自動車化歩兵聯隊

東部戦線 共和国協定千四百四十四年年頭

 百両に及ぶ土木機械は瞬く間に塹壕を埋め戻していた。

 あれほどに自部隊の兵士幕僚たちから様々な不審を抱かれていた戦車は、全くあっさりと帝国軍の塹壕陣地を突破し、工兵の扱う土木機械が無力化工作をおこなう時間を稼ぎつつ敵を蹂躙していた。それは協力部隊の兵隊たちが当然に憧れる威力戦果だったが、操っている兵隊たち自身が引きつるような笑いを浮かべるほどの出来過ぎと言えるほどの大戦果だった。

 軽快に旋回する砲とそれに並んだ機関銃は草むらから虫達を追い出すように敵兵を狩り立てていた。

 塹壕がまるごと破れてしまえば、帝国軍は塹壕による往来を諦めるしかなかった。

 帝国軍の陣地の密度が高過ぎることで演習場ほどに元気の良い運転がおこなえなくなっている操縦士の感覚によって慎重に動く戦車は、後続の土木機械を援護しつつ、歩兵を流しこむ道を作っていた。

 たった四両しかない巨大な鉄の箱を重ねたような乗り物はそれぞれの間を千キュビットあまりもとったゆるい鏃のような陣形で、特徴的な巨大な砲に比べればささやかな機関銃が流れ弾として互いに飛ぶのも気にせぬまま敵を押しつぶしつつ、敵の後方への道を歩兵に作ることになった。あれだけ苦労したリザール川への道を自動車化歩兵聯隊はわずか一週間で先導することに成功した。

 秋の収穫の時期から冬にかけて日に一万発と云う形で集中的に射撃をおこなっていた恐怖爆撃はそれなりに効果をあげていた。特に民兵たちの補給状態がわかりやすく悪化していた。家畑に混じって街道沿いの輜重を襲うこともありそういうものが偶然纏めて被害を受けたことが影響していた。

 また、共和国軍では全く認識されていなかったが、奇妙な炎を吹き上げる竜巻のような現象が被害を受けた農地で数度に渡って観測されたこともある。

 奇妙な落着の偶然で実りの秋から冬にかけてバラ撒かれた焼夷榴弾が地域に手のつけられない炎の嵐を引き起こして集落を幾つか諸共に飲み込んでいた。これによってリザール城塞に難民が押し寄せる事態も起き、帝国軍の兵站線が完全に混乱したことも共和国軍には幸いした。

 帝国軍の圧倒的な後方能力に比して前線の展開力は様々に不足していたが、全体に準備の不足している共和国相手では十分だった。しかしここに来て政治的思惑に足を引っ張られる形で帝国軍は一気に土地を失うことになった。

 一旦川沿いまで来たところでひとつきほど今度は渡ってくる輜重を狙い撃つ簡単な仕事に長砲身野砲は使われた。

 本来の使い方に戻った砲は、野焼きのための砲弾であっても川船を吹き飛ばすことくらいはわけもなく、それでも渡ってくる健気な川船を吹き飛ばし続けた。

 ほぼ半月でギゼンヌ側の帝国軍は後退するか降伏した。

 捕虜を送る作業が雪解けの時期を通しておこなわれている間にリザール川沿いに封鎖線を張り巡らせたギゼンヌ軍団によって中部軍団正面の帝国軍部隊も後退を急ぐことになったが、結局脱出はできずに降伏した。南部方面はそこまで順調ではなかった。

 正統派の要塞として構築されたモワール城塞はリザール川の水郷を巧みに堀や運河として活用し、極めて頑健な防衛網を築いていた。

 自身の軍事的才覚に全く幻想を抱いていないウメルダ伯爵は可能なかぎりの野砲と河川を使った防衛線を準備していた。

 ただひたすらに衆を頼み数を頼み物を積む。

 大方の者たちは臆病者無能者の戦いと嘲笑うが、それができない者ができる者を羨む僻み根性とウメルダ伯爵は聞き逃した。もちろん内心では自分の無能臆病について風呂や寝床あるいは食事中と様々なところで気を抜くと、陣中で圧力を増し続けるふつふつとした劣等感や慙愧の念或いは絶望的な記憶にさいなまれる。

 だが、防兵を預かるゴッヘル少将にとっては、ウメルダ伯爵こそが敗残の屈辱を雪ぐ機を差し与えてくれた恩人だったし、そもそもその敗北の前兆を予見して忠告までみせた人物でもあった。気弱な線の細さと裏腹に貴族的な率直さを持つウメルダ伯爵は、単に育ちの良い若様がそのまま当主に滑り込んだような絵に描いたような人のよい田舎者ではあったが、帝国の辺境を預かる伯爵家ともなれば当主の才覚好みを万全に威に変える財もあった。

 味方の戦力を概算した上で更にそれを押し戻している敵を乗すると、つまりはおよそ百万の軍にも匹敵することになり、十万ほどで百万を作る共和国が本当に百万を寄せることができるかはまた別として、ウメルダ伯爵は一千万を考えた敵を迎え撃つ必要を求めた。

 ことに準備に時間のかかる大砲とその砲弾火薬の手配を重点的に行なったところで、モワール城塞に三千門あまりの大砲と千万発近い砲弾を準備してみたものの、兵が三万あまりとモワール城塞の城郭規模に比べて心もとなかった。

 だが、南に西に進出していた部隊が一部逃げ帰ってくることでモワール城塞はリザール川を圧した城として完成した。

 民兵含め十五万の兵力を構えたモワール城塞は今やリザール城塞以上の完成度であると、ゴッヘル少将は確信していた。ウメルダ伯爵が戦術的な根拠がたてられないままに敵兵ひとりあたり一発と定めた一千万発あまりの砲弾も手持ちの大砲を投げ捨てることで逃げ帰ってきた者達にはウメルダ伯爵の恐るべき遠望と剛毅ととらえられ、ウメルダ伯爵の弱腰な臆病も慎重と率直とうけとられていた。

