序:酒乱とレストラン
魔術学校での騒動から一日。
事故の被害にあった、辰之兵は二時間ほど意識不明の状態を越した後、奇跡的に五体満足で生還した。
外傷無し。後遺症無し。猛省有り。
あの事故は学校側の過失ではなく、自分の過失だと認め、テンションだだ下がりの状態で関係者達に陳謝した。
そして、なぜか護衛であるはずの蓬莱兄妹を任から外して、今日は仕事に出て行ってしまった。
残された蓬莱兄妹は仮設駐留所の宿舎で待機命令を下されていた。
……はずなのだが、二人の姿は町中にあった。
大人気!とデカデカと書かれた幟が並ぶレストラン『ウルールズ・プレ』。その店内、窓際のテーブル席に清六と珠代が向かい合うように座っていた。
メニューボードに目を通していた清六は、すぐに店員を呼び、オーダーを頼む。清六はパエリアを選び、珠代は何も選ばなかった。
店員は、座席に立てかけてある珠代の“盾”と清六の風貌を訝しげに見つめた後、店の奥へと消えていく。
「ぱえりあ、とはどんな味でござろうか……。想像しただけでもワクワクするでござる!」
清六が足をバタバタとさせて楽しみにしていると、ふと珠代がメニューから何かを見つけた。
「おっ、パエリアってデンデン虫が入ってんぜ?」
「!?」
足が止まる。
「う、嘘でござる! デンデン虫が“ぱえりあ”に入ってるはずないでござる! いくら、拙者がバカだからと言っても、流石にそれは騙されぬでござるよ!」
「んだよ……ほら見ろよ」
メニューを指差す珠代。
そこにはパエリアの材料の欄にエスカルゴ(カタツムリ)と書いてあった。
「欧州ではナメクジを食うのでござるか……?」
「流石の俺でも誉めたくなるぜ。悪魔との激戦を越えると、人間っつうのはここまで逞しくなれるんだな……」
「拙者……料理を変えるでござるよ。拙者には、まだその勇気はないでござる」
顔を青ざめさせて、清六は手を挙げて店員を呼ぼうとするが、珠代がその手を掴んだ。
「な……何のつもりでござるか?」
「逃げんなよ」
珠代が浮かべる表情は、どこか狂気を孕んでいた。
「清六……。ヨーロッパ人に食えて、あんたに食えねぇはずがねぇだろ?」
「ひっ!? 拙者は、まだ死にたくないでござる!」
命の危険を悟り、席を立とうとする清六を、珠代が捕まえる。
「おらぁ! 大和魂見せやがれぇ!」
「堪忍っ! 堪忍でござるよぉ!」
店内で二人が騒いでいるところに、酒の瓶を持った初老の男が近づき、
「日も沈んでねぇ内から、イチャイチャしてんじゃねぇぞ!」
酒の臭いと共に、怒声が店内に響いた。
「あ……ギード殿ではござらぬか」
ライオンのたてがみのような毛髪に、薄汚い灰色のコート。決して身なりが良いとは言えない姿をした初老の男――ギード。不法入国した清六に、何も臆することなく話しかけてきた酔っぱらいだ。
ギートの面長の顔は赤く、大量の酒を飲んでいる事が分かった。
「うっく。ったく、最近のガキは…………ん? おぉう、おめぇは…………」
ギードは清六を指さし、
「誰だ?」
首を傾げた。
「忘れたでござるか!?」
「わりぃなぁ……ひっく。最近、物忘れがひでぇんだよ。あぁ、年のせいじゃねぇからな。……あれ? 今日の朝飯なんだっけか……」
「このジジイ、完全に痴呆症患ってんぞ」
珠代が呟いた瞬間、ギードは犬歯を見せつけて吠える。
「誰が年寄りだぁ!? 俺は、まだ五十代だっ!」
「ハッ! 俺は十代だよ! ざまぁみやがれ!」
「十代!? どう見ても、おめぇ一桁代じゃねぇか!」
「ぶっ殺す! 酔っ払いのクソジジイ! ぶっ殺す!」
「年寄り扱いするんじゃねぇえええええ!」
お互い唸り声を上げる姿は、まるで犬同士が吠え合っているのようだった。
よもや乱闘騒ぎに発展しそうだったので、清六が割って入る。
「まあまあ、ここは拙者の顔に免じて、喧嘩をやめるでござるよ」
『うるせぇ! あんた&おめぇは黙ってろ!』
示し合わせたかのように珠代とギードが叫んだ。
結果、不自然な形でギードが相席をすることになった。
初めは互いに罵倒し合っていたのだが、途中から罵倒の矛先が清六に向けられるようになり、そこで奇妙にも二人は意気投合してしまったのだ。
