リザ二十八才 2

 軍令本部は前線各地の後方における統括をおこなっていて、基本的に展開している部隊配置の士官人事のほぼすべてを掌握している。例外は特務士官という現地徴発兵卒からの戦時特進配置だけだ。無論、例外と一言で言ったが管理実務を担当する軍政本部の努力にも関わらず、遺漏や例外は多く各地で問題にもなっている。

 兵隊の徴用は士官の権利であり共和国における国民の協力義務でもあったから、実を云えば人事的な管理は各級部隊長である士官の任務裁量に任されていて、管理と呼べるほどの書類手続きは殆どなされていない。ただそれでは給料が払えないので、士官の任務裁量のうちで兵隊としての身分と階級とを与えられる。

 任務にある士官は任務に応じた戦務徴用票とか軍用手票とかそういう代用通貨を幾らか持たされているが、そうでなくとも各地州行政は司法行政政庁は共和国軍士官の求めに応じて、身分確認の協力と必要経費及び物資貸借の要請に応えることになっている。物資貸借のうちには人員の徴用庶務も含まれていて、管理下の軍需倉庫から被服などの装具を払い出すことが求められる。

 一般論として人事裁量を許されるような任務を与えられるような者たちは司令官任務が与えられていて必ずしも階級はかかわらないが、参謀と呼ばれる者であればほとんど縁がない。

 休暇中であればなおさらだ。

 ただし、治安活動の一環として、賞金をかけられ人別手配書が回っている者については、共和国軍への徴用兵役を応じることでその期間の刑事量刑の減刑を供することができる。

 刑事兵役の徴募に応えた者は必要に応じて部下としてもいいし、徴募課に回しても良い。

 ほとんど十年前に軍学校を卒業したてで仮任官されたばかりのゴルデベルグ少尉が三人の賞金首を徴募した経緯顛末は戦争が始まる直前、僅かの間ちょっとした話題だった。

 そういう跳ね返りを欲しいと思う前線の部隊もあれば面倒なお嬢さんと思う上官もいるわけだが、おかげでゴルデベルグ少佐は階段参謀なるものを経験することもなく、大本営の外をあまり敵陣と関係ない土地で戦務参謀としてウロウロと旅をすることになった。

 特務大隊の一員として裏ノ原の演習地でぶん殴られ跳ね飛ばされた者たちはその事実を殆どの者が知らなかったが、ちょっと前の軍学校の卒業生がそういう離れ業をやってのけたという話は知られてもいた。

 決闘と捕縛とを同じように扱うほどの世間知らずは流石にいないわけだが、それにしても眉唾と考える者たちは多かった。

 他にも東部戦線を単身士官偵察をおこないつづけ、味方の壊滅を救ったとか、彼らの上官である女司令に関しては伝説というか武勇伝というか、どこまで本当なのかよくわからないところがあった。

 だが、戦場を知らないことをときたま恥じたり愚痴ったりするような贈答目録や熨斗紙つきも同然の階段参謀に、扱いに困るような新兵器を子供のおもちゃのようにごくあっさりと投げ与えてみせる剛毅さというか、得体のしれないところがある。

 若者たちは自分が無能だと思っているわけではないし、何の意味があるのか、なにを求めてのことかは、全くわからないというほど愚鈍ではない。

 だがしかし、いま共和国軍の人手が足りないということはそれとして、彼らの俸給では退役するまで無事務めたとして五人や八人の稼ぎを積んだとして買えるはずもないような巨大な新品の機械を、壊せ、直せ、と命じてみせる女司令の感覚は、全くまともではない、と思わせるものがあった。

 そしてその全くまともではない感覚を必要と結び付けられること、必要を見分けられることこそが、実戦部隊の幕僚としての参謀としての才覚でもあった。

 もの狂いやコワレとして日ごろ振る舞うことなく、しかし必要に応じて狂してみせることが、暴力を預かる権力装置には必要で、わけても非常を預かる権力としての軍にとって狂気は天賦の才能であるとも云えた。

 殆どの組織にとって成果を求めることは必然であるのだが、非常装置としての軍隊はその組織が崩壊することも必然である。ことに成果を求め怯える軍隊の凋落は甚だしいことになる。軍隊にあってはどうあっても人は死に物は壊れる。そこに成果があるはずはない。

