序:英雄の末路と造神産霊
「全く以て忝ない」
塀の壁に寄りかかるように座り、うなだれる清六。その額にはガーゼが張り付けてある。
清六の手前、ルシアは向かい合うように屈んでいた。
結局、昏倒する清六を見捨てるわけにもいかず、介抱してしまった。
こんな時、ガーゼなどの応急セットを持ち合わせていたことに関しては、しょっちゅうトラブルを起こして怪我をしている友達(ジネット)に感謝をしておく。
「悪いのは私です。無視して、すいませんでした。そのせいで、セーロクさんは怪我を……」
「むむっ? ルシア殿は聞こえてござったか。いや、それならば、拙者が無理に追いかけ回してしまった故、これは自業自得でござるよ」
ルシアに対して何の責任もない、と言うように清六は笑い飛ばした。
「でも――」
「それにしても」
何も言わせまいと清六が言葉を遮る。
「ルシア殿の魔術は素晴らしいでござるな。これほどの高さを悠々と飛び越える実力。学び舎ではさぞ優秀な成績を残しておるのでござろう」
うんうん、と満足そうに頷く清六。
しかし、ルシアの表情は沈む一方だった。
「……私は、飛びません」
微風に負けそうなほど、小さな声を絞り出す。
ルシアの瞳は青い空を映していた。
「いくら高く飛んでも、空には限りがあるんですよ。高く飛べば飛ぶほど、寒くて、辛くて、孤独になっていく……」
そこまでして、この青空の向こうに何があるのか――ルシアにはそれを見出すことは出来なかった。
「ふむ? ルシア殿は、何を言っているのでござるか?」
次に瞳が捉えるのは清六だった。
キョトンとした顔。
もし自分が抱えている問題を話したとしたら、この表情はどのような風に変わるのだろうか。
八つ当たりにも似た苛立ちが、ルシアの胸の奥でうねり、自然と口が動いてしまった。
「私、殺されるんですよ」
刹那、清六の目が大きく開かれる。
「どういうことでござるか?」
「私の血筋――エローラの人間は30の年を越えることは出来ません。一人前になったら、国に殺されるんです」
それは国が決めたシステム。
エローラが一人前になるとき、国は一つの行動を起こす。
「この350年、エローラは国の命によって悪魔達が巣くう地への探索活動に参加させられているんです。地獄にですよ? そんなところに十人にも満たない人間が行って何になるんですか……! 今まで、誰も帰ってきた人はいません! みんな、“名誉ある死”という形で殺されていくんです! お母さんもお父さんも! そして、私も!」
偶像として奉られ、死んでいく――それが国の言う“英雄としての在り方”であり、“エローラの運命”なのだ。
幼少の頃から、エローラの運命は語られていた。ルシアが、その意味を理解できたのは、両親の探索活動が決まった時だった。
頭がおかしいとしか思えない。
なぜ英雄は死ななくてはいけないのか。
なぜ英雄は国に尽くさなければいけないのか。
なぜ英雄の子も、英雄らしく振る舞わなければならないのか。
関係ない。
自分の母親はエローラの血を引いていた。自分の父親は、それでも母親と結婚した。
その両親が結界の向こう側に行ったとき、周囲の大人は口々に言った。
『あなたのお母さんとお父さんは、素晴らしいことをしたんだよ』
死ぬのが美徳という考えなんて理解できない。
死ねば、そこで終わりなのだ。
「私は、国のために死にたくない」
母と父を奪った国を想うことなど出来ない。
「こんな国、滅んじゃえばいいんだ」
「それは違うでござる」
頭ごなしに否定の言葉が返ってくる。
何が違うのか。
ルシアは敵対心をむき出しにし、清六を睨みつけた。
「拙者の国では『お国のために死ぬ』事は当然でござる。民は国や帝のためにあるべき――それ故、陣没を否定するのは些か聞き逃せぬでござるよ」
「そんなの、おかしいよ。私のお父さんとお母さんが……無意味に殺されたのが正しいって言うの?」
