エンドア開拓事業団本部 共和国協定千四百四十六年小暑

 結婚式は終わった。

 盛大なと云うに十分な華やかさと遠方からの来客も多かったが、そう云う人々を受け入れるにはあまりに短い饗宴だった。

 だが、そういう人々を鉄道が助けてくれた。

 ともかく多くの珍しい客人が祝いに現れてくれた。ということで十分だった。

 ノイジドーラもなんで他所の女との結婚式に呼ぶのかというようなことを言っていた様子ではあったが、ともかく海に出た女達の幾らかを連れてペルセポネの点検も兼ねて帰ってきた。

 ペルセポネは戦闘力は高いが軍船という意味では大きいというわけではなく、それほどに余裕があるという船ではない。川に登れてしまうという大きさは 有利も多いが不利も多い。船の整備に必要な様々が殆どないリベルティラのような土地で使うには、あまりに機能一辺倒な作りで一旦不調になると洋上で手をかけるというわけにもゆかない点が、実は海賊船としてはやや弱かった。

 船腹が小さいということは、燃料と食料と弾薬を積み分ける機関船にとっては一つの弱点でもあった。

 ペルセポネに何処かの船が乗り込むために舫い絡みつけたとして、その船が燃え出したとしてペルセポネの延焼するようなものは実は船体甲板上にはなにもなく、せいぜいが帆と帆走用の幾らかの艤装くらいなわけだが、ペルセポネの船倉に余裕があるというわけではなく、甲板の上に食料が出しっぱなしで片付けようもなく網をかけてとりあえず滑らないようにだけしてあるということは多かった。

 およそのところで港を離れて何日離れるかわからないような航海を行う海賊船として、危険を避ける意味もあってノイジドーラは、海賊船として物語を聞いたものが思い描くような切込みを避け、そういう風に戦意のある船をかっぱぐために乗り付けることは殆どなく、乗り込み戦闘というものを殆どやっていなかった。

 互いに旗流を見えるような位置であればペルセポネの砲は帆船を外す事は考えられなかったし、武器と言って大砲と呼べそうなものはペルセポネには二門しか搭載していなかったが、戦車と装甲車のそれぞれの武装を機能を本来持つはずだった機能を一切あきらめず省略せずに積み込めるくらいの大きさは船にはある。その火力と精度は過日証明済みであったから、あとはノイジドーラたちの獲物の見定めで海賊稼業の稼ぎが定まった。

 敵とした船を沈めるだけならいくらでも簡単なペルセポネの性能も、船荷を奪うことで稼ぎを上げる海賊稼業には必ずしも向いているとはいえなかった。

 海賊稼業は山賊よりもよほど獲物の見極めが難しく、基本的に目利きと博打の性質がひどく強い盗賊稼業であったから、いっそデカい船を叩きのめした挙句にまだ浮いているようなら、白々しく助けてやると言いのけるくらいのほうが無難だった。稼ぎとしては確実なのは櫓と帆をへし折った後に、砲門をなぎ払い、馴染みの船大工に押し付けてやる方法で、帝国の軍船や商船を何隻かそうやって鹵獲曳航してダッカに引き渡すと、無理に自分たちでかっぱごうと狙うよりもずっと簡単に稼ぎに変えられた。

 要するに四年も経ってようやくにノイジドーラとその一党は機関船であるミンスの同級船ペルセポネがどういう能力を持っているのか、ということを理解したということでもあった。今更ながらではあるが女海賊らしい潮気が巡り始めたということでもある。

 地図を作るための位相差合成開口捜索儀は、複数の電探の信号の位相遅れをそれぞれの電探と受信器と慣性航法儀で拾うことで、ペルセポネの航路を巨大な電探として扱うことが出来る電探の集合として機能していた。それは電探の性能というよりは分波器と電算機の性能が重要なものであって、ある程度馴染みの海域であれば、帆に登ったり機械に張り付いている女達よりもやや早く機械が自分で何かを見つけるということも意味していた。

 ノイジドーラやその他の乗組員たちには理屈はわかっていなかったが、つまりは物を探すのにいちいち立ち止まらないでいい、ということだけわかれば良いことで、海域をぬりえのようにウロウロしているうちに次第に地図が鮮明に確実になってゆくのは、達成感があって面白いことだった。

 ノイジドーラたちは電探の道具としての使い方にはすぐに慣れて、見張りは小銃で狙えるような位置の青く見える水面を探すばかりでもあったが、それだけでは獲物の見積もりはできないことはすぐに知れた。電探や音探の使い勝手は水平線の僅かに手前や更にその奥を昼夜関係なく見張ることでペルセポネの船足と合わせれば、洋上島影ない大洋をこそ冥界の妖精女王の住まいとしていた。

 最後は乗っている者たちが自分の目で確かめる必要があるわけだが、二度三度足を向けた海域ではよほど入り組んでいても奇襲を受けないですむ、というそれは海賊船にとっては全く恐るべき機能であったから、ノイジドーラたちは大雨の日以外はのんびりと眠ることができた。

 ノイジドーラたちの成果は実はジェーヴィー教授が相当に気にしていて、電波測量の精度と可能性を高めるためのかなりの努力を教授はおこなっていた。いろいろな理由で実現は難しそうであるが、気球などの高空からの情報と地上付近の情報を接合して巨大な一枚の立体図にする構想などもあった。

 電波の反射と回折は当然に物体の性状や形状と角度に大きく左右され、地上近辺と低空高空ではまた当然にその雑音の形特性が大きく異る。

 船の甲板と帆先ほどの高さの差でもその差は明らかで、ペルセポネには合計五つの電探と七つの受信器と三つの慣性航法儀が備えられている。その機能はそれぞれに特徴あるものなのだが、全てが電算機を経由することで波形挙動を記録していて、ジェーヴィー教授はそれを熱心に解析していた。

 定期的な航路を使っている船の解析もそれはそれで意味があることなのだが、全く不定期な洋上航海をときに他の船を避けたり追ったりということを積極的におこなっている軍船は、ジェーヴィー教授の研究としては非常に興味深い信号傾向を示す。

 ノイジドーラはというよりも、彼女の航海要員たちはスコールや霧から切り替わった豪雨といった気象条件や強風での水面反射などの電探上のノイズを小舟と見分ける方法を探していて、ジェーヴィー教授にとってもそれはちょっとばかり刺激的な難問だった。

 電探が何かを見つけたと思うと、にわかに暗雲差し込めて見つけたものはいままさに降りかけの雨雲ということが幾度かあった。

 理屈の上では電探の捜索周波数と探すべきものの適合というところで大雑把にくくれるのだが、それがどのくらいがいいかというところは、相手がなにかというところと、波間に没することによって大きさが変わるというところがひとつ問題であったから、海面を貫くような電波を使いたいところであったが、そうするとひどくボヤけるというところも問題になる。

 ジェーヴィー教授はある程度の解決をみたかもしれない方法を思いついていて、理論的な構造の提案をマジンにしていた。

 それは今なら多分できるんじゃないかできるはずというような、ジェーヴィー教授をして首をひねるような技術的な挑戦の部分が多かった。

 船体長をすべてアンテナとする超長波電探は解像度の上ではおよそ単体では意味を成さない技術ではあるが、波形合成を前提とした地形や低速の洋上漂流物を検索するための技術としてペルセポネに組み込まれた。

 超長波電探単独の解像度はせいぜいがその辺にあるかないかという程度の意味合いしかなかったが、時間離散解析と他系信号の重ね合わせをおこなう電算機を経由して信号の篩をかけることで洋上漂流物や地形を鮮明にすることのできる技術のはずだった。

 それは水面の青や緑を無視する赤という概念を電探の世界に持ち込むことで天然色の世界が突然ひろがるようなものであった。


 この改装は電探だけで危険な浅瀬や洋上漂流物をおよその捜索ができるようになったことを意味しているわけだが、ノイジドーラはあまり興味が無い様子だった。

 彼女にとっては早くなったり強くなったりというところは理解できても、電探の性能が上がるということはせいぜいのんびり居眠りができる時間が伸びるという程度の意味しかない。それがどれほど重大な意味を持っているかということはおよそ彼女には理解の外でもあった。

 ノイジドーラとしては参謀長の結婚式に列席していた共和国の陸兵が身に着けている藍色の甲冑のほうが気になるところで、そのうちのいくらかが顔見知りであることにも驚いた様子だった。

 別段にノイジドーラとしてはお屋敷の奥方という座に憧れがあったわけではないし、云ってしまえば自身がゲリエ卿の情婦という意識すらなかったわけだが、ペルセポネをくれるなら股の穴をどっちでも貸して玉竿を気持よくしごいてやるくらいのことはしてやってもいい、という程度には云った覚えもあって、悋気とか嫉妬とかそういう感情であるはずもなかったが、そうなると法外な値段がするはずの最新鋭の機関船をどういう根拠でノイジドーラに預けたかというところが彼女の中では問題になった。

