学志館研究者論文考査会 共和国協定千四百四十六年盛夏

 今年のゲリエ卿の特別講演論文は価値本位制通貨の研究という題目だった。

 多くのものは何を云っているのか、題目の指し示す事柄を理解しなかった。

 講演が始まって時間が進み、少なくもない量の資料の紙面が捲られ読み進められ、なお多くのものはその意味を測りかねていた。

 だが、直感的にその重要性と危険性を直感した者たちはいた。

 しかし、講演のその場で荒れるようなことにはならなかった。

 要旨があり説明が当人の口からなされているとは云え、その内容はあまりに概念的で複雑で資料は分厚く、講演の内容を聴講している者たちがその場で論文の内容まで精査するには時間がたりなかった。

 せいぜいが、とうとうゲリエ卿が執事と同じように哲学分野にまで足を踏み入れたか、という脅威感が沸き起こったという程度の意味でしかない。

 金属資源としての金銀は確かに価値を裏打ちするものではあるが、そもそもに価値とは何であるのか、と考えたときに必ずしも貨幣として金銀を使う意味はなく、実態として為替はその書面の情報そのものには価値があるが、材料には価値はない。

 つまり意味そのものが価値であって、貨幣通貨に資源価値を結びつける必要は必ずしもない。

 もちろん物々交換としての貨幣通貨を安心と見ることは一つの意義ではあるが、それを云えば食べられもしない金銀を食料として利用が可能な麦やパンよりも重きをおく意味はなんであったのかを考える必要がある。

 もちろんそれは腐らない、という一点にある。

 では金銀ならば本当に腐らないのか、と云えば実はそれは違うことを多くの人は知っている。

 銀はもちろん腐るし、金はしばしばまがい物を混ぜることで価値を失う。

 視点を入れ替えて貨幣ではなく商品の価値について考えてみる。

 もし仮に並の馬の二倍の荷物を運べる馬がいれば、その馬は二倍仕事ができるということになる。

 では馬の十倍の仕事ができる機械の価値は何倍だろうか。

 百倍の仕事ができる機械の価値はどれほどだろうか。

 もしそういうものに百倍の値をつけたとして、そういうものが当たり前になれば、金貨銀貨は世界に百倍必要になる。農家は百倍の作物を作る必要がある。

 本当にそうだろうか。

 人が食物として消費できる量、消費できる時間は豊かでも或いは貧しくとも一定の限界がある。

 そう云う限界を超えてしまう物品の価値をどのように測ればよいのだろうか。

 そういう問い掛けでもあった。

 論文の結論としては百倍のなにものかをその場に積み上げる必要はない。

 将来に弁済できる信用関係があれば問題にならない。

 互いの信用価値こそがその場の資源にまさる取引財になる。

 信用価値というものの意味がおよそ曖昧であることが、経済を金銀に結びつけているが、金銀にしたところで、希少価値以上には信用に値するような材料でもない。

 金も銀もそのままでは食べることもできず、命を支える道具にもならない。

 物の価値は必要なときに必要な用途に使えることである。

 信用価値ということで引き出せばいつでも一定の価値と交換できるものであれば、金や銀である必要はない。

 ごく大雑把にそういう話だった。

 およそ、学術論文と云うにはぼんやりとした極めて曖昧な概念を解説したもので、今回は論文の内容も紙面として薄く、第四堰堤建設を中心としたカシウス湖鉱滓汚水対策事業や鉄道事業或いはエンドア開拓事業の目論見書に比べても厚みという意味では極めて薄かった。というより、これまでの論文の内容が法外に分厚く、或いは目論見書が複数に分冊され要旨を読み切るだけで一般に満腹するようなものであったから、そういう意味で厚みとしては薄かったが、およそ哲学的な理論論文というものは実例の説明というものや数理論的な解説は少なかったので、そこはよかった。

 だが論文のテーゼの挑み臨むところは、このまま文明が進めば通貨の価値は極端に下落するだろう。或いは技術的な進歩と投資が金銀といった鉱物資源の上限によって強力な抵抗を受け、文明の発展が止まるだろう。

 という将来の問題を示唆していた。

 その対策のためには、通貨当局が通貨を扱う人々をひとつの集合と見做した経済圏全体の価値を軸に通貨量を調節して、可能な限り公正に人々の流通にそぐう形で物価或いは貨幣の所有と流通を管理する必要がある。

 という内容だった。そこに思いが至った人々は論文の公演中にはいなかったが、それは人々にとっても会場にとっても或いは講演者であるゲリエ卿本人にとっても幸いだった。

 意味もわからず論文を持ち帰り、様々な立場から論文を考査した人々はローゼンヘン工業の圧倒的な膨張に考えが巡り、ある日突然ローゼンヘン工業がのたうち回る大蛇のようにデカートのみならず共和国を倒壊させかねない状況がまだ余裕のある近い時期――おそらくは今日生まれた子供が年老いて死ぬより前のどこで起きるだろう、ということを社主自らが予見したことを察した。

 部分的な対策は既に示唆はされていたが、具体的にどういうものかという部分までは論文上では踏み込んでおらず、その結果として論文は比較的薄く抽象的でまた結果としてわかりにくい内容だったが、予見された内容を読み解いた者達にとっては心ざわめく内容の論文であった。

 しかし一方で、論文を読み解けなかったそうの多くがそうであるように実際にローゼンヘン工業の様々に不満を持っている者たちが相応の早さ相応の規模で増えていることは、うっすらとでも論文の主旨に理解の努力を払った者達には理解できた。

