時は短し探れよ乙女
「はい。」
彼女には確かめたいことがあった。
そのためにトイレに入ると掃除用のバケツを取り、それに水を貯めると棟と棟の間にある中庭へ出る。校舎と校舎の間のスペースを使って生徒の憩いの場になるようにと多少の植栽で作られた小さな庭。そこに敷かれているコンクリートの四角いタイルを目安にあの部屋とおおよそ同じサイズを計りとる。その中心、おおよそあの部屋の中心に見立てたタイルの上に立ってバケツからゆっくりと水を流す。
(あそこについてた赤い染みの大きさは、まだ足りないわね。)彼女はあそこに流れているのが血の場合どの程度の量が流れたのかを知ろうとしていた。
とうとうと水をバケツから流し続ける。水たまりの大きさが記憶にある染みのサイズになったと感じるまで。とうとうと
(このくらい、かな。おおよそ、3リットルくらいかな。ここまで流れてたら。)水をシュウシュウと旨そうに飲むコンクリートのマス目を眺め彼女はそう見当を付けた。
その彼女に声をかける者がある。
「血であれば確実に死んでおる量よな。」
「 ! あんた!」背後から聞こえるマーガスの声に振り返りながら叫ぶ。
「 君は!」それに、マーガスも似たような言葉と態度で返してくる。
「……」
「君は、ここにいていいのかね? ほかの学生は一か所に集められているようだが。」
「えぇ、皆、体育館に。」
「でもさ、あなたが一番ここにいちゃいけない人なんじゃないですか? 呼びますよ? また。」安和はマーガスをジトりと睨んだ。
「っんっほん! まぁまてまぁ。落ち着いて。な、お嬢さん。遊びはほどほどにして。話をしよう。」マーガスは手近なベンチに彼女をエスコートする。
「調べるって言ってましたけど。何か、わかったんですか?」
「あぁ。」
「何が、わかったんです?」
「あの部屋にあったあれが君らにまといつく黒い靄の原因であり、その靄の元を生んだ原因はこの本にあるということがの。」マーガスはあの部屋からとっていた本を懐から出して示す。
「その本なんなんです?」
「魔術書よ。しかもひどく不完全なな。」老錬金術師はパラパラとめくってあるページを見せてくる。それはアルファベットの様な物とそうでないもの、いくつかの図が紙面を埋めていた。
「これ、英語ですか?」
「今でいうとラテン語に近い。古くしかも魔術のための言語よ。」
「これを見てみろ。悪魔を呼ぶ方法が書いてあるのだが肝心の安定させる方法も従わせる方法も書いておらん。」トントンと指で示す。
「……。」
「ほかのページもすべてそう。呼ぶ、発動させる。までの手順はちゃんとしている。この手順通りにやれば呼べるだろう。だが、それを安定させるということは書かれてない。」マーガスはどんどんページをめくっては指でたたき示していく。
「……。」
「知っているものであればそれに気づき足すこともできようが、素人がこれを発動させたとしても暴走は必至。この魔術書は全く持って使い物にならん欠陥品だ。おそらく今この学校は、これの中にあるどれかの術で呼ばれた悪魔ないし精霊の類が召喚者を襲撃、もしくは亡き者にして、さらなる贄を求めて無軌道に暴れうる状況にあるのだろう。今のところはこのあたりまでじゃ。なんせ時間がない。」
両の手をふっと挙げて彼は言葉を終え目の前の安和を見る。彼女は眉間にしわを寄せて、この馬鹿野郎と言いたげに怒りをもってマーガスをジッと見ていた。
「なんじゃ? どうかしたのか。」
「ホントにあなたこれを全部読んだの? こんな短い時間で。」
「知識があればこれくらい軽いじゃろ。嬢ちゃんも小学校の教科書はあっさり理解できるじゃろう? それとおなじことじゃて。しかもワシャ天才ならばなおの事よ。」老紳士はこんなことはできて当たり前だろうと言う風だった。
「……。わかった。そこはそれでいいとして。」
「英語ですらないのよね? これ。そんであんたの今の説明を聞いて、あなた以外正確には私がわかると思うの?それ。」頭が痛いと彼女は手を額に当てうつむいた。
「わりにかみ砕いて言うたつもりなんじゃが。これでもダメか?」んー。とマーガスは腕を組みどうしたものかと考える。
