ゴルデベルグ特務大隊 共和国協定千四百四十五年小満
リザの預かる特務大隊は、若手参謀に対する実地における再教育を任務の名目に掲げていたが、目的内容として具体的にはなにも掲げていないのも同然だったし、特務大隊というものは任務についている者たちが誰の責任で動いているか、という以上の確認を必要としないものだった。特務中隊や特務大隊というものは大本営に席を置く士官にとって一種の離席表のようなものだった。
リザは部隊の練成に合わせた段階的な訓練内容とその先の計画を練るためにマジンと面談を重ねていた。
現状の中隊規模の特務大隊に部下を流しこむとして、共和国軍の標準的な士官下士官率でいえば三四個大隊分ぐらいの少尉と中尉がいるのだが、ほぼ全員が前線を知らない戦場を知らない新品で、ここに加わる兵隊たちは文盲であるか否かをヒヨコのオスメスのように鑑定できるような割合であることは間違いなかった。
実のところを云えば文盲かどうかというのは機械操作に殆ど関係ないのだけど、機械の扱いに興味が無い種類の兵隊が来ると困る。
実例としてローゼンヘン工業の現場幹部のほぼ半数は事実文盲で、文書対応に秘書の補佐をつけている。それであらかたのところは問題がないのだが、秘書の人格的問題というべきか、技術に対して興味がない種類の人物が秘書につくと、些細な誤りに気が付かないまま致命的な誤りに連結することがある。
おそらく兵下士官についても同様で適性そのものよりも興味が重要だろうと思えたし、適性を云々できるほどに各種要素が定まっていない状態でもある。
そこまで話をしたところでリザが上目遣いになった。
「兵隊五千人もどうやって勉強見てやったらいいと思う」
「そのつもりで四百人連れてきたんだろ。頑張れよ」
とはいえ胸の中の女が真剣に悩んでいるのもわかった。
新規兵科の創設などという事業は、本来相応に組織的な支援が必要な事業計画であるのに、その本計画が立ち消えになったからと云って、その焼けぼっくいを当て所もなく煽らされているリザの立場はなんとも気の毒なものであった。
しかもその後側の大本営の官僚たちの思惑が破れた衝立のようにみえるのが、マジンには不愉快でもあった。
自動車運用を基幹とした新規兵科編制の計画が大本営で様々な理由で頓挫した後に、携わっていた多くの軍官僚はすねたようになっていて、もちろん個人的な感情ばかりではなく年次計画が終了して次期計画が立ち上がらず、編制委員団の下部組織にあった軍官僚のそれぞれが様々な新たな業務に割り当てられたり、元の業務に復帰したりという事が起こっていた。
話が順調に流れていれば兵站本部が主導している鉄道軍団の編制委員団と同じような流れで将来の幕僚将校と主たる兵下士官が揃った形であるいは揃えながら、ローゼンヘン工業に協力を仰ぐということが計画の素描であったのだが、空中分解してしまった自動車化部隊の創設編制計画を無理矢理に最小限の破綻で間に合わせるために、軍令本部はゴルデベルグ少佐に丸投げをすることに定めた。
軍内部の話を掘り下げてゆくと、予算や人事上の都合と割当の優先順位の話が様々に絡まり、ラジコル大佐の戦況における大活躍と裏腹の装備運用状況の報告の不明瞭や軍令と補給の連絡という兵站上の負荷などを大本営内部の綱引きの材料に使われ、アミザム駅の問題が起き鉄道運用予算拡大の必要が注目されと様々に鉄道が注目されたところで、リザール城塞の炎上の報が楽観的な戦況として大本営に広まったことで、自動車化部隊は既に十分活躍しているめでたしめでたし、という誘導めいた論となって新兵科部隊創設作業が中断されることになった。
バカバカしい流れではあったし、官僚の作業がそうも脆弱で良いのかというところでもあったのだが、アミザム駅での失態や万全を期したはずのキャソウズ・アタンズ間の輸送での遺漏は鉄道のあまりの扱いの難しさを印象づけ、大本営の官僚全体に二兎を追うことの危険を憂いた空気を作らせた。
実際問題として先例に目を向けても、ローゼンヘン工業の人員の爆発的な増加は鉄道工事や線路の延展或いは設備備品の生産による、というよりは駅での貨物や乗客取り扱いに応じて歯止めが効かない必要に追われてのものであった。
