共和国軍都大本営 共和国協定千四百四十三年大雪

 兵站本部で再び機関小銃の長期調達計画が立ち上がったのは、鉄道の完成が見えて各地の輜重が鉄道線を頼れることが明らかになったからだった。

 単純な願望としてではなく兵站として動員を許す状態になった。

 マジンは鉄道計画についての方針概要について説明を求められていた。基本的には北街道南街道を完成させ中間的に接続をおこない更に海街道の各地まで鉄道線を伸ばす。ということが大雑把な方針だった。が、まずはギゼンヌとドーソンとそして北街道の西の端、同盟との国境の町であるロイターを目指す。

 この方針には大きな代わりはなかった。安定的に軍が利用するのであれば、採算路線であったし、どういう意味においても国家事業として必要な拠点でもあった。

 その先の細かな線路については正直なところを言えば、あまり考えていないというのもあった。

 収容所の労務計画の上ではエンドア樹海を切り開くことが予定されていたが、今のところ、先の予定だった。北街道は完成が見え南街道もいずれというところはあったが、どちらも天候や社会情勢での不安も残る土地であり街道である。

 エンドア樹海が安全ということは全くありえなく、極めて危険な土地であることはそれとして、距離的には極めて有望な経路であった。

 距離的に有望ということは鉄道設備の維持の上では速度と経費が小さく抑えられる経路ということで中間駅に興味のない迂回路として有望であるということだった。

 もちろん副次的に経済資源を目的とすることができるかもしれない未開の地でもある。

 南街道の貫通は計画の上では五年から八年程度と見積もられていたが、兵站本部の心づもりの上ではそれが十年後でも十五年後でもそこは構わなかった。もちろん早いに越したことはないのだが、ともかくも使える鉄道というものの一本目が計画から七年、あと一二年で軍都までいよいよ到達するというそのことが重要だった。

 軍としては一つ注文もあった。

 南街道に先立ってセンヌまで線路を伸ばしてもらえないだろうか、というものだった。

 部員が見せた地図はジューム藩王国を囲うようにして東西から道がつながっていた。

 不思議に思っていると、環状にして欲しいというよりはこの辺を通るといいんじゃないだろうかという、測量と外交領域上の目安だった。

 軍も既に鉄道がころがり抵抗を最小限に抑えるためにできるだけなめらかな道を好んでいることは理解していて、距離的には多少損でも丘陵をつなぐような等高線を繋いだ道を示していた。

 ジューム藩王国の周辺は共和国の中でも激戦が繰り広げられた土地で地図の質が高く信用しても良さそうだった。

 マジンは地図を眺めているうちにあることに気がついて提案してみることにした。

「予算が成立するなら運河を作ってしまってもいいですよ。我が社の技術であればジューム藩王国を迂回する河川の付け替えが可能です。無論採算事業というよりは、国家事業としておこなう種類の事柄ですが、可能です。鉄道とどちらが安いかと言われるとそれはまた微妙な話で採算を言うなら間違いなく鉄道ですが、運河には鉄道にない威力があります。とくに軍都にとっては。それに、捕虜の労務としても有意義です」

 兵站本部の部員たちは軍人として素養がないわけもなく、マジンの口にした意味を即座に理解した。返答は留保するとして検討するということで、まずは鉄道についての話になった。

 採算路線としてのローゼンヘン工業の路線整備の他に軍専用の鉄道についての研究をおこないたい。最終的には人員八万人規模の組織を目指すが、とりあえず保線と軍用列車の整備点検がおこなえる体制を整えたい。ということだった。

 具体的には軍都の貨物線資材基地から軍都周辺の駐屯地等の軍施設の接続をおこなう。また同様に各地駐屯地から各地の資材線基地までの乗り入れ線を接続する。当然、採算商業線においての運行管理はローゼンヘン工業に一任するがその運行状況の公示は軍におこなうように徹底して欲しい。

