共和国協定千四百三十七年 立夏

 納品の一行が帰ってくるまでに七十万発ほど銃身清掃具と云う名目の被筒付き銃弾は完成していた。

 不良の殆どは被筒の割れ欠けで、機械が自動的に弾いていて二万ばかりが再利用に回っているが、更に四千発あまりの試射で不発不良はおよそ百五十発。

 マスケットを未だに装備せざるを得ない部隊の不発率に照らせば致命的な数とは云えないが、大隊で一斉射撃をすると何発か問題が起きうる数だった。

 一桁できれば二桁気分の上では三桁減らしたいところだったが、原因は銃弾の製造以外に小銃側にも問題があった。

 理由は見当がついていた。小銃の撃針が千発前後からガタつき始め十分に薬莢の縁を叩き潰せないことがある。思いの外、銃内部にガスが走り、撃針を支えているバネに熱を与えて鈍らせているらしい。

 銃身清掃具と云う名目として作られた新型銃弾はもちろん燃焼室外で燃焼するようなことはなく、純正の銃弾で時々起こるような燃焼中の火薬が薬莢を割り破り銃内部のアチコチに撒き散らされた火薬が燃焼するというようなこともなかったが、それでも薬莢から漏れた燃焼ガスが吹き出してしまうことはあり得たし、実際にそれが原因で小銃の動作を怪しくすることはあった。

 もともと比較的扱いが良かったはずの小銃自体の工作精度もそれぞれ一シリカ以上の個体差というべき寸法誤差が部品のアチコチにあって、単純に銃弾の材料や寸法或いは物性だけで対処することは難しかった。

 どういうことかと云えば、例えば、正確に動作する小銃三丁を一旦バラバラに部品単位に分解してそれぞれをシャッフルして三丁の銃を組み立てると、正確に動作しない銃が出来ることがある、ということである。

 これには流石に各師団から協力に来てくれた下士官たちも苦笑いするしかなかったし、まさか自分たちが新兵器と考えていた武器がこれほどに稚拙な出来とは思ってもいなかった。

 一旦そうなってしまえば仕方がないから、手元の材料で使える部品を作るしかなかった。

 幸い、ローゼンヘン館の工房には必要な部品を必要に合わせて作るだけの材料も工具も揃っていた。

 試験用の小銃の交換部品は必要として、判明してしまった不備にどの程度早手回しにするかは考える必要もある。

 一日千発以上の射撃や二千発以上無点検ということは多くはないだろうが、もともと傷んでいる不出来な小銃に当たることはありえないということもない。

 撃針とそれを支えるバネをなんとかすれば、一応の解決の目処がつかないわけでもないが、どれだけ必要かわからない何物かをこの忙しい状況で準備することはできない。今のうちは試供品の銃弾の反応と報告を待っての様子見をするしかない。



 軍都に赴き、イモノエ師団に荷物を届けその足でキンカイザに立ち寄り、更にヨーセン師団に新型銃弾もとい銃身清掃具の試射サンプルを二万発届け月産二百万発程度の目処が付いたことを連絡した。

 マクマール中佐は驚き半分喜び半分という表情で試射用の銃弾を受け取った。

「戦況はどうですか」

 マジンの軽い問いかけに、マクマール中佐は鼻で軽く返事をした。

「帝国軍がこちらの数の少ないのに合わせてひとあたりしてくれたが、感触が違うというのを見切ったらしく、陣地に篭ってしまったようだ。詳細は分からないが、お互いに増援待ちというところだろう。アタンズは一息ついたが、勝てているというほど気楽な状況でもない。負けていない。というところが正直なところだろう」

 マジンは自分で尋ねておいてマクマール中佐があっさりと答えてくれたことに少し驚いていた。

「ペイテルはどうなんですか」

 そのままの勢いでマジンは重ねて尋ねた。

「押されている。が、砲を集められていたアタンズほどの危機ではないはずだ。鳥を一羽落としたのが大きい。アタンズは火薬庫を半分やられていたらしい」

 マクマール中佐はこれもあまりためらいなく答えた。

「軍機ですか」

 マジンの確認にマクマール中佐は頷いた。

「もちろん軍機だ。だが週明けの大議会用の回覧に流れる内容だ」

 マクマール中佐の説明は中佐がなぜアッサリとマジンに戦況を明かしたかの説明でもあった。

「すると」

「無論、軍令本部から機関小銃の予算化が請求されるはずだ。兵站本部もアタンズの再築城に向けて物資と輜重を動かし始めた。おかげで馬匹も行李も我々が好きに集めることができなくなった」

 マクマール中佐は世間話のように話題を変えた。

「あれから三つの師団から引き合いが来ました」

 マジンの言葉にマクマール中佐は頷いた。

「我々としては三ヶ月のうちに、キミのところで作っている、この銃身清掃具というヤツを可能なかぎり充当できれば押し返せるはずだと、イモノエ将軍のところから回ってきた試射の報告書を読んで感触を得ている。まったく、過日キオールに呼ばれて行った席で半信半疑だった自分に今の軍の有様を見せてやりたいところだよ。……ところで、キミのその行李――貨物車に百人ばかり乗るだろうか」

