね♪」


と言い、美和子は席を立った。

家族の重い空気の詰まったダイニングの重たいドアを開けた美和子が振り返り、執事の田村に向けて、


「田村さん。

マスタードはどこにしまってあったかしら?」


「はい奥様。

マスタードは、確か第一厨房の第二冷蔵室に入っていたと記憶しております。」


美和子に対する田村の返答に、家族全員が、

(グッジョブ!田村さん!!)

と、テーブルの下で小さくガッツポーズをとった。

この屋敷には厨房が二つある。

その理由は、もちろん美和子が使用する厨房と、普段使用人が使っている厨房を分ける為である。

そして、第一厨房と呼ばれる美和子の厨房は屋敷の端に位置し、往復するだけでも10分はかかる。

ちなみに、使用人が使う冷蔵庫は業務用が2台程度だが、美和子の作り置きやオリジナル調合の品々は入りきらないために、冷蔵室という別棟を増設したのである。

しかも3棟。

ここは、世界が滅亡するには十分の化学兵器が眠っていると思っていただいてかまわない。

そんな場所へ美和子がマスタード1個を取りに行くだけで、所要20分。


その間、ダイニングではすさまじい勢いで、テーブルに並んだ兵器が料理へとすり替えられる。

美和子の作った料理のコピーを寸分違わず、そっくりそのまま美和子の皿以外全員分を準備し差し替えるこの“朝食”という行事を、神壁家では毎朝行われる。

そして、必ず起こる必須事項が、美和子のうっかり癖だ。

7人の子を産んだとは到底思えないプロポーションと美貌を持ち、天才的な頭脳で世界中を飛び回る敏腕国際弁護士として、数々の難事件を解決し多くの伝説も残してきた美和子の本人が自覚する唯一の欠点が、このうっかり癖である。

そして、料理という名の兵器開発は、本人が唯一気付いていない汚点である。


このうっかり癖と、すり替え料理を毎日作っているメイド長の山崎寧々のおかげで、神壁家の健康の命は守られている。

メイド長をしている山崎寧々は、美和子との付き合いが長く、独身時代から秘書として美和子をサポートし続けてきた。

美和子が信頼する人物の一人である。

そんな寧々は、見た目が女子高生で何年もその姿のままだという。

もしかしたら魔女なのではないかという話も出てきそうだが、まんざら嘘でもないようだ。

そして、寧々の幼い見た目から想像も付かない実年齢は、獅子雄ですら知らない事実である。


ダイニングに戻った美和子は、美和子オリジナルのマスタードを手に、るんるんの上機嫌だった。

毎日、この間に何が起こっているかも知らずに。

改めてテーブルに付いた美和子は、自分がつくった朝食にたっぷりのマスタードをのせ、満面の笑みで食している。

家族もまた、美味しい食事を楽しみつつ、誰一人として美和子のマスタードに触ろうともしなかった。


こうして神壁家の恒例行事“朝食”は無事済んだのであった。


朝食後、自室で仕事の準備を済ませてから会社に向かう獅子雄とは違い、足早に会社へ向かう美和子を、六郎はかわいい妹七々子に抱きつかれながら見送る。

仕事では、田村や寧々のサポートがあるおかげで、美和子のうっかり癖は発動しない。

そして、仕事は完璧にこなす美和子である。


六郎は、そんな美和子の良いところだけを色濃く受け継いだ息子なのだ。

そう、色濃く・・・

少し面倒なところも含めて。


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