「魔術に関してゼロのあたしにわかるようにもっと簡単に言って。」バンとテーブルを叩いて立った。
「じゃからぁ、あれでもだいぶ簡単に言うたんじゃが。」彼は頬を指で掻きながら言う。
「じゃぁ! じゃぁ! 私が聞く! 原因はわかったの!」安和はビシリと指をマーガスに突きつける。
「そ、それはわかっとる。」子を叱る母に急変した少女にマーガスは動揺を隠せなかった。
「じゃぁ、あんたはどうにかできるの!」ブンと手を振って少女はさらに続ける。
「ワシャ天才じゃぞ。しかも一山いくらでそこらにいるような並みの天才とはわけが違う。できんわけないじゃろ。」
「じゃぁ、やって! いや、やりなさい!」再度ブンと振って指示を出す。
「お、おう。任されたぞい。」一方的に押し切られる形にはなったがこれ以上の被害が出る前に解決したいのはマーガスも一緒だった。ひとしきり叫んですっきりしたのかどさりと座った彼女は伸ばしたままの指をみて、気になったことを彼に尋ねる。
「あの指。」
「見てしまっていたのか。」老錬金術師は彼女からその一言は聞きたくなかった。
「当たり前でしょ。あんなところにぽつんと床に一本だけあったら見ない方がおかしい。あの持ち主ってさ……」
「おそらく、いや、確実に死んでおるよ。それも殺されたが正しいか。召喚した何某かに、の。」はぐらかすべきではないと感じたマーガスはきっぱりと言い切った。
「やっぱり。」はぁっと深い吐息を安和はついた。
「お主が気にすることではないよ。悪魔を召喚した者、おそらくこの学校の誰かじゃろうがそいつが死んだのは自業自得よ。よく知りもせず習いもせず魔術を行使すればこうなる。元来魔術とは危険な物じゃからのぅ。しかも不完全な物であればなおのことよ。」
「ねぇ、どうしたらいいのかな。私」心が苦しく痛くなったのか安和はキュッとスカートを握った。
「それは……。それそこは、儂に任せておけばいいんじゃよお嬢さん。大人の領分じゃて。」
「だからって、だからって貴方、部外者じゃない。」
「ふははは。ワシは魔術に関しても世界の誰よりもどっぷりにして頂点よりもさらに遥かなる高みにおるエキスパートじゃよ。」マーガスはカカカッと高笑うとテーブルを後にしようとする。
「ねぇ。」
「なんじゃ?」
「なんで、私にそんなに親しげに優しくしてくれるの?」外人でありしかも属性の全てが彼と全く違う自分。駅員に突き出すわ。教師に告げ口するわ彼に対して迷惑しかかけていない自分にここまで優しく固執することが彼女は不思議がっていた。
「それはのぅ。」痛いところを突かれたのかマーガスの語気が弱くなる。
「それは?」
「それは、お主がのぅ。そのぅ。」マーガスの語りは魔術に関して話していた時と違う歯切れの悪い言葉になっていた。
「そのう?」
「儂の娘にそっくりじゃからよ。その心のまっすぐさと強さが出てるような澄んだ眼差しが特に。の。ならば助けなければ心の収まりがつかんじゃろ。」マーガスは遠くを見つめ恥ずかし気な笑みを浮かべてそういった。
(なにその、よくあるような理由。しかもあんたの娘って孫の間違いなんじゃないの!?)てきとうに煙に巻かれたように感じた彼女は頬を膨らませる。
「っあ! あとさ。」安和は最後に残った骨を抜きにかかる。
「ん?」まだ何かあるのかと老錬金術師は少女を見つめてくる。
「あの犬。どうすんのさ。あのままあんたの代わりさせとくの?」
「はは。そうだな。あの犬が警察に連れていかれては大変だ。かわいそうだ。いやすっかり忘れとったわ。わかった。折よく術を解いておこう。」
「缶詰。缶詰あげるって言ってたわよね?」安和はピッと人差し指をたてて大事なことと老錬金術師にくぎを刺す。
「あぁあぁ。わかったわかった。それもしておこう。」ではの。と彼は中庭を後にした。
一人残されたテーブルで安和はどうするべきかを考えていた。マーガスは自分に任せろと言っていたがそれでいいのかが頭からはがれなかった。だけども何かをやろうとしても彼女には力も知識も何もない。それは理解しておかねばならない事だった。
(無知、無力って、もどかしいわね。)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます