第23話 秋華賞

 曇天の下そびえ立つ瀟洒な一軒家を見上げ、僕は明らかに気が怯んでいた。怯みまくっていた。

 冷気をはらんだ風が頰を刺す。右手に持ったビニール袋がカサカサと音を立てる。


 心持ちとしては、魔王の城を前にした勇者------になぜかついて来てしまった村人A------それもラストダンジョン近くの村の住人などでは決してなく、旅立ちの地とかにいて、『タンスやツボを調べるとアイテムが手に入ることがあるぞ!』なんて台詞をあてがわれている、チュートリアルの一環として存在する村人------といった具合だった。


「……たとえば旅立ちの村の中年がラストダンジョンに迷い込むような物語」


 特に他意はないが、なんとなく思いついた言葉をつぶやいてみる。

 何だそれ絶望しかない。まあ僕は中年ではないけど。


 ここに来たのは昨年の冬以来、およそ10ヶ月ぶりだった。あの日からもうそれだけの月日が経ったのかと思うと、些か途方に暮れる感さえある。


「……」


 横目で表札を見る。立派な御影石に明朝体の漢字三文字が彫られている。

 畏怖と戦慄のロゴスであり、最愛の人の名字でもある三文字に思わず魅入られ、立ち尽くす僕の耳に通信アプリの着信音。ポケットからスマホを取り出しメッセージを表示する。


『さあ狂乱の宴のときは来た……今こそ異界への門をくぐるが良い……』


 何であっちまでそんなノリなんだと首を傾げつつ、指示に従い門扉を開け、多少の躊躇を覚えながらも敷地へと足を踏み入れる。

 さすがに緊張する。玄関ドアの前まで来たところで、また着信音。


『暗黒への扉は既に解錠されている……あまりバタンと大きな音がせぬように入るがよい。入ったら中からの施錠を忘れぬこと。チェーンロックもかけること。靴はそろえて上がること』


 案外細かい魔王のようだ。

 ひょっとしたら緊張をほぐそうとしてくれてるのかもしれないが、ドアレバーを掴む僕の手は微かに震えていた。

 レバーを押し下げ、静かにドアを引く。


「おじゃましまーす……」


 そっと呟いて身体を屋内にすべらせる。と、仄かな甘い香りが鼻腔をついた。その瞬間、フワッとするような、どこか浮き足立つような感覚に包まれる。

 まだ姿も見せぬおそるべき魔王は、どこからか魅了の魔法をかけてきているのだろうか。



 彼女からメッセージが届いたのは、いつものごとく金曜四限の哲学Dの授業に出席すべく、キャンパス内を歩いている時だった。


『部屋においでよ』


 表示された文言の意味が俄かには理解できずにいたところ、矢継ぎ早にメッセージが送られてきた。


『部屋と書いてうちと読みます』

『なおドラマ版にはあのメンバーが』

『そんなことどうでも良いから早く来てくれる?』

『来て、くれるかな?』

『いいともー』

『秒で来なさい、秒で』

『ついでに秋刀魚のおさしみ買ってきて』


 何がついでなのかはわからないが、どうやら家まで来いと言っているらしいと理解し、当然それは単位を取っても取らなくても良い総合基礎科目への出席などより遥かに優先すべき事項であるため、僕は一も二もなくキャンパスを後にした。

 というか、仮に卒業や進級に関わる授業だったとしても、出席を選択することはまず無かったであろう。大学生たるもの学業劣後が正しい姿である。



 そんなわけで、10ヶ月ぶり2度目の澤多莉さん宅への来訪を果たしたわけだが、一体全体どういう趣旨でお呼ばれしたのかは不明だった。

 胸にはほんの僅かな期待と、大いなる不安。恋人の家に来てこんな心持ちなのもどうかと思うが。


 指示されるがままに、廊下を通り、リビングルームの前まで来る。以前澤多莉さんと夜を徹してお酒を酌み交わし、阪神ジュベナイルフィリーズの検討をした場所だ。

 あの時の妖艶だった澤多莉さんの姿が脳裏に甦ってきて、思わず赤面する。

 そんなものはある筈がないが、もし澤多莉さんと僕との記録が文章として残されていたりするのならば読み返してみたいぐらいだ。多分第5話ぐらいに相当するんじゃないだろうか。