今なお設備の整備や人員の教育というものを周期的に必要としていて、尚ときに連結的な企業組織を活かして大胆な配置の変換がおこなわれてもいる。
しかしそう云った融通が効くはずの独裁中央集権的な企業体質を以ってしても、実態として現場では細々とした問題を防ぐことはできなかったし、問題対処の対策として規模の膨張と膨張による混乱を防ぐことはできなかった。
既に帝国よりの投降者を外国人労働者として、ほぼ半数登用するに至ったローゼンヘン工業の労働者の国籍を見たときの現状は、起業して十年に満たない創業したて、という止むに止まれぬ事情があるにせよ、鉄道事業という巨大事業が相応に人材や教育を含めた資源を必要としていることを示していた。一般に共和国の各地域土着の流民よりは帝国の開拓民のほうが学識教育水準は高い。共和国軍も自動車の整備や調整に文字を読める人を当てる必要がある理由について、頻発する事故の経緯を研究するにつれ理解していた。
共和国軍の下士官は文字の読み書きと四則計算くらいはできることになっていたが、自分の名前は書けて九九を唱えることができるとして、それが十分に信頼できる、それが実務に使えるかとなると、およそ半数ほどは自分の書いたものを読み取ることも怪しいような有様だったし、発行する伝票の数字の小計合計のすべてが揃っていることのほうが少ない有様だった。
つまり、共和国軍の下士官をそのまま鉄道運行につけることは、危険さえ伴う不適当が起こるということである。
共和国軍は鉄道全体の運行支配を欲しているわけではなく、その部分的な利用を望んでいるにすぎないわけだが、しかしその鉄道が接続する距離と、鉄道が接続を求められている目的地が前線に接続した準戦闘区域という性質を考えれば、当然に軍の協力関与が必要とされる困難が予想できる。また現実に既に中途半端な施策によって失態も引き起こされている。
無論、過渡的な状態の引き起こす困難であることは、鉄道の軍事利用に関わる全ての者たちが既に了承済みではあるが、新兵科新設部隊編成の困難というものを考えれば戦況により有意義な方に資源注力すべきであろう、ということが自動車化部隊の編成が一時棚上げされた理由でもあった。
現実として様々な責任の成り行きにはなったが、鉄道運行に呼ぶ物資の往来は瞬間的とはいえ、これまでの想像想定を遥かに超えた潜在力が共和国に秘められていることを示したように大本営に勤務する多くの人々には感じられた。
鉄道の示す威力は共和国の未来に必要であると誰もが感じ、或いはそれが最も必要なものであると信じられた。
もちろんラジコル大佐への個人攻撃じみた経緯がないわけではないのだが、それはどちらかと云うと、資源がない予算がない議会の説明に時間がかかる、という稟議の大きく必要な内容の困難の目をそらす時間稼ぎのために、彼方の炭焼きの煙を山火事か、と問うようなものだった。
単なる政治的術策。詭弁である。
だが一方で、政治的に浮薄な陣営は詭弁で足並みが乱れる。
そういう他所の煙で作業の足が止まったところで山に向かいかけた予算や人員を引き上げるのが大本営の駆け引きのやり方でもあって、遠く戦場にいるラジコル大佐を最後まで支えなかった自動車化部隊推進派の足並みの甘さというべきものであった。
軍令本部長のマスカーリン将軍は自動車化部隊の計画停止を聞いて、クエード兵站本部長の部屋のゴミ箱につま先大の穴を開けた後に、クエード兵站本部長が事態に極めて困惑していることを聞き、後日改めて新しいゴミ箱を持って謝罪に訪れた。
困惑も当然であったし無礼を働いた謝罪も当然であった。軍令本部長も兵站本部長も、自動車化部隊新設の計画は戦争勝利への車輪のひとつ、もう一つは当然に鉄道計画、と考えていたから、誰がどういうつもりで片方の手を止めるべきなどと思いついたのか共に全く同じく憤りを感じていた。
もちろん人員も予算も無限にあるわけではないことは事実だが、それは計画を止めるという方法で解決されるようなことではないはずだった。
予算都合の問題も人員育成の問題も結局はある程度時間的な猶予があるはずのことで、いま一つの計画を停止したからといって、他所にすぐ予算や人員が回るはずもなく、そういう意味で全く無意味な混乱であるとクエード兵站本部長は考えていた。
