デカート 共和国協定千四百四十二年大暑

 テレタイプと云う機械はライノタイプと電話機の間の子のような存在だ。

 電話線を通じてライノタイプの活版部を操作するような構造になっている。

 とはいえ、版組文字を並べるのではなく、そのまま打鍵された文字を紙に打刻する。

 タイプライターに組み込まれた入力部とタイプライターを組み込んだ出力部の二つの機会で成り立っていて、文字出力部であるタイプライタは電気的にキーボードと接続している。キーボードを打鍵すると電気信号を通じて複数の打刻機を動かすということだ。

 そしてリボン状の紙に符号を穴として記録を残す。それを機械に読み取らせることで何度でも確認ができる。

 分かりやすく電話に記録機能をもたせた例になる。

 動作原理としては電気波形と機械を使った形示信号の一種といえる。

 波形と文字を一対一の形で連動させ、打鍵をおこなうと一定の波形の信号を送信する。

 打刻機は受信した波形によって打刻をおこなう。

 つまり、テレタイプで連絡をおこなうと送信部に紙を入れて打鍵すれば、写しをむこうの紙に打ち出すことができる。

「ただし、紙があればね」

 テレタイプの記録用の細紙が尽きた脇で何事かを延々叩き続けている。

 これは困った。

 何文字かであれば、ローラーの上に傷の形で残っているあたらしげなものを探せばいいが、もはやローラー自体が縞模様になるほどの行を打たれている。普段であれば切れるはずもないリボンテープも冒頭の時候の挨拶と思しき部分で切れていた。

 テープと紙の予備を棚から下ろしたところで、やがて満足したのか気持ちよさ気な、涼やかなベルの音を鳴らして電信は終わった。

 辛うじて最後にロゼッタワーズマスの綴が追えた。

「すまない。用紙を用意していなかった。口頭で頼めるか」

 電話をとって春風荘のロゼッタを呼び出すと、ひどく慌てた様子で破棄してほしい、と言った。

 修辞の作詞の授業があってその課題のために電気タイプライタとして使っていたらしい。

 いちいち指の力に気を使わないでも一定に打てるので、長い文章を打つときに非常に便利だということだった。

 そんなものをなんでこちらに転送をしているのだと尋ねたら、送信宛先スイッチを押したまま電源を入れたからだった。

 操作ミスの一種だが、こちらの機械も操作ミスだった。電源と受信スイッチを入れっぱなしだった。紙が切れていれば受信スイッチは解除しておくべきだった。そうすればむこうの呼び出しに応じることもなく、むこうでも呼び出し中のベルが鳴りっぱなしになっていた。

「バラとクチナシの香りは見えなくても花の盛りを思わせる、か」

 と、辛うじて読みとれた一行をマジンが口にすると、ロゼッタは乱暴に電話を切った。

 一応、受信スイッチを切っておいて紙の在庫を百枚ばかり機械に仕掛けてから、改めて受信スイッチを入れた。

 これを電気タイプライタとして使うことはマジンは考えていなかった。

 だが、持ち運びの面倒を除けば悪くない見識だった。

 電話料金の請求書はこのテレタイプと同じような機能を使って、印刷をしている。電気信号としてヘッダをつくり、名義回線番号宛の日にち時間接続先を並べた接続報告を月にいっぺん記録されたテープを請求書専用の機械に仕掛け、千台のプリンタで一気に打ち出している。

 この時ばかりは人の操作が必要でテープは正副二本用意されているが、火事などが起こると面倒なことになる。

 対策がないわけではないが、今一番良いのは火事などの事故を出さないことだった。

 既に記録テープのフィルムは多少丈夫で摩擦に強い滑りやすいものを使えるようになってはいた。

 同じ所で記録しているのでは火災が起きたときにまとめて丸焼けになってしまうなど施設の装置配置の問題もある。予備機の点検などがあると記録の管理が面倒という問題もあった。