 マクマール中佐の言葉は流れを受けての別の話の前触れであった。

「大きさとしては乗りますが、その。座席や寝台の手当がないので、かなり跳ね滑るようです。中には荷物を固定するために鈎の類の準備があるのでハンモックを用意すると良いかもしれないという話もありましたが、いずれにせよかなり揺れるので一両あたり三十人というのは少し狭いかもしれません」

 マクマール中佐はその話を聞くとマジンに部下をひとまとめデカートまで便乗させて運んで欲しいと頼むと、従兵にレイザン少佐を呼び出させた。

「レイザン少佐。事前の打ち合わせ通り、デカートにて第三輜重大隊を編制してもらう。中核となる士官下士官については、ただいまゲリエ氏に便乗させてもらう許しを得た。デカートの兵站部にも既に連絡が付いているはずだが、こちらのほうが早いかもしれない。徴募任務は経験があるはずだが、今回の編制任務は戦局にとって極めて重要な意味合いを持つ。部下の掌握を徹底して、遺漏遅着のないようにしてほしい」

 既に軍都周辺では騎兵用の軍馬はともかく馬匹の徴用が難しい段階になっているという。

 どこの町々までが戦争体勢であるのかは分からないが、先月から始まった共和国軍の反撃によって徐々に戦争の熱は共和国に伝わっていた。

 デカートでも鉛と硝石それに銑鉄が随分と値上がりしていた。

 ともかく緒戦の敗北の衝撃が半年あまり経ち、誰かのせいではないと云えるくらいには立ち直った。そういうことである。

 レイザン少佐とその部下は途中の町々で幾らかの必需品を整え、デカート北側のイズール将軍の輜重隊がもっぱら待機に使っていたマジンの私有地で野営の支度を整えるとそこを拠点に輜重を編成することになった。丘の風車の脇には簡素な小屋が数軒と幾つかの竈ができていた。

 レイザン少佐は、機関車を三両と機関小銃二百丁と銃弾二百万発、銃身清掃具を一千万発を二千万タレルで希望した。

 三ヶ月で一千万発は如何にも無理を感じたが先行する師団に弾薬を補給することを考えているのであれば、意図そのものは明らかだった。五ヶ月以内、日が短くならないうちに反攻作戦に参加する戦力の完全編成を希望していた。

 それからの数ヶ月はマジンにとっては全く衝撃的ですらあった。平凡な人々の営みがあるひとつの目的を持って動き始めた途端に瞬く間に風景を変える。そういう事例をレイザン少佐の百十五名の部下は示した。

 ただ井戸で汲み上げた水を溢れこぼしていた風車が立っていただけの丘を、レイザン少佐とその配下は五千頭の馬が常駐する牧場へと変え、その地は鉄道が完成するまでの数年間、毎年一万にやや欠ける馬匹を東に向けて送り出した。

 名目上は師団配下の輜重大隊であったが、馬と兵隊の数がそれほど違いがあるはずはなく、一見優しげな悪く云えば小娘然としたレイザン少佐の実は徹底した手配りによってデカート或いはその周辺から期間中毎年一万人近い兵隊或いは軍属の徴募がおこなわれたということを意味している。

 共和国軍の徴募はもちろん噂に聞く海兵の徴募ほどに、酔わせて船上に拐い、というほどには乱暴なものではないが、日雇い小作人ほどに気ままなものであるはずもない。



 共和国軍の士官が極当たり前におこなう徹底した人集めに比べれば、マジンの、ローゼンヘン工業の人員調達は全くささやかな内容だった。

 マジンは学志館で就職希望の若者たち、多くはマジンに師事を受けたいと願っている様々に野心あふれる二百七十三名の若者たちにこれからのマジンの計画について語った。

 小銃と弾薬の生産と材料と製品の輸送、そのための輸送路と資材製品倉庫の確保。

 輸送装置としての機関船の建造、機関車の生産。

 更に大規模輸送のための鉄道の建設。

 そしてそれらのための資材の生産と集積。

 更に資材製造のための原料資源調達確保と精製。

 すべての過程における人員のための生活環境の設定と維持。食料被服や衛生維持。

 五千人規模の労働力を採算確保するためにヴィンゼの人口を最終的に五万人規模に拡張する。

 拡張に耐えられるだけの環境を整備する。

 その場にいた若者たちは、自分たちと年齢のそれほど違わないはずのマジンの言葉に衝撃を受けた。

「だが、その初年度に挑む諸君らのなすべきことは、純粋に肉体労働だ。木を切り土地をならし、道を開き、家を建てる。当面最初になすべきことは、ヴィンゼまでの道を新たに開くことになる。そのための肉体労働とその支援や準備だ。

――衣食住は準備する。道具も準備する。給料も払う。だが、もし仮にボクに師事することで何か学問的秘儀に触れられると思っているなら、それは勘違いだ。

――少なくとも当面、戦争の様子が見えるまでは、君たちは樵や農夫と変わらないぐらいに肉体労働をしてもらう必要がある。おそらくは港口で働いている日雇い人夫のほうがまだマシだと思うくらいに肉体労働をおこなうことになる。怪我の治療はもちろんこちらでおこなうが、ヴィンゼという田舎には医者は一人しかいない。獣医も一人だ。そう云う土地であることも理解したうえで、なおボクがおこなおうと思っている事業に合力する気のあるものだけ、残ってほしい。