 およそ、内部での成果を求めた対立が組織の硬直腐敗崩壊、そして国家の滅亡へと至る。

 敵を殺し砕いても、それは成果にはならない。

 兵は傷つき矢玉は失われる。

 瓦礫をうみ死体をうみ、

 それはゴミになり腐れになる。

 それを何かの成果に変えること結びつけることは、共和国軍の仕事ではなく兵隊の仕事でもない。

 それは実は市井の縦横家の仕事である。

 兵隊の食い扶持も矢玉の掛かりも某かの成果によるもので、軍隊がそれを傍若に奪い抱えほしいままにしている、という状況は市井の許せるものではない。

 共和国の州の多くにとってかつて共和国が起きる前にしばしば起こった論の動きであって、市井の人々に国家と軍の合理性を認める理解を求めることは難しい。

 哲学的な論理を積み重ねて追うことは日々の苦労と向き合う市井の人々に向いていない。

 せいぜいが、権力は偉い、という中抜けをした全く筋の通らない論になるだけだ。

 そもそも論として軍隊に成果を求めることは砂浜に星のかけらを探すのに等しい。

 砂は当然に星のかけらその一粒だが、そこには全く価値はない。

 兵の帰還が戦果であることを共和国軍は誇る、という言葉は事実、兵隊にとって成果というべき生産的ななにがしかを軍隊という非常組織に求めることは、単なる詭弁だ、という認識があった。だがそれも、中抜けの多いただの言葉でしかない。

 しかし一方で、共和国があるためには共和国軍が必要である、という事実が存在していて、それを支えるための何かが必要でもある。

 その、なにか、に形を与える成果という利益を手土産に子供をあやすように、或いは子供が土産をねだるように軍に成果を求める。

 わかりやすい不実である。

 何かの成果が必要である。という認識は全く市井の人々に向けた安い演出にすぎない。

 共和国軍の成果とは実は既に全く共和国である、という説明を誰もが理解すれば共和国軍にわざわざの成果を求めることはないのだが、砂浜の砂が多くの人に無価値であるように、市井の人々は自らが星に立つことを忘れて、共和国軍に星のかけらを探す。

 そして見つけられずに嘆き叫ぶ。

 そういう中で多くの軍人は信念や愛や正義というものを杖に、或いは故郷の家族や隣の戦友や郷里の風景がその彼彼女らが愛する様々が、自陣を踏み抜いた敵によって焼かれ殺され砕かれ埋められ忘れ去られないように戦う。

 そうあることが必要だから、兵士軍人は戦う。

 軍は兵隊は成果によって成果を求めて戦うのではなく、必要によって戦う。

 それは正義や愛と呼ぶにふさわしい概念であるが、同時に確たる根拠なぞあるはずもない狂気や妄想でもある。

 必要に狂することは軍人として重要な資質なのだが、その必要を万人が理解することは極めて難しい。

 同じ軍人であっても多くの場合、理解できない。

 有能であればこそますます自らの仕事を疑う者もいる。

 だがつまりはそここそが縦横家たる政治家の職務であり本懐であったから、軍事の専門家たる軍人は、政治の専門家たる政治家にすべてを委ねてしまえばよろしいのだが、世の矛盾を価値と謳えるほどの縦横家と言えるに足るほどの才能を持った政治家は、必要に応じて狂に狂える軍人よりも世になお少ない。

 リザ・ゴルデベルグ少佐は必要に狂し、なおその必要を求め満たせる全く優雅な立場にいる数少ない将校だった。

 それはある意味で将軍と呼ばれる人々よりもよほど満たされている立場でもあったし、彼女自身直感として理解していた。その運や環境を含め一種の才能でもあったから、それを認める上官ストレイク大佐は彼女を大いに使い倒した。

 共和国においては僅かな州が今なおその存在を認めている騎士階級にも似た優雅さであるが、別段リザがゴルデベルグ少佐が求めてのことではない。

 ただ彼女はそう振る舞うことができ、そのとき必要であるからそうした、というだけのことである。

 全くまともではない。

 というのは当然に偏見であるが、当然の偏見でもあった。

 ゴルデベルグ少佐が聞いたとして鼻で笑い、蛸壺を掘ってその出来を確かめることを命じるだけだ。荒れ野の演習場宿営地はもちろんローゼンヘン館の地所森のなか山の岩肌街道の脇といたるところでゴルデベルグ少佐の部下たちは蛸壺狐穴掘りを命じられ、即座に埋め戻しを命じられた。