 どれほどの豪の者であっても戦場で放尿脱糞を幾度かした経験がないというのはおよそ信じられないことであったし、そういうものわかりの悪い気配に鈍い者たちは共和国軍がここしばらくの戦場に持ち込んだ壊れラッパのような音を立てる機関小銃によってあらかた自らが糞の山になっていた。

 七年をかけて築かれたモワール城塞は複数の郭と水郷と馬出しをつなぎ、極めて実戦的なというよりは偏執じみた、ウメルダ伯爵の万全に万全を重ねて万全を求めた城塞になっていた。本国側からの南北山間を抜かれることがなければ補給連絡が寸断される恐れもない。その山間にも仕掛けを伸ばすことでウメルダ伯爵は逃げ帰ったあとの五年を過ごしていた。

 ゴッヘル少将は慎重消極的にすぎるきらいを揶揄することはあっても軍政家としてのウメルダ伯爵の手腕については疑いを持ってはいなかった。

 慎重な気前の良いそして全面的に信頼してくれる軍政家は積極的な指揮官の最良の味方だった。

 地形的に後背を守られたモワール城塞は兵站上極めて堅牢な城門でもあった。

 山が吠えたようなモワール城塞の砲撃を見たマルミス将軍は手持ちの戦力では不足と一旦後退を部隊に命じた。

 見せびらかすようにポツポツと立つ馬張り出しにいる騎兵によって塹壕をほる作業はしばしば中断させられ、出てきた騎兵を深追いすれば砲兵の砲爆をとモワール城塞の攻略は時間がかかりそうだった。

 そして膨大な量の、正規兵民兵合わせて八十万を超えるほどの捕虜をとってしまったことで共和国の第二次反攻作戦は兵站上の限界を迎え再び停止することになった。

 再び各州は捕虜の押し付け合いをするようになった。

 今再び五万の捕虜受け入れを求められたデカート州大議員チルソニアデンジュウルは目の前にうず高く書類綴を積み上げた。

 彼は目の前に積まれた書類綴を取り上げて、幾人かの名前と労務記録や事件態度始末、健康状態などの収監経過の報告を読み上げて、死亡者を除きこれが十一万数千ある事実こそがデカート州の戦争捕虜努力とその貢献だが、どこでも他の州はこれと同じ努力をなしているのか、とぶち上げ、現状デカート州では捕虜の引き受けを約束できる状況にない、と断った。

 デカート州は二万五千ほどのローゼンヘン工業の社員登用を含め、額面十二万人の捕虜を受け入れていた。

 その運営は形式上デカート州行政局の管轄にあったが、実際の指導はゲリエ卿の個人努力によるもので、所長看守警備隊等ほぼ全員が、ゲリエ卿の指揮を仰ぐような状態だった。

 その事実はデンジュウル大議員に故郷の行く末に無様に頼もしげに思わないでもないが、あまりに個人事業と結びつきすぎた捕虜収監事業の先行きに不安を感じ始めてもいた。

 かつて祖国は英雄個人を恐怖したが故に送り出した軍もろともに遠ざけたのだが、このたびの宛処もない戦争を終えたときに、祖国が彼をどうするのか気になるところでもあった。

 ともかく共和国は自動車化歩兵聯隊によってリザール川を渡河し橋頭堡を築いたものの、戦争の夏を謳歌できるほどの余裕はなくなり、ふたたび忍耐の時期を強いられることになった。

 春頃になって捕虜の口から恐怖砲撃の効果が伝えられることになったが、初夏リザール城塞を直接観測視程に収める位置に前進しようとした電算機車が交通事故により横転。技術士官諸共戦死喪失することになった。

 電算機車車輌は無事だったものの電算機の故障は前線では修理不能でこれまでのような砲発単位での砲弾の誘導は困難になり、電探の出力自体も余裕が有るものではなかったために、誘導はひどく心もとないものになっていた。

 ワージン将軍は電探が映す、弾体一つ一つの飛翔経路を自分にも分かるように表示する電算機車を甚く気に入っていて、砲兵を昼夜雨風関係なく導くこれこそが次なる連絡参謀に続く新兵器と考えていたから、交通事故が伝えられたその日一日中幕営で立ったり座ったりしていたが、事故の報告についてはなにも言わなかった。

 ただ、バールマン少佐を呼び出して、兵站会議の折にローゼンヘン館に出張することを任務として組み込むと告げた。

 それでもリザール城塞にときたま風音が響くようになったことは帝国軍の輜重の動きに深刻な影響を及ぼし、橋頭堡を巡ってこれまでにない帝国軍の熾烈な攻撃が繰り広げられていた。

 自動車化歩兵聯隊は当然にリザール城塞までの突破を試みようとしたが、強力な戦車を四両備えてはいても側面を維持する戦力に欠け、補給も他軍団師団輜重経由であったために独立的な行動は取れないままリザール川周辺に橋頭堡と渡河点を作り確保しながら南下し、激戦の続くモワール城塞の攻略に参加することになった。

 常識はずれの渡河速度と数は少ないものの無力化が困難な火点としての戦車は、幾度かの危機を勇敢な機械化歩兵中隊によって救われていた。

 機械化歩兵中隊の土木機械の威力は凄まじく、やり過ぎて渡河点設定によって橋頭堡陣地を水没させる事件もあったが、ともかくも自動車化歩兵聯隊は一年の練成を鉄の水牛聯隊の勇名とともに飾ることになった。

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