 またスマホにメッセージが届き、リビングに入り、ソファに座るよう促される。

 ドアを開けると、白色に照らすシャンデリアや北欧風デザインのソファなど、記憶のままで懐かしさすら感じる室内に、あからさまな異物があった。

 ソファに腰掛け、その異物------真正面に位置する大きなパネルのようなものを眺める。四角い形をしたそれは、人の背丈よりも高く、真ん中あたりが窓のようにくり抜かれており、中には別のボードが入っているようだった。上部にはいかにもその部分が外れたり回転したりしそうな横長の枠があり、下部にはギャグ漫画っぽいタッチの、眉が吊り上がり口元が歪んでいる男性のイラストが描かれている。

 確実にどこかで見たことあるやつだった。


 唐突に軽快な音楽が流れてくる。

 戸惑う間もなく、パネルの裏から一人の女性が姿を現す。長い黒髪、白く美しい顔立ちのその人は紛うことなき澤多莉さんであったが、いつもと様子が異なっていた。


 パネルと同じ男性のイラストがプリントされた白のトレーナー姿の彼女は、肩と腰を落とし、極端なガニ股の珍妙な歩き方で僕の正面までやって来た。


 若干の間の後、彼女は口を開いた。


「バカヤローコノヤロー」

「えっ?」


 思わず聞き返す。

 唐突だったのと、いつもの透き通るような声ではなく、わざとかすれさせたような声色だったため、よく聞き取れなかったのだ。


「あの、澤多莉さん、それは……」

「うるせえバカヤロー、お前は黙って見てればいいんだよ。ダンカンコノヤロー」


 首をクイクイ捻るように動かしながら、早口でそんなことを言ってくる。

 僕としては、絶句する以外の応接を見つけることはできなかった。


 澤多莉さんは、気を取り直したように背筋を伸ばし(ガニ股はそのまま)、かすれた声を張り上げる。


「ハイ、今週も始まりました何かが出るアレ! 行ってみましょう」


 どこからか指揮棒のようなものを取り出し、パネル上部の横長の枠をトンと叩く。

 その部分が回転し、ある文言が表示される。


「『こんな馬券師はイヤだ!』

 さあどんなヤツがいるんでしょうか?」

「……澤多莉さん?」


 何かが憑依したかのような澤多莉さんに僕の声は届かず、今度は窓状の部分の中にあるフリップボードを紙芝居のように一枚引き抜く。

 次のフリップに書かれている言葉を、澤多莉さんは勢いよく読み上げる。


「『大声で叫んでいるが、馬券はかすりもしていない』

 コレは何なんですかね、『行けっ! 行けっ! そのまま! そのままー! クソ〜』なんて悔しがってるから惜しかったのかと思ったら、『15着だった』なんつって、お前は何を騒いでたんだバカヤロー! って」


 機関銃のようにコメントを付け加え、両手で誰かを叩くような仕草までする澤多莉さん。


「えっと……澤多莉さん?」


 当然僕の声など届かず、殿と化した澤多莉さんは立て続けにまたフリップを引き抜く。


「『パドックで馬を見て、美味そうだなとヨダレを垂らしている』

 コレはイヤですね〜、よし今夜は馬刺しにしよう! なんて言っちゃって。サイコパスですねコイツは」

「……」


 またフリップを引き抜く。


「『パドックで馬のフンを見て、美味そうだなとヨダレを垂らしている』

 コレはどういうんですかね? 『人間のもいいけど馬のもサイコー!』なんつって、バカヤロー変態じゃねえかって」

「あの、下ネタ出てくるの早くない?」

「さあ続いて」


 さくさくとフリップを引き抜いていく。きっとこういうのはテンポが大切なのだろう。


「『単勝を買うが、短小だ』

 コレもイヤですね〜、『アンタは馬券もアソコもセコい!』なんて言われて、く〜って」


 腕で両目を抑え、泣くような素振りをしている。


「いや、だから下ネタが激しいって」


 改めて言っておくと、この部屋には二人きりである。

 この状況で、照れもせずにこういうことをやるにはどれほどのメンタルの強さを要するのか、僕には想像もつかない。

 また一枚フリップがめくられる。


「『買ってもないくせに、ネットやSNSで的中報告をする』

 コレは何が楽しいんですかね? 万馬券出るたびに『3連複ごち』とか書き込んで。虚しくならないんですかね?」

「何か、急にリアルな感じになったけど」

「続いて『ツイッター上で、ウマジョのケツを追っかける以外生きがいがない』」

「……」

「コレもキツいですね〜、そんなヤツに限って子どもや動物のアイコン使っててね。ウマジョのツイートにどれだけ早くおべんちゃらの返信できるかに命賭けてて。気っ持ち悪い! シコって寝てろバカヤロー! って」