 デカートヴィンゼ界隈ではうちの畑で演習を頼むかなどと笑い話にもなるが、農家の主が絡むようにそう言ったデカートの天蓋内の農地でゴルデベルグ少佐は正規の手続きを踏んで演習をおこなってみせ、朝から五百人ほどで畑を一軒分潰した。

 それは兵隊が本気で暴れるとどうなるかという簡単なデモンストレーションでもあったが、長閑なデカートでは百数十年ぶりの公開軍事演習だった。実弾は持ちだされなかったが、黄弾青弾という実弾さながらの銃声と爆発音で農家の家畜や往来の馬が暴れだしたり止まったりという大騒ぎにもなった。

 女司令官は狂っているという話になり、どういう流れかゲリエ卿に賠償を求める裁判が起こされたが、裁判所によって棄却された。

 その顛末は特に誰が手を回したというわけでもない。

 それぞれに独立した個人をまったく関連のない事案で裁判の法廷に呼び出すことは出来ない、というまっとうなものだった。

 任務中の軍人であるゴルデベルグ少佐からは行政と司法を仲介とした演習協力要請の申し出があり、なんとなれば数名の軍人以外の立ち会いのもとで演習用地協力の申し出が市民本人から出たということでもあって、事後となったが行政の調査もおこなわれた。

 顛末そのものは必ずしも友好的とはいえない経緯だったようだが、一方で申し出や書式は十分に整ったものであったし、周辺の証言も取れていた。

 天蓋の内側、郊外と云うにはあまりに往来の人の目の多いところでの演習で衆目もあり驚くような出来事ではあったが、一般に郊外辺境であればここまで様式が整えられることもないほどであったから、裁判所はほぼ完全な形で演習協力要請とそれに応えた演習協力への私有地の使用を不服とした申し出を却下した。

 ほぼ完全な、というのは、戦時とはいえ私有における原則を鑑み演習とあれば無制限の協力がおこなえるわけではなくその節度を理解されよ、という部隊司令官への歯軋りのような提言がデカート行政と司法の名で発せられたからであった。

 収穫を終えた麦畑の穂が再び青く重たげに膨らむくらい訓練を続けると、特務大隊の面々も兵隊の体の使い方を思い出したり覚えたりしてきていたが、彼らの本分はそれだけではなかった。

 目庇付きの兜のような安全帽は帽子と言うには大仰で首まできている上に一旦かぶると頭の後ろで怒鳴られても気が付かないような耳栓にもなっているが、それでも耳鳴りのような機械の振動や機関音が読経のような操作の手順や数表の読み上げの空耳に聞こえてきたりする。そのうち慣れると聞こえなくなる一種の麻疹、一人前になる前にかかる職業病のようなものであったが、空耳が聞こえるくらいには彼らは日々課業に追い立てられてもいた。

 それは必要とか成果とかそういう理念的なものではなく、悪罵になって蛸壺掘ってそうしている夢を見るような日々だった。大隊幕僚の計算のうち、全く望んだ展開のひとつであったのだが、必要に従う人物であるゴルデベルグ少佐としては全く困惑するものでもある。

 少なくともゴルデベルグ少佐は最低限規則に応じた休暇を部下に与えるくらいには人事状態に配慮していたし、自身の失敗を教訓に部下の健康疲労状態も配慮し、療院や休暇の手配を率先しておこなってもいた。

 任務配備中の特務部隊としては珍しく、外出さえ推奨していた。

 状態の怪しげな作業班には装置設備の入れ替えを理由に敢えて休暇を強要したりもした。

 花街の女郎屋や男娼にも幾らか知り合いがいるくらいには顔が広い知人もいたから、頭が茹だって膨れ上がった連中が破裂しないうちに軽く抜かせて冷まさせるくらいの配慮もした。中にはちょっとお高い手管の効いた男女もいて、役者を慰問に呼ぶようなつもりで頭の焼けそうな部下の世話も頼んだりもした。