 ノイジドーラ自身は産んだ子供に未練はなく、今更それがどうなろうが気にするような情もなかったわけだが、屋敷の女達が綺麗に着飾って楽しげにしているところは奇妙に気分が荒むところでもあって、久しぶりに陸に長居することで街に繰り出して男漁りに精を出していた。

 ヴィンゼでの披露宴は男女とも互いの番探しというか浮かれた愛の春を楽しむ場でもあってノイジドーラの気分には合致した相手が多かったのは間違いない。

 ローゼンヘン館での披露宴はもう少しお上品な客層であったことでノイジドーラは少し気分が荒んだ。

 そういう流れで酒に酔ったノイジドーラは結婚の差し止めを訴える者を探す場で、リザに決闘を申し込んだ。

 隣席の客の多くは仕込みの劇だと思った様子だったが、実のところかなり本気の取っ組み合いで、リザがノイジドーラを絞め落とすという決着をつけた。

 その闘いはマリールが自分が挑めばよかったというような流れであったが、マリールとしては自分が勝ってしまっては結婚披露宴をもう一度やり直さなくてはならないことを本気で悩んだすえに自重したということであった。

 ノイジドーラとしては勝って花婿強奪ということを目論んだ、というよりはそれなりに成果を上げているはずのペルセポネとリベルティラの講評よりも他の女との結婚披露宴が大事なのか、というややこしい女の駄々もあった。

「この娘ね。潮気が足りない海賊ってのは。海賊としてどうなのか知らないけど、もうちょっとちゃんと躾けたほうがいいと思うわよ。安くもない立派なお船を預けているんでしょ」

 花嫁衣装を破り泥に塗れさせ意気揚々と引き上げてくるリザがマジンに強気の笑顔でそう評した。


 今や海船のペルセポネは船台に引き上げられていた。

 丸一日の川の遡上とその後の繋留で海棲の着底生物はおよそ萎びていた。

 ペルセポネの二重船殻の外殻は船台に上げれば比較的簡単に張替えがおこなえる作りになっていて、既に機関や一部機器の入れ替えのために竜骨を晒していた。

 船殻の強度を保つ竜骨と主隔壁、空間を支える燃料タンクさらに内殻の底部を均すように配置されたバラストタンクが存在する。燃料タンクは原則として大気圧で海水が流れこむような構造になっているが、浮力確保のためにタンクに空気を送り込むこともできる。左右合わせて三十四区画の燃料タンクはそれぞれに浮嚢気嚢としての役割を与えられていて、底部のバラストタンクと合わせて喫水の調整をおこなっている。二重船殻はペルセポネの戦闘艦としての構造上の特徴でもあり、液体燃料を使う機関船としての特徴でもある。

 外殻の強度はせいぜい機関銃に耐えられる程度のものであったが、内殻は水中から放り上げられたたきつけられてもへし折れないだけの強度を竜骨と合わせれば持っていて、左右互い違いに半分の区画が失われても舵に影響が出ない強度と予備浮力を持っていた。

 そういう状況に陥ってどれだけの船員がまともな判断力を維持できるか対処に立ち向かえるかという疑問はさておき、船体中心軸に長く並んだ複数の機関配置と合わせてペルセポネは設計構造上極めて沈みにくい船であることは間違いなかった。

 如何にも訓練を忘れた様子の女水兵たちは、ペルセポネの定期整備の日程およそ二十日間の間、ノイジドーラも合わせてミリズとミソニアンの元で組み込まれる予定の機器の扱いを含めた訓練を受けることになった。

 船を設計建造したマジンとしては当然に使ってほしい形というものがあるのだが、実際の運用の上ではそういった形を作法以上に尊重することも出来ないことが様々にある。特に隔壁の問題は換気や往来と水密とを秤にかけた問題でもあって、状況というものが問題でもあったから、生活と船荷と戦闘とはそれぞれに面倒の異なるところでもあった。

 火災対処や漏水訓練というものは彼女たちはどうやらおこなっていないらしく、ミリズもミソニアンも呆れてはいたが、海賊稼業というものが実のところ陣地にこもった兵隊のような状態であれば、落ち着いて訓練をおこなう気分になれないことは必ずしも言い訳というわけではない。ただそういうことであれば泊地に帰って落ち着いた時くらいは、船を沈めない訓練をきちんとおこなっておけ、というだけのことであった。

 女海賊たちにとっても新兵扱いは不平不満がないわけではなかったが、船を沈めないための訓練だということはわかってもいたし、川を下って近場の海という鉄火場からは少し離れた海で、お堅いお行儀の会社の船ということであれば、お行儀よろしく訓練をするというのは気分転換としては悪くなかった。

 色々と忘れてはいたが、彼女たちも長いこと海の上で生活していた船乗りで、鉄火場という意味では定期航路の船長よりはよほどまじめに緊張した生活を送っていたから、日々の忙しさで忘れていたペルセポネの同型船の機能を思い出し学ぶという姿勢を失っていたわけではない。

 女水兵たちは長らく機械の力におんぶにだっこという状態ではあったが、ひとまずお遊戯よろしく基本を思い出していった。

 女達もそういう生活に一方的に文句があったわけでもない。離れ小島では食う男も選べないし、海の上で揉めても愚痴を云う顔を変えることもできない。

 結婚式では一揉めあったが、女海賊たちはひとつき鉄火場を離れたことで気分転換を果たしてもいた。

 整備も終わり機器を入れ替えたペルセポネを受け取ると、ノイジドーラもなにが機嫌が悪かったのかわからない状態になっていた。


 ペルセポネの改装が終わる前にリザとの新婚期間はあっさりと終わりを告げた。

 鉄道がアタンズまで伸び、自動車聯隊の練成期間が終了し、部隊の移動が開始されたからである。アタンズに移動してひとつきほど部隊整備基地を設定する、というのはアミザムでのかつての騒ぎを思えばかなり綱渡りのような日程であった。

 八千に少し欠けた突撃服の代金七千万タレルあまりはまだ支払われてはおらず、リザは貸しておいてと手書きの借用書を書いてよこしたが、他にリザは弁明の手紙かと思わせた封書に戦車の演習経費およそ十七億タレルの借用書も置いていった。つまりは彼女リザ個人の持ち出しをあっさりと結婚相手に押し付けたということでもあって、結婚詐欺も同然の悪質な手口を早々に使ってみせた。

 延べで三十両ほどの戦車をぶち壊していった訓練経費の借用書は、やはりリザ個人の借用書で結納金としても法外で、全く計画的な足元をみた行為でやりくちは腹立たしくはあったが、もはや会社もゲリエ家もその程度で揺らぐような状態でもなかった。

 戦車を作る様々は調整の面倒な専用機械の転用ではあったが、第四堰堤の浄水設備やその電源動力の準備に必要な材料や工作機械の応用で、設備投資そのものは戦車がどうあっても必要な物だったし、会計作業上どこかに丸めてしまおうと思えば、バラバラに丸めることくらいは容易な金額と内容でもあったから、全く純粋にリザのやり口に腹を立てたというだけだった。

 どうしてこういう流れになったのか、リザの口から吐かせてやりたかったが、リザの必要を大本営の様々が認めず、それでも尚リザが必要とした、技術と経費と常識とが衝突した結果という、およそのところは見当がついた。

 そして普通であれば諦めるところをリザがケツを向けクソをひるべき場所がたまたまあった、というだけの事であろう。帰ってきたらリザが剥いたケツを折檻してやらなければ気が済まない事案ではあるが、それもリザが無事帰ってきた後の話でもあった。

 ゴルデベルグ中佐は全く涼しい顔、すっきりした顔で規則正しい列車の旅を楽しんでいた。貨物基地で七千万タレルの借用書を目にした時の夫の嫌そうな顔が更に巨額の借用書を見てどんな風に変化するのか内心楽しみでもあったが、ほぼ間違いなくもんどり打つほどの勢いでぶん殴られるだろうなぁとも考えていた。

 作戦が終わって五体満足なら、そういうのも悪く無いとリザは全く開き直った気分で楽しみにすることにしていた。

 マコブレン大尉とモウデル大尉はゴルデベルグ中佐の全く楽しげな様子にゲリエ卿を気の毒に思いもしたが、彼らとて美人局の共犯であることは自覚もあって、気の毒な新郎にため息混じりの笑いも浮かべることになった。


 アタンズに鉄道が伸びたということは、エンドア開拓事業団が捕虜の受け入れ事業を開始するということでもあって、各所で準備していた様々が動き始めるということでもある。

 ロゼッタは全く内心結婚式の日程がおかしいんじゃないかと文句を言いたい気分だったが、ここしかないという日程であることは理解していて、ボーリトンとともに忙しくあちこちを巡っていた。

 理事に就任した人々の荘園というものは鉄道駅から自動車で一日二日三日四日とまだ鉄道が十分に整備されていないこともあって、つまりは街道自体が十分に整備されているとは言い難く、こと道路という意味ではエンドアの入り口やその内側の通用路程も整ってはいない。

 運転手なんかいらないんだけど、と当初は内心思っていたロゼッタだったが、雪もない道ですべり止めを車輪に履かせる羽目になったり、倒木を始末するのに野営用のノコギリやナタを振り回す羽目になったりと、そういえばかつて道中こういうことがあったかも知れないと南街道の有様を思い出していた。