 元老院でも今年の論文についてはとうとうに話題になった。

 ゲリエ卿は夏までの汚水対策の指導ということで元老院の方には連絡のために執事が詰めているだけだったが、ひとまずの形が一段整ったということで元老院に出てくるようにもなっていた。

 元老の責任に相応しからざる行動なのか態度なのか、という話題は元老院では大きく問題になっていた。

 だが、既に事実としてローゼンヘン工業は驚くべき収益と莫大なという以外にない税を資金としてデカート州に納めていた。

 単純な納税責任という意味では、ローゼンヘン工業はおよそ誠意ある一切を資料として提出した上で、事業所内の監査査察等の会計上の面倒或いは設備上の面倒も可能なかぎり協力していた。例外は危険物取り扱い域ではっきり云えばそこは開くだけで、一帯が毒や火災に巻き込まれるような区画の存在であった。

 もちろん開いてみれば見たものは間違いなく死ぬ、と言う言葉は脅しだけではない。

 今のところそれを敢えて為したものはいなかった。

 一応の備えとして開いてみて死んだとして入り口が大きくなる以上のことはないような対策はなされていたが、程度の問題はある。

 だが、そう云う区画がある事自体が気に入らない者、その感情を職務上の責任と結びつけている者は相応に多い。

 各区画の製品のおよその年間扱いの製品の延べ金額と実際の機材の価格と運転状況については担当区画の従業員には告げられていた。自分たちの作っている粘土のような何物かや一見水と区別の付かない何物か、あるいはちょっと出来の変わった何かの金物やその他の様々について細々と来歴を教えるよりも一体いくらになるはずのものなのか、止まったらいくらの損になるはずのものであるのか、ということを従業員が知っていることはぼんやりと一般的な情報としてなににどう使われるよりも分かりやすく衝撃を与えることになる。

 小さなネジひとつにしても、或いはただ白いだけ黒いだけに見える糸がそれぞれいくらのものを支えているか、いくらの機械設備であるか、という話題は重大な意味合いを雑談に与えていた。

 もちろん、その場にいる人々の人生には全く関わりがない情報である。

 そう云う、別天地としてのローゼンヘン工業が戦争勝利のために共和国軍を支援し、今まさに帝国との今次の戦争に決定的な勝利を求めた作戦を発起させようとしている最中、学志館で発表された講演論文は、共和国タレルの死が間近であることを意味する内容であることを相応に責任のあるものたちのいくらかは理解した。

 それが鉄道と自動車の威力によるものであること、つまり結局は戦争の趨勢がどうなるにせよ、共和国に混乱が起きるだろうことを意味する内容だった。

 それは、多くの軍官僚にとっては、共和国の分裂を危惧させる内容だった。

 しかしそれと云って実態として、共和国軍とタレルダカート体制以上になにができるというわけではない。

 今更、鉄道を敷かないという選択肢もありえないほどに鉄道の威力は誰もが認めていた。

 参謀本部の研究部会の取りまとめた研究報告は当の参謀団ですら困惑するばかりの内容だった。

 戦争終結後、ローゼンヘン工業の軍需縮小とともにタレルダカートを基軸とした通貨体制が限界に至る。

 参謀本部はデカートでの講演の後、ふたつき足らずで研究報告を部課長級一般回覧に回した。

 これは事実上、最も危険度の高い、しかし未確定の危機として扱われた、ということである。

 戦況の急転と同じ程度の扱いでしかも鉄道と電話そして電算機によって、極めて素早く取りまとめられた。

 帝国の仕掛けた戦争が共和国の根幹を完全に破壊した様子、とさえいうことのできる参謀研究報告の意味は、漠然とした危機であることは相応の高級官僚であれば即座に理解できるものであったが、一方でその危機がどの程度の危険を伴っているのかを正しく量ることができる者は、当の参謀研究を報告した参謀団の中でもいなかった。

 だが、共和国軍人として明快な事柄として、外敵との戦争の敗北は絶対にさけるべき事柄だったし、共和国の分裂崩壊も避けるべき事柄だった。

 政治的妥協の産物である共和国は、政治的機能を可能な限り剥奪された組織だったが、そうあることが許されない情勢が近づいていること、リザール陣地線を一息に押し流した山津波のごとく迫りくる光景をその参謀研究報告は告げていた。

 それは、帝国の仕掛けた大戦略がどういう意味を持っているか、記号論理学の帰結として漠然とした形ではあったが、単なる哲学や歴史的解釈とは異なる行程そして性状を、軍官僚たちに冬の露天に晒された氷雪まみれの上掛けのように重く冷たく感じさせた。

 参謀研究が報告するところ、たしかに共和国は帝国の仕掛けた戦争によってその体制根幹が破壊され尽くしていた。

 そして、ローゼンヘン工業に対する内偵の結果として上がっている様々な断片をつなぎ合わせ推測するところでは、その危機に際して独自の善後策を準備している事は明らかだった。

 帝国との今次の戦争に勝とうが負けようが、共和国を揺るがす嵐が起こることは避けられない。

 戦後の処理というものはどのようにしても混乱が起こるのは当たり前だ。という意見に従えば、研究報告の意義はそれを定性的な必然として語ったことであるというに過ぎない。

 一方でその定性的な蓋然性高い事態が国家を揺るがさないようあたってなにをすべきかという見解もある。

 各部各層の肌感覚温度差が今まさに組織が分裂する徴候を示していることを軍官僚上級幹部たちは意識しないわけにはゆかなかった。

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