 そういう相手が得意そうな女性はローゼンヘン館にも幾人かいたけれど、男は抜けば事が終わると云って、女は出来るものができると戦争どころでなくなってしまう。

 いい年して下の世話くらい自分でしろ、というのは常識論としては御一節だが、任務についている特務部隊としては土地勘の乏しいところで勝手にやらせることは風紀倫理以前の防諜警務や指揮統率の問題だった。

 そうでなくともデカートには帝国人が増えていた。彼らが敵か否かということは、およそこの場合では問題にならないが、自動車化部隊新設作業の停止の経緯を考えれば、問題にしたがる者たちが大本営にいることは間違いなかった。

 正直な話を云えばゴルデベルグ少佐が解任されても、準備にあたる士官の訓練が満了しラジコル大佐の聯隊に合流できれば良いだけの話だったから、リザは必要を気楽に振り回して前線ゆきを免れてもそれはそれでよろしいつもりで部隊を仕切ってもいた。

 軍に入って女衒の真似事をすると思わなかった、というのは徴募や治安に纏わる特務部隊を預かることになる参謀や憲兵司令がしばしば思うことのひとつであるが、パンとサーカスと一般に言われる食料と娯楽の管理は極めて重要な管理要素である。

 しかし一方で、当然に他人の口と尻の穴に腕を突っ込むような仕事を、好み以前の問題でできるかできないかという一種の才能や適性の問題もあって、そういう意味においてゴルデベルグ少佐は必要を優先できる人物であった。

 そういう切り分けのできる人物でなければ、自分に求婚している事実上の婚約者が、見た目よろしげな腹を膨らませた女をどこかからか千人も、よりによって求婚している女自身の実家に住まわせるなぞという気違い沙汰に平然としてはいられない。

 もちろん内心平然としていたかどうかはかなり怪しい訳でもあったが、ともかくもそう判断し振る舞えることは彼女の才能だった。

 意外な母性とも云うべきゴルデベルグ少佐の庇護のもと特務大隊の訓練は進んでいた。

 初夏というよりは日差しを考えれば既に夏至も近いころ、ミョルナからファラリエラがローゼンヘン館に電話をかけてきた。燃料の補給を頼みたいということだった。

 ミョルナの山間は雪解けの末期のこの時期雪崩土砂崩れと嵐が多い。演習中に幾つかの集落の救援をおこなっているときに燃料が切れたということだった。

 主要部隊は鉄道保線路周辺の集落跡で待機できていて問題がないが、一部機材が燃料切れで移動できなくなったという。演習中だからあまり大事にしたくないので個人的な証文で収まる範囲で助けて欲しい、という。

 油槽貨車四両分の燃料とおよそ貨車一両分の糧食部品というものが個人的な証文で収まるかどうかという話は誰に聞いたらよいのだろうかというところがないわけではないのだけれど、とりあえずそれだけあれば演習地まで自走できるということであれば、仕方ないところでもあった。

 社用便の編制に都合をつけて待機中の集落跡の工事線の状態を確認すると複々線化の工事基地の後であるらしい。基地施設は既に移動していたが、線路自体は残っていて切り替えは可能であるということだ。

 社用便の運行と編制を命じ周辺の工事基地に確認をすると、やはり雪崩とその後の土砂崩れや雪解けの増水やらとで山間部では時期モノの災害が起きていた。既に工事の終わっている鉄道線区間やそこに沿った鉄道保線区では手当は順調で日をまたぐような事件事故は起こっていないが、工事区間やその周辺では夏になった途端に谷底に生暖かい風が流れ洪水が起こっている。それが吹き上がることで小さな嵐や雪崩のような土砂崩れを巻き起こす。粗方は問題ないのだが、土砂崩れで道が埋まったり川の付け替えなどで道が流されたりという事件は多く、鉄道工事の人員も応援に付き合うことも多い。

 ラジコル大佐の部隊もそういう流れだったのだろう。

 現地に着いてみると如何にも歴戦の部隊という感じではあったが、兵のいくらかが未だに骨折したと思しきギブスをつけていたりと状態が万全とはいえなさそうだった。それでも部隊としては帯同した連絡参謀が戦死をださないで済んだりとか様々に画期的な喜ばしい成果もあり、新兵器の効果は高かったと部隊では考えている。