 ボーリトンは見かけによらず旅慣れて手際がよく、自動車のことや積んでいる機材のこともきちんと把握していて、全くロゼッタが驚くほどに立派な運転手ぶりであった。

 およそロゼッタの仕事は顔を見て理事に挨拶をするというだけのことであったが、二三の荘園ではロゼッタが若い女であることを侮った家人がいることもあって一悶着あった。

 街場ではお行儀よく振舞っているロゼッタだったが、拳骨や拳銃に別段の禁忌があるわけではなく、そうそうお上品な氏素性でもないと開き直ってもいたから、却ってボーリトンが気を使って悶着を収めてくれた。

 世慣れたボーリトンにしてみれば、あちらもこちらもそうなるだろうなという悶着の形で下衆もお上品な層も大して差があるような反応というわけではない。

 ロゼッタは見た目の威圧感があるというわけではない女性だった。

 正直云えば世慣れた人間からすると注意すべき、藪に伏せた蛇とか樹上で居眠りしている虎のような存在、水辺のカバのような存在で迂闊な行動をするとバックリとやり散らかす種類の人間で、ロゼッタ自身は身の回りに強烈な人物が多すぎるせいで無自覚であったが、その破壊力は主人であるゲリエ卿やその娘のソラやユエ或いは彼女自身の上司であるセントーラよりもよほど危険であった。

 警戒色や唸り声を発している或いは大きな生き物は当然に誰もが注意を払うが、沈黙を保ったまま伏せている生き物に気がつくことは殆ど無い。

 だが伏せている生き物が必ずしも危険の少ない生き物というわけではない。それどころか伏せている生き物は必殺を狙って伏せているものだった。

 これは別段褒めているわけではない。

 バカ相手にはバカのあしらい方があることをロゼッタにはそろそろ学んで欲しい、とボーリトンは思っていた。

 銀貨をばらまいて頭を下げさせるような手管は、品の良し悪しや本人の好み或いは演出の巧拙とは全く別にゲリエ卿の得意技でもあって、アメのひとつ酒の一献花の一輪や笑顔とお愛想のひとつで会話を弾ませ、ちょろりと門を開けさせるような手管は、ある意味でワーズマス女史のような立場の人間こそが学ぶ必要のあることで、全く正面からドカドカと靴音高く押し寄せるということは、面子や矜持というものを必要とするドアマン役の家人の番犬としての本能からどうしても警戒をせざるを得ない状況もある。

 そうやって出て行った番犬が見目麗しいワーズマス女史を眺めてホッとしたついでに横柄をするのは成り行きだった。

 はっきり云えば地方の有力者というものは無法者の元締めと大差ない立場の人間も多く、それなりの秩序を保つために暴力の香りをさせる必要もあって、そういう者達の玄関先までの道のりは幾らかのグラデーションをもった辛うじて道を踏み外さないですんでいる碌でなしによって舗装されている。

 ロゼッタはそういう鳴子代わりのチンピラの息の根をいちいち止めかねない。

 耳障りでない程度に番犬に吠えさせて、ひとしきり吠えたところで軽く餌を放ってやるのが次に同じ番犬の脇をエレガントにくぐる方法だということをロゼッタには学んで欲しかった。

 大事なお客に噛み付いたということになれば、それが特段怪我をさせていなくとも番犬を始末する騒ぎになりかねない。

 ロゼッタみたいな立場の人間が小物相手に躊躇なく張り合ってしまうのは、いちいち番犬を殺して歩くことになる。

 マッローラカラモーネ卿もまちがいなくフィナロス州の名士ではあるが、郷土聯隊という名の私兵を五千ほども抱えている人物で、正義と暴力と秩序の狭間で暴発と混乱を恐れる人物の一人だった。

 ちなみにデカートには聯隊と呼べる規模の私兵を抱えている元老はいない。

 事実上の装甲車大隊と戦車歩兵大隊を備えたペロドナー商会や鉄道部保安隊は戦力で云えば聯隊規模を超えているが、すでにゲリエ卿の私兵という枠を超えて行動していた。

 ボーリトンは道程を調査するにあたってカラモーネ卿の様々の風聞についても幾らかの金を払ってまで調べていて、ロゼッタをカラモーネ卿邸宅まで無事送り届ける算段も立てていた。

 ロゼッタにももちろん言い分はあって、カラモーネ卿の邸宅への訪問を事前に約しているにも関わらず、カラモーネ卿は邸宅に不在でその所在についての確認を拒否された、というところからそもそもにボタンの掛け違いが起こっていた。

 半日足止めをされ、出直しをしようと引き上げるつもりで腰を上げるとカラモーネ家の家人に出立を妨害された。

 彼女の半日はこの時点で相当に高価になっていることは間違いなかったことからカラモーネ家の迎賓館から実力で辞することを考えていた。

 原因を察するに門番から執事、執事から家令、家令から主人付き執事そして主人という大きめの家では当然に存在する来客管理の連絡経路にロゼッタの来訪が乗らなかったことが原因だった。

 旅程の厳しい南部では当然に賓客には先魁があるもので、主一人伴一人などという貴婦人の一人旅などということはありえない。

 主家を直接に訪ねてくるロゼッタワーズマスという女性の格を思えば、男女二人連れの客人が当人である理由はない。

 カラモーネ家の家令に伝わったのはワーズマス氏の手の者が着かれた様子、というだけだった。ここしばらく大きな道の切り替わりはなかったが、あちこちでは往来の面倒な道もあり、先魁が戻らないということであれ、しばらくして着かれるだろう。家令はそう考えていた。

 マッローラカラモーネ卿はロゼッタワーズマスという小娘が何者であるのかどういう人物であるのか、エンドア開拓事業団の理事の話をデンジュウル大議員から聞いた際におよそゲリエ卿の妹分のような存在であることは承知していて、自分の面子を失わないように、一方でロゼッタをこれ以上怒らせて、ひいては彼女の後ろにいるゲリエ卿を怒らせて大きな商売の縁を切り上げるなどと言い出さないようにするために、慌ててしかし息を切らせないように急いで迎賓館に現れた。

 カラモーネ邸はローゼンヘン館のような城塞風の邸宅ではなく本物の城塞で、迎賓館はゲリエ家の持っている出屋敷というものとは全く違って本当に迎賓館で、敷地の広さこそローゼンヘン館と大差ないモノだったが、豪華さという意味では遥かに絢爛な作りをしていた。

 地方軍閥の有力者であるカラモーネ卿は戦争指導の上での兵站という意味合いで、捕虜問題の早急な抜本的な対策を必要とする立場を理解する人物だった。

 エンドア開拓事業団の理事の件を単なる金儲けという以上に戦争協力として理解している人物であったから、ワーズマス女史は単なる金蔓というよりはビジネスパートナーと看做していたし、来訪を実は楽しみにもしていたが、どういうわけか彼女の来訪が伝わらなかったことに不審に思っていたところで迎賓館で騒ぎがあったことに慌てて庭先に駆けつけた。

 ロゼッタとしてもほぼ半日軟禁状態であったところを引き上げるに辺り銃列に阻まれ、銃撃戦か車で蹴散らすか、噴進弾を二発持ってきたが、使い方はご存知かというような会話をボーリトンとしていた。

 客間の戸口を発破で壊したことで騒ぎになるとは思っていなかったが、それは次の来訪時だろうとたかをくくっていた。

 ボーリトンは錠前明けの道具の他にいくらかの爆薬を預かっていて、ロゼッタの立場を考えれば誘拐騒ぎも当然にありえるという主人の判断が杞憂かどうかは先のこと、というでもあったから、もう一人か二人護衛が必要とも思っていたが、ロゼッタはその意味では全く鈍くもあった。

 しかしカラモーネ邸の私兵の反応は鈍いということはなかった。

 車庫で自動車を発見し特段に何かがしかけられた、傷つけられた、ということもなさそうだったのは僥倖だったが来客に嫌がらせ以上の何かをするつもりもなかったことを予感させた。

 とはいえ、もはやここまで実力行使をしていればロゼッタとしても腹が座ったところで、戸口を吹き飛ばして一気に駆け抜けるかという気分になっていた。

 戸口を吹き飛ばしたものの、十重二十重に取り囲まれていることから、速度を稼ぐために一旦車を下げたところで窓を閉めエンジンを回した車内にまでよく通る声で、ロゼッタの名前を呼ばわる声にボーリトンが気がついた。

「ロゼッタワーズマス女史、用向きの凡そは承っておる。家人の無礼、水に流し、どうか客間に戻られ、我が家の歓待を改めて受けてはいただけまいか」

 カラモーネ卿が自ら叫んでいた。

 敷地内とはいえ僅かな時間で馬防柵を組んだ手際は素早く、ここ一箇所とは思えず、自動車は当然に防弾処置がなされてはいたが、障害が配されている可能性はあった。干し草の山に土のうと大量の水が準備できれば自動車を阻止するくらいの障害に組むことはそれほど難しくない。