――年内の初任給は金貨で三枚だ。医者は金貨で十枚払う」

 マジンの言葉に若者たちは先程とは全く別の衝撃を受けた。

 当然に失望の声も多い。

「経理とか測量とか出来ますが」

 若者達の中から質問の声が上がった。

「医者以外の技能は全く不要だ。君達の中にどういう技能があるのか、いまボクは全く興味が無い。初年度は諸君らの内面にかまけている隙がないほどに忙しい。一年で成果が出ないと事業が破綻する可能性さえある、という意味で君達の労働は刑務所や収容所の強制労働よりも遥かに厳しい。ということを自覚したうえで挑んで欲しい。

――ボクがこれから手掛ける事業はデカートのみならず共和国を根底から変える。世の中の人々の有り様を大きく変えることになる。そう云う事業になる。

――だがそれを示すには結局は人の手と足、血と汗と涙が必要になる。それも短期間にだ。ボクが君達に望んでいるのは気力体力と執念だ。それ以外の細かなものは一切不要だ。こちらで用意する。

――医学者は別に申し出て欲しい。別枠で採用する」

 全く単純に分かりやすく篩を掛ける意味で半ストンの分銅を一つづつ両手に下げたまま、自己紹介ができないものを失格として扱うことにした。バカバカしくすらあるが、それで肉体労働の資質について量るのはひとつ分かりやすかった。つまりは氷の入った樽を動かせるかどうかということでもある。

 年若い少年少女や如何にも学者向きの若者たちには気の毒でもあったが、最低限ヴィンゼまでの鉄道はこの後を睨めば急務であったし、ヴィンゼが採算を持たない拠点である以上、早急にデカートまでの鉄道を開く必要があった。

 そして、専門がよくわからない学生の内面にかまっている時間は本当にマジンにはなかった。

 結局その日のうちに借上げた駅馬車でローゼンヘン館に百四十五名の若者たちが飛び乗ってローゼンヘン工業に入社することになった。

 エイザーとベーンツに新人百四十五名を使って線路の工事をおこなうことを命じると、ふたりは来るべきものが来たという顔になった。百人という話が五割も増えていることには二人共驚きもしなかった。そのうち亜人の人足を二三百増やすという話も出ていたし、それだけ居ても年内にヴィンゼまで届くかどうかはすこしばかり怪しくもあった。ベーンツが一昨年から地道に測量をしてマジンが買い足していった土地はそれなりになめらかではあったけれど、二人共鉄道建設の要素について十全に把握しているとは言いがたかった。

 それでもローゼンヘン館の生産力を支えているわずか二リーグの鉄道は物流にとって灌漑事業にも等しい威力を持つ土木建築の粋であることはふたりは理解していた。そしてそれが、とうとう個人の便利だけではなく、公共に開かれるという意味をふたりは十分に理解していた。

 デカートから開けば楽じゃないだろうか、というしばしばある問いも鉄道建設を指揮するふたりには噴飯物だった。必要とする生産する物資の規模が違う。そういうことだ。

 ローゼンヘン館の工房は月あたりの鉄や石炭の消費量を基準に考えると今やデカートの扱う量の一割あまりも使っていることになっていた。そしてこの後その消費量は倍では効かないほどに膨れ上がる予定だった。

 生産拠点の保つ潜在的な経済効率の悪さを考えれば、生産拠点は都市からは遠い方が良いに決まっていた。生産力と人口は一般に密接な関係にあるから、歩み寄りが求められるのだけれど、ローゼンヘン館は低人口をものともしない状況にある。

 デカートの生産をすべて鉄道に振り向けて良いならデカートを拠点にする利点もあるが、それほど好き勝手が許されるというわけではない。

 エイザーとベーンツはマジンの手が止まらない程度にこれから来る新入りの相手をしてやれば、歴史的事業に立ち会える。エイザーは露悪的にベーンツはやや恥ずかしげに自分たちの役割について正しく認識していた。

 エイザーもベーンツもそれぞれにマジンには微妙な感情を抱かずにはいられなかったが、年若い主家の当主は圧倒的な実力で興味深い事業を振り回し、今まさに共和国を勝利に向かわせ、更にその向こうに突き進ませようとしていた。

 その若い野心家はヒツジサルに浚渫用の機械を積み込み川底の土砂を岸に掻き上げていた。本流までの区間の水深を少しばかり深く幅を広げたいということであるらしい。新人がやってくるまで今年雇った船頭の一人ペロップに浚渫機械の使い方を教えていた。

 理由はすぐに分かった。船溜まりの脇の船渠に新しい船を二隻驚くべき速さで建て始めたからだ。一隻はグレカーレを髣髴とさせる軽快船。一隻は百グレノル積みの長さで二百キュビットに迫る船型は水路の幾つかの瀬では向きを変えることすらできなかったが、どのみちプリマベラでもデカートの幾つか水路には入れず、軽機関車や船外機付きの短艇の出番になっていた。