 それに単なる演習とはいえ元来自分の足で歩けない重傷といえるような兵がほぼ半年の部隊の移動を耐えられるような状態ということ自体も広く捉えればこの部隊の戦闘力でもあった。もちろん動かすことが困難なより一層の重傷者も幾名かはいて、そういう者達はアタンズやギゼンヌ或いは軍都等の療院に既に預けてある。

 負傷した兵士の多くもそれぞれに部隊の先行きに暗雲を感じていて任務が終わったことを素直に喜ぶ気分になれないまま、演習として行軍に付き合っていた。

 名目としては試験に際し貸借した部隊の装備の返却をおこなうための移動ということになっていて、実際に装備の粗方はゲリエ氏個人の私物であったからそこはいいのだが、できれば今回の演習で消耗破損した機器についてその弁済費用の一部として整備点検をお手伝いさせていただきたい、その交渉を申し入れたいとラジコル大佐の不在を預かるホイペット中佐が言い出した。

 バカバカしい言葉にホイペット中佐という人物についての評価を悩んでいるとファラリエラが助け舟を出した。

 つまり、交渉の時間をだけいただきたい、ということだった。

 最終的には今回の部隊への救援の経費も含め精算が可能になるが、既に部隊解散は部隊の実働が止まった瞬間におこなわれる状態でもあった。つまりはラジコル大佐がゲリエ氏と資材返還に関する面談したというその事自体が事実上の部隊解散の瞬間になる。

 その後は軍内部での書類のやり取りで進められ、たとえ演習中でもその実務は止まらない。

 あとはローゼンヘン工業とゲリエ氏から請求されるはずの機材の消耗品などの経費請求を待って書類上も部隊は消える。

 部隊が消えればこの戦時戦局勇猛を知られた兵士の引取先はいくらでもある。

 東部戦線に直接ではなくともあちこちの後備や師団で階級が上がっても構わないくらいの話があって、セラムやファラリエラにも名指しで師団幕僚の後任にあてる引き合いがきていた。

 ホイペット中佐にも昇進と新編聯隊の隊長という内示があるらしい。

 予算措置と人事上の措置と両面で制圧の危機が同時に起こっていては、どうにもダメではないかと思わないでもない新兵科部隊創設にかかわる顛末だが、ファラリエラの判断は絶対に潰してはいけない。ということだった。

 おそらくは一度潰せばこれほどの人材は二度と集まらない。

 もちろん軍という組織の規模と性質を考えればそんなことはあろうはずが許されないのだが、一方でこの部隊を解散させれば自動車化部隊の編成は十年はゆうに後退させる、という少々奇怪な主張をラジコル大佐がおこなうほどにラジコル大佐の部隊はうまく回っていた。

 軍隊というものは戦場での消耗を前提にしたものだから、当然に誰もが交換の効く人材である必要がある。

 集中的な運用の威力が高いことはわかったが、段階的に自動車の運用数も増えている。

 人員の教育も緩やかではあるが進んでいる。

 鉄道軍団においても必要上自動車の取扱いはおこなうし、その人員も確保する。

 ならば慌てずとも予算上問題もあるのだから一旦解散させて、計画を見なおした上で、予算措置に余裕を見て改めてもう一回作れば別にいいだろう、というのが大本営でわりと当たり前に語られている部隊解散論だった。

 そうではない。

 とラジコル大佐は後方の呑気な連中にどうやったら前線をしのいでいる兵隊の気分を伝えられるのか、机を手のひらでもみ削るようにしながら怒鳴らないように殴らないように全く完璧な官僚的な態度で訴えた。

 軍隊は雑多な人間が雑多なままに機能するように運営されているから、当然に兵隊の質も雑多ではある。

 だが一方で優秀な部隊というものも存在する。

 それには雑多な人材なりに組み合わせというものが存在する事実を示している。

 どういう組み合わせが最適なのか、それは現場に出て全く偶然に現れる現象で、事前にその組み合わせがわかっているようなら誰もが苦労しない性質のものだが、それは隊長一人が変わったからといってうまくゆくものでもないし、かといって隊長に責任がないわけでもない。