 ボーリトンはカラモーネ卿の顔を見知ってはいなかったが、卿本人か本人に近い執事か家令かというところであることは間違いなかった。

 ロゼッタが書類かばんを持って車から降りたのならば、ボーリトンはその前に立つ義務があった。敢えて鞄は受け取らない。カバンひとつでもロゼッタの身を守るかもしれなかったし、ボーリトンは撃たれるかもしれない。防弾効果は一応あることになっている上下揃えだったが、拳銃以外で撃たれれば骨は折れるかもしれないし、頭は守りようがないとゲリエ卿も言っていた。胸を撃たれれば死なないまでも瞬間気絶するだろうという話だった。

 騙し討ちということはなかった。

 カラモーネはロゼッタが年若いことに似合わず実務に長けた女性であることはデンジュウル卿から聞いていたし、その度胸と才覚を認められて主家の事業の補佐をおこなっていることはまた聞き知っていた。もちろん疑いがなかったわけではないが、騒ぎの経緯を聞くに少なくとも護衛の男はなかなかの手練で度胸もある若衆で、そういう若衆をつけてやるくらいには大事にされている部下であることは知れた。

 どういうものでも女子供関係なくスジと度胸のあるものはいて、見て聞いて考えるまでは油断ならないことはカラモーネの人生では多くあった。

 カラモーネが運転手までも晩餐の席に招いたのは、つまりは手打ちの手順としてだった。

 女一匹をカラモーネが恐れているような態度はよろしくないし、女主人から引き離された護衛が落ち着かないで敷地の中でウロウロとされるのは全く気に入らない。

 他所の家を尋ねるのに護衛を千とか百とか云うのは様々に疑っている様子もあって、二三十というところがこの辺りの気分ではあったが、お忍びということであれば敢えて十人或いは五人でということもあり、しかし更に少なく僅かに伴が一人、というのは家人には理解できなかった様子ではあるが、確かに連れてきた護衛の男の手際は優れていて、なんというべきか、暗殺者のような風情すらあるわけだが、少し話していてロゼッタが全く純粋に実務を買われた娘であることがカラモーネにはわかった。

 氏素性の怪しげなと云うかつまりは孤児同然の娘を鍛えてみせびらかすようにしているゲリエ卿の名伯楽気取りも鼻につく、と出会いが違えば文句も言ったろうが、彼女が運んできた話の内容を目にし聞かされればカラモーネは文句を言う気分を失っていた。

 ロゼッタが運んできた話題の桁は数百年のカラモーネ家の伝統――およそその半分ほどは地方領主というよりは傭兵と賊徒との間のような立場のものである――というものをひどく小さく感じさせる様な物語だった。

 話の切り出し或いは席の形が変わればバカバカしいと一笑に付すような内容でさえあったが、戦争の流れやチルソニアデンジュウルからの口添えがあったことでいささか座り心地の悪い話の話の底は出来上がっていて、ロゼッタの持ち込んだ書面や彼女の口にした書面になる前の或いは書面から省いた意味を聞くにカラモーネは気分を変えた。

 エンドア大樹海の南二百リーグに位置するフィナロス州は人口という意味で共和国でも有数の巨大な州で、カラモーネが号令すれば得物怪しげな民兵であっても五万かそこらは集められるような土地でもある。

 東西から南街道を追うように伸びつつある鉄道線はどちらもまだ三年ほどかかる。

 捕虜を受け入れてやっても、構わないが、運べないだろう、というような土地だった。

 単に地方の名士というに過ぎないものの帝国との戦争にひいては共和国の先行きに不安を抱いていたカラモーネ卿がチルソニアデンジュウル卿の話を聞く機会があったのは、ちょっとした縁となりゆきだった。

 デンジュウル卿が弟のようにかわいがっているゲリエ卿ではあったが、南街道の風土には疎く、疎いままにエンドア大樹海を開拓し捕虜の受け入れなどという無謀を考えている、と云う話の成り行きでカラモーネに理事の話が転がり込んだ。あとから考えればかなり胡散臭い成り行きではあったが、カラモーネが様々に調べたところでは確かにローゼンヘン工業もゲリエ卿も急成長したポッと出で強力ではあるもののその基盤は北街道に限られていた。

 共和国の北と南では風土は全く異なり、別の国と言っても良いような有様でもあったから、単にカネとヒトを突っ込んだだけでエンドア大樹海がどうにかできると思っているなら大間違いだとカラモーネは思っていた。

 だが、ワーズマス女史の持ってきた資料の書類、その意味するところの説明が言葉通り意味通りカラモーネの誤解でないとするなら、カラモーネこそ間違っていた。

 捕虜受け入れに先行した少なくともこの二年間のエンドア大樹海の開拓は、カラモーネが見るところ順調そのものだった。いくらかの風土病での死者を大仰に捉えている様子だったが、そんなもの南街道の農村では当たり前に起きるもので、土地の者でない往来する旅人商人にあってはどこでどれだけ行き倒れているかわかったものではない。

 如何にも北の連中が無駄に心配しそうなことでバカバカしくもあったが、驚くことに幾らかは治療の目処がつくようになっているらしい。

 他人の言葉を疑わず考えず飲み込むことはカラモーネの習慣にはなかったが、それをタネか骨のように相手に吹き付けるような考えなしをするような人物でもなかった。口元を拭う間に静かに皿の上に返し、それを眺め思いついたことを尋ねるくらいの余裕はカラモーネにはあった。

 マッローラカラモーネ卿はローゼンヘン工業による鉄道事業を侵略と疑っていて様々にどう対処すべきかと思案を重ねていた。五千という人員は真正面から戦うには全く心細い数ではあるが、一方で伏せるとなれば様々に手が打てる数でもある。

 だが名誉と利益を共和国分裂の代償に吊るすというワーズマス女史の提案のやり口は彼女が何者で誰の名代であろうとカラモーネ卿の気分を変えた。

 人口が多いということは思惑が複雑ということでもあって、戦場からは遠くとも様々に戦争には関与しているフィナロス州は戦争の先行きに多少の興味が無いわけではなかった。 もちろん多くの者達は他人の命なぞにかまっている余裕はないわけだが、数千数万の家人を抱えるカラモーネ卿のような立場の人間は全く違う。デカート州のような小州とは当然に立場も異なるわけだが、一方で今次の戦争はフィナロス州の或いはカラモーネ卿の全く想像だにしていない展開が続いていた。

 それはかつて鉄砲が大砲が戦場を一転させたような時代の変革を感じさせるものであったが、そういう小手先の技術とは全く別の帝国の国力をみせつけるような展開でもあった。数百万の軍勢が動く、などということは戦地から数百リーグ離れたフィナロス州では光景が想像もできないことで全く理解し難いことであったが、同じことをエンドア開拓事業団はより素早くおこなうという。

 そういう途方も無い法螺話は、しかし全く法螺ではないとワーズマス女史は説明した。



 彼女はなぜデンジュウル卿がカラモーネを理事に推薦したか、その真意を推察する立場になかったが、カラモーネは実のところフィナロス州では穏健な街道維持派と云うべき南街道の整備を積極的におこない通行税の取立を控えた領内政策をおこなっている荘園主だった。

 自らを開明派などと恥知らずを云う気はカラモーネには全くないが、道路往来を兵站の基本と定め考えるくらいにはカラモーネは街道の意味を理解している男で領内の往来を様々な形で保証してもいた。

 そういうわけで鉄道の有り様には大きな懸念も抱いていた。

 とは云え、ワーズマス女史の説明を受け、物の試しと自動車と鉄道を利用してエンドア大樹海まで足を運んでみれば、カラモーネは鉄道の威力を大いに理解した。もちろんこれまでも疑い半分であっても推察した結果として理解はしていた。

 だが、その様々を吹き飛ばすような鉄道の威力を目の当たりに見せつけられ、カラモーネの意見は一転した。

 三百リーグというのはよほど真面目に旅をしても片道ひとつきという道のりでカラモーネのような立場の人間にとってはすでにありえない道のりであったはずだが、自動車を使うことで十日を割りそれどころか、道の状態によっては二日か三日という距離で、鉄道にとっては一日か二日という距離になる。道なきエンドア大樹海を挟んだ四百リーグがおよそ十日で通えるという事実は、カラモーネ卿にとっては衝撃を伴う事実になった。十日といえばフィナロス州の州都フィナーロまで手勢とともに出向いた執事が戻ってくるくらいの時間だった。

 ワーズマス女史が極めて軽装である理由が、ここでようやくカラモーネ卿にも理解できた。せいぜい三日四日の旅は彼女にとっては或いは彼女の雇い主にとってはお使いにも等しい小旅行で、手勢と云うにも腕っこきの若衆が一人ついていれば十分ということだろうと理解した。