 接続操作とはまた別の管理専用の機械の必要を感じるようにはなっている。特に、ワイルのような土地を考えれば、基地局が一つあれば良しというわけではなく、そこに繋がる上下流の回線の問題もあるし、配下の回線の問題もある。

 一箇所の回線管理を他の拠点でも支援するような体制が必要になる。ということだった。

 基地管理装置は火災等の災害に強い記録の保持か可能な記録機能と不連続な情報記録を高速度で再検索する機能を必要とする。

 線形的ではなく面的或いは立体的な記録の保持。熱に強い安定的な媒体。

 基本的に立体自動織機でおこなったようなパンチカードの電磁気版である磁気記録テープを面的にしたモノ。

 今度は検索軸方向を二次元或いは三次元に拡張する技術。

 巻き上げたテープをそのまま検索する技術。

 そしてその巻き上げたままに読む技術。

 更にはそのテープを複数同時に検索読み取りする技術。

 理屈の上では読み取り自体は回転体の周期に対して時間遅れを取れば良いので回転速度と読み取り位置を保証できればそれほど難しくない。

 回転速度に関しては交流モーターの電力パルスと回転パルスの速度遅れをとって振れ幅を保証するとして読み取りピックアップの位置に関してはスイングアームの駆動に回転を正対させず、擦出長穴ネジを使い山数に応じた抵抗量と回転パルスを検出して位置を保証する。

 記録読み取り技術は基本的に磁気テープと変わらない。

 ピックアップがアームに乗るので回転体との成す角が書込検出特性に影響する

 磁気感受性の高い材料を使って可能なかぎり小さな磁気ギャップを拾う。

 あまり早く回さず情報の密度を欲張らなければそれほど難しくはなさそうだった。

 とくに回転体を積み上げることで桁数を増すことができるというのは単純でよかった。

 同時読み取りビットの数を利用してエラーを検出するのも良い。

 波形信号の検出技術はかなり精度も密度も上がっていたのだが、記録技術の方はせいぜいテープの幅を広げたり素材の感受性を上げたりで、読み取り位置を自由にしやすい記録の方法に困っていた。

 自由な読み出しが簡単であるなら三百億文字ほど書けるとデカートの一年分ほどの通話記録が取れることになる。毎月二百本づつのテープを管理するよりは年に数台の機械を管理するほうが面倒は少なかった。或いは百でも千でも壊れないならそれでよかった。

 電話交換機の中核部分を微分積分演算を含む多項式計算用に運転を始めたところ、記録装置の需要は実はかなり多かった。

 特に波形解析や要素釣合いの挟み込み演算の機能の公開を開始してから煩雑な計算が増えていた。巨大なマトリクスの計算は論理式そのものは単純でも校正を含めて数回計算するのは非常に手間だった。その手間を省くために電気計算機は演算結果を二つの式に互い違いにいれこみ数値を絞り込む作業を満足ゆくまでおこなってくれた。

 どのみち振動や欠陥などの読み切れない要素が多いので、実績統計を元に計画を作る段階では過度に神経を尖らせる必要はないのだが、鉄道運行のダイヤグラム構成とか人員配置における経費見積りなど、自社努力の積み重ねでしかなんとか出来ない種類のものも多く、計算機は機械構造の設計見積りよりも計画予算のための概算説明の材料に使われることが多かった。

 基本的に演算結果は行程式と代入値と結果という形で印刷されるが、大量印刷には向かないシステムだった。

 地震測量くらいだと波形の突き合わせと専用の回転計算機と計算尺を組み合わせれば、人が読み取るほうが断然早いのだが、その記録となると煩雑で整理が難しかった。

 テレタイプの文章も構造を含めて記録できれば紙に慌てたり、紙面にこだわらない量を書ける。紙面にこだわらないということは紙を使わない書類という概念も可能になる。

 文字を数式として或いは記号として圧縮する方法について何か学志館の論文が過去にあった。

 六年前ジェーヴィ教授の論文だった。学志館の要旨集はライノタイプ導入前はひどく簡素で学者任せのもので中には解読に苦労するものも多かったが、教授のそれはきっちりとした文字のならぶ論文だった。

