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各々手近な椅子を引き寄せて、第二美術室の中心に集まる。机を挟まない分、いつもより距離が近くて少しだけ緊張する。
「水瀬ちゃんから聞いてるだろうけど…」と、タイミングを見計らって因幡先輩が俯きがちに話し出したので、私も意識を先輩に向けた。
ちらりと賢琉くんを窺うと、先輩ではなくまた絵の方を見詰めている。今回の聞き役は私に任せるという事だろう。しっかり集中しなければ。
「まず、あの絵が
「あの、そもそもどうして絵を譲って頂ける事になったんですか?」
「私もそれは疑問に思って最初に聞いたんだけど……。これはあんまり人に話すような内容じゃないから、出来ればここだけの話にしてくれる?」
「はい」
「兵藤先生とその画廊さんというか画商さんかな。中学からの同級生なんだって。二人とも絵が好きっていう共通点があったから、同じ高校選ぶくらいに仲が良かったみたいなんだけど、高校生のある時、そのお友達さんの家が大変な時期があったの」
「大変な時期、というのは?」
「何でも家族ぐるみで小さなお店を経営していたみたいなんだけど、そのお店が倒産しちゃったんだって」
「それは……」
思わず言葉に詰まる。口で言うよりずっと、何倍も苦労したに違いない。
「兵藤先生、結構面倒見の良いところがあるからさ。その人の事も放っておけなかったんでしょ。一緒にアルバイト先を探して働いたり、引っ越しの作業を手伝ったり、勉強を教えた事もあったって言ってた」
生徒の間で流れる噂のイメージからすると少し意外な一面だ。そう思ったのが顔に出ていたのだろう。因幡先輩が小さく笑った。
「関わりが少ない一年生はまだ怖いって印象の方が強いかもだけど、兵藤先生は感情があまり表に出ないだけで、案外話しやすい人だよ」
「そう、なんですか」
「でね、諸々落ち着いた後に、お礼の気持ちってあの絵を贈られたそうだよ」
「では絵は元々その方のご自宅にあったものなんですか」
「うん、何でもお父さんが絵とか好きな人みたい。作者とか知名度とかは関係なく、自分の気に入ったものをちょこちょこ集めてたんだって」
「素敵なご趣味ですね」
「まぁそのコレクションも、それなりの値段が付くものはほとんど売っちゃったそうなんだけど、奈菰さんは出身がここら辺って噂もあったから、最後まで手放さなかったんじゃないかな」
「その噂というのはどちらで聞いたものなのでしょうか」
「そこまではさすがにわからないや。昔からこの辺に住んでる人だったら何か知ってるかもしれないけど」
噂というのはそういうものだろう。出所が不確定で、時に尾ひれが付いて形を変える事もある。鵜呑みにする程の信憑性には欠けるものが多いが、中には真実を語っているものもある。今回のものはどちらだろう。
「では次に、絵や鍵の管理をどうされていたのかお聞きしてもよろしいでしょうか」
「美術部は週二日で活動しているんだけど、普段は曜日関係なく開放してるの」
「それは少し不用心なのでは…?」
「あはは、大丈夫。こんな所に大したもんはないし、ちょっといい筆とか画材は鍵が掛かる棚に仕舞ってるから。それにいつでも開けてれば、部員のみんなが好きな時に描きに来られて便利なんだよ」
「なるほど」
「でも今回は一応防犯を理由に施錠してたよ。鍵の管理は基本的に先生がしてたんだけど、テスト明けに出張があるって事で、部活休止期間中から部長の私が預かっていたの」
「では、テスト期間中はずっと部室を閉めていたのですか?」
「うん!……って言いたいところなんだけど、実はそうでもなくて。やっぱりずっと机と教科書に向き合ってはいられないんだよね。息抜きしたくて、一回ここに来ちゃった」
いたずらが見付かった子どものように笑う因幡先輩を見ながら、心拍数が僅かに上がる。もしかして、という思いが、水に垂らした絵の具のようにじわりと広がっていく。
「……あの、テスト期間中に部室を使ったのは因幡先輩だけなのでしょうか?」
「いや、他にもいるよ。まさか部活動休止中に職員室に鍵を借りに行くわけにもいかないからね。私のとこに直接鍵を借りに来た人が二人」
「その二人というのは」
因幡先輩が挙げた名前。奇しくもそれは、先程“当たりを付けた”二人の名前だった。
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