 デカートではそろそろストーン商会の機関船が完成するはずだったが、ことによるとそれよりも早くこの船が完成するかも知れなかった。そういう速さで船殻に機関が据えられていた。

 もはやこの先は誰が嫌だと云っても事業を止める気はマジンにはなくなっていた。



 そういう激烈に忙しい時期にマジンは大清介なるデカート元老院の行事に終りが見えないまま、すでに五日がかりで出席していた。

 公務であるからには嫌も応もない。

 そして、これはマジンの事業展開にとって極めて重要な意味を持っていた。

 すなわち、大清介とは元老推挙の審査のための個人査問であった。

 元老院の推挙を受けるための俗世との隔離を目的とした儀式は旧来は十日の断食を含む政治談義であった、いつの間にか時代が下がって形式的に丸一日の接見だったが、今回は全くどういうわけか、すでに丸五日の徹夜の行になっていた。

 大清介はつまり、新しく元老になる者がなにを目指して元老になるのかという、既に元老である者たちにその胸の内腹の中を示すための日にちであり、元老一人ひとりが聞き取り調査をおこない接見した人物の審査を後に持ち寄る儀式である。通例、デカートの正義とか繁栄とか平和とかそういう抽象的なものやせいぜい地域の開拓といった曖昧なものを求め守るために元老になろうというところだった。

 だが、今回はマジンがうっかりとある元老に全く具体的に、帝国を押し返し共和国の脊髄をなすためにデカート州内に三年で鉄道を走らせ、その後軍都まで延伸する。などと口走ったために雰囲気が大きく変わってしまった。

 旧来、ご挨拶だけして好嫌の程度の判断で元老が投票をしていたのが、戦争に勝つための私案の詳細な説明を後続の元老たちが求め、一日十人づつしか話が進まず、打擲礼やらという元老にビンタを食らって面談が終わるという、全く歴史的に正しい姿の大清介に立ち返っていた。

 最初の一日は元老たちはマジンが何を言っているのか全く理解できなかった。

 だが、二日三日と経つうちに成否是非はともかくマジンがなにをやりたいか、どういう事業をデカートでなしたいかという物語の輪郭が見えてきた。

 それは感情的な反発や理性的な疑問の余地は大いにあったが、ともかくも巨大な技術的な蓄積、資産的な積み上げをおこなうことで、世界をより狭くするための時の流れを加速するための設備を組み立てるということ、デカートがその嚆矢になるということだった。

 ノルクロル・アルゼワン元老院議長は煮詰めて言ってしまえば、ただの大農場主でデカート州内各地に小作や破産した農民奴隷を持つ開拓農民の元締めの一人であるわけだが、そうであれば各地に点在する土地の格差や距離的な価値について考えさせられることも多かった。

 優良な豊かな農地が町から隔絶しているが故に価値が持てないということがしばしばあり、人里近い土も水も悪い収穫の少ない貧しい土地のほうが農作物を腐らせず生活に苦しまず小作を留めておけた。その事自体は町や国の価値を知れば当然のことのひとつではあるが、一方で国を預かる元老としては歯痒くも憤りを感じていた。

 この度、元老になろうという意志を示したゲリエ氏の言葉によれば、鉄道を敷くことで一日四百リーグを数百から数千グレノルの荷物をやり取りできるという。しかも鉄道に必要な物は人と鉄と石炭と時間、基本それだけでいいという。

 戦争に勝てば或いは勝とうと考えれば、共和国は道を軍都からギゼンヌその先まで敷くことを求める。それは軍というものが巨大な物流を必要とする人々の営みだからでもあるし、その流量速度こそが軍の力でもある。帝国に負けないために物流の拡大が急務でその速度の要素として鉄道が必要になる。そういう趣旨だった。

 センヌやスカローといった要衝にも軍都から接続することになる。フォリノークやメイザンと云ったデカートの西にもつなぐつもりはある。

 軍都から各地に鉄道を敷くということは、デカートから各地に鉄道を敷くということであり、或いは各地からデカートに向けて鉄道を敷くということでもある。

 マジンはバイゼロンと云う地名を知らなかった。ヴィンゼの西百十リーグ。ただし途中に南北に細長くシェッツドゥン砂漠という塩砂漠がある。一見ただの塩だが馬がうっかり舐めるとその日のうちに死ぬほどの毒性もある。幅四十リーグほど水源がなく人が歩いて越えるのはかなり難しい。よく慣れた人馬が揃ってはじめて超えられる難所だった。南はヨーラス山脈の北端が突き出ていて、迂回するくらいなら最初からザブバル川をアッシュまで下り、デカートから三百リーグの街道をゆくのと変わらなくなる。

 バイゼロン自体は普通の街だったがその脇にシェッツンという陶磁生産の盛んな町があり、アペルディラという時計生産の盛んな街につながっていた。そういう、各地の名産が長い道行きに壊れることを心配せずに気楽に繋がる。そういう未来があり得る。