 どうやら数学と言語や図形の接続について研究している学者であるらしく、図形を数式で表現する方法などの発表をおこなっている。



 今年の学志館のマジンの論文は飛行の原理についてだった。

 概ねマジンの発表は現物についての説明が中心だったので当然にざわついていた。

 本人もそのつもりだったのだが、様々にずれ込み忙しかったので、そこは省いた。

 飛行という行動が空気を使って、重力というこの世界自体との綱引きに抗う方法全体を指す言葉であるという説明は、会場の聴衆には今ひとつ受け入れられなかった。

 空気と水の類似について模式的に説明した辺りがよくなかったかとマジンは反省していた。

 空中或いは地上における飛行という行為は、水中の水泳と似ている。

 水の密度のおよそ千分の一しかない空気は抵抗もおよそその程度であるが、浮力も小さい。

 結果として水中に比べて浮力を獲得する方法が難しくなる。

 このことは逆に水中において沈むということの難しさも同時に示している。

 浮力を得る方法は基本的には二つで、一つは気球や浮袋のように周囲の雰囲気よりも軽くする。もう一つは運動によって流れを生じさせ、その流れの力の差を利用する。

 流れには押し出し流れと引き出し流れがあり、面に対して運動のなす角によって流れの量が変わり、運動に対する抗力の形で分かれる。

 別れは無限に微細な面と流れの関係においては極めて一次元的だが、ある複雑な立体を念頭に置けば、ある重心に対する六自由度の運動の合力として表現される。

 ある物体を空気中或いは水中で移動させてゆくと流れの向きの変化として新たな力の向きを獲得する。

 これを例えば流れの向きに対して上方向に整理すると浮力となる。

 ある形状のものに対して十分な運動量を与えることで浮力を得ることができ、空気から浮き上がることもできるようになる。

 また、円周方向に揃えることでよく回る風車になる。

 その風車の回転の理屈は例えば風が風車の羽を推すから、という単純な理屈で回るのではなく、羽の上を流れる流れが押し引きした結果として釣り合いとして回り、やがて羽が起こす流れによってまた回る。結果、風の流れの速さを追い抜いて回る風車が作れる。

 勘の良い聴衆の一部が言葉の意味に気が付き始めた。

 しばらくスライドを利用して円や放物線といった数学的に式化のしやすい形状を元に流れをおいての計算を示した。

 砲弾の着弾が乱れるのは単純に砲身や砲弾の出来というだけでなく、砲弾自身の速度によって起きた流れによってもまた振動的に乱される。と云う説明はすこぶる新鮮だった。

 また、砲弾を適切に到着させたければ、外乱を計算するだけでなく、砲弾の速度と形状についても着目する必要があると論文は示唆していた。

 今年の論文は奇妙なところに波及していた。

 凧揚げが流行り始めた。

 実のところを云えば瘴気湿地の油井から燃料の回収が始まった瞬間から航空機技術については想定はしていた。

 なぜそれをおこなわなかったかといえば、それでどこへ行くのか、と云う問題が大きかった。

 できるからで楽しむには様々に時が急いていた。

 老人たちがみつけて作ってしまったのなら仕方がない。

 と云うところだった。

 ジェーヴィー教授の論文は数式と音の関係性であった。

 人の耳には最終的にある一つの振動として捉えられる振動がなぜ複数の音として聞き分けられるかという話であった。

 人の脳はある時間波形を記憶していて、その形の変化を左右の耳の位置による遅れや強さの差分として拾い、ある種の波形の型に注目してそれを音色として聞き分けるしたがって数十人の会話の中から特定の注目している人物の声を連続的に拾い上げることができる。