「無価値と取るのはルシア殿の解釈でござる。少なくとも、拙者には無価値とは考えられぬでござるよ」
「っ!」
清六は何かを悟ったような表情を浮かべる。達観したような――すました顔。
それはルシアが望んでいたものとは違っていた。
「どうしたでござるか? もしや、同情の言葉が欲しかったのでござるか?」
あの無邪気な子供のような清六からは信じられないほど辛らつな言葉が、ルシアの胸を穿つ。
目の前の人は、果たして本物の蓬莱清六なのか。
萎縮したルシアが言葉に詰まらせると、清六はイメージを取り繕うようにヘラッと笑った。
「すまぬござる。拙者、珠代のためにも、こういう話だけは引けぬでござるよ」
「タマヨさんのため……?」
笑みはいつも通りでありながらも、どこか切なかった。
「ここだけの話でござるが……珠代は、既に死んでいるでござる」
その言葉の意味が分からなかった。
「……え?」
「拙者のために死んだのでござる。否、正確には拙者が珠代を殺したようなものでござるな」
「セーロクさん、何を言ってるんですか? タマヨさんは、ちゃんといるじゃないですか……」
「あそこにいたのは珠代の残滓でござるよ。拙者以外触れることが出来ず、いつ消えるかも分からぬ希薄な浮遊霊でござる」
まるで冗談でも言っているかのように清六は軽々しく説明する。
「からかわないでください」
「ルシア殿が本当の気持ちを言ってくれたから、拙者も本当のことを言ったまででござる。珠代は正真正銘の化け物でござる」
言葉を失ってしまう。
清六が人を騙すような冗談を言うとは思えない。ましてや、自分の妹を貶めるようなことを嘘として言えるような人物には見えなかった。
しかし。
それならば、ルシアは人としての疑問を抱いた。
「どうして……?」
どうして死んだ人間が、この世に留まったのか。それをルシアは問いかけた。
だが、清六は唐突に立ち上がって歩き始めた。来た道を帰るように数歩進んだところで振り返り、ちょいちょいと手招きをしてくる。
「歩きながら話すでござるよ」
その誘いに、ルシアは躊躇した。
つい今さっきまで自分は清六に対して敵意をぶつけていたのに、彼はそれを意に介していない。何事もなかったかのように平然としている清六に、どう接していいのか迷っていたのだ。
しかし、ルシアの戸惑いを余所に、清六は早く隣に並ぶように催促する。
恐る恐るルシアは足を進めると、清六は歩幅を併せて歩き出した。
「拙者の家は、武家として弱い地位にいたでござる。弱小貴族と言えばわかるでござろう。当時の拙者は力も知恵もなく、妹の珠代は、器量は申し分なかったが、病弱で家同士の繋ぎとして――道具としては絶望的でござった」
道具、という響きが痛々しい。
清六達が生きる世界では、武家の女は道具でしかない――と、そう言い聞かせるようだった。
「陰では、蓬莱家は拙者の代で終わりだと言われていたのでござるよ。しかし、そこに転機が訪れたのでござる。“
「ゾーシンムスビ?」
「いわば、神に見入られるための生け贄の儀式でござる。拙者の国では数多の神が存在するでござる。神々と人々、浮世と
清六の言葉は解釈のしづらいもので、ひとまずルシアは最後の単語から、最も身近なものを連想した。
「…………天使みたいなものですか?」
「そうでござるな。そのようなものと解釈しても、間違いはござらぬ」
「その儀式で、タマヨさんが選ばれたんですね」
白羽の矢が当たった。そう想像したが、ルシアの考えは少し間違っていた。
「珠代は、自ら“造神産霊”に参加したでござる。“造神産霊”は神々の気まぐれで決まる故、成功確率は低く、百人の候補が体を祓っても、たった一つの御霊も見入られないことはよくあることでござる」
「そ……んな……」