概ねそれは正しく、およその兵站本部長の理解としては組織の論理と後方にいる官僚としての軍人のヒガミ、という責任がはっきりすればその者を組織から放逐しなければならない問題が結びついた結果であったから、クエード兵站本部長は新しくなったゴミ箱に自分でつま先大の穴を開けることになったのだが、大本営で務まる官僚が自身のヒガミなぞ冠にかぶるように露わにするはずもなく、今はそれ以上のことはできなかった。
リザ個人の立場からすれば、バカじゃないの、という一言でしかない話の流れではあったが、軍令本部作戦課の立場からすれば有力な部隊を複数創設し前線に増援する計画が、このままでは大戦果を上げた準備部隊をも大本営内部の偏狭な政治的な駆け引きの生贄として無為に解散させたままにしかねない状態でもあった。
鉄道軍団創設計画が大きな予算を必要としていて、極めて優先順位の高い内容であるという事実はそれとして、自動車化部隊の解散と消滅は戦務課主計室のストレイク大佐の立場としてはどういう方法を使っても横槍を入れるべき状況で、彼の手元には横槍になりそうなモノがあった。
ゴルデベルグ少佐の任務は、軍令本部内における人事的整理と再教育、という名目で予算が切られてる研究調査ということになっているが、実態としては自動車化部隊のための人材育成任務でもあった。
それは二年前には設備も予算もないままに理論や推測を優先した形で試験名目で借り受けたままの戦車や土木重機類を運用する戦闘部隊として、特に威力を発揮しつつ数量の揃わなかった戦車を中心に部隊運用可能な数まで補填することを可能にする人材を育成することを目的としている。
という、軍内部への名目や配置の他にもう一つ重要な意味もあった。
露骨に云えば、その人材育成とそこにかかる資材費用を予算成立まで立て替えて欲しい、それをゲリエ卿にねだれ、ということだった。リザの仕事が軍の美人局といういいかたは穿ち過ぎということはなく、およそのところを正確に言い表していた。
予定されていた新設部隊の予算措置は、ラジコル大佐の部隊の活動報告の諮問後におこす補正予算を充てにしたもので、もともと日程的にも審査上も予算捻出の極めて厳しい綱渡りであったが、計画が事実上凍結されている状態ではもちろんいまのところ成立の見込みはまったくない。
ラジコル大佐の部隊は正規予算によって新設された常設部隊ではない。
予算都合上は軍令本部直下の特務大隊を複数つなぎあわせた臨時編制部隊であった。
形の上ではラジコル大佐の試験本部大隊に、試験対象の三つの特務大隊をぶら下げる形で戦場での部隊運用試験の支援と監督をおこなう責任者としてラジコル大佐がいた。
自動車化歩兵聯隊と通称はされていたが、一般的な聯隊がそうであるような兵科の統一もなされていない。
士官や特技章所持者の多い人員構成や奇妙に贅沢な装備課の登録もない装備も許されていた。
兵科の統一自体は、運用の柔軟や騎兵聯隊の相対的な価値の変化による騎兵の余剰など様々な影響で輜重や厩務の厄介な都合を乗り越えて聯隊や、ことによると大隊であっても本部に騎兵中隊を含むようになっている些細な事である。
だが、特務編制の問題はラジコル大佐が前線で懸念したように大本営内部の政治的予算的な都合で部隊が容易く無くなるようなものと扱われる点にある。
はっきり云えば、手早く最低限の手順で部隊を立ち上げるための抜け道を使った結果でもある。
自動車化部隊消滅の危機とは全く別に、東部戦線の戦力見積もりという意味では、自動車化部隊が必須要素であるという参謀研究報告は参謀本部から上がってもいた。
軍令本部作戦課と参謀本部の合同研究では圧したり退いたりしている戦線を睨んで、楽観的な数字としておよそ十五万の兵を可能なればその倍の戦力を追加したいとしていて、しかしそれは兵站管理上からも今しばらくは無理だろうということになっている。
ではせめて十万いや五万というところで、あたかも市場の値切りあいのようなことを課内の研究ではおこなっていたが、補給連絡線の拡大のないままに十万だか二十万だかの兵隊を送り東部戦線で動かすことは、大本営の参謀たちの研究がどういう値切り合いをしていても、さすがの軍令本部もよしとは言えなかった。