 小規模であればあるほど実はその組み合わせは重要になる。

 そして現状自動車化部隊は僅かに四千ほどの実勢の部隊だ。これは四千という数が単に実戦部隊として小規模である、ということにかぎらず、技能を持った人員がこの共和国内にそして世界に四千しかいない、ということが問題になる。

 そして一旦散ってしまえば、その四千は平凡な何かに埋もれ、どこにあるのか追うことはできない状態になる。

 もちろん個々の兵は優秀な兵隊たちだが、つまり普通のただの優秀な兵隊になる。

 そして次に集めた、ただの兵隊四千が自動車化部隊に適した組み合わせで現れるとは限らない。

 将来自動車化部隊が数万数十万という規模になり、陳腐なモノになったときには、ただの自動車化部隊向けの兵隊というものが全軍の兵隊の中に幾らか存在していて、そういう者たちが他の兵隊と部隊を形成するにおいて、いくらでもただの自動車化部隊を作ることは容易だが、今このときにせっかくにその配合を整え実績も示した部隊を人員を解散させることは、将来の自動車化部隊の種籾を野山に撒き散らし捨てるのに等しい。

 ラジコル大佐は自動車化部隊の新兵科創設に向けて改めてそう訴えていた。

 気風といってしまうと更に抽象的であるが、そういうものの存在を認めている指揮官は多い。

 それをラジコル大佐は単に兵隊の教育や資質ではなく関係にあると主張していた。

「すると誰かを引き抜くと自動車化部隊は弱くなるということかね」

 当然の質問が出た。

 練度の低い兵隊が混じれば、当然に部隊は弱くなる。

 だが、それは一時的なものだ。

 立場が人を作り、鍛える。

 だが一方で鋳型が弱ければ形になる前に鋳型が崩れ鋳物は鈍る。

 それだけのことだとラジコル大佐は主張した。

 優秀な組織は実のところ、長が全くの愚物無能であっても全く構わず機能することが多い。

 それどころか大抵の王朝の王は王権に疑いを挟まない無能であることが却って王朝を長く繁栄させる。

 優秀な王を何者かがつぐことによって国家の多くは崩壊への道を歩む。

 長の役割で定まっているところのせいぜいは実は他の長との窓口として機能することだ。

 他のところは必要に応じて組織が組織の理論として動く。

 部下の教育も組織の理論によっては他のものが代行する。

 リザの部隊、ゴルデベルグ教導特務大隊はおよそその教育の主幹をゴルデベルグ少佐に頼っていた。

 実のところ誰が表にたっても全く変わらない状態であったから、敢えてリザは部下をほとんどひとまとめのまま扱った。

 それはリザの手間は増えるが、一方で他の幕僚たちの手が空くことになるし、なにより政治的にゴルデベルグ少佐に注目が集まることは却って計画全体としては楽になるだろうとリザは考えていた。幕僚たちには部下の教育以外にも大事なことがあった。

 彼女がローゼンヘン工業の社主と愛人関係にあるという事実はデカートでは公然の秘密であったし、軍であってもある意味その通りであった。そしてゲリエ卿は勤勉公正な人物ではあるが極めて奇矯な人物であることも知られている。

 そして彼は極めて強力な共和国軍の支援者でもあった。

 つまりは既に計画そのものはほぼ満了していると印象づける狙いもある。

 そのために全く派手な装備としての戦車もそこそこ以上に数もそろっていた。

 その数がそろっていた経緯は一時期に鉄道警備隊に配備するつもりでいたからでもある。

 ただ現実的な話題として考えてみた場合には鉄道警備隊に戦車の要は急にはなさそうでもあった。

 ペロドナー商会に戦車を与えてはみたものの、現場では持て余し気味でもあった。

 強固な防御陣地とその火力を相手にすることを前提にした戦車は長駆して訪れる自動車を使った馬賊相手には大きく重すぎて、もちろん圧倒的に強力で使えないわけではないのだが、軍では兵站実務に相当する日々の世話が面倒だった。

