裏ノ原演習地 共和国協定千四百四十五年小暑

 特務大隊幕僚たちの大方の予定通り、座学と訓練と整備とを繰り返すうちに若い参謀たちは戦車に向いた体と頭の使い方を覚えてきてはいたが、半年でなにができると威張れるほどの状態にはまだ程遠かった。

 今はただ体力づくりと築城演習とを兼ねた穴掘りと杭打ちで作った周回路を運転演習として履帯をちぎったり主砲を堤に突き刺したり転んだりしていた。

 それは巨像の遊び場のようなもので、戦車を壊すための訓練のような様相で、あまりの部品の消耗にマジンが今すぐやめろ。さもなければ殴らせろというほどのものだった。

 顔はやめて尻ならいい、とけろりと開き直るリザが椅子に座れなくなるほど叩いてやっても訓練そのものをやめるつもりはない様子だった。

 夏至も過ぎ、夏もまだまだ暑くなるという頃にホイペット中佐が預かった部隊とともに荒れ野に姿を表した。

 調査研究をおこなっている特務大隊の演習場にホイペット中佐は設営地を割り当てられていた。

 塹壕にハマって横倒しになったり、どうやっても超えられるはずのない堤に突き刺した砲身を交換して外したその砲身を整備していたり、履帯と綱引きしていたりと、遊んでいるんだか真面目なのだかまるでわからない状態の演習場の光景と特務大隊にホイペット中佐は目を丸くしていたが、あらかたの意味はわかった。

 中佐にとっては二年の間に幾らか見慣れた光景で、なにもない平原でまとめてみると奇妙なものだったが、戦地では突然に起こり部隊に緊張が走る光景でもあった。転輪の交換やら台木組とジャッキ上げという力仕事は中佐自身も幾度か指揮をしたことがある。

 自動車を不整地で走らせる上で横転や脱輪という事故は、荒野を日常的に走る上で起こりうる事故と言うには些細な事件であるから備える必要もあるし、間が悪ければ他の事件事故にも繋がる危険な事故でもある。

 納屋まるごとという大きさと大差のない戦車という乗り物は心強いものであるが、大きく重く面倒も大層なものだったので、その面倒に慣れておくというのは重要な意味があった。

 一年目の訓練にこうしておけば後の面倒も少なかったろうとも思ったが、修理の部品を考えれば一体どこからその予算を、と首をひねるようなくらいにはホイペット中佐は主計を把握してもいた。

 無茶をして裂けた油圧部品をもぎ取るように交換して付け替える、外付け装甲のネジを殴るようにして或いは火薬で吹き飛ばして捨てるようにして蓋を開け、機関部を他の戦車で引きずるようにして泥に放り出し、それを足場に新しい機関部を組み付ける。

 どこでもおこなえる作業内容であるはずもなかったが、一方で実践的実際的な訓練でもあった。

 予算の出処に心当たりのあるレンゾ大尉は贅沢なと笑ったが、主計参謀のザキラス少佐と兵站参謀のオヴェリアノ大尉は流石に苦い顔をしていた。

 だが、現実問題として戦車を縦横に戦場で走らせるということは、こうなるかもしれないということを部隊本部兵站が把握覚悟している必要はあった。

 車輌整備長のコナルジ大尉は演習内容の作業を見ながら何かをつぶやいていた。どうやら同じ乱暴に慣れさせてやるつもりなら作法を身に着けてやったほうがいい、ということらしい。コナルジ大尉はどうにも動かない工具を拳銃で撃って回す、鉛と泥と火薬を混ぜてでっち上げのハンダをその場で作って針金やネジの頭を支える、などの乱暴な方法を幾つも思いついて急場をしのいだ人物でもある。

 ちょうど部隊が演習に合流したその時はゴルデベルグ少佐は不在だった。マコブレン大尉とモウデル大尉に状況を確認すると、尻を叩かれにいっているという。

 訓練の進捗が思わしくないのかとホイペット中佐が確認すると、答えたモウデル大尉は気まずそうな顔になった。

 訓練の進捗はおよそ計画通りで、戦術戦闘訓練以外の進捗はおよそ四割程度、戦闘関連の訓練は今のところ演習をおこなう状態にないということで、一旦停止して運転と事故対応の応急処置訓練を徹底してやらせているということだった。