百人の人が無駄死にをするという現実。ヨーロッパ共和国では、浮世絵離れした出来事である。異国の話と言うより、異世界の話と説明された方が、まだルシアは抵抗なく聞けただろう。
「拙者は反対したでござるが……珠代は言うことを聞いてくれなかったでござる。何せ、神に見入られれば、蓬莱家は安泰。それをよく理解していたからこそ、珠代は自らの体を捧げたのでござるよ」
先ほどから淡々と語っていた清六の声音に変化が起きる。
「拙者が……もっと強ければ、こんな事にはならなかったでござる。そのときの拙者は、何も出来ないうつけ者でござった。知識も、覚悟も、力も……何も足らなかった……」
忌々しく、恨めしく、愚かしく、語る。
昔の自分を呪っているように、清六は苦々しい表情を浮かべていた。だが、それも長くは続かず、ルシアの存在を思い出したかのように眉間のシワを取り除いた。
「っと、話が逸れたでござるな。つまるところ、“造神産霊”を越えられた者には、肉体損失の代わりに、この世で霊体として存在し続けられるのでござる。分かってくれたでござろうか?」
「何となく……ですが」
「珠代には、今話したことを内緒にしておいて欲しいでござるよ。珠代の焼き餅は食えぬでござる故」
「それほどセーロクさんの事が好きなんですね」
「いい加減、兄離れしてほしいでござるよ……」
そう言う清六の表情は、うんざりとしながらも満更でもなさそうな笑みだった。
ようやく、ルシアが安堵したところで、大通りに出てくる。
雑踏の中に紛れようとしたとき、
「申し訳なかったでござる」
「え?」
不意に謝られて、ルシアは足を止めて聞き返した。
清六は路地に留まっていた。日向から身を隠すよう、薄暗い路地から、こちらを見ている。
「先ほどは、頭ごなしに否定してしまって、失礼でござった。拙者、頭に血が上っていたようでござる」
「あっ、いえ……」
「謝罪の意味も込めて、昼食をご馳走するでござるよ!」
清六の表情は明るくなる。
「そんな! そこまでしなくていいですよ!」
「辰之兵から一週間分の小遣いをもらってある故、何でも食べられるでござる!」
何でも――その言葉に思わず、ルシアは生唾を飲んだ。
産まれてこの方、一般的に言われる贅沢というものを経験したことがなかった。
脳裏に浮かぶ、美食の数々。それは宝石よりも輝いていた。
「ルシア殿?」
「……はっ! 涎なんて垂らしてません!」
トリップ状態から脱したルシアは、涎が垂れている口元を隠す。
その様子に清六は目を弓にして、前に出る。
「それでは行くでござるよ」
そう言って大通りへと足を踏み入れた瞬間、ちょうど脇から歩いてきた少女とぶつかった。
不意な衝突であったのにも関わらず、清六は微動だにしない。その反面、清六とぶつかった少女は、数歩よろめいた。
「おっ」
ぶつかった相手を見た清六は、目を丸める。
「この前の……またぶつかるとは、何かの縁でござろうか」
清六と面識のある少女は、ルシアと同じ魔術学校のローブを羽織っていた。
日の光を反射するように輝く銀色の長髪。年とは不相応な色香を持ち合わせた顔立ち。例えるなら薔薇だ。人目を引くような美しさを持ち合わせ、時に人を拒むような棘を持つ。
「あなた、あのときの……!」
驚きを露わにして、たじろぐ銀髪の少女。
「セーロクさん、お知り合いですか?」
「っ!」
少女がルシアの存在に気付いた途端、清六を見たときよりも大きな反応を示した。
「……?」
ルシア自身は少女の事を知らない。ただ、ローブに刺繍されたワッペンから、錬金術科の生徒なのは分かった。
「知り合いと言うより、一度魔術学校で会っただけでござる。……っと、そうでござった! 拙者、落とし物を拾ったでござるよ!」
唐突に清六は思い付き、着物の懐から見覚えのあるソレを取り出した。
ソレが目に留まった瞬間、思考が停止する。