それでも必要であるから各地で聯隊の練成に急いではいたが、軍理に基づいて必要なだけの兵隊を戦地におくれば必要なだけの補給が送れなくなる可能性があった。
キャソウズ・アタンズのヌモウズ経由の河川を使った往来連絡がかろうじて補給を支えているが、既に東部戦線の兵站線は幾度目かの危機を迎えてかなり危険な状態だった。
しかし仮に自動車化部隊を作戦区に送り周辺の部隊と連携することで戦力の運用を助けられるとすれば、局地的に戦力を数倍にしたのと同じ効果が出るのではないか、ということがラジコル大佐の研究と実戦での評価報告の目玉のひとつであったから、手軽に安く試せるという手があるなら当然にのる、ということになる。
自動車化部隊がどれだけの人員規模を必要とするかは全くわかってはいなかったが、事前の様々やラジコル大佐の研究によれば、悪くても兵員を三倍にするくらいの効果が有ると参謀本部も認めていて、ことによると五倍からもっととも続いていた。
聯隊が師団に、それを置くことで元からいた二万が六万に変わる可能性があるなら、帝国軍と正面から渡り合える可能性もでる。
官僚の都合よりも前線の都合を優先した軍令本部の判断は、ラジコル大佐の行動を承認し支援した。
部隊の理念について誰も十分な理解がないままに、ラジコル大佐の理念を実現可能とした装備が提供され、その評価も算定もおこなえないままに訓練がおこなわれ、部隊は前線に送られた。
官僚機構としての軍隊としては全く横紙破りというのもバカバカしいものだったが、東部戦線の共和国軍側の行き詰まりと、それに反して淡々とした帝国軍の行動は共和国軍が戦線を各所で圧しているにも関わらず全体としては不利であることを示してもいた。
軍令本部としては部隊成立の経緯がどうあれ前線に増援を送ることは必要だったし、正規の予算を準備する猶予はどうあっても必要だった。
自動車化部隊が有効であればその規模はラジコル大佐の部隊がもたらす情報を軸に算定する計画だった。
もしラジコル大佐の部隊が不振であれば、通常の歩兵聯隊を中心に練成して送る必要があったし、そうなれば予算はともかく増援に送る部隊数は現在の輜重計画では扱えない規模に増え、兵站本部の協力や兵站本部が主導している鉄道計画の進展が重要になる。
一方で、途中まで伸びた鉄道線や自動車によってだいぶマシにはなっているが、輜重を長期間大規模に街道を往来させることの限界があちこちで出ていて、全く新しい街道を作るのに似た効果がある鉄道計画は軍令本部としても大きく期待を抱いていた。
もちろん鉄道計画を主導している兵站本部でも当然に鉄道計画を重視してはいたが、鉄道がその性格上戦争の決定的な役割をはたすことはできないとも早々に見切ってもいた。
鉄道は戦場の流動性に追従するような性質のものではないから、戦線後背までは努力項目であるとしても、その先については敵陣深くはもちろん味方の陣地線であってもその維持は難しいだろうと兵站本部では考えていた。
それはローゼンヘン工業をして一年で約百リーグの線路の延展という設備の施工の問題でもあるし、先にワイルで起きた事件の復旧に数日かかった例でも示されている。
鉄道線はその性質上極めて脆弱でもあるし、設備の規模から柔軟とも言いがたい。
とはいえ一方で圧倒的な輸送力、ときにそれは従来の輜重の常識では到底対処できない規模の輸送をおこなうこともできる。
それは陣地線後背に町を作るようなものであり、実際に貨車の性質を考えれば、毎日満杯の倉庫を好きなだけ建てているというのに似た効果がある。
だがもちろん倉庫を建てただけでは戦争には勝てない。
それこそが鉄道の限界であり、決定的ではないと兵站本部が考える理由でもあったが、一方で十分な糧食弾薬を備えた兵を倉庫の数だけつまりは好きなだけ運べるとすれば、それは決定的な作戦をおこなうだけの準備を戦場の彼方でおこなえるということでもある。