 尻を叩かれているというのは、消耗機材が予定以上に多く、その調達交渉にゴルデベルグ少佐が出向いているのだが、法外な内容なので体を張っているということだった。

 モウデル大尉がそう言うと流石にホイペット中佐は嫌な顔をした。

 それを見て慌てるようにモウデル大尉が言った。

「壊した車輌分ひっぱたくことで予算成立まで待つ、ということで話がまとまっている様子です。その、なんというか、金額としてもあまりに大きいので訓練の内容の見直しをゲリエ氏からも申し出があったようなのですが、ゴルデベルグ少佐殿も訓練方針を譲らず」

「ちなみに、どれほどにいかほどを」

 渋い顔のままホイペット中佐が問うとマコブレン大尉はモウデル大尉に分厚い綴を持ってこさせた。

「本部では納得のことです。その、ゲリエ氏にはお付き合いいただいて気の毒なことですが、様々に絡まった状況で手早く美しくというわけにはゆきませんでしたので、計画の本来の姿とは少々異なりますが、泥をかぶっていただいております」

 軍人としての立場よりも良人としての関係を押し出すのは些か以上に良識を疑うべき事態だった。

 だがマコブレン大尉が差し出したホイペット中佐は部品の代価を連ねた伝票を眺め、中佐は納得の溜息とともにザキラス少佐に渡した。ザキラス少佐はその数量と品目の偏りに眉をひそめた。

 伝票の綴の意味する有様を思えばゴルデベルグ少佐の意図は酌めるが、人をひっぱたいてケリのつくような金額ではない。ゲリエ氏の憤りは当然でもある。

「ゴルデベルグ少佐がおよそ本気であるらしいことは読み取れた。この後の計画について我々の心づもりが必要なことがあれば教えてもらえると覚悟もつくが、本部ではなんと。ゴルデベルグ少佐が全て仕切っておられるようであれば出直すが」

「それには及びません。基本的な計画については把握しています。本部も了承済みです。もちろん政治的状況が加味されますので、適時修正する必要があって、そこはゴルデベルグ少佐殿の判断も必要ですが、ホイペット中佐殿と幕僚の方々にはお伝えしてご判断とご協力とを頂きたいとおっしゃっておられました。できれば少佐のいないところで」

 何やら陰謀めいた話にホイペット中佐は眉をひそめた。

 はっきり云えばかなりの陰謀劇だった。

「面白い企てではあるが、うまくゆくのか。それに意味があるのか。特にゲリエ氏には聞いたところ全く益がない。踏んだり蹴ったりのようにさえ見える。言っちゃ悪いが退役軍人の就職といっても、軍人なぞ学者ほども職人ほども役に立たんぞ。五体満足かどうかさえ怪しい。悪い噂が立つことは避けるべきではないのか」

「そのへんはなんとも。ただ、先ごろ鉄道沿線で起きた事件を考えれば、裏を読めば果てしなく読めますし、ローゼンヘン工業の規模やこれまでの業績評判を考えれば必要はともかく可能性や疑いは出ます。政治は、その、疑いだけで動くことも多いので弾みをつけるには十分と本部では考えています。確かにゲリエ氏に泥をかぶせることになるやもしれませんが、戦争の動きを考えて書類屋の腰が動けばそこまでの騒ぎにならずともいけると云うのが本部の判断です」

「それでも誰かの背や尻は丸焼けになる」

「本部では首を括らせないですめば、と考えているようですが」

「発案は」

「ゴルデベルグ少佐殿です」

「なんとまぁ、健気な」

「美人局の手管だとおっしゃってました」

 義姉のいいそうなことにレンゾ大尉は薄く鼻で笑った。

「概要はわかったが、我々のできることはなんだろう」

 有能な幕僚の反応をホイペット中佐は無視して尋ねた。

「まずは、人員の休息と療養を。その間に現在練成中の大隊の訓練の様子から戦訓を活かした形での訓練方針をいただければ。計画の終段では鉄道保安隊との演習を計画していますが、まずは負傷者の治療と人員と装備の手入れを先におねがいいたします。ローゼンヘン工業では毎日風呂に入って鏡を見ないと職場から追い返されるそうです」