 鉄道基地が増えるに従って防御するべき拠点も増えるが、それは敵陣地を踏み越えるような戦い方ではないはずであった。

 もちろんある程度以上に防御を考えてゆくと戦車の出番が見えてくるが、それほどの大事がどれだけ起きるかという話になってゆく。

 数百リーグも自走長駆する前提であれば様々に問題が予想される戦車ではあったが、拠点防御を考える上では問題を悩む必要はなく、鉄道沿線ということであれば単にもしものときに存在すればというだけだった。

 結局は日々の業務から浮いてしまった不良在庫をどうするかという話でもあったが、本当に軍が使わないなら鉄道警備隊でも使えるが、という話でもある。

 鉄の箱を塹壕陣地を踏み越えられる車台に載せたような歩兵型の戦車はそういう意味で本当に鉄道警備隊では使いにくい、極めて攻撃的な兵器だった。

 治安出動的な地域制圧に使うような状況は鉄道警備隊ではほぼありえない。人員の輸送もそれこそ装甲された兵員用列車と一般的な自動車の多少の改造で決着する。構内ということであればいっそ自転車のほうが都合が良いだろう。

 施設をめぐる殴り合いで防御側に重要なことは機動力よりは状況と人員の把握を通して時間を稼ぎ、攻撃側の資源を削りつつ、応援との挟撃に備えることだった。時間を稼ぎ敵の作戦資源を削るための積極的な反撃はありえても、相手の無能を前提にした全面反撃を第一に据えることはない。

 ワイルの駅舎周辺をめぐる戦闘で多くの戦訓があった。

 人員の消耗を抑える防備と施設を壊さないですむ、或いは必要に応じて正確に壊せる装備が防衛側に必要で、戦車を使わないと人員が流し込めないような状況は詰んでいる。

 防御側が戦車を必要とするようなそこまでの手遅れになったら、施設の無傷での奪還を諦めたほうがいい状態でもある。

 警備隊の目的はあくまで警備や鎮圧であって施設制圧奪還ではない。

 もちろんワイルの城市を占領制圧する等ということが本当に企図されるのであれば必要な機材でもあるが、それはあまり望ましい成行きではないし、マジンもペロドナーも望んでいなかった。

 そういうわけでさすがのマジンも歩兵型の戦車については、型違いの試作を四両、部品を合わせても二十両分余り作っただけだった。

 歩兵型戦車である兵員貨物輸送車は、技術的には帝国の戦車とほぼ同じ構想を内燃機関の余裕ある動力をもとに敵の攻撃を無視しつつ陣地を踏み越える性能を求めるように作られた。

 鉄の箱を車台に載せたものというのは、事実基本的にはそのとおりで、鋼鉄の掩体に歩兵を詰め込み敵の陣地線を無視し踏み越え、歩兵を流し込む攻城兵器の一種である。

 巨大な砲塔のために重心が中心におかれ安定した戦車と異なり、運用の都合でレイアウトを片寄せた兵員貨物輸送車は乗り物としては不器用過ぎる面もあるが、陣地拠点の制圧という歩兵の活躍が必要になる状況でギリギリまで兵隊の苦労を減らすことを目的に性能上設定されている。

 デカートの治安当局もワイルでの事件を受けて研究調査の名目で戦車の試験品の見学に訪れたが、一両で街の往来を塞ぎかねないような大きさの乗り物を手元に揃える気にはならない様子だった。

 運転に比較的なれたはずの者がそれでも来賓の見学中に乗用車に乗り上げるような機械ではなかなか町中で使う気にはなれない。前方に戦車の駆動系をそのまま前後逆に配置した車体は戦車より視界が高いが運転席がより奥まっていて大きな切妻から軒先が死角になる。

 死角を減らすように鏡を多数配置しているが、その鏡を見るために死角ができる。その死角を減らすためには注意して数秒記憶してそれを頼りに運転するしかなかった。

 演習の最中に味方を踏み潰さないことがともかく難しい大きさの兵員貨物輸送車は、敵を見ないまま敵中に踊り込むことを考えれば、相当に肝を練る必要のある乗り物でもあった。

 だが、砲戦車のような長大な砲は持たないものの、十名ほどの歩兵を乗せられる歩兵戦車は、より明確に敵陣地の制圧占領を目指した乗り物で、防御を重視した乗物の構造に反し極めて攻撃的な性質のある戦争向けの機材であった。

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