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「清川さんと澄岸くんでしたね。ここでは体験レッスンと言っても、基本的には自由に伸び伸びと描いてもらっているんですよ。なのでお二人もまずは好きなように描いてみてください。過程の様子を見ながら、アドバイスはしていきますから」
”自由に“。どちらかと言わなくとも、私があまり得意ではないお題である。
その事が思い切り顔に出ていたらしい。
一本先生が壁際に設置されている棚から、いくつか本を持って戻ってきた。
「もしかして何か題材があった方が描きやすいですか?」
「…はい」
「でしたら、こちらを参考にしてみてください」
手渡された本をパラパラ捲ると、教科書で見たことのある絵や、世界の絶景特集で見覚えのある湖やお城の写真が載っていた。
「様々な風景写真や有名な絵画の写真集です。気に入ったものなどあれば、今回はそちらを真似して描いてみてください。余裕がある時は、アレンジを入れてみても良いですよ」
「ありがとうございます。でも、どなたかの作品を真似して描いてもよいのでしょうか?」
「商売目的でなければ問題ありません。上手い人の真似をするのはよい練習になりますし、ただ観察するだけでも勉強になりますから。それに、こういう事も含めての“自由”ですからね」
「わかりました。でも、そもそも私、絵を描く事があまり得意ではなくて……」
「得手、不得手は主観によるものなので何とも言えませんが、これは学校の課題ではありませんから、どうぞ肩の力を抜いて楽しんでみてくださいね」
「ありがとうございます」
一本先生のおかげもあって、緊張感が程よく抜けた。だからといって、描くものがすぐに決まるわけでもなく。
数分悩んだ後、最終的に運に任せることに決めた。目を瞑ってパラパラと本を捲り、止めたページの絵画を題材にする。
「てーんーのかーみーさーまのー言ーう通ーりっ。……なるほど、これですか」
開いたページにあったのは、作者名と作品名が混同されがちな事でも有名な、ムンクの『叫び』だった。
「……ふぅぅ」
細く息を吐き出しながら、腕を伸ばして体を解す。知らず力が入っていた背中や肩が痛気持ちいい。
周りが静かな事もあって、自分でも驚く程に集中出来た。評価を気にせず描くと言うのは案外楽しいかもしれない。
隣に目を向ければ、ちょうど賢琉くんも筆を置いて休憩に入ったようだった。
「真実、そっちはどうだ?」
「一応は仕上がりました。賢琉くんは何の絵を描いたんですか?」
「見てみるか?」
席を立ち、賢琉くんの背中側に回る。
どうやら賢琉くんも、一本先生が持ってきてくれた資料から題材を選んだらしい。
そこには『叫び』に負けず劣らず有名な女の子が描かれていた。
「フェルメールですか?」
「フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』だ。本物は油彩だが、今回は水彩でどこまで雰囲気を寄せられるか試してみた」
「おー!さっすが澄岸くん。何やっても器用だよね」
同じく作業が一段落したらしい千紗希ちゃんも、隣から覗き込む。
「さてさて真実はどんな感じなのかなー?……ってこれはもしかしてムンク?」
千紗希ちゃんの表情が一瞬にして訝しげなものに変わる。
「……もしかしなくともムンクですよ。選んだ経緯は偶然ですが、曲線も多いですし、比較的シンプルかと思いまして」
「いや、うん。真実の言いたい事もわかるけど、これバランスとか色合いとか結構考えられてると思うからね?まぁ、これはこれで真実らしくていいんじゃないかな!」
「確かに新解釈が出来そうな斬新な絵だな」
「賢琉くんのそれは褒めてくれてます…?」
「当たり前だろう。もし何かアドバイスするならば、学校の課題でデッサンが出た時は、もっと注意深く、よく見るといいと思うぞ、というくらいだな」
二人からの言葉を前向きな方向で受け止める事にして、今度は千紗希ちゃんの絵を見せてもらった。
「私のはね、これ!絵を描く二人」
「賢琉くんと私、ですか」
与えられたのが同じ時間でも、普段から絵と向き合っているだけあって、さすがの完成度だ。
「今、文化祭で展示する作品に本腰入れてるからさ、たまにはこういう落書きで休憩入れたくなるんだよね」
「文化祭って、まだ随分先ですよね」
「早い人はそろそろ取り掛かってるよ。私も、締め切りを気にせずに納得いく作品を出したいから、超余裕を持って始める事にしたんだ」
「そうなんですね。私も千紗希ちゃんみたいに、落書きでも何でもさらさらっと描けたらいいんですけど」
二人と比べるわけではないが、絵が苦手な自覚があるだけに、上手い人を見るとつい羨む気持ちが出てしまう。
「あのね、真実。何事にも上達の裏技ってのはなくて、なんだかんだ地道に練習するのが一番の近道なんだと思うよ。ってこれ、実は壱波先輩の受け売りなんだけどね」
小さく舌を出して千紗希ちゃんが笑う。
「昨日の澄岸くんの、正しい答えを導き出すのに近道はないーって言葉で思い出したんだ。前に、スランプ気味だった時に、絵を上手く描くコツとかあるんですか?って聞いたら教えてくれたの。あんなに上手い人も地道に練習してるんだって思ったら、私ももっと頑張らなきゃって思えたんだ」
「正攻法が一番の近道、という事ですか」
「もちろん人によってそれぞれ違うと思うけど、真実はこうと決めたら一所懸命になれるタイプだから、きっと絵も続ければ上達するよ。私が保証してあげる!ま、今の絵も味があって好きだけどね」
「……ありがとうございます」
千紗希ちゃんの言葉がすうっと胸に染み込む。
真正面から褒められ、なんだか少し照れ臭くなる。何とはなしにずらした視線の先に藍田依の背中を見付けて、今日ここへ来た本来の目的を思い出した。
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