「あぁあぁ、思い出した。おめぇ、あん時のガキか」
騒いだときに、酒が抜けたのかギードの口調はしっかりとしていた。
「どうだ? 歌姫とは会えたか?」
「会えたでござる。ルシア殿の歌声は、まるで天女のようでござった」
「……清六。ルシアって誰だ?」
勘ぐるように珠代が視線を向けてくる。
「あ……えっと……ルシア殿というのは……」
「浮気か!? 俺という妻が居ながら、現地妻とは良い度胸だぜ! 24時間耐久夫婦喧嘩デスマッチだな!」
「勇み足でござる! 決して、拙者とルシア殿はそういう関係ではござらぬよ!」
必死に弁論するものの、珠代の怒りは収まりそうにない。
「ギード殿! 誤解を解いてほしいでござる! さもなくば、拙者の体は紙屑のようになってしまうでござるよっ!」
「現地妻とは、粋なことするじゃねぇか」
ギードの突き放すような一言に、清六は滝のような汗を流す。
「ひっ! 幽世行き決定でござるぅ!」
「クハハハッ! 冗談だよ。ルシアはそんな子じゃねぇ」
太股を叩き、大爆笑するギードは言葉を続ける。
「そもそも、俺が許さねぇ。ルシアは俺の姪だからな」
「姪? そうなると、ギード殿はルシア殿の伯父でござるか?」
「エローラの血筋じゃねぇけどな」
唐突に英雄の姓が出てきたことに清六は、疑問を抱く。
「はて? どういうことでござるか? 何故、エローラの名が出てくるのでござろう?」
「おめぇ、知らねぇのか。ルシア=エローラ。あいつはアレシア=エローラの子孫に当たるんだよ」
「何と!? ルシア殿は、大物でござったか! 拙者、そんな事も知らず、何と失礼な事を……」
「清六、ちょっと待てよ。あんた、そのルシアって奴に何やった!?」
不穏な空気を嗅ぎつけた珠代が、即座に清六の首を締め付ける。
「はぐぅ! な……何もしてないでござるよ!」
「嘘だな! この浮気者っ! 窒息して死ね! そしたら、俺が人工呼吸で生き返らせてやる!」
「ぎ、ギブでござる!」
タップする清六。珠代は仕方なく解放するものの、殺気を孕む瞳はずっと清六を捉えている。
「おめぇら、本当に仲がいいな」
「ごほっ……それにしても、ルシア殿がアレシア=エローラの末裔とは……驚きでござる」
「アレシアって、あれだろ? この国を救った英雄魔女だよな?」
ご機嫌斜めの珠代は、ルシアから話題を離すために、アレシアの事について話し出す。
「欧州を救ったのは確かだが、英雄とは限らねぇな」
否定的なことを言ったのはギードだった。
「どういう意味でござるか?」
「アレシア=エローラは、人々を守るために350人の犠牲を払った。書物では、有志の犠牲だったと書かれてはいるが、実際の所は分かってねぇんだ。一部の歴史研究だと、アレシア=エローラは幻術も使えたっつう話もある」
「悪魔の進撃を食い止めた事は、事実でござろう?」
「おいおい、おめぇ分かってんのか? 350だぞ? 自己犠牲を厭わねぇ人間が、そんなにいると思うか?」
「拙者の国では、別段おかしくはないでござる」
大ニホン帝国では、国のために死ぬのは最も名誉なこと。自分の命で国を存続できるのならば、いくらでも差し出せる。
現に、清六達が絶望的なヨーロッパ共和国に来訪したのも、朝廷の命によるものだった。
「ニホン人ってのは大層優秀なんだろうが、この国での“それ”は異常なんだよ。他人のために命を投げ捨てられる人間なんて早々いねぇ。誰だって、我が身は可愛いもんだ。そんで、自分の体同様に家族も同じく可愛い。真実はどうあれ、350の残された家族からすれば、自分たちを護ってくれた英雄アレシア=エローラであっても、大切な人を死なせたからには恩なんて簡単に、怨の字に変わっちまう。
ガキども、よく覚えとけ。人間を最も苦しませるのは、非の打てない“正しい事”なんだよ……」
ほの暗いギードの瞳が、真実の冷酷さを物語っている。
清六は、文化の違いというものを思い知らされた。
350の犠牲となった人々。
その家族は、どう想っていたのだろうか。
アレシア=エローラ同様に、350の犠牲者も英雄として扱われている。
だが、本当にそれで残された家族は、満足できたのだろうか。