 ここで大事なのはある特定の型の注目の傾向がそれぞれの人物によって違い、しかしある共通の傾向があることで会話が成り立つ。それは遺伝的な器質によるものもあるが、人の場合より多くは環境による。したがって音痴の子供は音痴になりやすいが、それは遺伝による器質的な損傷によるものではなく、習慣や経験による訓練と必要によるものが大きい。

 云々。

 というような話題だった。

 ジェーヴィー教授を講演の後で捕まえて、電気計算機というものに興味が無いかという話を持ちかけてみると、大いにある、ということだったので後日見学に招待した。

 大いに喜んでくれて、欲しい、ということになった。

 もちろん電話局が一つ立ち上げられるような値段のものだったので、流石にそれは無理、という話になったのだが、研究成果を利用してもいいから必要なときに使わせてくれないかという話になった。

 複数の式を連続的に切り替えて千を超える要素変数に対して解を求める事ができる計算機械は便利なものだった。

 千どころか連携すれば兆を同時に扱え、記録装置を使えば時間次第で無制限になるが、そうして出てきた数値をもう一度別の式に投入して循環させることで、複雑な数値の波形を組み上げることができる。

 その図示の作業が意外とまた面倒くさい。という話になった。

 もちろん今は単なる妄想めいた構想、野望に過ぎない。

 必要な要素を積み重ねた結果として数字を元に図面を起こすのは会社でもしばしばおこなっていることだが、とる値を最初から分かりやすい配置にしておかないと、とんでもない図面になったり、図を起こすことが難しくなったりする。

 方程式の結果が数値であるのはそれはそれとして、そこに意味を見出すためには俯瞰的に眺めるために幾何的な図形にする必要がある。代数と幾何の円滑な往復が数学の真髄だと、ジェーヴィー教授は言った。

「この完璧な計算機に求めるものがあるとすれば、線的な文字符号を面的な図形に置き換える機能だろうか。或いは時間的な変化を伴う三次元的な表示ができればなお良い。まぁ今のままでも例えば――こういう風に切って重ねてパラパラとめくってやれば、時系列的な次元を重ねることができる。そういう感じの機能があると計算機という幅を超えたものになる。……ああそういえば光画撮影機もこちらで作っているのだったね。例えばあれもこういう風に重ねてやれば、時系列的な動きが記録再現できる」

 ジェーヴィー教授は非常に重要な示唆を残して去っていった。



 学会講演のときには特段に説明をしなかったが、空を飛ぶ機械については既に完成させていた。

 既に一年半ほどの遅れが見込まれ始めたミョルナ周辺の鉄道計画を一気に推し進めるための、土木機械搬送を目的とした、極めて大柄なおよそカノピック大橋ほどの長さと厚みを持つ巨大な構造物である。

 ゲリエ村の対岸の空港のドライドックでのステアの進宙式はなかった。

 印象で言えばオゥロゥの長さでおよそ三倍または体積で三十倍ほどの巨船が完成したのは学志館に向けた論文製作の佳境で、夜空に浮き上がった巨大な空ゆく舟をミソニアンに預けた。

 ミソニアンに預けたのは彼が実質的にマジンの直下で組織運行上ややこしいことになっていない使えると認識されている人材だったからだった。

 流石に一人では扱いきれないので、使える人材とは思っていないが物怖じせず見どころはあって手の開いているヴィル・ヘルミ、マレリウヌとゴシュルとあと幾らかをつけてやった。

 炭素材繊維にチタンを蒸着した皮膜は、全体に白く月明かりに多少鈍い輝きを放っている。

 中間部分はオゥロゥと共通の炭素材の竜骨を使いそれを四組並べたものを三組使っていた。

 八基備わっている肋を兼ねた直径六十キュビット摺動長八十キュビットのピストン型気嚢は引火性の強い分留済み石油精製物のタンクの流用品だった。

 それでありものは終わりだった。

 大直径のダクトファンをガスタービンで回すターボファンは基本的に老人たちが設計したコアを使っているが、シャッツドゥン砂漠のガラスから取り出した材料が新たに使われはじめて素材が多少変わっている。

