Ⅱ.書き方を強制する傾向について(創作論)
私は思うのです。これは、WEB小説の書き方についての疑問です。
哲学的な話になりますが、なぜ、WEB小説的な書き方をこの場所では要求されるのでしょうか?
確かに、ウェブコンテンツに間違いはないのですが、そのような概念おかしくね?と言っているのです。
それが読みやすいから? それともそれがルールだから? はたまた皆同じ書き方をして欲しいから?
確かに、カクヨムのページで執筆作業をしていると、WEB小説に適した文字に配列してくれる機能があります。
しかし、それを使っていない人はどれほどいるのでしょうか?
たくさんいそうですね。
ここで、問です。なぜ人は殺してはいけないのか?
哲学の世界では、古くから議論が行われていますが、今でも答えは出ていません。それと同じで、WEB小説の書き方をなぜしなければいけないのか?
これに関しても答えられる人はいないのではないのでしょうか?
つまり、求められてもないのに全く関係のない場所に書き込んでくるKY。
小説の感想にかけばいいのに。
さらに、求められてもいないのに、さも自分が偉いように批評する。あなたは何様ですか?
私はそう思ってしまいます。もう一度いいますが、感想に書くのであれば、それも一つの感想であると受け取れるのでKYだとは思わないのです。近況ノート。それもまったく違う内容の。そこに投稿されると何しに来たのか?と腹が立ちます。
よく、周囲と哲学の話をしていて、いわれるのですが、私の哲学理論には感情が計算されていないと言われるのです。なぜ、こんなことを書いたのか? それは感情の問題ですね。プライド・・・といいましょうか・・・。
私は、その人の近況ノートを見て思ったことがあります。言葉の使い方間違ってるよ、と。
と、すると私も何様だ? となってしまうので、これ以上は・・・うん。
まず、人に何様かと問うたのに、私自身がいつの間にか上から目線に評価しているのです。
哲学とはあらゆる観点からツッコむとことが重要だと私は考えています。
って、あ。いつの間にか脱線してました。その話はまたいつか語るとして、
そもそも、WEB小説の書き方とはなんなのか?なぜ、それを強制させれる空気になっているのか?
まず、WEB小説とはなんなのかという点ですが、私の持論で言いますと、
個人が自由に描く非営利の物語を読んでもらうこと。
これは、書き方を強制されることにつながりますが、あくまで非営利なんです。
読んでいる方はあくまでも読ませていただいているという立ち位置になるのが必然なはずです。
しかし、大手投稿サイトでは読んでもらっているという雰囲気です。
もちろん、私自身も読んでもらっています。
それはなぜか?前述した需要と供給の問題です。供給が少ないのです。
イメージからしますと 8:2 のような。
しかし、本来なら書き手がいないと読み手はいません。読めません。
この風潮は読み手を呼び込むことで解消が予想されますが、その話をするとそもそも、なぜ読み手が入って来ないのかという話になります。
今回はその話はややこしくなるので割愛します。
さて、では、振り出しに戻りまして、なぜWEB小説の書き方をしないをいけないのでしょうね?
そもそも、その書き方があっているのであれば、ルールに記載されていますよね?
あくまでもオススメされているだけなのではないのでしょうか?
これが私の持論です。もしよろしければ、肯定意見や反対意見を書いていただけると非常に嬉しいです。
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