大ニホン帝国ならば、そんな疑問はありえない。むしろ、その死を誇りとして抱き、子孫に英雄譚として語り継いでいくだろう。
しかし。
この国では、それは異常なのだ。
死を誇りとは思わず、嘆きと受け止める。
それが、清六には――羨ましく思えた。
「ギード殿は……どう想ってござろう? アレシア=エローラの行いを、どう解釈しているのでござるか?」
「知らねぇよ」
その言葉はやけに感情が強くこもっていた。
苛立つように、語尾を強めてギードは喋る。
「俺は当事者じゃねぇからな。アレシア=エローラの行いを、とやかく言うつもりは更々ねぇ。そうするしかなかったんだろうな、くらいの感想しか持ってねぇよ。つうか、おめぇはどうなんだ?」
「拙者?」
改めて問われ、清六は答えを模索した。
「うむむむっ」
正しいと思う。
人々の未来を守り、国を救った。
ニホン人である清六からすれば、素晴らしいことだと思う。だが、心のどこかで否定したい気持ちがあった。それは理屈ではなく直感に近いものだ。
素直に答えを出すのに困っていると、
「おっ?」
ギードが店の出入り口を見て、何かに反応した。
自然と清六もギードの視線を追いかける。
出入り口には見知った金髪の少女が立っていた。
+++
寮にいたルシアは、ジネットに変に気遣いされるのを嫌って、学外へと出かけた。
町並みを眺めながら、思うことは昨日の事件。
今のところ、指輪を奪った犯人は見つかっていない。そして指輪の行方も分からないまま、日が明けてしまった。
なぜ、こんなことをするのか。
何度も心中で問いかけを繰り返すが、ルシアには見当がつかなかった。
悶々とした気持ちで目的地もないまま、歩き回る。
ふとそこでジネットが行きたがっていたレストランを見つけた。
自然と足は店内へと向けられる。
金銭的余裕のないルシアには、レストランでの外食など最高の贅沢なのだが、今は少しでも陰鬱な気持ちを紛らわせたかった。
店の扉を開くと、見慣れない風景が広がっている。
ルシアはどうするべきか悩んでいると……
「おーい! ルシアァ!」
こちらに向かって、大手を振ってアピールする男がいた。
それが伯父である事は、すぐに分かった。
伯父のギードは、誰かと相席している。飲み仲間だと思っていたのだが、その二人は見知った顔だった。
蓬莱清六と蓬莱珠代。兄妹であり、自称夫婦(?)である。
そのメンバーの顔を見たルシアは、逃げたい衝動に駆られた。しかし、見つかってからではもう遅く、テーブル席に座る羽目になった。
隣にはギード、向かい側には蓬莱兄弟が座っている。
「また出会えて嬉しいでござる――ぎゃふっ」
清六がにっこりと笑った途端、変な悲鳴を上げ、涙目になった。必死に笑顔を作ろうとしているが、何やら足が痛いのか前傾姿勢になって視線を落としている。
「へぇ、テメェがルシアかぁ……どっかで見たような面だなぁ」
「前に一度会いましたよね?」
珠代とルシアは初対面ではないのだが、そのことを珠代はすっかり忘れていたようだった。
しかし思い返せば、珠代はルシアよりもマルティナと絡んでいたので、直接話すのはこれが初めてかもしれない。
「ん? ……あぁ! テメェ、あのウシ乳女の取り巻き!」
「……取り巻き」
人目を引くような容姿ではないことは自覚しているが、いくら何でも酷い言いようである。
「テメェか。俺の清六を誑かしやがったのは……」
「はい?」
「言っとくけどな! 清六は俺のもの――もがぁ!」
最後まで言い切る前に、清六が珠代の口を封じた。
「珠代は独占欲の塊ゆえ、兄離れができぬでござるよ」
「むー! むーっ!」
珠代は必死に抵抗するものの、力では清六の方が勝っていた。
「仲が良いんですね……」
二人の攻防を眺めながらルシアは呟く。
「仲が良いって言やぁ、ルシア。いつもの二人はどうした? ほら、やたらと騒がしいヤツとコンクリートみてぇなヤツ、いつも一緒だったろ?」
ふとした唐突な質問に、戸惑ってしまう。
「あ……えっと……」
昨日からジネットとはまともな会話を交わせず、マルティナに至っては顔さえ合わせていない。その原因が自分が受けたイジメにある――そんな理由は口が裂けても言えなかった。
「どうした?」
適当な言い訳を考えている最中、鼻を突く酒乱の吐息に顔をしかめる。
「伯父さん……また飲んでるの?」
そう問いかけた瞬間、ギードがテーブルの隅に置いてあった酒の瓶を放り投げた。
遠くでガラスの割れる音と女性店員の悲鳴が聞こえてくるが、そちらを向かせまいとギードが肩を強く叩いてきた。
「そんなわきゃねぇだろ! 朝っぱらから、俺は何にも飲んでねぇぜ!?」
疑心の視線を送りつつ、ルシアは無言の追及を行う。
姪に弱いギードはしどろもどろとなり、清六と珠代に助けを求めるようにチラチラと見ていた。
「そういえば!」
未だに珠代の口を封じながら、清六が助け船を出す。
「さきほど、アレシア=エローラの事を話してたでござるよ! いや、まさかルシア殿が、彼のアレシア=エローラの子孫でござったとは、驚きでござるよ!」
その話題を出した途端、ルシアの表情は一気に曇った。
「やはり、ルシア殿も魔術は得意でござるか?」
「……」
「ルシア殿?」
清六がルシアに意識が向いた瞬間、隙を見つけた珠代が束縛から逃れ、清六の手に噛みついた。
ガブリ。
「ぎゃあああああああああああ! 噛みつき攻撃は反則でござるよぉぉぉぉおお!」
「がるるるるるっ!」
猛犬よろしくの噛みつきに、清六は悲鳴を上げた。
二人がじゃれあっている隙に、ルシアは席を立つ。
「おう? ルシア、どうした?」
「ごめんなさい、伯父さん。ちょっと用事を思い出したから、帰るね」
ギードに短く告げ、逃げるように店を出た。
早足で店を離れる。
――私は、逃げられないんだ。
魔術学校とは関係のない伯父やニホン人と話せば、嫌な事はないと思っていた。何気兼ねなく、接する事ができると思っていた。
しかし、現実は甘くない。
気を紛らわす事さえも許されなかったのだ。
行き交う通行人を縫うように追い越していく。
もう誰とも会いたくはなかった。
彼女の脳裏には両親の墓地が浮かび、自然と足はそこに向かっていた。
だが。
「ルシア殿ぉ!」
人目も気にしない大声が背後から聞こえてくる。
声の主は分かる。人のことを“殿”と呼ぶのは、清六しかいない。
ルシアは気付かぬ振りで、速度を上げた。
「ルシア殿っ! 拙者の声が届かぬでござるかぁ!? ルシア殿ぉ! 待たれよぉ!」
背後の声はだんだんと大きくなっている。清六が声を張り上げ、距離を縮めているからだ。
それを悟るや否や、ルシアは脇道へと入り込む。
雑踏のボリュームが絞られた横道。
建物の隙間で出来た道を、足早に進んでいく。
「ルシア殿! 訊きたいことがあるのでござる!」
清六の声が止むことはない。
おそらく、清六が言いたいのはアレシア=エローラについてなのだろう。
――私と英雄は関係ない。
アレシア=エローラは確かに先祖ではある。しかし、ルシアはルシアであり、決して英雄の末裔などと呼ばれたくない。
だから、話を聞くつもりなんて毛頭なかった。
「っ!」
唐突に道が終わりを告げる。高さ四メートルの塀によって、封鎖されていた。
清六の声が鮮明になってくる。
ルシアに考える暇などなかった。
「――シルフ、お願い」
袋小路に微風が流れ込む。
その途端、まるで見えない巨人に持ち上げられるように、ふわりとルシアの体が宙に浮いた。
空気の精霊シルフが、体を空へと引っ張り上げる。そのまま身丈の二倍以上もある塀を、悠々とルシアは飛び越えてしまった。
塀の向こう側は、空き地となっていた。
人目がない事にルシアは安堵しつつ、振り返る。
「おおっ!? 今のは魔術でござるかぁ!?」
塀を挟んだ向こう側から清六が驚きの声を上げている。
「ならば、拙者も! 昨日の辰之兵殿のように壁を上ってみせるでござる!」
不穏な声が聞こえ、逃げようとした瞬間、
壁を蹴り上げるような音がして、
足が滑る音が聞こえて、
壁を砕かんばかりの轟音が響き、
最後に静寂が訪れた。
「……」
気味の悪い無音。
まさかと思い、ルシアは塀から覗き込むように清六の様子を窺う。
すると、そこには壁に顔面をめり込ませて気絶している清六の姿があった。
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