 それを四基並べて自動車より早く空を飛べた。

 全長で九百五十キュビットという巨体でようやく十二グレノル無理をしても二十グレノルの荷物しか運べない機械というのは様々目も当てられないありさまだが、ともかくも自動車より早く各地に向かえる機械が完成した。

 その航続力は風を利用できれば相当に長く、事実上の無限大と言ってもいい。

 ピストン式気嚢は摺動部の性能によって機能劣化が予想されるが、磁性流体シールで帯のように気密が保証されていて、外部の銃撃や衝撃で過大な歪が発生しなければ、真空減圧ポンプを浮袋の動力に使い、高度を切り替え風を乗り換えることで計算不能な長駆を可能にする構想である。

 ピストン式気嚢は構造的に強度を担保しやすく、気嚢の漏洩を巨視的な計画上想定しやすくはあったが、大型の炭素材構造の欠陥については検査が難しいところもあって、落雷等の熱的電磁的な衝撃が加わった場合の破断や破裂を考えれば、水素を使うことの意味についてはためらわれた。

 水素が燃焼した場合、気嚢内部の水素がほぼ一瞬で水蒸気に変わることを意味していて、構造そのものが堪えられても一気に浮力を失うことが明らかであったから、構造をいかに丈夫にしても墜落の危険を回避することは出来ない。

 水素の爆発的な減圧による構造破壊は、大型の炭素材を構造とすることで気嚢それ自体の強度を確保し機構上の対策が取れたが、浮力の喪失ばかりは受け入れざるを得ない。

 気嚢の分散による重量増への対策と管理の簡素化を狙っての大型摺動気嚢であるが、浮力が一気に失われることはもちろん危険も大きい。

 更に言えば、大型の主要構造が爆発に耐えられるとして、生命維持に直結する膨大な数の艤装は計算上も直感の上でも船体構造の引き起こすだろう衝撃的な振動波動に絶えられるとは考えられない。

 ヘリウムが手に入るまではそれも已む無しという判断だったが、様々にかまけて先延ばしにしていた結果として材料はそろっていた。

 ステアは風の抵抗がない状態であればデカートから共和国中どこでも一日で飛行ができる。

 着陸はこの巨体であるから水面か人気のない平原かということになるが、完全着陸は無理でも様々なところに何かを下ろすくらいにおりられないわけでもなかった。

 風を避け陽の光を避けるために優美と云っていい滑らかな船体と雲のような艶深い白だったが、硬式飛行船ステアは輸送目的で作られた貨物飛行船だった。

 空が群青になる高さまで登れる飛行船の客室は気密され、巨大で真っ白な流線型は雲の女王のような風格とも言えたが、その目的は土木工事用だった。

 トンネルカッター一号機を改良したものを二号機の自走ジャッキと組み合わせた四号機と五号機をミョルナの東側の湖ダラスミールに下ろすためにつくられた。

 計算上余裕が有るはずだったが、山を超える乱流を避けるためには風船式の予備気嚢を含め浮力を一杯にせねばならず、ただ飛ぶためにはそれほど神経を使う必要のない形ばかりの舵や四基に独立している噴流翼の向きを動かすことが必要だった。

 どうも経路設定が予定よりも難航しそうだという話をマスがした後に、できれば死にたくないのでなんとかならないかということで相談を受けた。

 現実問題としてミョルナの山地をバーダンとシズーンまで抜けてしまえばトーンまでの工事は難所が終わる。シズーンから先はしばらく砂漠。それも砂の砂漠が広がっているが、馬はともかく鉄道にとっては面倒が少ない。鉄橋と大差ない工事で進められる。