 おおまかにそういう内容だった。

 機材規格を一任してくれるなら軍が鉄道線を利用することは、むしろ運行効率上必要なことですらあったから、それは良かった。人材の育成についても現状であれば、ついでの形でおこなえる。強いてあげればどこで運行予定のすり合わせをおこなうかということだったが、当面はローゼンヘン工業鉄道部でよろしいということであれば問題はなかった。

 ともかく今は一刻も早く電話線を接続して欲しい、テレタイプについても既に各地から報告が上がっていて楽しみにしている、と云うのが、兵站本部の部員たちの意見でもあった。

 様々に面倒もあった電話をめぐる政治闘争が済めば、電話は全く純粋に兵站業務に欠かすことの出来ない機械になっていた。既に鉄道沿線の軍連絡室で導入されているライノタイプも軍都で後を追うように数台が兵站本部では稼働していて機械式計算機の登場を上回る衝撃を与えていた。電話をめぐる様々では衝突していた各本部間も大量の書類印刷物を即座に制作できる機械には必要を感じていたらしく、いやいや腰を屈めるように兵站本部の印刷室を訪れていた。

 綿くずや木っ端を煮溶かし漉き均した製紙は様々な理由から軍都では羊皮紙に一段劣るものとして扱われていたが、タイプライターの登場以降、扱いも評価も変わった。羊皮紙は謂わば精肉産業の副生成物として年間一定量流通するものであったが、やはりそうなのではないかと予てから云われていたように命令書面の往来に羊皮紙の供給が追いつかなくなり始めていた。

 人のいるところ肉は求められ屠られる家畜も相応にいるから羊皮紙の不足はありえない、という論説も当然にあったが、皮肉なことに魔導連絡によって共和国軍が共和国全域で兵站業務を展開できるようになると、命令書の発行数は飛躍的に増えた。そしておよその地域で軍の業務利用に足りるほどの羊皮紙の蓄えをすることは出来ず、羊皮紙を運ぶだけの手当を準備することの困難が不定期ながら周期的に問題になっていた。

 羊皮紙と言いながら豚だったり牛馬だったり或いはクマやイヌだったりの鞣し革ということもあるわけだが、ともかくそういう供給努力があっても家畜という動物由来の材料にはある程度の波があり、前工業的な製品にはありがちな質的な斑が多くあった。

 ローゼンヘン工業以前の共和国で一般流通している紙は、白紙と云っても麦ワラよりは白いという程度で、本当に白を求めると表面に漆喰を塗ったような紙になっていた。それはつまり絵を描くには使えるのだが、額縁に入れないとバラバラと表面が破れ崩れるような紙がほとんどだった。

 ローゼンヘン工業は共和国の製紙産業に機械力を持ち込むことで、林業で必然的に発生する間伐材や木材の端材を中心に繊維を煮溶かし漂白して均質な白い文字通りの白紙を鉄道沿線地域に送り出していた。

 それは実のところ、膨大なローゼンヘン工業内部における紙の需要を満たした上での生産調整分だったから、値段にも量にもある程度の波があって、一般的な意味から言えば市場の波というべきものを引き起こしていたが、共和国の殆どの物品は貧弱な生産地と未熟な流通輸送体制からある意味で当たり前のものであって、それに比べれば先物見込みの発注枠を使うことで手堅く量を確保することも出来たし、製紙の質は雨漏りしない倉庫を確保できるのであれば幾度か年を越してもカビが生えるようなものでもなかった。

 原紙は人の背の高さほどの巻づとで卸されているから、誰でも自由に扱えるという性質のものでもなかったが、業務用のライノタイプを使っているような簡易活版印刷を日常的に使うようなところであれば、そういう白い丸太のような紙巻を月か日にかはさておき十年前にはありえない量で印刷物として市井に流していた。

 鉄道や電話ではかなり抵抗を示したデカートだったが、学志館での教本や印刷物の出版を契機に猛烈な出版印刷への投資と展開があった。

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