第27話 マイルチャンピオンシップⅡ

 頰を刺す夜風に思わず身を縮め、いつの間にか季節はもう晩秋なんだなと実感する。

 冷たい風とともにくしゃみが一つ。思っていた以上に寒い。もう少し厚着してくるべきだったか。


 大学から少し歩いたところにある桜並木の遊歩道には、そこかしこにベンチが据えられており、寒さにめげずに語らったり軽く接触したりして時を過ごしている男女の姿がチラホラ。

 春先にはウェーイなサークルのウェーイな連中がこぞって花見という名の交尾相手選定コンパを開くお馴染みのスポットらしいが、この時季はカップルたちが静かに憩う場所として知られているらしい。


 そんな場所のベンチに腰を下ろし、僕は一人競馬の検討中。

 震えそうな指で手元のタブレットを操作し、出走表の印を付けたり消したり、▲から△に変えたりなどして首を捻る。

 と、右斜め前方の、最前から少し大胆目によろしくやっていたカップルが顔と顔をくっつけだした。


 1枠1番ステルヴィオから8枠18番ケイアイノーテックまで馬名と騎乗するジョッキー名とを改めて眺め渡せるほどの時間を経て、ようやくそのカップルは顔を離し、しばし見つめ合っていたと思いきや、磁石でも埋め込まれているかのようにまたお互いに顔と顔が引き寄せられていく。


 そんな光景を横目に、舌打ちの一つもかまし、怨嗟の念を全力投球していたことだろう。一年と少し前の自分であれば。いや、その頃の自分だったら、そもそもこのような場所に出向くこと自体がなかっただろうか。

 公衆の面前でベーゼなんてかましてる輩を目撃しようものなら、爆発しろとしか思わなかったかつてとは異なり、今の自分はあんなん見せつけられても取り立てて苛立つことはなく、その代わりに覚えるのはほのかな羨望。


 澤多莉さんと出会ってから一年が経ち、彼女のバースデーに一緒に食事をし、プレゼントなぞ渡したりしても、僕たちは相変わらずだった。

 21歳になっても相変わらず美しい澤多莉さんに相変わらずの毒舌を浴びせられ、僕は相変わらずタジタジするばかり。

 この機会に一歩深い関係に、といった期待はなかったわけでもないのだが、またしても何もできないチキンな僕、何を考えてるかわからない澤多莉さん。


 そんな自分たちに、近頃はどこか満足してしまっているというか、このままでいることこそが幸せなんだとホメオスタシス的な心持ちもあったりするのだが、こうして愛の営みの一端を垣間見てしまうと、やはり羨ましくも思えてしまう。


 野外での口吸いは堪能し尽くしたのか、右前方のカップルは手を繋いでどこかへと歩いていった。金曜日の夜、これからめくるめく一夜を過ごすのだろうか。


「いいよなぁ……」


 思わず呟く。

 サイン馬券は買わない主義ではあるが、何となくヒーズインラブは切らないでいた方が良いのかななどと思いがよぎる。


 と、ひとりの女性がそのカップルと入れ違うような形でこちらに向かってくる。

 長い黒髪に赤い帽子を乗せ、チェスターコートにマフラーという姿がモデルばりにクールな美しい女性を、すれ違いざま思わず目で追ってしまったカップルの男に罪はないと思うのだが、パートナーにつねられている。


 その女性は僕の座るベンチの前で足を止め、無言でこちらを見下ろしてくる。


「やあ、こんばんは」


 僕が声をかけるも、その女性------言うまでもなく澤多莉さんは、無言、無表情。心なしか何か緊張してるようにも見えるが気のせいだろうか。


「どうしたの今日は? こんなところで待ち合わせしようだなんて」


 こちらの問いにも答えず、澤多莉さんはしばし僕の顔を見つめ、一つ深呼吸。

 そして衝撃の一言。


「待たせてごめんニャン」


 招き猫のポーズとともに首を傾げてみせる。


 僕は唖然として何も言葉を持てなかった。頰にまた冷たい風が吹きつけ、かろうじて時が止まってはいないことがわかった。


 数時間にも思える数秒が過ぎ、澤多莉さんはポーズを解いて僕の隣に座った。

 そう小さくもないベンチであるが、肩と肩、腕と腕が密着する。


「え? え? え???」


 僕はひたすらに困惑、ていうかパニック。何が何だかわからない。何だコレ何だコレ。


 と、澤多莉さんが僕の肩に頭を乗せてくる。

 血の温度が5度ほど上がり、脈拍が8倍ほど速くなる。


「ささ、さわたりさん、な、ななななな」


 頭も舌も回らない僕に、澤多莉さんはいつもの冷たく抑揚のないトーンとは全く異なる、鼻にかかった声で語りかける。


「寒くニャーい?」

「え、えええっと」


 正直なところ寒いどころか、全身から吹き出した汗で肌着がグショグショになるぐらいの勢いだったが、現況を冷静に伝えることなどとても出来ない。


 澤多莉さんは僕の耳に口を寄せ、甘い声で囁いてきた。


「あたためて、あ・げ・る」


 そう言うとかけていたマフラーを一度解き、一辺を僕の首へとかけてくる。


「あ、あ……」


 俗に言う二人マフラーとか恋人巻きとかいうスタイルとなり、僕は失神寸前だった。

 ほんの少し顔の向きを変えたり、動かしたりしたら頰と頰がくっつくほどの距離に澤多莉さん。ほのかな甘い香りが鼻をくすぐる。マジ何だコレ。


「えーっと、あと何をするんだったっけ?」


 急に素に戻ったかのような声を出すと、澤多莉さんはコートのポケットから小さなメモ帳のようなものを取り出した。


「暗くて見えにくいわね……えーっと、あ、そうそう『当ててるのよ』ってやつだったわね」


 一人納得し、メモ帳をまたポケットにしまう。


「でもこの体勢じゃやりづらいわね……ねえ、ちょっと向こう向いてもらえる? いや一回これ外した方がいいのかしら」


 言いながらマフラーを外す。

 僕もようやく多少は意識が戻ってきて、何とか頭を埋め尽くした『?』を言語化する。


「えっと……澤多莉さん、一体全体どういうことなの?」

「どういうことって、ラブラブに決まってるじゃない」

「ラブラブ?」


 およそ澤多莉さんの口から出てくることなどあり得ない筈の言葉を耳にした気がし、即座に聞き返してしまう。


「以前にも言ったと思うけど、私はあなたと違って友人がたくさんいるのね」


 ようやく澤多莉さんらしい言葉が出てくる。

 こんな台詞を投げかけられ、この人やっぱり澤多莉さんだと若干安心するというのもどうかと思うが。


「その中で序列17位ぐらいの子とこないだランチしたときに、あなたとのノロケ話をしてみたのね」


 少し引っかかる言い回しはあったが、それ以上に僕は意外の念に打たれた。澤多莉さんが僕とのノロケ話をしているって?

 何だかむず痒いような、気恥ずかしいような、それでいて嬉しいような。感じたことない気持ちが湧き上がってくる。


「そしたらかえってダメ出しをされてしまって。あんたたち全然ラブラブじゃないじゃないって」


 まあ確かに側から見て、澤多莉さんと僕は交際している男女としては全くと言っていいほどラブラブでは無いと断じることができるだろう。あんなこともしていなければ、こんなこともしていない。


「彼女は言っていたわ。若い男女はもっとラブラブじゃなきゃダメよ、愛し合えるうちに愛し合っておきなさい、自分たちの頃なんて戦時中で好きな人と会うことも満足にできなかったんだからって」

「待って待って。その友だちって何歳?」

「女性の年齢なんて聞くもんじゃないわよ。とにかく、言われてみればそれもそうかなって思ったのだけど、ホラ、私ってそういう愛情表現とかよくわからない綾波系で売ってるじゃない?」

「そういうの自分で言わない方がいいと思うよ」


 澤多莉さんは一度しまったメモ帳を再び取り出し、掲げてみせた。


「そこで、その老いぼ……友人にラブラブテクニックを伝授してもらってきたってわけよ」

「今老いぼれって言いかけなかった?」


 ともあれこれで謎が解けた。その友人とやらに入れ知恵され、澤多莉さんはらしくもない行動に出ていたというわけだ。

 それが猫言葉だったりマフラーの二人巻きだったりというのは、戦前生まれの方のアイデアとしては驚異的な気もするが。


「こうしてカップル御用達スポットに呼び出したのもその一つよ。わざと遅刻して相手を焦らすのは巌流島作戦というらしいわ」

「遅れてきたのはわざとだったんだ」

「他にも色々熟練の手練手管があるわよ。48の殺人技すべてを受け継いできたんだから」

「殺人技?」

「すごいわよ、ホラ」


 澤多莉さんがメモ帳のページを開きこちらに見せてくる。

 隅から隅まで黒が埋め尽くすぐらいビッシリと文字が書かれている。


「……全然読めないんだけど」

「あら、ドイツ語の筆記体読めないの?」

「何故カルテのスタイル?」


 澤多莉さんはメモ帳改め秘伝書をパラパラめくり、


「あ、これなんてどうかしら。電話のおしまいに『そっちから切ってよー、じゃあ一緒に切ろう、せーの……もーぅ、切ってないじゃーん』ってやつ。ちょっと私に電話かけてみてくれる?」

「いや、それは二人別々にいるときにやることじゃないかなって……」

「あらそう。あ、コレはどうかしら?」


 何やら楽しげなメモ帳を繰る澤多莉さん。


「川越に売ってる日本一長い黒糖ふ菓子を両側から食べていって、嬉し恥ずかし大作戦ですって」

「ポッキーかなんかにしといた方がいいんじゃないかな? 水分取らないで最後までいける自信ないよ」

「そう? じゃあこの究極奥義ってやつやってみようかしら? 殿方の股間に手を当てがって『GODZILLAガッズィーラ……これはGODZILLAガッズィーラだわ!』と驚いてみせれば、相手はとても喜びます、って」

「ちょっとそのババア連れてきてくれるかな?」


 思わず強めのツッコミが出てしまう。

 と、澤多莉さんは冷めたかのような目と声をこちらへと投げかけてきた。

 しまったと思うが、後悔先に立たず。


「さっきからケチばっかりつけてくれるじゃない。腹立たしいわね。嬉しくないっていうの?」

「ま、まあ嬉しくないと言ったら嘘になるどころか、魂が飛んでいっちゃいそうなのも確かではあるんだけど……」


 言葉を選んでる余裕などなかった。


「何だか無理してるような感じがして。らしくないっていうか。僕はいつもの澤多莉さんの方が好きっていうか……」

「!」


 澤多莉さんは眉をピクッと動かしたかと思うと、俯いてしまった。


 しまった。やってしまった。

 考えてみたら、僕のために一生懸命にしてくれてたことなのに、それを踏みにじるようなことを言ってしまったんじゃないだろうか。

 第一、ラブラブな澤多莉さん、めっちゃ良かったじゃないか。なのに何を言ってるんだ僕は。バカすぎるだろ。


 俯いたまま、抑揚のない声を出す澤多莉さん。


「さ、下らないお遊びはこれぐらいにして、マイルチャンピオンシップの検討でもしようかしら」


 こちらのタブレットを指差してくる。


「どうせバカはバカなりに、考えてるところがあるんでしょ? 聞かせてみなさいよ」

「あ、う、うん……」


 慌ててタブレットを操作し、出走表を表示する。


「今回ものすごく混戦で、何が来てもおかしくないし、逆に絶対的に力上位の馬もいないし、難しいなぁとは思うんだけど」

「そんなの誰でも知ってるわよ。バカじゃないの」


 いつにも増して当たりが強い。やはり機嫌を損ねてしまったのだろう。


「ま、まあ、だからこそシンプルに考えて、昨年このレースで勝ったペルシアンナイトを本命にしようかなって」

「昨年とは相手関係も枠も騎手の調子も、おそらく馬場状態も違うっていうのに? 本当に、地上に出てきてはいけないレベルの愚か者ね」


 ズタボロな言われように、怯みそうになる。


「じゃ、じゃあ、澤多莉さんの……」

「私の本命はジュールポレールよ。決まってるじゃない」


 何が決まっているのだろうか。おそらく10番人気前後になろうかとはいう伏兵だ。


「もし今回リスグラシューが出てたらかなり人気するでしょ? 何故そのリスグラシューにGⅠの舞台で堂々買っている馬が人気薄なのかしら? 不思議でしょうがないわ」

「まあ確かにそうなんだけど、ずっと乗ってた幸騎手がケガで乗り替わりっていうのは痛いと思うんだけど」

「あなたの言うとおり、石川騎手は見るからに頭悪そうだけど、走るのは騎手でなくて馬ってことを忘れてはいけないわ」

「僕そんなこと言ってないけれど……」

「一雨きてくれて稍重になってくれれば言うことなしだったけど、まあ今の京都は時計かかるみたいだし、大丈夫でしょう。このメンバーなら前にアエロリットとロジクライを見た好位から直線粘り勝ちね」


 自信満々に言う。

 そういえば、昨年のエリザベス女王杯も、今年のヴィクトリアマイルも、澤多莉さんはこの馬を本命にしていた。もしかしたらご贔屓だったりするのだろうか。


「ま、あなたの吠え面見るのを楽しみにしてるわ」


 澤多莉さんは立ち上がると、ラブラブテクニックが記されたメモ帳をおもむろに放り投げた。


「あっ」


 見事なコントロールで放物線を描き、近くにあったゴミ箱に吸い込まれていく。


「なんか……ごめん」

「何も謝ることなんてないわ」

「いや、でも、折角友だちから色々聞いてくれたのに」

「問題ないわ」


 澤多莉さんは手に持ったマフラーを僕の首にかけ、それを締め付けるようなフリをし、いたずらっぽい微笑を浮かべた。


「48の殺人技のうち、まあ覚えといた方がいいかなっていくつかはしっかりインプットしてるから」

「あ、そう、そうなんだ」

「そうよ。例えばね」


 澤多莉さんがマフラーを持つ手に力を入れ、僕はグッと引き寄せられる。

 澤多莉さんの顔もこちらに近づいてくる。



 えっ。



(つづく)



 ◆マイルチャンピオンシップ


 澤多莉さんの本命 ジュールポレール

 僕の本命 ペルシアンナイト

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