 街道はそうもゆかないので再び山地に戻るが、ワイルまでを考えるなら却って近道だった。

 ダラスミール湖は同じ名の集落があるばかりで山向かいのミョルナとは徒歩で通える道はあるものの馬車が通るほどのものではなく、街道も通じていない孤立した集落だった。

 ミョルナの山々にはあまり馬車を通そうと云う意欲のない、しかし家の数で十数戸という少ないとも言えない集落が点在している。そういう生きるだけで汲々としてそれ以上にこだわりのない人々の意識にすがる形でミョルナの鉱山地帯の面倒を避けるように路線計画は建てられていた。

 下ろしたら下ろしたで作業については問題があった。

 いきなり高地地帯に下ろされた労務者たちが高山病で半月ほど使い物にならなかった。

 結局トンネル掘りの作業に入るまでにひとつきがかかっていた。

ダラスミールのトンネルがひとつきほどかけてミョルナのすぐ脇の川原端に至ったあとは多少マシだったが、一日十グレノル余しか物資が運べないもどかしさは筆舌に尽くしがたい物があった。

 石炭と水はミョルナですぐに調達ができるようになったが、結局その他全ては下から送るしかなかった。工員が増えればその分の手当が輸送を圧迫した。

 ダラスミールのトンネルの瓦礫に機械と飯場で使って余る分くらいの石炭が出てきたことは幸運だった。ミョルナで買うつもりだった石炭が多少少なくてすむ。

 ミョルナの山々はこういう細い石炭の層がいくつも存在していて、時間をかければ様々に商売になるはずだったが、様々に起こっていた時間調整の結果として鉄道事業全体に奇妙な圧力がかかっていた。

 それは却って都合が良かったかもしれない。

 巨大な空を飛ぶ乗り物ステアは日照りに炙られることを避けて全くひっそりと夜のうちに飛んで朝方帰ってくるという周期のおかげで軍や収容所の看守たちにさえ気づかれることなく実績を積んでいた。

 重さ十グレノルの資材というものは鉄道土木工事の資材としては一日二日の分量だが、およそ五千頭分の馬匹の一日の秣に相当する重さにあたる。

 それだけの荷物を好きなところに運べるとリザが知ったら貸してか作ってか、或いは勝手に持っていくかだろう。



 ステアの就航からしばらくして爆薬による振動を使った地質調査の実験についてどこからか聞き当ててきたジェーヴィー教授が再びローゼンヘン館を訪れた。

 教授はしばらくの雑談の末に地震測量機や電波発信機と高速計算機の組み合わせに自分の研究の様々を見つけた様子だった。

 彼の研究の多くはある物理現象と数学的波形をつなぎあわせて特異点を見つけることで、その特異点から前後の意味や状況を類推できる型を作ることに費やされていた。

 基本的には弦楽器や打楽器の音程から数学的関連、或いはその音の並びからの和音不協和音といったものに興味を持っていた教授にとって、発信機と受信機、或いはそれを数学的に利用する高速計算機は夢の研究対象だった。彼はしばしばローゼンヘン館に泊まりこみ新型の半導体回路生成器に張り付くようにして電子回路の設計に執念を燃やした。

 既に基礎的な技術製品は出来上がっていて、材料もわずかながら自由に使えるようになり始めていた工房には陰極線管の応用としての電子銃を使った蛍光管電位計が作られたことで波形の測定というものを目で追えるようになっていた。これは物理的に針を動かす電磁型の電位計に比べて表現の拡大や反応が早く、ひどく直感的な幾何的な形として波形を見ることができた。

 また、ジェーヴィー教授の協力は地震測量などにも大きな影響を与え、測量された波形から読み取れる兆候を増やしていた。とくに斜めに屈曲しながら存在する地層に対して教授はわかりやすく注目すべき傾向を示し、高山地帯での危険を回避させていた。

