共和国協定千四百四十二年夏

 軍都への機関小銃納入生産計画は長期計画は再開していないものの、二万丁五千万発という数の調達がおこなわれた。

 低調になった小銃に変わって、機関銃と迫撃砲の納品量が拡大した。機関銃は二万丁二千万発迫撃砲は一万八千門五十万発が請求された。

 銃弾と砲弾はより多くが請求されていたが、急速な生産拡大に応じられないということで、当面の前線要求分をそのままに後備備蓄分は前線分を上に数値を丸める形で請求量が落ち着いた。代わりに青弾と通称される、暴徒鎮圧にも使えることが示された訓練用銃弾を二千万発が請求された。

 もちろん未だ請求というだけであって計画の素案ということである。

 実態として共和国の常識としての軍需調達計画としては過大な請求であった。

 これまでは。

 だが、ローゼンヘン工業がこの五年ほどの実績として示した軍需協力上の様々によって、共和国軍の常識は変化を始めていた。

 こと武器に関する限り、常識を何処かにおいてきたような素案が請求され、それがなんとかなるような状況が続いていた。

 それは別段、大本営軍令本部の銃後に対する甘え、というだけにとどまらない変革を感じさせる動きでもあった。

 ローゼンヘン工業もそれを当然のこととして事業を推し進めていた。

 鉄道が進出した結果として物資の受け渡し拠点がマシオンに前進していた。

 マシオンの鉄道拠点の規模は急速に拡充されていて施設という意味で言えば、デカートの鉄道部の施設よりもやや大きな規模になっていた。

 電話やテレタイプの普及で多少の連絡の手間は省けるようになったことで消耗物資や人員配置などの現地管理を分散した形で行うようになり始めていた。

 実際の物資輸送については軍の都合で更に北街道南街道という分岐にも当たるマシオンの価値は急速に拡大していて、街の規模も整備も目まぐるしく発展していた。

 無理矢理に整備をしていたデカートに比べてもマシオンは遥かに多くの収益をローゼンヘン工業に与えていて、当然の義務としての税を考えても重大な拠点としてみなされるようになっていた。

 しばしば本社機能を移転しないかという話題にもなっているが、生産拠点としての規模を考えると将来はともかく現状マシオン単独で利益を上げることは難しかった。

 補給基地の前進と鉄道線の延伸とでローゼンヘン工業から納入される物品の軍都への輜重輸送路は概ね十日ほど短く早くなり、見積もり日数でひと月あまりにまで短縮された。



 ギゼンヌを中心とした北部戦線ではワージン将軍が、ドーソンを司令部拠点とした南部戦線ではマルミス将軍が直轄配下を四万にまで増やし、共和国軍の東部戦線はとりあえず十万の戦力を確保した。前線の全域での指揮統一がなされるまでには至ってなかったが、東部戦線は三つの軍団管区が設定され、それぞれに統一的な活動をおこなっていた。

 旧帝国軍ウメルダス城をイズルークス城と整えて縄張りを彫り直しイズール山地の北部を塞ぐ位置に司令部を構えたイモノエ将軍は粘り強い捜索の末に中隊規模で分散して山窩の流民同然になった帝国軍の敗残兵合計三千あまりを捕虜とし、更に千あまりが散っているという感触を得ていた。わかっているのは、不期遭遇戦となったヌモゥズでの戦闘で、前衛師団本部を壊滅させるのには成功したものの、もともと山地を長駆するつもりでいた帝国軍捜索聯隊は既に砲や大行李を師団にあずけて、身軽な状態でイズール山地の検索にあたっていたということだった。大火力や長駆するような糧秣の準備はないはずだが、未開の山岳地域にそう云った大規模な準備は却って行軍を難しくする。

 拓けた街道沿いを進出していた前衛師団本部は頭を抑えこまれ事実上の壊滅をしていたが、最低一つの聯隊と前衛師団の一部の斥候部隊は山地を突破した可能性もあった。

 そしてもともとの母数が大きいために重装備が少ないとか準備が薄いと云っても、かなりの量が既に共和国奥深くに食い込んでいるという事実とその状況が確認できない事は重大な意味を持っていた。

 五年も経って特になにがということもない様子なので、敵地で散ってしまったと思っていたが、山地でまとまった規模で行動している者達を見れば必ずしも安心ができるものでもなかった。

 ようやく中部軍団として配下四万の行動が満足におこなえるようになったイモノエ将軍としては後方に任せたい案件でもあったが、訓練が怪しげな聯隊を一つイズール山地の検索に残し、捕虜のアタンズへの送致と隣接部隊や大本営への連絡を可能な限りの方法でおこなった。