「優雅な職場だな。悪くなさそうだ」

 そう言いながら泥と汗で艶けた制服の袖をホイペット中佐は眺めた。

「――だが、それでは戦争には勝てない」

 断ずるように言ったホイペット中佐にマコブレン大尉は頷いた。

「そういうことです。しかし銃後がそういう余裕をもって支えてくれていることも心強いことです」

「まぁそうだな。故郷が塗炭に喘いでいるのでは前線で苦労している甲斐がない。……よかろう。では我々はまず風呂に入って前線の煤を落とし、改めて後進の様子を見させてもらうことにしよう」

「療院の手配もできます。腕の良い歯医者もおりますしメガネも誂えられます。大勢を入院させるような療院はデカートまで出る必要がありますが、骨折や脱臼の確認などであればヴィンゼまで出ずとも腕の良い医者がいくらかいます。この辺そのあたり大したものですよ」

「知っている。二年前にも幾らか世話になった」

「そうでした。他に何かお聞きになりたいことはありますか」

「とくにはない。……ああ、いや、軍服の直しができるような店はあるかな、軍都で落ち着けなかったものでね、替えがない」

 ホイペット中佐が尋ねるとマコブレン大尉に目配せされたモウデル大尉が封筒を取り出した。

「――これは……」

「デカートの軍連絡室が毒味を終えた店のリストと店の案内書きです。洋品店や雑貨店など小物や日用品の店や療院や湯屋理髪店、酒場料理屋の他にも懐と腰を軽くしてくれる店もあります。歴戦の部隊ですので無用とは存じますが、一応土地勘の足しにしていただければと思います」

「気配りありがとう」

「ああ、他に、ローゼンヘン工業の工業資料館の入場券が入っています。必要であれば更に準備するということでした」

「ふむ。工業資料館というのは鉄道基地の脇だったか。二年のうちにどう変わったか見学させるのも良いかもしれんな」

 退出して部隊を預けていた各隊長たちと合流してホイペット中佐は今後の方針についておおまかな説明をした。

「――予定通りこの地でゲリエ氏と実験資材の経費について交渉をおこなう。その間部隊は治療と休養、更に戦地試験中の戦訓の取りまとめをおこなう。またその際に当地で訓練中の部隊の協力を仰ぐこと許された。既に戦場を離れて半年になる。実際細目についての記憶も怪しいと思うので、実地の協力を仰ぐことで記憶の齟齬がないことを確認して報告にまとめること」

 何度目かの報告書で唸るものがいないわけではなかったが、荒れ野での数を集めた戦車の訓練とその訓練の内容にホイペット中佐がなにをいっているかについては大方の兵隊にも見当がついた。

 翌日からホイペット中佐の部隊の兵隊は代わる代わる報告作業の確認と協力を願うと称して、特務教導大隊の若者たちの行動を数名がかりで観察するようになり、或いは自分で操作をおこなってみせ、陣地を作り踏み越え壊し、戦車重機を走らせ転がし倒し起しと訓練を指導してみせた。

 それはまず彼らが戦場で普通おこなわない動作だったが、ここにいる機械化歩兵大隊のだいたいの兵隊は心ならずも幾度かやったことだった。

 専門の戦車兵は二十人しかいなかったが、運転ということであれば百名くらいはできたし、数名は戦車兵よりも運転がうまかった。しかしそれでもぶつけ乗り上げあちこちを壊す、ということは避けようもないことだった。

 陣地の構築も重機を使って手早く大きく作って、より戦車を壊しやすい陣地を作った。

 単に戦車を壊しやすくすることに特化した陣地風の地形は、迷路仕立ての庭園か何かの遊具のような作りで、陣地としては殆ど役に立たないものであったが、戦車はよく転びそこから引き上げることはこれまで以上に苦労するように作られていた。

 そういう風に新兵科のたまごたちが訓練と称して機材を壊し直しているさなかで、ひとつの風聞が軍都にて巻き起こった。

 ラジコル大佐の特務部隊の隊員個人に対してローゼンヘン工業が弁済請求の裁判を準備しているという噂だった。戦車重機を含むおよそ四百両の車輌機材について各個人に対して請求をおこなう準備をしているらしい。

 軍官僚にとってみれば、フンそれで、という話だったが、ついで軍を退役しローゼンヘン工業にての就職を希望することを条件にその準備金にて弁済を和解として受け付ける。と続いていた。