 電気計算機は電話交換機の同時回線収容数が二万を超えたところで性能の向上を止めていた。

 事実上の用途を失ってしまったので一生懸命何かを行う必要がなくなってしまったからだった。またその記録装置が先に必要でもあったので、性能の拡大は後回しでもあった。

 ジェーヴィー教授はそういう半ば行き詰まりかけていた電気計算機の技術の整理を猛然とおこないはじめた。

 当初はもちろんに自分の研究に使っていたのだが、そのうち電気計算機の基礎的な論理回路の成立ちや組み換え可能な命令領域などの論理機構としての電気計算機に興味を持ち始めた。

 そして電話交換機として動くためだけに作られた回路を整理しなおし、まだ多少の余裕が有ることを示した。その方法はマジンも見つけたものの面倒のあまり放っておいたものだったが、ジェーヴィー教授は人海戦術で成し遂げた。その性能向上は明らかで伸び幅はマジンの想像を上回っていた。

 手間をかけた庭には枯れ葉が見当たらないという全くそれだけで、庭師としてのマジンはかなりズボラでそれこそが様々な機械の性能にも現れているのだが、ともかくジェーヴィー教授は数学理論を詰めるがごとく電気計算機の構成を整理し始めた。

 彼は十名ほどの有望な学生とともにローゼンヘン館の一角に研究室を構え、ゲリエ村で寝泊まりを始めた。

 マジンは既にあった音波探測儀を電波に応用したり、或いは流れや物体の速さによる反射信号の歪を利用して対象の速度や方向の相対位置の変化を検出する回路機構を組み込んだりということをおこなっていた。

 単なる波形を位置に置き換えるには波形の山を拾うように検出軸を直行させある高さを超えた信号を蛍光させればよかったので比較的簡単ではあったが、ジェーヴィー教授の研究室では更に面白いことを実施しようとしていた。

 電話交換機の記憶容量を整理しなおして写真のように四つの色価をもつパレットにしようという計画であった。

 色価は赤青緑灰の四つで十五色を表現できる。

 広さはいくらでも良かったが作業の都合上あまり大きくできなかったので千かける千のパレットを二百四十枚用意して電子線を操作して特定図形を連続的に操作する動画を作る計画になっていた。

 正直言えばお遊びのたぐいであったが、ここまで楽しければそれでさえ有意義だった。

 それにこの技術があればテレタイプのような使い方ができ、しかも紙が必要ない。

 記録用機器の問題は残る。

 それにもジェーヴィー教授は大いに食らいついていた。

 彼は磁気記録テープを音響用の記録機材として使い、各地の地震記録の管理を磁気テープで行うことを進言した。それまではともかく一旦紙に波形を描かせていたのだが、それがしばしばジェーヴィー教授の手元で巨大なゴミになってしまっていた。

 ジェーヴィー教授は嗜好や作業は極めて繊細だが実生活は比較的おろそかになりやすい人物でもあった。ジェーヴィー教授がローゼンヘン館で喜んだのはともかく研究室が広く散らかし甲斐があるということだった。

 ウェッソンとリチャーズは多少ジェーヴィー教授の遠慮のない性格に戸惑っていたようだが、客として扱わなければ良いということがわかれば気は楽な様子だった。

 ローゼンヘン工業から十名ほどの人員を館の研究室に送り込むとジェーヴィー教授の立場は不思議なものになっていた。

 ジェーヴィー教授が製作者というよりは指揮者或いは扇動者であって、実のところ彼一人ではあまり大したことができないこともすぐに分かったが、そんなことは規模がふくらんだローゼンヘン工業にとっては大した問題ではなかったし、館の工房を管理している者達も大いにやれと言われた範囲で大いにやるのは全く吝かではなかった。

 個人の立場や資質がどうあれ、これまで怪しげな数学理論として扱われていたジェーヴィー教授の研究が連鎖的な速度で極めて高度な実用性のある技術、そのために一般ではなかなか運用のしにくい高級な技術として扱われるようになってきた。

 教授会での扱いも目に見えて変わっていた。

 その冬、学志館の理事会は亜人種の在籍を受け入れる方針を発表した。

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