 開戦から六年経ってようやく共和国軍はリザール城を砲火に捉える位置に赴く作戦を開始する手はずを整えていた。捕虜の問題は未だに頻繁に起こっていたが、前線を押し上げることを控えるようにしてからは後方ではともかく前線での問題は落ち着いていた。

 ある意味で馴れもあったし、攻勢をおこなう上で物資の集積が前線拠点で進むにつれ、問題の根幹である物資の問題に余裕ができていた。

 攻勢をかけた場合に再び捕虜の問題が起こるだろうことは明らかだったが、それでもやらないわけにはいかなかったし、前回よりは準備も覚悟もあると判断された。

 共和国の多くの土地では大した活用もされていないが、デカートのように四万近くが様々な労務に応じている州もあり、採算不透明は誰もが認めるところだが、捕虜の問題が全くの暗礁ではないという材料がないわけでもない。

 わからないところは多すぎたが、準備はできた。

 機関小銃の前線配備が完了し、正規部隊の規模も三十万弱にまで人員を数えるようになり、貨物車も問題がありながらも三百両を数えるようになった。ギゼンヌの広域補給聯隊の活躍を考えれば数の上では十分だった。

 ローゼンヘン工業自動車部で研修を受けた人員で構成された自動車修理を専門に行う小隊も師団軍団には配備された。将来構想としては中隊規模であったが、とりあえず最低限のものがわかる専門家が配備されたことで無為な事故は減るはずだった。

 中隊砲に変わって機関銃が一丁装備され、それまで行李を嫌って大隊に預けられていた支援火砲が中隊本部が直に管理するようになった。それまでの中隊砲といって八パウンのブドウ弾や炸裂弾は準備が整った防御戦ならともかく、野戦を中心とする歩兵中隊には使いにくかった。機関銃も一丁だけでは使いにくかったが、友軍の側面を支援するには十分だったし、そもそも機関小銃がそれなりの厚みで火線をつくるようになったことで、支援火砲の役割自体が自らの中隊を奮い立たせるための景気づけから友軍全体の戦闘を支援するものに意味合いが変化していた。

 もともと一部部隊で推められていた散兵化の流れは部隊を中隊規模の銃列陣列ではなく、分隊を基礎にした小部隊を中隊が目視距離で支援するという形に変化していた。もちろんすべての部隊を散兵化するほどの統制能力はなかったが、散兵が敵を追い込み引き付けるという機能を特殊技能としてではなく、分隊規模の戦術としておこなうようになっていた。

 大隊では前線偵察用の機関銃搭載の軽自動車が二両配備され、しばしば移動が困難で連携が取れなかった野砲が軽量の迫撃砲に切り替わった。概ね四分の一リーグから一リーグを射程に収める軽量の臼砲は高い弾道と中に詰めた炸薬で陣地攻撃に対して大きな威力を発揮する。大隊戦力がある程度の砲を自前で扱えるようになったことで、聯隊の仕事は事実上の予備戦力と補給の管理とそれに関わる設営に集中できることになり、師団の権限の一部主に物資と輜重の管理を大きく預かることになった。

 機関小銃の配備の徹底によって引き起こされる戦闘単位の小規模化と戦況推移の高速化に対処するために様々な手法が整えられた。

 そう軍令本部作戦課は判断していた。

 攻勢限界期限は三年程度だろうという目算もあったが、順調に推移すれば一年程度で新たに流れの変わったリザール川を超えられるはずで悪くても二年程度の目算だった。

 そこまで前進すると再び捕虜の問題が引き起こされる。と研究は報告していた。

 現場の感触もそういった後方の見解に対して十分に妥当であると判断していた。

 単純に歩けばひとつきの距離であったから、むしろ後方は慎重すぎるという意見もあったが、ともかくこれだけ整えてダメということはないだろうと誰もが考えていた。

 準備に時間がかかりすぎるというのは全く確かだったが、ギゼンヌは帝国の攻勢から捕虜の送致が事実上完了するまで生産拠点としての機能を喪失していたから後方からの輸送量の増加とその余剰備蓄だけが補給の根拠だったし、ドーソンにしたところで二万三万ならともかく十万兵で戦線を押しこむには他からの物資の輸送に頼る必要があった。ドーソン軍団はヌライバ大公国を政治的に追い詰めないためにも、帝国軍は共和国領内で粉砕しておく必要があった。

 予想外の共和国優勢に戦後を睨んで静かにしているヌライバ大公国に無理を言うにしても、二度押し通すことは難しい一発勝負の勝算はできるだけ高めておく必要があった。



 ジューム藩王国はおよそ八千の帝国軍を引き入れていてあからさまな親帝国を示してはいるものの、帝国からは独立を宣言しており、軍都のエルベ川下流に位置し南街道を押さえる位置にあった。