 つまり、個人への面倒な裁判をやめてやるから就職しろ、という脅迫じみた内容だった。

 やはり大方の軍官僚にとってみれば、へえそれならいいじゃない、という内容だったのだが、一方で各地の兵員を必要としている部隊や部門からは大いに問題視された。

 単純に賠償という話題だけではない。カネはともかくこのご時世ヒトは出せない。

「ああ、まぁラジコル大佐のところの連中ならたしかにローゼンヘン工業は欲しがるだろうね。うちでも幾人かは退役したらローゼンヘン工業に職の口を聞いてみるつもりらしい。わしも顧問の席がほしいと思っていた」

 などとワージン将軍を始め、手元から自動車化部隊を取り上げられた東部戦線の将官たちは似たようなことをつぶやいた。

 そしてとどめをさしたのは特務大隊を指揮していたゴルデベルグ少佐がローゼンヘン工業社主のゲリエ氏の内縁の妻であるという事実だった。

 そして直接軍に関わりのない軍都周辺の巷でもどんな毒饅頭を食わされたのかわからないが、リザール城塞に火をかけ帝国軍に文字通り一矢報いた英雄たちが裁判に巻き込まれ身売り同然に退役させられるとは、どういうことなんだと持ちきりだった。

 鉄道や電話或いは簡便な印刷技術の発達で思いのほか風聞の広まりは早く、根拠も意味も曖昧なまま、リザール城塞に肉迫した英雄たちが失踪した状態であること、彼らが実は正規部隊ではなく臨時編制の部隊で装備の粗方を試験目的で貸借していたこと、軍はその部隊を解散させようとして予算も既に白紙になったこと、或いはデカートで姿が見られたという噂などで、奇妙な形で新聞瓦版の記事があたかも根拠証拠であるかのように政治問題に展開していた。

 当初は、ローゼンヘン工業の金にあかせた傲慢か、という論調だったものが、次第に英雄たちを妬んだ大本営の官僚どもが僻み根性で部隊を解散に追いやった、というものに変化していった。

 そしていくつかの事実として、ラジコル大佐とその配下の部隊が前線から引きぬかれ消えたこと、ラジコル大佐の部隊を中核とし拡大する予定の新兵科部隊の計画が停止したこと、部隊備品の多くはゲリエ氏の個人資産で新兵科の予算化を前提に貸借をおこない既に新兵科部隊向けの装備の一部の生産が途中まで終わっていたこと、さらにデカートでラジコル大佐の部隊の人員が一部見かけられたこと、等の新聞瓦版を経た風聞が鉄道沿線を中心に流れやがて共和国に広がった。

「大本営を支える方々に伺いたいのはだ。実績はまぐれかもしれないが、リザール城塞に肉薄してみせたそういう有望な部隊を前線から引き抜いて、増強と増援の計画も白紙に戻して、それで大本営は戦争に勝つつもりはあるのだろうかということだ。敢えて問うならいつぞやの装備計画の失敗の話はいつの事だったろうか。その背景にいたものは何だったろうか。今回の奇妙な噂もどういうなりゆきかは知らないが大本営内部に了見おかしな人物が根を下ろしているのではないかと勘ぐらずにはいられない。

 確かにデカートのゲリエ卿は奇矯な人物だ。ローゼンヘン工業もヒトもカネも欲しているだろうがね。それが何のためなのか。少なくとも共和国を帝国に売るためではない。それだけは確信できる。そうでなければたとえ共和国軍であってもこれだけの機材機械を信用貸なぞできるはずもない。共和国軍が負ければ回収できるはずもないのだからな。そうだろう。

 大本営が戦争は終わったといってくれるなら、我が州はいつでも捕虜収容事業を終了するし、鉄道基地の軍への割当も停止する。もちろん義勇兵も疲れているものが多いだろう。

 大本営の真摯な戦争勝利への努力を期待する」

 セウジエムル州のデンセンマン大議員は舌鋒鋭く大本営の態度について責め立てた。

 そういう風にして責め立てられた大本営は自動車化部隊新兵科設立の準備計画を再始動させた。兵站本部と憲兵本部の合同による経緯調査そのものは公表されず有耶無耶になったが、幾人かの将校が退役することになった。

 その中にスバラカシーノ中佐の名前もあった。

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