 いろいろな理由で南街道は自動車の往来はあまり多くなく、カラモーネ卿も自動車をみたことがないなどということはなかったが、あまりまじめに取り合ってもいなかった。

 だが、ワーズマス女史が理事就任の目録に贈答品としてカラモーネ卿に送るためアムネジに準備した銀と黒の二両の乗用車と貨物車を卿が喜ばなかったわけはない。

 汚れが比較的目立たない銀と静かに他を圧する艶のある黒は手堅くデカートの元老たちに好まれている色で、ロゼッタが往来に使っている夜空のような藍色よりも傷が目立たない手間の掛からない色だった。鉄道が伸びていない地では燃料の手当が面倒で貨物車は燃料缶と交換用のタイヤを積んでいて最低限カラモーネ卿の荘園とアムネジまでの往来を保証するための物品だった。

 理事として単なる数合わせの名前だけというわけではなく、会合に間に合うように来られるようにという配慮の品であったから、たとえこれが懐柔のための賂だとして様々を考えても文句をいう筋はなかった。


 ボーリトンはカラモーネ邸での一騒動で流石に肝を冷やし、もう一人つけてくれと音を上げた。イーゼンマミーズミは強面ではなかったが若いボーリトンよりはよほど分かりやすく武張っていて世慣れた男だった。ロイカメカリスはのんびりした機嫌のよろしい獣人の女だった。

 最初からつけてくれれば面倒もなかったとボーリトンは思わないでもなかったが、人数が増えればいちいち面倒も増えるということであったから、ロゼッタは面倒がないなら一人でもいいくらいに思っていたし、実は身の危険のある役職だという事実をついこの間初めて知ったというような有様でもあって、ひょっとしてかなり危なかったのかしら、などと自覚もなくボーリトンに尋ねる有様だった。

 ボーリトンも拳銃はともかく爆薬を使うハメになるとは思わなかったが、カラモーネ卿が話のできる相手だったからよかったものの、そういうわけにゆかないオチもあるという理解と自覚をロゼッタに促すのにはちょうどよい相手でもあった。

 後からつけられた二人は自動車の旅はボーリトンほど慣れてもいなかったが、別段旅自体が苦手という質ではなく、ロイカは獣人らしく辺りを読むのに慣れていたし、世慣れたマミーズミは出屋敷を預かるくらいに人さばきのうまい人物であったから、旅において足を引っ張るような人選というわけではなく、ふたりともボーリトンより腕は立った。

 正直を云えば、まさか本当に二人の身の危険があるとはマジンはまるで考えていなかったから、車載の噴進弾と機関小銃で十分だろうくらいに思っていた。一応牢破りに使えるくらいの爆薬をボーリトンには持たせていたが、そういう奥の手を早々に使うハメになるとは考えていなかった。

 誰でも良いんだが、ロゼッタの護衛をしてくれる腕の立つ女、というひどく曖昧な人選にロイカはふたつ返事で引き受けた。屋敷の中に篭っていても良いオスとは巡り会えない、というわりとはっきりした動機が彼女にはあって、心配がないわけでもないが頭も悪くなく仕事をしているロゼッタの邪魔はしないという約束もして送り出した。

 マミーズミはなんというか、分かりやすく武張った人物であるので、そういう向きの人々の口を軽くするのに都合がよろしい人材ということで、玄関先の交渉役につけた。

 マミーズミは若者二人の冒険を非常に羨ましげに聞いていて、ボーリトンの苦労を慰めた。

 騒ぎを起こしたまでは正解だったが、そういう形で逃げないでよかった、逃げていればどういう意味でもこじれにこじれただろう、とマミーズミは感想を述べて、ボーリトンから預かっている爆薬の使い方を教わっていた。マミーズミにとって錠前をこじ開けるのに鍵穴に詰まるだけ、鎖を切るのに鎖の目に詰まるだけの爆薬で十分というのはそれとして火栓が拳銃弾ほどもあって火栓のほうが大きいというのは、なんじゃそりゃ、という感想だったが、それで会社の警備部が使っている手錠が安全に切れるとなればなかなか悪くないという感想にもなった。

 マミーズミはヒゲをあたり髪を整え衣服を改めると全く理知的な大家の主人風の佇まいになり、風來が居着いて応接をやっていると、新規の来客からはゲリエ卿当人と間違われることも多い。化かしてやったりとマミーズミは内心ニヤニヤしながら遜ってみせるわけだが、そういう客に限って家の主にとってどうでもよろしい客であることが多いのが、留守居役の執事として全く残念なところでもあった。

 流石に四十を過ぎると肉体の頑健さというものの伸び自体はおよそ逆転し始め、五十に手が届くとなると自分の格というものにあった様々に気分や生き方を据える必要をマミーズミは意識していて、そういう気分が出屋敷の来客の応接をおこなうというところを実に努めさせていたわけだが、ロゼッタやボーリトンが楽しげにどこぞを巡っているということであれば、その旅の伴をしてやるのも悪くない、と多少張り切っていた。

 拳銃段平の用心棒稼業としてマミーズミは一旦は鼻っ柱を折られ、ここしばらく肉体の筋骨の伸び自体は止まったものの、五感の通りや体の流れは却って充実していた。

 寝食の心配がなくなり、相手や自分の体の手入れに気を使うような立場になったことはマミーズミの様々を一気に好転させていた。

 ロゼッタが若い女であることをあげつらう小物を、身なりと体格の宜しい隙のない人物であるマミーズミが捩じ上げて上役の元まで案内させるという構図は、ロゼッタ本人や若い見た目のボーリトンがやるよりも遥かに効果的で、ついこの間まで面倒くさい客相手で鍛えられていたマミーズミにとっては攻守逆転した詰将棋のようなものだった。

 いちいち成果を誇る子供のようなマミーズミをうるさくも感じながらロゼッタは頼もしくも感じていた。

 必要なこと以外ほとんどしゃべらないボーリトンは頼もしかったが気分転換の相手にはあまり向かない人物だったし、長旅というほどではないにせよ十日やそこらは顔を突き合わせる相手としては無愛想すぎた。


 ボーリトンにとっても年若い女の上役という微妙な相方よりは、如何にも世慣れたマミーズミの方が気楽な相手だった。ボーリトンにとってみればロゼッタは動く彫像のような面倒くさいところのある高価な荷物であって、彼女の果たすべき仕事の意味や価値はボーリトンにとってはとてつもなく重要な事に思えたから、そういうロゼッタがどうでもいいところで矢面にまろび出るような無自覚はどうにも目を覆う有様だった。

 そのロゼッタしてからが社内では社主代行というよりは殆ど社主として扱われていた。

 ゲリエ卿の判断はおよそ的確であることがここまでの会社の成長を支えてはいたが、三案とも大差なし、よって第二案をとる、などというような説明も理解も求めない裁定を衆目の集まる中でおこなうことも多く、容赦のなさが印象づいていた。それよりはまだロゼッタのほうが温情を感じるということで単に物事を知らないロゼッタにつけこんだ周りの印象というに過ぎないのだが、そういうことでも上手く回るのであれば武器になるという意味でロゼッタは社主代行を全く完全に務めていた。

 そういうわけでロゼッタの価値を知っているボーリトンとしては、その当人が軽々しく危ない振る舞いをすることは全く間尺に合わない事であるが、小汚い芋か人参のような子供だったロゼッタを知っているマミーズミとしては年若い男の奇妙なあこがれをどうやって夢を潰さないように諭してやるべきか迷うところでもあった。

 氏育ちというものはある程度に人を土に縛る抜きがたい根のようなものであるということは、風来者であっても或いは風來者であればなおさら驚くようなことであって、男はおよそ定職について家を構えてもしばしば、女も子供を産んでもしばしば地金が出ることがある。

 ロゼッタの親は比較的上等だったんだろう、と思わせるところがいくらもあって悪い大人のひとりでもあったマミーズミとしては今更ニヤニヤと鼻で笑うしかないわけだが、ボーリトンがどう思っているのかは旅のツマミとしては悪くない話だった。

 といってマミーズミにはガッカリするような展開になったのだが、ボーリトンはデナと結婚していた。道端で新郎新婦を囲む宴席を眺めていて急に二人で羨ましくなって、なんとなく当てられて結婚した。というのが成り行きだが、もちろんそれくらいには二人の仲は進んでいた。互いが決めたことであれば身を固めることに主家にも反対があるはずもなく、ごくあっさりと主家の後見でボーリトンは結婚をした。

 デカートの集合社宅とローゼンヘン館とをそれぞれに往復する執事の結婚生活は云うほどに悪くないと惚気てみせるボーリトンをマミーズミは鼻で笑った。

 ロゼッタについてはどう思っているのかというのは、ボーリトンにとっては的はずれな問だった。

 仕事ができ、我が身を顧みない女性は色々いるわけだが、一人でも百万でも金持ちでも貧乏人でも相手をあれだけ頓着せずに誠心相手をできる人間は本当に珍しい。育て親のドクのところのボーリトンにしてみれば舎弟のいくらかが司法と揉めた折にロゼッタがマジン――ゲリエ卿に命じられて間に入って事なきを得た。