 彼方と云うべき土地の品を季節が巡るのを待たずに、ものぐされや朽ち果てるを頓着せずに求め、また売ることができる。

 それは富裕層であるノルクロルにとっても、或いはそうでない人々にとっても様々に価値があるものになるはずだった。

 五十五人の満場一致を見ることはなかったが、賛成四十四の反対少数でゲリエ・マキシマジンの元老院議員就任が決まった。



 一般に大清介明けは元老院就任の祝賀と大清介の断食明けということで、盛大な会食が設けられるのだが、スティンク議員がアタンズの一時的な解放という共和国軍の反攻の開始の流布と義勇兵の編制の瀬踏みをおこなっているのを尻目にマジンは一旦ローゼンヘン館に帰ることにした。

 鉄道工員のための住宅建設が始まったところで状況の確認も必要だったし、そろそろプリマベラに満載の量の銃身清掃具が完成しているはずで、それを引き渡す必要もあった。

 順調であれば、最初の何組かがローゼンヘン館の外の仮設住宅に居を構え始めた頃のはずだった。

 事業化が動き出したとは云え、ローゼンヘン工業の事業の多くはまだ直接にマジンの手を必要とするところが多かった。

 ともかく、マジンはゲリエ卿として栄えあるデカート州元老院の一席を占めることになった。

 だがもちろん、デカートまで足を伸ばしてただ帰ることもできないほどにマジンは忙しい。

 帰りがけに物資の引き渡しの打ち合わせにデカートの北の通称風車砦に立ち寄ると、そこはいつの間にか牧場じみた風景になっていた。物資の引き渡しをおこないたい旨をレイザン少佐に伝えると、彼女は陸路でローゼンヘン館に向かい物資の引取をおこなうとマジンに応え、部下に命じた。

 訓練演習の一環ということであるらしい。

 既に三百名ほどにふくらんだ部隊は、新たに手に入れた馬匹の世話に行李の手入れに、如何にも新品の軍服を着た新兵の訓練にと、ともかく忙しそうだった。

 ともかく兵に歩かせるというのが軍の基本で、そのための輜重であったので、訓練を兼ねて陸路で物資を引き取りにローゼンヘン館に赴くということであれば、嫌も応もなかった。人と馬匹がそれぞれ二百五十ほどでゆくという数字を口にした時のレイザン少佐の少し心配そうな顔がホッとした様子に緩むのを見て、色々に思わざるを得なかった。

 雪解けから最初の収穫を得ているはずのヴィンゼでも二百五十という数はなかなか大きな数で、水場に困るかもしれないが、風車を辿ればウチの土地で井戸も好きに使って良いと伝えるとレイザン少佐には感謝された。どうやら既に幾度かヴィンゼまでは足を伸ばしていて、街の状況は把握していたらしい。スピーザヘリン農場の西側と東側のどちらをたどるのが良いのか、と問われるとなかなか困った。

 ヴィンゼの町中に用がある場合には西側なのだが、ヴィンゼの街に興味が無いとなれば風車を辿ったまままっすぐ北に進めばスピーザヘリンの農場の東の外側を抜けられる。小川が何本かあるが道を辿ってゆけば橋がかかっていると告げた。

 当然に制度としていれば当然の結果であるのだろうが、半月ほどで二百人ほどを集め馬匹と行李とその手当をしてみせる軍隊というものに、マジンは全く驚きを感じずにはいられなかった。一面マジンが日常的に行っていることを人々が奇異の目で持ってみるのと意味合いは変わらなかったわけだが、それでも、と感じずにはいられなかった。

 軍の輜重がたどり着くより一足先にマジンがローゼンヘン館に戻ってみると、身なりの良い男女が十名いた。

 彼らはそれぞれ弁護士、税理士、会計士、弁理士、衛生士たちで、軍都で紹介を受けてローゼンヘン館に赴いたという。どうやら大清介に出掛た折に出違えたということであるらしい。彼等は今は手が増えたことで様々に自在になった狼虎庵に立ち寄った際に館までの往来を助けられていた。

 彼らに大雑把な計画と資産状況の説明をして、戦争勝利とその後の鉄道計画のためにバートン製鐵とロータル鉄工の経営権の制圧をおこなうことを話した。

 皆一様に約一ヶ月の長旅を舞い戻ることに馬鹿馬鹿しさと無駄を感じていたが、それを直に口に出さないだけの分別はあったし、マジンが不在の四五日の間に川沿いからの鉄道や工房などの様子から意味はわからなくても価値と意図は想像できるくらいにそれぞれの職に通じていた。それぞれにローゼンヘン館とマジンの事業に面白みと期待を感じていた。

 弁理士ばかりはこの場にいても仕方なく行政庁に出入りする必要があるということでシトリンは早速春風荘の船小屋に一部屋使って、しばらくデカート政庁の資料を閲覧する事になり、トルペン、ケルム、ミンゼルパス、フェブグラン、クロッカンの五人はマジンとともにバートン製鐵とロータル鉄工の株主会でロータル鉄工の買収完了を宣言するために赴き、モーラン、モッシュローン、バーネン、レットルダムの四人はセントーラのもとで状況確認と事務処理を行うことになった。

