マリール十九才 1

 共和国は各地方自治において奴隷制度について許容しているが、奴隷商についての認可は別で共和国軍士官は憲兵でなくとも臨検の権利を持つ。

 検疫であるとか兵員の徴用であるとか、様々な理由で共和国軍は奴隷商を猛禽が蛇や野ネズミを餌にするように追い詰める。

 奴隷商やその積み荷の生命を奪うことになることは全く稀だが、商品の来歴が十分に示されないと殆ど自動的に商品は共和国軍に奪われることになる。

 場合によっては奴隷商自身も兵隊として取り込まれることになることもある。

 大抵の場合は軍自身が自らの兵站に無駄な圧迫がかかるのを嫌って、無法無頼に奴隷商を制圧臨検して奴隷商が運ぶ人材に兵員徴募しようとはしない。

 だが共和国軍は必要に応じて、法の正義に則って奴隷商の財産を徴用する。

 それは国家の正義ではあるが、個人の財産を犯す正義であった。

 書類の揃わない無法な営業をおこなう奴隷商に拘束されている共和国国民が、自由意志によって共和国軍に参加希望するということであれば、もちろん共和国軍は共和国協定に基づいてこれを直ちに保護する責任がある。

 共和国軍士官には、徴募をおこない共和国軍に参加を求める国民に兵員としての身分を与え保護する、その責任と権限が与えられている。

 その意思確認は原則として書類作成を必要としない。

 そういう観点からすれば共和国軍は奴隷商の天敵だった。

 奴隷という財産商品自体が来歴を考えれば色々ややこしい煤けた香りを引きずるものだが、常に人員に一定の不足を感じ権限を有する共和国軍は、奴隷商の運ぶそれを文字通り餌としてむしりとる。

 町中に篭っていれば州の法や様々な縁故成り行きが守ってくれるが、奴隷を運んでいるその時ばかりは巣穴を飛び出した鼠の如く、素早く賢く立ち回らなければ軍人が商品を賢しげに奪い去ってゆく。

 そういう関係だ。

 バクリールも幾度か悔しい目にあったことがある。共和国の軍人は国を支えるためなら個人の財産なんかなんとも思っていない。

 そう思っていたし、事実そうであろう。

 農家に軍票を公定価格分押し付けて、納屋を勝手に開けて必要な物を奪ってゆく。

 逆らえば腕尽くという野盗と変わらない仕儀になるが、後に裁判が開かれたとして、軍務の非常時であった、という悲しげな言葉で茶番劇の一幕が落ちる。

 何ら変わりがない。

 だが、彼らの前に立ちはだかった女とのいざこざは少しばかりそういうものとは違っていた。

 商隊を預かるバクリールにとって、今回の商売はかなりの上客上得意との巡りあい信用実績になる可能性があった。

 胎子一匹減らさず増やさず運べ。

 きちんと算術のできる若造は奴隷の食餌糞尿の始末から検疫と医者の数、搬送と警護の人員の手当、荷車と馬匹の糧秣、宿営地のアテ、自前で積み上げられる頭の回る上客だった。

 額は話の流れで増えたり減ったりいろいろした。

 百二万七千タレルというのは商品を壊さないように運ぶ六十五両の馬車を五百五十リーグ動かす値としては、無論大きく儲かると云う訳にはいかないが、百六十二人の二ヶ月のシノギとしては手堅く悪くない数字だった。