 地勢的政治的な位置から様々に疑惑があり、捕虜の脱走なども裏があるのではないかという疑いを持たれてはいたが、共和国競売を外れた奴隷売買の拠点でもあり、南街道のエルベ川の往来を許しており、商業税や往来税が安く抑えられており、などなどと周辺地域にとっては必ずしも不利益ばかりというわけではない中立国家であったため、帝国軍の脅威に戦力の余裕のない状態で相手にすることの難しい城塞でもあった。

 しかし、開戦から六年。明らかに状況が変化した。無制限とは言わないまでも共和国軍の戦力となる人員に余裕ができ、この戦争で初めて軍令本部の戦争計画のもとで積極的な作戦が開始されようとしていた。憲兵本部では予てから流出しているだろう間諜や贈収賄などをたどって情報の経路について追いかけていたが、いくつかの物証と利害経路の一部にかかわる人員や組織について補足することに成功していた。

 ジューム藩王国は大本営内部や軍都市街あるいは周辺地域にあった情報網の一部が破壊されたことと、共和国軍の反攻作戦の規模を把握したことで、大きく動揺していた。

 正規の兵員数の上ではまだ帝国軍が倍ほども上回っていたが、既に圧倒的というほどではなく、新兵器の配備が次々と組織だっておこなわれている情報の推移とその新兵器の見聞した報告は、帝国軍に絶望的とまでは言わないものの、ジューム藩王国にとって想定外でかなり予想が苦しい戦いになることは間違いなかった。

 総勢三百万の民兵の投入やその他の増援の話も帝国本土から聞かされてはいるが、どれだけの圧力となって戦局をどういうふうに動かすのかは怪しかったし、傍目八目の無責任な立場からすれば却って帝国軍の戦線を後ろから押しつぶしかねないのではないかと疑わせた。

 事実、ヌライバ大公国は通告抜きの兵と植民者合わせて二万を載せた軍船の入港に激怒し、その後の舟を商船含めて追い返していた。

 元来一年に三十万あまりの植民者を押しこむ計画だったが、帝国本土での政治的押合いの結果として下級貴族にお鉢が回り、実態として彼らには事業を十分に遂行する力に欠けていた。

 予定では百五十万を超えているはずだった帝国の植民者の送致事業は百万をやや超えたところを実績としてとどまって混乱を引き起こしていた。

 そういう風に悪い話ばかりが礫のように降る中で、敵地に取り残されたジューム藩王国の舵取りは極めて難しい物になっていた。

 腹を重たげに抱えているリザとそんな話をしていた。

 軍都に帰って養育院で検査をしてもらったら妊娠していたという。

 呼びだされたのも、前線配置のためじゃなかったみたいだからいいけど、というリザは参謀本部の研究報告を軍令本部で使える形に読み込んで整理する仕事をしているという。

 研究報告はある仮定に基づいた論理計算から、主計資料からの統計抽出から、将来構想のような夢物語まで様々で、正直を言えばどれが使えるのか、そもそも使えるようなものがあるのかを見つけることがなかなかに困難だった。

 参謀本部は基本的にある種のパトロンの政治的な要請による研究開始が多く、前提条件と要件の意図を見つけて読み解かないと要旨や題目と結論が全く異なることがある。

 そういう一種の詭弁のための誤解させるための作文は、しかし一方で優秀な頭脳の導いた、嘘の少ない材料構成がなされている。

 どうしてこれだけわかった展開と情報を積み重ねてこの題目でこの要旨なのか、という裏の意味がつまりはなかなかに重要な示唆を含んでいる。

 そういうある意味研究者の悲鳴のような文意を組み上げて、別の題目で同じ研究をやってもらうと、より使いやすい論旨になることが多い。

 とくに今の時期は機関小銃や自動車、無線電話などの分かりやすく飛躍的な装備が普及したところで、戦術作戦戦略という軍令とその根拠たる兵站のみならず更にその背景たる政治的にも変化の兆しがある。

 一般に構造改革なんて云うのはよほどに余裕があるか、遮二無二やるかしかないものだが、帝国軍との戦争が終われば自動的に始まるだろうと、少なくとも軍令部作戦課の多くでは言われていた。実態として統帥権という言葉で現地の兵站裁量だけで兵站を維持できない時代が始まっている。

 そういう話をしながら重たげに青筋を立てて張っている乳房を揉みながら、リザの求めに応じてマジンは腹の中を掻いてやった。

 翌日マジンはリザを連れ立って養育院で胎児の認知をした。

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