 東へ向かう彼らの旅は快適かどうかは怪しいところだったが、全く驚きに満ちたものであったことは間違いない。八人乗りの乗用車を一両加えての軍都への車列に同行した書士たちは行き帰りの旅の風景のあまりの違いに、興奮の目眩を起こしていた。

 何より機関車を社用機材として旅客車としてこのまま貸し与える、という言葉の衝撃に未来の展望を刺激されてもいた。

 軍都を巡って納品し、ロータル鉄工の経営を抑え、企業体制を整える。

 ふたつき振りほどで軍都に戻ってきた五人のロータル鉄工新幹部の仕事は、そういうことだった。

 だがローゼンヘン工業が個人企業であるところから、まずは大事な挨拶先があった。

 ソラとユエからの手紙と光画を渡すために久しぶりにアルジェンとアウルムに会いに軍学校を訪れた。新しく用人になった五人は獣人の娘二人に少し驚いた様子だったが、紳士淑女らしく二人の社主の娘に挨拶をした。

 ロータル鉄工の経営制圧後の流れは単純だった。社外取締役と顧問弁護士、会計士、税理士、弁理士、衛生士の刷新。銃砲部門は現状維持。不採算部門である銃弾製造は撤退再編。人員は解雇。設備は売却。奴隷は解放後、希望者はローゼンヘン館で再雇用。解雇人員についても希望者は奴隷と同様にローゼンヘン館での再雇用を受け付ける。

 それだけだった。

 事実としてロータル鉄工にマジンはなんの魅力も感じていなかった。

 二日有給で人員に休暇を与え、営業を停止させ、敷地内の立ち入りをおこない状況を確認すると、思った以上にお粗末だった。

 銃弾の組み立てを行っているはずのミューリー火工は殆ど奴隷牧場の有様で勝手に増えた言葉も怪しげな奴隷の子供が泥だか糞だかわからない上で生活していた。衛生士であるクロッカンに聞けば、検疫法に触れる範疇で敷地面積あたりの奴隷も設備も全く違法であると答が返ってきた。当然に衛生士は訴追されるべきだし、会計士も税理士も資産監督の責任を追求される種類の事件だという。弁護士のトルペンと図った結果、筆頭株主にして社外取締役の立場からミューリー火工の取締役全員と会計士、税理士、衛生士のそれぞれを司法に委ねるとロータル鉄工とミューリー火工の取締役会に通達し、キンカイザの司法に持ち込んだ。

 女子供タダビト亜人種混ぜあわせで六百八十三名もミューリー火工の敷地内に奴隷がいた。司法は現金なもので非合法な資産の証拠を確認すると営業停止にして帳簿は押収したものの、管理の面倒な奴隷については放置していた。

 司法の対応を確認してマジンは、ロータル鉄工配下の奴隷の移送をペラゴ氏の紹介のあった奴隷商の案内を受けてクロッカンに手配させて、事件としてはミューリー火工の独断でおこなわれたことだろうと云うことで有耶無耶にした。

 ロータル鉄工配下の奴隷については子供も含めて一人金貨一枚づつを当座に渡して、仕事と屋根と食い扶持が欲しければ、次の職場に送るとだけ告げた。次の職場は毎日温かい風呂に入れる、といったが子供たちはそもそも風呂という言葉の意味がわからない様子だった。それでも大人たちにくっついて奴隷商に従って移送されることになった。

 タダビトの奴隷も意外に多く三百人余りの大人がいたが、三十人ほどは金貨一枚の当座で開放されたことを喜んで去っていった。残りは行く先もないということで、ヴィンゼまでの駅馬車代を出して自分の足で来るなら雇ってやるということで好きにさせた。