 ほとんど完璧な形で依頼主によって書面が準備され、かけているのは途中で通過する州行政局の通行免状だけという城塞区画に立ち寄らなければ必要のないものだった。

 通るべき経路街道の地図を渡してよこす依頼主は全く珍しく、ここまでの道中およそ正しいらしい地図というのはさらに貴重だ。

 それぞれの奴隷の公定競売証書は幾らか欠けているが、証書があるものが多い。

 奴隷は生き物だからある程度増えたり減ったりする。

 一般論から云えばかなり上等だといえる。

 実用上は合法なものが完璧に揃っているというのは、面倒くさがりで傲慢な客が相手の奴隷商という商売では全く珍しいことだった。

 足りない分がどうなるかといえば、経費がかさんで値段が増したり、品質が落ちるということになる。

 今回の客はそういうことを徹底的に嫌った。

 計算し上積みし、穴があれば突き崩し値を押し固める。

 そういう作業を行える真っ当な商売のできる相手だった。

 シェンツェンガのもとを訪れた客は奴隷の管理状態を気にしていた。

 奴隷は壊れなければ使える。

 道具は鋭く尖っている方が使いみちがわかりやすい。

 尖った道具は脆く壊れやすいから手入れはきちんとする。

 というシェンツェンガの哲学に奇妙な共感をした客が奴隷の移送の手配を頼んだ。

 シェンツェンガは紹介料に四万六千四百タレルをせしめ、客は手袋についていた玉石の薄片を土産においていった。

 わずか数グレンの薄片だったが、本物のサファイアであったことは間違いなく、興味深い客とシェンツェンガも気に入っていた。

 筋道を追い詰め金と労力を積むことを厭わない客は、労力そのものを商いのタネにする奴隷商にとっては上得意になる。

 女子供を含めて六百五十もの奴隷の移送というのは個人の名前では珍しい。

 一括となればなおのことだ。

 バクリールは移送先の村がどんなところなのか、なにがカネになるのか見てこいとシェンツェンガに云われている。

 バクリール自身も金の匂いを感じている商売を、わけのわからない女にかかずらい流したくはなかった。



 だが、突然臨検を求めた共和国軍士官はそういう道理や常識とは縁のない厄介な相手だった。

 こういう手合には書類の準備が完璧であることを示してもダメだとバクリールは経験上知っていた。

 最悪、目の前で書類が燃やされてしまう。

 目の前の軍服を着た角付の亜人の女は、そういう災厄を人の形にしたような気狂いの部類の、最悪の軍人だった。

 そして、彼女を止めるべき部下も上司もこの場にはいなかった。

 どこまでやるべきなのか。

 さっさと取り囲んで銃で始末をつけて、あとは後のこととするべきなのか。

 バクリールは決断を迫られていた。

 事の起こりはあまりにお行儀の良い旅に退屈をした隊の一人が道行きの士官にコナをかけたのが始まりだった。

 軍用のマントダルメを羽織っていてもそれとわかる女を冷やかすと、それとわかる夏の森の色の髪と角付の亜人だった。

 そこで御愛想で済ませればいいものを阿呆が、なんだ角付か、と悪態をついた瞬間、阿呆が御者台から引きずり落とされた。

 次の瞬間には女士官が威嚇射撃をおこない商隊を止め、臨検だ、と怒鳴った。

 六十五両に一人の士官。

 目的は押収ではなく単なる気晴らしの嫌がらせであることは明らかだった。

 ナマモノである以上、一日遅れれば一日痛む。

 キチガイが。

 そう言ってやりたいが、むこうはそういう言葉を待っているのだろう。

 白昼の街道はもちろんそれなりに往来が多い。

 そういうところでなければある程度以上の規模の商隊は動けないし、奴隷商と云って後ろ暗いことが少なければ楽をしないと掛りが膨らみすぎる。

 街道で突如始まった騒ぎは見世物のようになってしまっていた。

 そして全く不愉快なことに、この女強い。

 街道で他人様を巻き添えにするのを恐れて、まだ銃を抜いていないせいもあるが早くも十二人が伸されて転がっている。

 奴隷商があまり顔を売る商売でないのはそれとしても、無駄に恨みを買って楽に生きられるような商売でもない。

 剣を抜けば剣を、銃を抜けば銃を。

 そういう飢えた目つきで女が暴れていた。

 女の退屈しのぎの運動代わりに部下が倒されていく。

 身の丈は三キュビット半ほどで女にしてはやや大柄かという体格だが、バクリールの部下も荒事には慣れている連中も多く、軍人上がりも少なくない。

 体格では所詮女というところで、体型を見れば踊り子でもやっていればそれだけで稼げるだろう、という美形でもあった。

 最初の二三人は相手の色香に惑って油断した、と云ってもいいかもしれない。

 だが、熊か暴れ馬と戦っているかのように、頭一つ肩ひとつは大きく厚みのある男たちが投げ飛ばされてゆく。亜人の中には偶にこういう見た目で区別がつかない連中がいることを思い知らされる。

 積み荷のガキどものことを考えれば、俺達の飯を減らすしかないか、そんなことを考えていると積み荷の客が現れた。

 人の輪をかき分けるようにして、積み荷の主であるゲリエ氏が現れた。

 バクリールは立て続けの成り行きに不意を突かれたまま、互いに間の抜けた挨拶を交わした。

 全く打ち合わせたわけでもない偶然に鉢合わせた積み荷の移送の顧客であるゲリエ氏はどういうことになっているのか、全く理解できていないようだったが、気狂い女士官とは顔見知りだったようで、積み荷の所有権をかけて決闘になり士官を気絶させた。