 司法でも行政でも元老が割り込めばある程度は白黒踏みにじれる。行政が区画整理を執行するとき、自身がしばしば法を犯すことを戒めるようにゲリエ卿は釘を差したが、彼が元老としてこの件に力を振るったのはこれだけであった。云ってしまえば下々の争いに時間だけ作ってみせたわけだが、ロゼッタはそのできた時間で迷路のような行政と司法を地道に突き止め、最終的にドクに遺児養育認定の行政指導を条件の行政補助金をいくらかと、ボーリトンの舎弟たちに社会身分といって要するに税金と引き換えの戸籍を確保することで奴隷競売をかけられることなく、自由を獲得することに成功した。

 行政の法律違反についてはゲリエ卿に報告する、と告げたことで騒ぎにはなったが、それがカネになることはなかった。デナからの話では元老院で行政の人員拡充が指導されることになって公務員が増えたということを聞いたが、ボーリトンにとって意味のある話というわけではなかった。

 孤児や棄児を使った地見屋の元締めはヤクザ商売のひとつではあるが、もっと手っ取り早く子供を手下に使った窃盗や強盗或いは売春や美人局、更には殺し屋とスリのあいのこのキリツキやダキツキ或いは使い捨ての鉄砲玉という後ろ暗い商売もある中では地見屋や手配屋はまだマシな方とも言えたし、ヤブというには悪くない腕の医者であるドクは、太くはなくてもカネと縁とを手に入れたことで、確実な薬を手に入れるツテを手に入れた。

 おかげで今は流れ者や貧乏人を相手にする中ではかなりマシな医者という扱いを受けている。ボーリトンの舎弟たちも地見屋よりはもうちょっとマシな縁ができて、幾らかは学志館に通いローゼンヘン工業で働いている。

 ロゼッタにしてみれば退屈しのぎのクロスワードくらいの難問であったのかもしれないが、或いはロゼッタが失敗すればゲリエ卿が助けてくれたのかもしれないが、ボーリトンにしてみれば絶望的な状況を助けてくれた恩人は確かにロゼッタであったし、ボーリトンと年の大して離れていないたしか一つ年下のはずのロゼッタは彼の大切なモノを守ってくれた、そして彼があっさり踏みにじろうとした法秩序によってこそ彼の大切なモノが守れることを示してくれた、法の精神の良心ともいうべき女性だった。

 それまでボーリトンは法や秩序は自分たちを縛る鎖であり憎むべき敵である、と考えていた。だがあの一件以来、一見頑固で傲慢な金持ちのような司法や行政が、真実傲慢ではあっても話ができないほどのキチガイではなく、必ずしも敵ではないことを理解した。

 それはロゼッタのような雇われの少女が、ただひたすら政庁のあちこちを歩きまわるだけで賂も暴力も不要にドクを助けだしてみせたように、ややこしくはあっても話すべき相手、訴えるべき内容そして手順を守れば、行政司法の機構はその傲慢のままに人々を助けることを示していた。

 ロゼッタが踏んでみせた道を辿って、いくらかの私設の孤児院が公認を受け、公費の援助を受け、区画整理や奴隷競売のような未来を信じられなくなるような出来事をいくらかは回避していた。

 傲慢に理由があるように制度にも理由があって悪用濫用もあり、デカートが貧民や流民の子供にとって住み良くなったというわけではないが、ボーリトンにとってはそれは全く他人事それぞれが解決すべき難問というだけだった。

 ボーリトンにとって重要なのはかつて一回その難問に答えてくれたロゼッタが示した様々、そしてなお彼女が示し続ける様々が尊い、ということだけだった。

 ロゼッタはただ見目整っただけの普通の女性であるが、その普通の女性が全く当たり前に普通をなす、その正義をこそボーリトンは尊いと信じていた。

 ああ惚れたんだね、やられちまったのか、とマミーズミは口にしてしまったことでボーリトンは怒りだした。とは云えマミーズミも似たような感じをかつて味わっていた。


 左右に体を開いて廊下を薄笑いで睨みつける押し入った少年に一斉に打ち掛かる銃弾、その弾幕を裂くように蛇のようにうねった段平は、堅さというものを持っていなかった。まるで本当に肩から生えた蛇のようにうねり唸り、少年を守った。

 曲芸と神業とはそれだけを真似してできるものではないことは承知してなお以来十五年マミーズミは修練を重ね工夫を重ねている。

 当時の拳銃が威力の上でも直進性の上でも怪しげなものであったことはそれとして、見ずに見る、体を開いた左右の廊下の弾幕両面を払いのけるという芸当は、拳銃の煙を見切る、弾丸を見切るというそれだけではできない。マミーズミも境地としては拳銃の弾丸を見切って払いのけるところまではたどり着いたが、二面を払い落とす、という芸当は、よく見る見切る、というだけでは不可能で、見ずに見切る、という境地が必要になる。

 そういうわけでマミーズミは拳銃全盛のご時世に肩から帯剣をするような大段平を下げている。踏み込み量を考えれば十から十二キュビットはほぼ一息で更に倍は勢いで飛び込める必殺の間合いだったから半端な拳銃使いは抜く手と拳銃とどちらを狙うか選べる速さで仕留めることができた。

 実はここに至っていることを知ったのはほんのつい数年のことで、南洋で女を拐う騒ぎに加担した後だった。接客の退屈に段平を振り回すことを日課にし始めた頃、自然にできていることに気がついた。なにに気がついたのか、なにが奥義だったのか、いまでは分からない。せいぜいがよく寝、よく食べ、多くの人と話すという生活だったわけだが、マミーズミは十数年来の奥義の追及にあっさりと成功した。

 人の業に惚れる、ということは全く因業なことで寝ても覚めてもそればかりが頭の片隅に繰り返される。

 そういう有様で頼もしげな少女の背中を焼き付けてしまえば、ボーリトンの態度もマミーズミには納得ゆく想像もついた。いずれ何かの迷路で人を助けられればボーリトンも自分の中のロゼッタの影から逃れられるのだろうが、先はまだ長いというところだろう。

 別段、必ずしも悪いことばかりではない。というのはマミーズミはあれ以来深酒ができなくなったからだった。


 エンドア開拓事業団の理事会の初会は全く盛会で、理事全員が秘書の顔見世を兼ねて事務局の二階の広間を会場とした立食会を催されていた。マミーズミはこの手の会合の差配はロゼッタよりもよほど手慣れたものであったから、ケヴェビッチの配下や医療研究所の所員などをつかって宴会を支えた。

 宴会の食事をケチるのはこの手の席には見た目が見苦しいし、最後は徐々に菓子や果物或いは茶や酒というものに置き換わってゆくものだったから、肉や魚などの食事のたぐいは冷えないうちにどんどんと別室に下げられ、職場には酒は出せないが、その場でつままれたり折り詰めの形で弁当になったりしていった。

 百人を半ば超えるばかりの理事会とその秘書たちといくらかの家族たちはなかなか初会の席を楽しんでいる様子であった。家族を招待した覚えは事務局長たるロゼッタにもなかったが、公式の発会ともなれば家族を招かずとも社交の場として男女を揃えるくらいは当たり前であったから、事務局でも秘書や同行者のための臨時のパートナー男女それぞれ準備するくらいは手を回していた。共和国は軍人がそうであるように職業婦人が多いが必ず男女が均等などということはなく、移動の手間を考えれば人数は限られるため、秘書についてはパートナーを同伴できない者もいてそういう者達のために会場で歓談や踊りなどのための臨時のパートナーを準備していた。

 女性は手配の手間を省くためにローゼンヘン館の離れから志願者を募り、男性は本社の警備部からマミーズミに人選を任せた。紐付パートナーというのは一般あまり信用できるものでもないわけだが、どこかの店の者かと尋ねたところで会社の人間と屋敷の人間ということで理事の秘書たちはかなり驚いた様子だったが、ともかくは身元がしっかりしていることはこの手の会合の信用のひとつであった。

 発会を三日にするか五日にするかという日程はケヴェビッチとロゼッタの間では実は相当に揉めた内容で、この際だから秘書には場内も見せたいロゼッタと、警備や検疫の都合を考えれば見せたくないケヴェビッチとの間で、本部からの人員の応援を前提に丸一日を収容所内、もう一日を施設内医療研究所見学ということで日程が決まった。

 マジンとしては三日でも五日でも、六日になるか八日になるかという程度の違いであったからどちらでも良いというか、まぁちょっと面倒くさいという程度の話だったが、ステアをどうするかという話にもなった。

 心臓を組み込んで一年余りが経ったが結局なにも起こらなかった。

 あと僅かに幾日か費やしたとしてそれが起こるとは限らなかったが、一方で仮に突然ステアが目覚めたとして事態を知る者がいなければ事によっては死んでしまうかもしれない。そう思えば、不在の間に生き返るような事になっては気の毒に過ぎる。

 そう思って、マジンはステアの体から宝玉を取り外そうと思ったのだが、もともと複雑な血管に狭い僅かな隙間をぬって押し込んだ心臓を抜くことは嵌める以上に難しかった。

 どこまで壊すかどう壊すかという決断はマジンの神経には今は耐えられなかった。

 優柔不断を自覚しながらも、一年余りもなにも起こらなかった遺体が、なにが起こるとも思えない、という理由で心臓を取り外すのを諦めた。

 指先が汗と体温で薄く粉になった砂糖を溶かしていてそのことがステアを壊しているという不吉な実感になったこともマジンに作業を諦めさせた。もともと何の根拠もない作業でもあった。