軍令本部と兵站本部がおこなっている自動車化部隊と鉄道軍団の新設と軍政本部がおこなっている後方各州への捕虜送致の協力要請はそれぞれに前線の兵站状況を改善する施策で最低でもふたつ、できればすべて可能なかぎり早くというものであったが、鉄道は早くても来年末、捕虜送致事業は断続的におこなわれているものの今のところ目立った規模での動きはなし、自動車化部隊は事実上停止という有様では、大本営のゴミ箱にどこでいくつ穴が開こうと不思議という方が不思議なくらいだった。
予算獲得とその運用が官僚組織の基本ではあったが、新設部隊の編成を考えれば前例では半年ではやや不足していた。ならば丸一年の猶予期間と開き直り、訓練の期間と計画の再稼働の期間を重ねることで最低限時間的な問題を解消しよう、ということがストレイク大佐のというか軍令本部の本部長の目論見でもあった。
これまで戦争がいくども転機と好機を迎えていたというのに、いまさら気の長い話だと笑わずにはいられないが、しかしそれこそが現在の共和国軍のほぼ全力でもあった。
共和国と帝国の間に国力はそれほどに格差はないはずだが、こと戦力という意味であれば帝国の五分の一から十分の一というところが実情であるようだった。
そういうあてどもない本来みっともないではすまない状況を言い訳なしで有耶無耶にすることをリザは期待されていた。
真っ先になにか言ってきそうなラジコル大佐とはマジンはその後まだ会えていない。それどころか彼の部隊の人員と機材は大本営にいるのかどうかもよくわからない状態になっている。
ただ資材運用の報告のやり取りがあっただけで、しかしそこにはラジコル大佐とセラムやファラリエラを含めた彼の部隊の幕僚たちの既に見慣れた署名があったので、少なくとも生きているらしいという事はわかっている。
ラジコル大佐の部隊経費は部隊の大本営帰還と時期を同じくするように予算措置がおこなわれているが、そのときもなにを勘違いしたのか嫌味やら値引きの要求やらという無意味な嫌がらせが大本営に出向いたローゼンヘン工業の担当者を相手におこなわれた。
リザにもラジコル大佐とその部隊がどういうことになっているのかはわからなかったが、おそらくは部隊の解散命令を受け取るのを避けるためにどこぞで演習中ということになっているのだろうということだった。
子供が便所や押し入れに閉じこもるようなものだったが、彼らの装備の多くが軍の資材でないことを考えれば部隊の解散はすなわち兵科の消滅を意味することでもある。
正規の予算成立を待たずして実験部隊の試験運用をおこない、実績を確保するための措置であったが、今となってしまえば全く皮肉に部隊の痕跡を跡形もなくすることにもなりかねなかった。
ならばいっそ鉄道に乗って装備を返すついでで荒レ野に来てしまえば良いのにと思わぬでもないが、軍用列車を使うとなれば様々に面倒だし、重機と同じように扱える戦車はともかく戦車運搬車を鉄道にのせるには大型貨車が必要だった。
演習日程そのものはある意味でどうとでもなるが、兵は事実上の軟禁であるし、前線での部隊運用も統帥権が与えられていない聯隊では消耗品の請求がおこなえない状態になる。
軍団師団の将軍たちの支援を受けること自体は可能不能で云えば可能だが、後方からの物資支援のない自動車化部隊にどれだけ自裁が意味をあたえるのかといえば、強引に取引請求をおこなえばローゼンヘン工業に取引中止の勧告と強制措置がおこなわれ中央銀行の口座の停止が要請される。
銀行口座なしに軍票を抱えても子供銀行券のようなものだ。
リザもマジンもそれぞれに彼らのいまを気になりはするが他人の仕事を詮索するのも無駄なことでもあった。
まして軍人の任務なぞ口にだすような種類のものでなかった。
とりあえずリザに求められていることは、大本営の階段ばかりが敵だった子供たちを新兵器の運用に精通した専門家に仕立てることであった。
一年ほどの期間があるとはいえ、彼女自身も学びながらのことで専門家といえるほどのものではない。
せいぜいが自動車運転に彼らよりも慣れている、ついでの話で知っている、というだけのことである。
そういうリザの相談に応じて、マジンは工業資料館の展示内容の案内の印刷物と館内案内員用の解説手引書、鉄道部が鉄道軍団の創設の協力にあたって幹部幕僚と重ねた議事録の要旨抄本とその鉄道部内報告書と稟議要請を机に積んでみせた。