 決闘は始まってしまえばものの数瞬だった。

 地を飛ぶ毒蛇のような速さで跳びかかった女が、蹴り上げられ天を仰ぎ、女がたたらを踏んだ先に回りこんだゲリエ氏が首を絞めて気絶させた。

 言葉にすればわずかそれだけのことで、言葉でそれを口にする短さで決着はついた。

 ゲリエ氏の連れらしき男女は鈍く光る金属製の銃を持っていたが、そういう仰々しい物を使うまでもなく決着した。

 ゲリエ氏の一行は軍都に取引がある途中だったらしく、騒ぎで塞がった往来を散らすと、厄払いと怪我人に見舞金だということで半金貨を一本おいて去っていった。



 そういう成り行きで、マジンはアシュレイ少尉とめぐりあい、仕方なくその乗馬とともに街道を進んでいた。車列には少し先の街に行ってもらっている。

 面倒くさい女拾ったなぁ。

 という感想しかなかった。

 彼女の乗っていた馬は悪くないというよりもかなり上等の名馬の類だったが、流石に機関車と並べて走らせる訳にはいかない。

 顔を知らないわけでもない気絶した女性を道端に放り出してゆくのも気が引ける。

 いくらなんでも奴隷商に預けるのも筋が違うだろう。仕方なく道の先行きにある町によることにした。

 道を塞いでいたのは五十あまりの馬車の列を押しとどめていた、マリールアシュレイ少尉だった。

 彼女は共和国軍士官として奴隷商の管理状況を監督すべく臨検を要求していた。

 というのは建前で、美人さん顔見せてと話をふるだけ振っておいて、顔を見せて微笑んでやった瞬間に彼女を角付呼ばわりした愚か者を叩きのめしたかっただけであったようだ。

 マリールの後輩であったリョウとファラリエラは気絶させられたマリールの姿を見て驚くような感心するような目でマジンを眺めた。

 カンムリウグイスのカンムリは、すぐにおかんむりになる沸点の低さを示してもいた。

 いくらなんでも八年で百二十回も決闘をするのはおかしいのだけど、そういう彼女でも幾人かとは上手く馴染んでいて、リザやセラムとはひどく仲が良かったという。

 運動能力に優れた彼女は格闘や剣術拳銃に優れ魔導の資質も高く、単独の戦士としては極めて高い資質を誇っていた。

 だが戦闘能力技量に抜きん出いた彼女はひどく感情的に不安定な我慢のきかない面があり、兵士としては全く困ったところのある士官でもあった。

 一方で彼女の魔導の歌は極めて遠く広い範囲に聞こえることで有名で、その通りの良い明瞭な声の歌は一等魔導士の中でも現役随一と言われていた。

 彼女の明瞭な遠視遠話がなければ、アタンズの陣地建設の優先順位はいましばらく混乱して数日の遅れが致命的な問題になっていた、と彼女の軍功を多くの連絡参謀が評価していた。



 マリールと馬を預けるべくワイル近郊のラスファルトの宿に狸寝入りのマリールを預けると背後からマリールの声がした。

「ちょっと、我が君。愛しい下僕に対する心配りが足りないのではありませんか」

「お前の馬は下にあずけてあるし、荷物もそこにある。自らの愚行に弱々しく気絶したなら、もう少し寝ていろ。ボクは用事がある。ボクの下僕達には毎日温かい風呂が入れるくらいの手当をするつもりだよ。それに連中の年季はボクが買い取って始末する手配りになっている。軍人のキミが心配するいわれはない」

 そう言ってマジンは部屋から出る。

「ちょっとちょぉっと待ったぁ」

「元気そうだが宿代は払ってあるから、どこに向かうつもりかしらないが朝まで休んでから出かけなさい」

 そう言ってマジンは扉を閉めて出てゆくとマリールは荷物を窓から放り投げ、自身も窓から飛び出しマジンの先回りをした。

「我ぁが君。少しは私の話も聞いてください」

「延々寝たフリをしていたくせに、何を今更話したいと言うんだ」

 マジンは呆れて取り合わずに立ち止まらない。

「私は我が君のお側に参じる途中だったのです」

 その言葉にマジンは少し困った顔をした。

「それでボクのところで働くはずだった連中を徴用しようとしてたのか」

「あ、――あれは、成り行きです。……不正があれば糺すのが共和国軍人としての責務です」

「あぁ。そうだねぇ。まぁ、ボクの手配りでも間違いがないとはいえない。ボクは軍都に用があるんだ。結構忙しいんだよ。いろいろ驚いたが、きみも元気そうでよかった。じゃぁ、またね。さようなら」

「では、またいずれのちほど」

 奇妙な行き違いがあったようだが、マジンはマリールが元気であることでだいぶ安心した。

 彼女自身が亜人種であることに奇妙なこだわりを持っている結果の捻くれた国家への忠節と正義感であるようだが、まさかこんな形で危うくマジンの計画が破壊されるとは思いもしなかった。

 奴隷商というものが全く微妙な立場の生業商売であることを忘れていた。

 おそらく百二十がとこの決闘も何気なく彼女の胸に刺さる針を踏みつけた結果なのだろう。

 そんな風にマジンは想像した。

 好事魔多し。

 油断大敵。

 六百五十の人員のうち、真っ当に労働力として使えるのはおそらく三百がところであろうが、どのみち労働力だけで労働力を支えることはできない。

 ということはここしばらくでよくわかっていた。

 無事に仕事に就いてくれれば云うことはない。と思っていたが、それもどうだろうかと思わずにもいられなかった。

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