 結局、エンドアの捕虜収容施設と開拓労務作業地の場内見学は理事たちも同行を希望して大きく一周りすることになった。

 一種のお化け屋敷ツアーのような観光じみた行程ではあったが、現実問題としてケヴェビッチにとってはこれから幾度かおこなわなければならない実務の最初の本番でもあって、心配と手配が面倒と不安を予感させはしたが、このあとはより危険が増えるはずで本番一回目を最後の演習とすると考えれば、文句をいうだけでは済まない問題でもあった。今回の理事たちは特段なにがしたい見たいということではなく、車の中で風景を眺めるだけで大方満足することでもあったから、随分と気楽とも云えた。

 まぁ実際労務者の幾人かと握手をかわせば、理事たちは満足して無事引き上げ、翌日は医療研究所での見学の最後に感染症にかかっていないことを確認する血液検査を受けるというイベントが有り、妊娠をしている奥方が見つかったことでちょっとした祝福ムードに包まれ翌日宴席がもう一日あり、翌朝臨時列車が来て散会となった。

 それから二日間最初の二十万人が送られてきた。ケヴェビッチが三日にしたかったのは人員の気分を切り替える時間があったほうがいいだろうという意味もあったわけだが、長大な列車と専用線区間ですれ違ったことで理事会に出席していた人々の想像が掻き立てられ、およそ物事が始まったことを理解させることにもつながり、事業がただのお遊びではないことをはっきりとさせた。

 ともあれエンドア開拓事業団は最初の二十万の受け入れ捕虜の手続きをおこない、一万五千の捕虜労務者の協力があって、とりあえず初日二日の人々を受け入れた。


 だが、その後予想通り、宅地の造成への労務参加は難航した。

 混乱醒めやらぬ収容者たちは労務者として機能しなかった。

 予定通りとも云えた。

 ロゼッタは極めて迅速に次の手を打った。ペイテルの収容者がアタンズの鉄道基地に到達する十日の時間差を使い、労務意欲のある収監者三千を選別すると、現在の宅地の周辺に堀と網を築き、柵として労務希望者と労務忌避者を切り離した。

 二十万の収容者に六万あまりの住宅を残しおよそ一万八千の労務者に千の住居であるから、上下水道があれば労務忌避の捕虜であってもアタンズよりは随分と過ごしやすい。このあと収容者が百万にほど近くなるという話があっても収容者にはピンと来ない話だったし、そういう大雑把な先の話に興味が持てるような精神状態であれば労務意欲なり抵抗意志なりという積極的な行動とその準備をおこなうことになる。

 だがその十日ほどの間に労務希望者側に所内通貨を使える三階建て購買部が設営を開始し明かりが灯り、景気付けの音楽が漏れて流れてくるようになると随分と雰囲気が変わった。一万八千の中小規模の都市に似つかわしい街の明かりと雰囲気と音楽は、実のところ荒れ野の収容所にもなかったもので、ロゼッタが聞き取りの結果として帝国出身者に街の雰囲気というものを尋ね、石や鉄を使わないままに手軽に作れるそれなりの雰囲気をという建物を労務者に要旨を説明をさせエイザーに設計させた。

 つまり、専門労働を学んでいない労務者たちに作りやすい街のハリボテを提供する、ということであったが、実を云えば捕虜労務者の多くは既に熟練の土木工であって、簡便に扱える住宅資材に購買で手に入れられる購買物を組み合わせて、自分たちと家族のいいような住宅と街とをそれぞれに作り始めた。ジャッキやホイストというものがあれば、それほど大仰な動力や仕掛けを必要とせずとも整地された土地に街を築くのは難しいということはない。

 マジンがロゼッタとともに第一回のペイテルからの送致者を待つ間に檻の外側にできた労務者たちの街は瞬く間にボードウォークを整え、屋根がかかり、街としての体裁を整えていった。

 その分、森を切り開くという作業は止まったが、熱帯多湿のこの地であっても屋根は必要だったし、寝床と被服の清潔さは荒れ野よりも重要な意味合いを持っていた。

 暖を取るための燃料は不要でも被服と住居を乾燥させるための燃料は必要で、虫よけの燻蒸香のにおいがそこここで煙っていた。

 事業として半月の成果は巨大な赤字として示され、予定通り、とは云えちょっとした衝撃をマジンに与えるのをロゼッタは満足そうに眺めた。

 ロゼッタはペイテルからの五十回の送致を待つことになっていて、およそふたつきほどエンドアの事業団事務局を本拠として活動することになっていた。

 はっきりさせるべきことのいくらかの見極めが必要で基本的な指針が確立するまで、ロゼッタは事業団事務局を直接差配するつもりでいたし、そうするためには実のところローゼンヘン工業の全権に介入する必要もあった。百万を超える帝国出身植民者を丸抱えする事業というものは当然にそれなりの資本実力が必要で、予算を積んだから人を出したから、でケリがつくような単純な事業ではなく、最悪内戦を戦う準備を睨める体制が必要だった。

 そして、この瞬間の共和国にはそこまでの覚悟を決めた人物は実のところロゼッタ一人しかいなかった。

 マジンとしてはそこまでの意図があって、ロゼッタに社主代行をさせていたというわけではなかったが、勘違いを糺すほどの事もせず、エンドアの事務局にいる間はロゼッタを膝枕して赤みがかった黒髪の頭をなでてやって夕食後を過ごした。八つか十も退行したような感じではあったが、ロゼッタがちゃんと働いてくれるなら、それくらいはお安いことだったし、別段それ以上の意味もない。リザやファラリエラが思いつきでねだる様々よりは遥かに面倒が少ない。

 ロゼッタには様々気の毒をしている気分もあって、車や写真機或いは服や小遣い代わりの金貨といくらかでも物を押し付けているのだが、はっきり云えばロゼッタの外回りの執事としての仕事道具の必需品になっていて、高級な料理店や洋品店などへの同行も実のところロゼッタの立場では仕事に必要な舞台建て道具立ての勉強でもあって、ロゼッタは気の毒なほどによくできた娘だった。

 当人は今更あまり気にしていない様子でもあったが、服装ひとつ光り物ひとつで応対する人々の対応が変わるのが世間であるというのは学んでいて、ロゼッタは衣装箪笥の管理には相当に頭を悩ませていた。少しデカートを離れるとその場に応じた服装や流行は全く別の風俗装束になってしまうというのもロゼッタにとっては悩みの種だった。

 そしてむやみに衣装を手に入れても仕方がない、という境地にたどり着いたことで、すっかりこの数年、ロゼッタはオシャレをしなくなった。

 もともと制服は場の雰囲気をこちらから定めるためのものであったから、手堅く無難なそして単純な作りをしていた。

 ローゼンヘン工業の制服というものは男女ともに石炭色のストレートのパンツと開襟二列ボタンのジャケットにチョッキと白シャツで、唯一部局を表すのがネクタイの色と胸の名前のバッジであったから、多少体型差があっても面倒は少なかった。

 そういうわけでロゼッタもそういうシンプルな格好で執務をおこなっているわけだが、そのせいで遠慮無く長椅子の上で転げまわっている姿に少し呆れたが、そういうことで気分転換が進み仕事が進むならと甘やかすことにした。

 ロゼッタはどうやらマジンが帰っても夕刻の執務は長椅子に寝そべっておこなうことにした様子で、ケヴェビッチやマミーズミは呆れ返ってもいたが、ボーリトンは全くまじめに、外からの来客がない時間であればパンツスーツであれば裾の乱れも問題にならず構わないだろうと弁護もした。

 実を云えば男たち三人もロゼッタがなにを期待されているかという内容についてそれぞれ思うところがあって、ロゼッタの有能は認めてもいたが、その気分を支えるのは本人の気力と体力であることを知っていたから、徹頭ロゼッタの良いようにさせるのが良いことは理解していたし、それがダメそうなら主家に御注進することこそが仕事だとも理解していた。

 早朝報告に訪れたナーセム所長はだらしなく長椅子に寝そべって経費計算と物資輸送の計画素案を立てているロゼッタを眺めて、彼女が一種の実務の天才であることを認めていた。アタンズよりも一時間ばかり朝が遅く、デカートよりも半時間ほども朝の早いエンドアの地では多少仕事の仕方が変わる。特にロゼッタは仕事を一気に軌道に乗せることを求められていて、ナーセム所長とは立場が全く違っていた。

 ロゼッタはナーセム所長の朝の挨拶と定型的な報告を幾つか受け、別件の資料調査を求めた。ケヴェビッチは自身の立場をせいぜい隊商の護衛ぐらいに考えている様子であったが、ナーセム所長は自身を高利貸しの元締めくらいに考えていて、ロゼッタは文字通りの銀行家というところだった。実を云えば、その状況は理事会の発会後に訪れた最初の収容者の労働成果の低さから生まれた。