ソレは、そこにあるはずのない。そして、なぜソレが自分ではなく、目の前の少女に差し出されているのか……ルシアには理解できなかった。
ただ現実は、そこにある。清六の手のひらにはルシアの指輪が納められていた。
「あっ……」
銀髪の少女に、動揺の色が濃く現れる。
「セーロクさん……ソレ、どこで見つけたんですか?」
「ん? これは魔術学校のプールで、この御仁が落としたものでござるが……?」
ロジックは単調な結論を導く。
敵意と視線を少女へと向けた。
「どうして……ですか?」
もはや、確認などしない。
この銀髪の少女が犯人なのだ。
腸の煮えくり返る思いを、必死に心の奥底に沈み込ませ、相手の反応を待つ。だが、少女の反応はルシアの予想を大きく裏切った。
「私は、悪魔を懲らしめようとしただけ」
先ほどまで弱気だったのが一転する。まるで何かに取り憑かれるように、すうっと少女の瞳に剣呑なものが混じった。
「私は正しいことをしたまでよ? だって、悪魔を学校から追い出そうとしただけだもの」
私は悪くない――と少女は言い切った。
「悪魔……?」
思いもよらぬ反撃に、ルシアは怯む。
「あなたに決まってるでしょう? 悪魔の末裔。アレシア=エローラは、350人の人間を食らった悪魔……その子孫のあんたも悪魔に決まってるわ。アレシア=エローラは悪魔だって、先生達も言ってるのよ。ほら、白状しなさい、悪魔。この前の惨殺事件も、あなたがやったんでしょう?」
冷たい瞳。
人を蔑む絶対的な敵意をぶつけられた。
途端、まるで毒を含んだ棘が首に巻き付くように、ルシアは何も答えられず、ただただ理不尽な怒声を正面から受け止めた。
「認めなさいよ。あなた、人間じゃないんでしょ? 人を食べて、人の不幸を楽しむ悪魔なんでしょ?」
金槌で頭を殴られるような衝撃が走る。
自分の存在が否定される。それも人間として否定された。
――私は、人じゃない?
「ち、ちが……」
「ほぅら、しっかり否定できない。いい加減、本性を現しなさいよ」
言葉を重ねてくる。
じりじりと追いつめられていく。
「エローラは悪魔の一族なのよ。エローラを結界の向こう側に向かわせるのも、国外追放するためだもの」
「っ!」
「あら? 知らないの? まさか、あの地獄流しを英雄的行為だと思ってた? アハハッ、間抜けね。エローラは悪魔だから、いるべき世界に戻すの。当たり前じゃない。というか、気付かないなんて馬鹿じゃないの? 政府が本当に、あなた達みたいなバケモノを英雄扱いしてると思ってたの? アハハハッ! 勘違いするんじゃないわよ! この低脳悪魔!
あなた達みたいな穢らわしい生き物は、世界から駆逐されるべきなのよ! さっさと地獄に戻って、自分の両親の腐肉でも漁ってなさい!」
「やめて……」
ルシアは震える声で精一杯懇願する。
――お父さんとお母さんを悪く言わないで。
――私を責めないで。
――否定しないで。
――睨まないで。
――大声を出さないで。
――お願いだから、もうやめて。
「やめる? 何を? 悪魔のくせに願ってんじゃないわよ! バケモノはバケモノらしくしてなさい!」
少女の声は燃え盛る炎のように激しくなる。
一方的に罵倒されるルシアは、その場から逃げようとした。
刹那。
「これでは、どちらが悪魔か分からぬでござるな」
少女の熱に、水を差す声が響く。
「なによ! 外国人には関係ないでしょ!」
「余所者の口出しが、御法度であることは重々承知でござる。しかし拙者は弱い者虐めが嫌いでござる故、見て見ぬ振りなどできぬでござるよ」
ルシアの指輪を握りしめ、清六は少女に歩み寄る。
その剣幕は見た者の闘志を削ぎ取るほどの殺気が、含まれていた。
「僕は淑女を虐める男が嫌いです」
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