 ロータル鉄工の経営制圧は極アッサリと進んだ。

 仮にロータル鉄工を巡る法廷闘争になったとしても、少なくとも年内は銃身清掃具の件でロータル鉄工が騒ぎ立てることはできない。

 五人に当座の経費に半金貨百本を預け、ロータル鉄工の件はひとまずマジンの手を離れた。



 翌日到着するはずの貨物便で便乗する前に、軍都の兵站本部購買課に立ち寄ろうとしたところで憲兵隊に呼び止められた。

「ああ云うことをされるとひどく困るんだよね」

 二人の憲兵は主語も定かで無い曖昧な言い様でマジンを嬲るように脅すように絡んだ。

 そういう二人にマイズ大佐の名前を出すと、怪訝そうな顔をした。マイズ大佐に会わせるように言うと、半日ばかり一人部屋に閉じ込められることになった。

 しばらく行儀よく待っていたが、流石に退屈して鍵のかかっていない部屋を出ると、戸口に一人の将校が現れた。

「私がジャスウィン・マイズ大佐です。ゲリエ・マキシマジンさんですね。はじめまして。おまたせしてしまって申し訳ない」

「便所にゆきたいのだがよろしいだろうか」

「ん。ああ。もちろんですとも、そういうことなら私がご案内しましょう」

 マイズ大佐は奇妙に機嫌よくマジンを便所に案内すると並ぶようにして放尿した。

「……ところで私はどちらかであなたにお目にかかったことがあったろうか」

 マイズ大佐は不思議そうに尋ねた。

「いや、とくには。ただ、疑獄事件をあの界隈で追っているという話を聞いてやってきたのです」

「あの界隈といいますと」

 マイズ大佐はマジンの言葉に興味を惹かれたような顔になった。

「キンカイザとかアミザムとかあの辺りですね。襟章のない名前も名乗らない部下の方にいきなり大本営で絡まれたのですが、全く具体的に内容を口にされないので、なにかと思いまして。ひょっとすると軍関係の内偵を進めるにあたって、ボクを叩いてみよう、というヒトがいるんじゃないかと思って、お名前を出してみたところです。銃後の勤めで色々厄介事を整理をして差し上げようと思ったけれど、共和国軍の方でボクとの取引がいらないってなら、こういう奇妙な流れでなくとも言ってくださればいつでも中止しますよ。正直、鉄砲鍛冶なんか面白くもない商売なんだ。前線の景気いい話も噂になってきたし、出番も終わりってなら、こっちも気楽なぐらいです」

 そう不満げに言ったマジンを面白そうにマイズ大佐は見つめていた。

「それは全く部下が失礼した。誰だかわからないってのでは処罰のしようもないが。ですが、アミザムで私が疑獄事件を追っていたというのは本当ですよ。あなたがつい先日買収したロータル鉄工。あそこが様々に鼻薬を使っているというのを聞きましてね。調査してました。いや、見事な買収でしたな。いつから準備されていたのか存じませんが、総会からこっちのこの数日で一気に掃除をされてしまわれた。部下にしてみればチマチマと日々静物画を仕上げていたつもりで、机の上をいきなり片付けられてしまった気分でしょう」

 マイズ大佐は手鉢の水で手を濯ぎ胸元から上品なハンカチを取り出し拭いながら言った。

「会計帳簿でない帳簿なら幾らか保管していますよ。社内の誰も読み方を知らんので、社外の方に相談をしようと思っていたところです」

「ひょっとするとお役に立てるかもしれない。拝見できますかな」

 マイズ大佐が軽く提案する。

「汚さず返していただけるなら。いずれどなたかのお知恵を借りようとは思っていたところですが、憲兵隊には知り合いもなかったので困っていたところです。憲兵隊といえば、厳しい教師のようなお堅いヒトと愚聯隊紛いの碌でなししかいないと思っていたので、ボクのような田舎者にはなかなか敷居が高いのですよ。現にいじめっ子のような二人組にたかられた上にお仕置き部屋に閉じ込められるような扱いだったので、ベソかいて泣きながら逃げ帰る寸前でした。偶然お会いできてよかった」

「それは全く申し訳ないことをした。それでその帳簿というのはどちらで拝見できるものでしょうか」

 言葉だけ同情するようにマイズ大佐は言って尋ねた。

「あの仕置部屋でないところであれば、どこでもお見せしますよ。あの椅子は妙に波打って硬くて痛い」

「では私の執務室で」

 便所の口でそんな風にしてマイズ大佐に誘われて、マジンは彼の部屋で上等のお茶をいただくことになった。

 マイズ大佐の執務室は窓が植木鉢で埋まっていた。

「ほう。本当だ。これは奇妙な帳簿だ。これはいったいどこで」

「それがよくわからないのですよ。ロータル鉄工の社内資料を整理しているときに紛れていて、内容を見れば会計帳簿ではない、在庫帳簿らしくもあるが、社内で確認すれば誰も知らないという、謎の帳簿でして。裏金と云うには桁が奇妙ですし、単純な置き換え暗号という風でもなし。片方は奴隷の密売の帳簿ではないかとアタリをつけているのですが、もう一つはひょっとするとお探しの疑獄の証拠ではないかと」

 そんな風にマジンは言った。

「するとこの記号は名前の頭文字ということですかな」

「住所か役職か。いずれにせよ、田舎者で新参の私には関わりのないものです。ただ、大佐と部下の方々がボクに用事があるとすれば、そのくらいしかお役に立てません」

 マイズ大佐はしばらくマジンの様子を伺うようにしていたが、紅茶を飲み終えたマジンが立ち上がると機嫌よく席を離れてマジンのもとに歩み寄った。

「本日はご協力いただきありがとうございます。是非とも共和国の勝利のために今後とも変わらぬご協力をいただければと思います」

 そう言って大佐は部下を呼び、玄関まで見送らせた。



 憲兵隊の本部は大本営の中でも兵站本部に離れたところで、馬車はないのかと尋ねると、生憎、と木で鼻をくくったような返事が返ってきた。

 気の利かなさに文句も言いたかったが、日が傾いていたので慌てて飛ぶように走り、止まるためにポンと二階の窓が覗けるほども軽く飛んでから兵站本部の玄関をくぐり、どうにか購買課に終業前に滑りこんだ。