 成果が上がらないことは良いのだが、労働なり運動なりで体力を発散してくれないことには全く困ったことが起きる、というのがワーズワス事務局長の見解で、ふたつきは待っていられない、と十日目の深夜に一気に鉄条網と空堀で区画を切り分けた。

 その決断の場にはゲリエ理事長もいたが、理事長は当初ふたつき待つつもりであった。

 収容者の明確な暴発を理由にすれば説明は全くいらないだろうが、看守や協力的な捕虜労務者にも被害を生む。理事長の判断は暴動鎮圧を理由にした経費圧縮或いは管理上の省力という側面が疑えた。

 基本的に収監者の自助努力と自律的な協力が必要であるという大前提に立って過去の成功例をつなぎ合わせるようなワーズワス事務局長の方針は、経費上様々に面倒もあったが、技術的にはもはやそれほどの面倒があるわけではない。

 単に管理計画上素案原型が完成するまで、その場その場の判断を細かく積み重ねてゆくことを求められる、つまり責任者である事務局長の判断量労働量が膨大になるという一点を除けば、優秀な計画だった。

 地域の資源見積もりや収監者の傾向や能力の見積もりが立たない以上、都市計画は事実上白紙で収監者の気分を上手く誘導して、都市の成長運営を誘導する必要がある。

 暴動の発起を事前に粉砕するという意味において看守や協力的な労務者の身の安全に一定の責任をもつ立場のナーセム所長はロゼッタの計画を支持し詳細の調整にあたった。

 大雑把にそれは捕虜の中から労務者という開拓民に無担保の融資をおこない、都市運営の労務実績で返済を迫り、適切と判定されなければ再び収監する、という行為であったから 現実その労務水準の判定の信頼度によって収容所内の都市の運営が左右される。

 収容所の都市化においてロゼッタは物資と所内通貨を適切な速度と量で労務者に流通させることを求められていたし、ナーセム所長はそのロゼッタの方針が適切に労務者に周知されるようにアメムチを使い分ける必要があるということだった。

 これは全く単純に看守の仕事というよりも一段上の仕事で、新兵の徴募と部隊の構築練成にも似ていたが、規模がまるまる二桁違っていた。

 労務者の人選は事務局の実力を鑑み一日千人の選抜というところに抑えたが、写真機テレタイプやライノタイプや電算機による事務管理支援があってもなお一日千人を選抜となると事務員が二百人張り付いていてもなかなかに困難が多かった。

 だが前線での兵站幕僚として奉職を続けていたナーセム所長としては、およそ好きにやって宜しい、と命じられた戦場に似た単なる興奮とは違う充実感を感じていて、自分の娘か姪のような年齢の女性のもとで働くことも悪くないと思っていた。

 少なくともゲリエ卿の大作戦を平然と口にする参謀のような気持ち悪さに比べれば、ワーズワス事務局長は随分と理路整然と物事を整理してみせることに長けていて、様々な現場の要求を衝突少ないままに畳んでみせる事のできる人物だった。

 自分がゲリエ卿を直接理解できないことはさておいて、ゲリエ卿がワーズワス事務局長を現場の最高幹部に据えたことの意味は十分に理解できる人事だった。

 口にする言葉の意味が追いやすいワーズワス事務局長をゲリエ卿が全面的に支援するとあれば、事業そのものには大いに可能性がある。人選の妙、と一言で言ってしまえばそこでまとまりもつく流れをナーセム所長は感じていた。

 ナーセム所長としては必要を認めた上でバカバカしさも感じていた理事会発会ではあったが、そこからの半月、そしてふたつきの理事長と事務局長による直接指導はそれまでの宙ぶらりんな気分を一転させる手応えを感じる期間だった。


 ローゼンヘン館では大事件が起こっていた。

 もちろんナーセム所長には関わりのない、全く意味の分からない出来事で、社主がローゼンヘン工業の執務を停止していた。

 そうあっても会社の機能は止まらない。

 ひとつきばかり社主がどこかに行方不明になったくらいで機能が止まるほどの大きさではなくなっていたし、そのために様々に手を打ってはいたが、その時のためのロゼッタがいままさに別の事業を立ち上げるために様々に手を打っているまさにその時ということでもあり、様々に社内で動揺が走っていた。

 エンドア開拓事業団の立ち上げは実のところローゼンヘン工業の総力を上げた試みでもあって、様々に無理がかかっていた。

 資金資材もそうだが、流動性の高い組織の健全運営には人材と時間の優先権と配置問題――決裁と進行の優先順位が大きな意味を持つ。

 優先権が与えられなければ仕事ができないなどという者はローゼンヘン工業にはいなかったが、四十六万人の人員移送とその後の物資便の往来、その貨物集積と積載管理の手当など、滞らせると命に関わる様々が社内決裁を待っていた。

 新部門の立ち上げにあたっての初号決裁であるものも多く、上流部門でも見積もりはあったものの、実作業に移ってから内容が変わったものも数多くあった。

 当然幾らか無理をひねって頭をひねってしかしようやく間に合わせた実施部門計画部門も幾らかあった。

 誰もが心あたりがないと云える程に順調安楽といえるような状況でもなかったのでエンドア開拓事業団の立ち上げに際して決裁が滞っている様子は、なにか社主が問題を発見したのか、とローゼンヘン工業は動揺した。

 会社組織の問題とは全く別の重大な事件が起きていた。

 ステアの体が消えていた。

 マジンが帰ってきて三日間一切の執務を止めて、しかし家人を参考人に容疑者に犯人探しをしなかった理由は、ステアの体の代わりに残された心臓が百三十パウンほどつまりはおよそステアの体と同じ重さだったことにある。

 もちろん、その間マジンが合理的な判断をしていた自信は彼自身にない。

 全く信じられないことだが、当初四分の一パウンをやや超える重さだった精緻な空の器であった宝玉の心臓は今や金の十倍ほどの密度を持った玉虫色のなにかを満たしていた。

 それは風呂の湯ほどの温度で、一言禍々しいというには特段害もなく、空気を焼くようなこともせず、検電計にも反応がないところを見ると、放射線を放っている様子でもなかった。現象が起きたその場では何かが起こっていたのかもしれないが、ともかくも全ては終わってしまった後だった。

 どう考えれば良いのか全くわからなかったが、ジョッキに注げるほどに集めた魔血晶もこれほどの重さはなかった。並の宝石よりはやや重たかったと言えるが、金貨ほどの密度ではなかった。

 そしてまた奇妙なことに心臓は柔らか気な実際張りのある桃のような堅さ柔らかさを持っていた。

 ありえざる巨大な質量を持ちながら少なくとも核分裂や核融合という爆発的な連鎖反応を引き起こしてはいなかった。それがいつどのような形で起きるのかはわかっていないが、薄く脈動めいた光のうねりと手の中で蛇のような血流が蠢く感触のある、作り物の心臓は重さを考えれば、或いは全くの直感ではステアの体を飲み込んだ、としか考えられなかった。

 焦燥してもしょうがないことというものはある、とマジンは一切を一旦切り替え、留保し或いはセントーラに委任していた執務を確認決裁を始めた。


 ようやく様々が動き始めた決裁に誰もが安堵した。

 決裁の遅れた理由は第四堰堤の設備の目処が付いたことで社主の手が止まったことだということで、済まぬ許せ、ということであれば様々な部署で安堵の失笑が起こった。

 カシウス湖の第四堰堤事業はもはや金食い虫というわけではなかったが、命にかかわる大事業という意味合いではよほどエンドアの開拓事業よりも致命的な意味合いを持っていて、全くはっきりと大問題でもあった。

 その設備の目処が付いた、という社主の言葉は自分の生きている間に毒水に追われて故郷を捨てるということがなくなったか、というようなデカートにとっては延命通知のようなものだったから、仕事の心配はさておき随分と明るい報せだった。

 出任せというわけでもない。

 汚水濃縮槽の浄水系の設計がひとまず終わり、設備の交換維持に関わる回路系の完全が把握でき、最悪浄水系に汚水が飛び込むことは構造上ないことを確認できた。

 材料もここしばらくのリザの突撃服の騒ぎで割り込まれたものの結果としてはそのふたつきほどで新しい設計と素材が実用でき、今さっき製造部門に部品設計をまとめて流し、発注をした。

 三日ほど出遅れはしたが、作業そのものに問題のある遅れがあった決裁はなく、問題のある内容のものもいくつかあったが、差し戻しではなく手配命令という形で対応した。

 とりあえず、要旨と要項は達していたものの、様々に疎かな手配は子供のトンチみたいな切り抜け方で、二度三度おこなうべき手立てではなかった。

 だが、ヒトを使うということはそういうこともある。上流部局には留意事項を辞令して改善を要求した。

 社内であれば、多少の無理は時間予算の問題手配のうちだが、社内の流儀を会社の外に押し付けることの危険を理解していない者が増え始めている。特に鉱山や林業は生産と危険の脆弱な釣り合いに立っていることを忘れがちな連中が管理部門には多い。

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