そういう社内向けの資料や決済済み文書の多くは社内部門での閲覧は特に禁止はされておらず、持ち出しや撮影は禁止されていたが、手控えを取ることは許されていた。
ローゼンヘン工業は設計図や決算書に関しても社内での閲覧が許されるほどに資料の扱いは緩かったが、そういう区画に入るにはおよそ汚損防止を理由に服を着替えさせられるという少々屈辱的な儀式も求められていた。
たまたまリザはいま裸だった。
ともかく、先行している鉄道軍団が使っていた資料や日程などを鉄道部などで閲覧参考にしてゆき、必要そうな課業の日程をでっち上げるように組み上げ、実車があることをよいことに操作の実技を優先しておこない、その間にラジコル大佐の報告書を精査し、戦場での様子を読み解き、とリザは極めて精力的に教育任務に邁進していた。
実技訓練は、履帯転輪バネ系の交換、砲身の交換と照準合わせ、砲塔の上げ下ろし、機関部の交換と、戦車の世話を繰り返しおこなわせるのがひとつ面倒も少なく、この先穴掘りと同じくらい何千何万も必要になることだった。
運転や砲術もそれはもちろん手間隙かかって覚えることだったが、戦車の整備は一人二人でできることでもなく、五人十人でもまだきつい仕事であることは自動車で苦労したことのあるものならみればわかる大物だったから、全部ができるわからなくとも、ともかく仕事の筋が分かる必要はあったし、そうあるためにはともかく自分でやってみることでもあった。
それに道を走るという訓練や砲を的に当てるということも大事には違いないのだが、それはそうあることを求められた機械であったから、物事がうまく流れている間はそれなりに簡単でもあった。
リザの感想で言えば機械に任せるというか車長に任せるというか、単に走る単に当てる、というところまでだけなら、止まって狙って撃てば当たるし、広いところを走れれば動かすだけなら簡単な機械だった。
しかしもちろん、戦車が動いてなお撃つための機械で、目標が撃てる必要な位置に動き、その動きの中で射撃の準備をおこない止まって落ち着いてすぐ撃つ、ということをしだすととてつもなく難しくなる。
そんな難しいことをリザがいますぐ教えるのはそれはまたかなり難しそうだったし、そういう難しいことをやっていると、戦車をすぐに壊しそうだった。
そして、そういうことを先にやっていたラジコル大佐の部隊は全く戦車をすぐに壊し手も足も出せないまま文句を言っている様子でもあった。
戦車を壊すのは構わないというか、どのみち壊れて壊して覚えるしかないような機械であるらしいことこそがラジコル大佐の部隊の報告でもあったので、そうなると壊しても構わないと思えるようにすることの訓練が先か、ということになる。
そういうわけで各車二人くらい余計に人員がいるところで毎日息を合わせて薄ら大きな鉄の塊を、ヒイヒイ言いながら引きずったり叩いたりということを若者たちは繰り返すことになった。
それは幾日か彼らが頼もしげな乗り物を楽しんだ事が嘘であるかのような、蛸壺掘りよりよほど惨めに苦労する、訳の分からない座学が天国の歌のように思える日々だった。
当然彼らは雌悪魔の糞女隊長を罵るために蛸壺を毎日掘ることになった。
およそそんな感じで兵科転換訓練の研究がおこなわれ、なりゆきで休暇を取り上げられたアルジェンとアウルムは慌ただしい中で少尉任官の式典に軍都に向かい、軍令本部戦務課に配属され、その場で中尉に昇進し戦務参謀に任じられ、荒レ野で参謀研究中の特務大隊に合流するように命じられた。
荒レ野で汗と泥と油にまみれている若者たちは大本営での扱いはいまも参謀ということであったことを初めてアルジェンとアウルムは知り、参謀の研究という言葉の意味について目をしばたかせることになった。
階段参謀などと笑われてもいるが、大本営での若手参謀の任務は可能なかぎり早く確実に書類を目的の相手に届けることで、そのための武装も許されている、かつてはしばしば今もなお殉職者の出る危険な任務である。それは伝説や風聞というわけではない。
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