 購買課の中ではロータル鉄工の買収劇は衝撃を持って受け止められていた。

 納品計画は大丈夫なのか、ということが購買課の目下の心配事であった。

 受け取りをデカート出張所扱いにできないか、という相談が今回の来訪の目的で購買課長との面談の予定だったのだが、憲兵隊に捕まってしまったということを詫びると、山羊のような細い顔つきの購買課長は溜息をつくようにして同情してみせた。

 玄関の通用でのマジンの入館を確認していたがその後行方がわからなくなったので心配していたという。

 軍関係の太い企業の買収であれば、民事不干渉を原則にしている軍警憲兵でも過敏にならざるを得ない、と同情半分諦観半分で言った。

「とはいえ、銃弾の供給不足が今回の戦争の苦戦の原因ですからねぇ。正直なところを云えば、予算通り年間量を五倍十倍にしてくれるって云うなら、会社の内情はどうでもいいってのがあたしら事務屋の意見なんですけどね」

 購買課長はそんな風に言ってデカート出張所受付扱いにするための事務要目の確認をおこなってくれた。

「あ、でもなんか、弾薬の構造や形式を変えたって話もありましたね」

 購買課長が思い出した様に言った。

「銃身清掃具って名前で試験品を配っています」

「ああ。なるほどね。弾薬の試験だと手間かかるんで、そっちの方があたしらの都合はいいな。装備課連中は怒るだろうけど、連中の試験を待っていたら戦争が終わっちまう。ただ、オタク弾薬の方の、その元の正規の弾薬の生産どうしてます」

 確認するように購買課長が言った。

「今、社内の刷新をしているので、古い弾薬については完全に停まっています」

「そうだよねぇ。困ったな。二十万発ばかりは月内に収めてくれないかな。会計やらあちこちから監査が入るようだと、無理してくれた取引口座が契約不履行で止まっちまうんだ。……お、忘れてた。……これが、とりあえず現行納品契約の一時停止に関わる書式ね。で、こっちがなんだその、銃身清掃具の納品契約に関する同意書と、こっちから出す了承書。あと、例の機関小銃の方だけど、そろそろ装備課のほうが痺れを切らせている。ちょっと顔出して現物回す約束をした方がいい。連中も戦争がどうなっているかって話はわかっているから無茶を言う気はないだろうけど、予算の話がそろそろ本当になってきているから、すこしばかり慌ててる。それと銃身清掃具の話も報告は来てないけど噂は出ていて、それもかなり気にしていた。あとなんだっけなぁ。……。ああ、機関車の車輪と修理の引き合いの話があった。他の話もあるから、装備課に顔を出してる間にこっちの書類を準備しておくよ」

 そんな風に言ってくれた購買課長に礼を言って、装備課に滑りこむと終業のラッパがなった。

 拗ねるように帰宅の準備をする装備課長をなだめすかしながら、月内に試験品機関小銃十丁と弾薬一万発を持ってくることを約束して、試験品預かり受け入れと消耗品に関する細目の書式を準備してもらった。

 併せて、三十シリカ口径小銃の銃身清掃具の試験品の受け入れと消耗品に関する書式を準備してもらう。

 千と書こうとしたら二千にしろと云われた。

「書類の準備だけ早くしてくれりゃ、こっちは文句言わねぇんだよ。どうせ前線じゃ大活躍のゲリエ印だろ。報告書はかなりのものが回ってきてんだから、現物は今更焦りゃしないんだけどさ、売ってるアンタが売るって云わねぇと、こっちは買ってくれって言えないんだよ。あと会計課も似たようなこと言ってたぞ。忙しいなぁわかってるけどよ、ちゃんと顔出しとけ」

 嫌味とも激励ともつかない言葉を告げると装備課長は手で払いのけるようにマジンを追い出す仕草をして帰り支度を再び始めた。

 会計課長はラッパのなったあとの会計課を掃除していた。

「お、来たね。デカートの鉄砲玉。遅かったじゃないか。ロータル鉄工の買収の話聞いたから驚いたよ。噂より先にその日に来るかと思ってた。やっぱり揉めてたかね」

 今さっき大本営内で憲兵隊に捕まった話をすると、それは気の毒に、と会計課長は同情するように言った。

 工房の奴隷の扱いが悪く設備をひどく汚していて掃除に手間がかかったと、マジンはその場で説明した。

「奴隷ねぇ。まぁボクらみたいな事務方の勤め人も戦場で戦っている我が同胞たちも、境遇に不満があるときは奴隷みたいに感じるもんだが、風呂に入れないで厠で生活するような暮らしってのは流石に勘弁願いたいね」

 そんな風に会計課長は言った。

 ロータル鉄工の口座についてどうするつもりかという確認があったが、口座の変更はおこなわないということで報告をした。

 中央銀行での会計口座の承認がおり、軍との取引が銀行と為替でおこなわれることが決まり、兵站部を経由する限り、現金小切手や軍票の扱いを心配する必要はなくなった。

 問題は二十万発の銃弾だった。

 その日のうちにアミザムに取って返し、在庫を確認したが三万発しかない。

 さてどうしたものかと軍都に取って返し、宿を引き払おうとするとリザから伝言があった。

 マリカムで会いたいと云う内容だった。

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