Ⅲ.自主企画の一定層へ警告!(創作論)

『~レビュー企画から来ました。これからも頑張ってください』


 最初に忠告します。これはと同じですよ。


 なぜならカクヨムの中で信用を失うからに他ならないからです。

 カクヨムでは、自主企画、感想、レビューが盛んなため、読者と作家との信用が生まれます。故に、カクヨムはネットの中の社会と言えるでしょう。

 つまり、それを書くことは、自身から社会的に死にに行っているのと同等の行為であと思うのです。


レビューします。と自主企画に明記されているのに、個人の小説へのコメントに、『~レビュー企画から来ました。これからも頑張ってください』としか書いていないのです。

最悪です。読んでないと判断できます。これでは、企画主の信用がなくなります。

繰り返しになりますが、カクヨムという社会は結びつきがあります。

そんな中で適当な言葉は死と同じです。

遺言です。それを預けた企画主は最低です。


 なぜ、こんなことを書いたのか?それは、先日ある方に言われたことが原因だ。

 その方は

「この自主企画も、他の自主企画のようにロクに見ないでコメだけを残す企画だと思って覗いた。だが、点数つけて評価するあたりまだマシだな。」


 という趣旨のコメントをされたのだ。私の心情としては、


            『余計なお世話!!』


 なぜなら、前回の企画に参加していただいた50人強の方のレビューを自分なりに時間をかけたうえで、丁寧に書ききったのだから。もちろん、全文読んだうえでだ。

 どうして決めつけるのか? そんなに多いのか・・・? 

 それがきっかけで、遺言がとても気になるようになった。もちろん、悪い意味でだ。


 それはもう、はらわたが煮えくり返るほどに。


 私の結論としては遺言を書くのであれば、自主企画をしなければいいと思う。

 しかし、自主企画にはメリットが存在する。

 自分の小説を自主企画経由で読んでもらいやすくなるのだ。


 もちろん、私もそれを狙った一人である。結果、閲覧数やレビュー等も増えた。

 それでも私は時間をかけてでも丁寧にレビューを書いている。それは、一生懸命書いた小説に目を通さないのは失礼にあたるからだ。もちろん、そのことでたくさんの面白い物語と出会えている。


 読んでいて特に見ているところは、文章、言葉の使い方。

 私は誰でも気軽に見られるように難しい言葉は使わないようにしている。しかし、私とは逆に難しい言葉を使い、物語の雰囲気を際立たせている小説もある。

 これはあくまでも一例だ。しかし、このようにどんな作品でも必ずいいところはあるのだ。

 読んでレビューをするのならまだ分かるけど、読まないで参加者様の感想欄に遺言なんて書くのは最低だ。


 最後に。


「ねーねー、遺言預けまくってる企画主見てるぅ?待っててね」

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