「……なんて言うか、そうなったらもう終わりだと思って気をつけますとしか言いようがないかな」


 そのフリップが最後だったのか、澤多莉さんは急に沈黙。無表情で佇み、こちらを見てくる。


「えっと……あっ、何ていうか、おつかれさま。凄かった。最後の方妙にリアルだったけど」


 何となく拍手してみるが、澤多莉さんはそれでも無言でこちらを見つめてくる。

 たった今まで演芸めいたことを行なっていたとは思えない、静かな面持ちだった。


「あの、狂乱の宴っていうのは、今のやつのことなのかな?」


 こちらの質問には答えず、更に一枚フリップを引き抜くと、こんなメッセージが書いてあった。


『Happy Birthday』


 呆気にとられていると、澤多莉さんがどこからか取り出したクラッカーをパンと鳴らす。


「サプライズよ」

「サプライズ?」

「そう。あなたの34回目のバースデーを言祝ぐにはどうしたら良いか色々考えたんだけど、やっぱりこういうのが一番なのかなって」


 指揮棒で『こんな馬券師はイヤだ!』の文字を指し示す。


「どうしてそこに行き着いたのかはわからないけど、まあありがとう……でも僕、21歳だけど」

「どう? 驚いた?」

「うん……何よりも、誕生日から二ヶ月過ぎてるのにこういうのやってくれたってことに驚いてる」

「だって仕方ないじゃない」


 本来僕の正面にもソファがあった筈なのだが、この出し物のためにどかしたのだろう。澤多莉さんはこちらの隣に座ってきた。


「二ヶ月前はお互い旅打ちの最中で、バースデーどころじゃなかったもの」


 揺れる黒髪が香り放ち、僕は一瞬硬直。かろうじて言葉を返す。


「そ、そう。あっそういえば髪の方はすっかり元に戻ったんだね」

「そりゃそうよ。もう秋だし、いつまでもあんな髪してられないわよ」


 季節が関係あるのかはよくわからないが、心底安堵した。

 月が丘で再会し、あの髪を見た時は度肝抜かれた。いくら顔の造形が飛び抜けて優れている澤多莉さんといえどもアレはない。あんなに品性お下劣破廉恥極まる……


「さ、本当の宴を始めましょ。ドンペリニヨンを用意しているわ。秋刀魚のお刺身は買ってきたでしょうね?」

「う、うん。でもそんな高級なお酒出してもらっちゃ悪いよ」


 秋刀魚と合うのかも些か疑問だし、という言葉は飲み込んでおく。


「いいのよ。私の誕生日ももうすぐだから。あなたのもそれなりにやっとかないと、貰えるもの貰えなくなっちゃうし」

「露骨な下心!」

「わかってるとは思うけど、女性へのお祝いは三倍返しというのが世の理よ」


 澤多莉さんは魔性の微笑を浮かべると、スッと立ち上がった。

 まったくこの人にはかないようがない。


「でも、あんな芸まで見せてもらって、三倍返しってのは難しいなぁ。何をやればいいのか」


 冗談めかして言った言葉に反応したのか、澤多莉さんがピタッと動きを止めた。


「?」

「……あのね、本当のプレゼントは、他にあるの」


 ゆっくりとこちらに向き直る。

 澤多莉さんの瞳は潤んでいて、白い頬は微かに紅潮しているように見えた。


「……澤多莉さん?」

「もう、付き合って10ヶ月も経つし、これぐらいはいいのかなって……」


 そっと両手を下げ、僅かな躊躇を見せたが、スカートの裾のあたりを軽く掴んだ。


「少し……恥ずかしいけど、あなたになら、いいかなって」

「澤多莉さん……」


 そして澤多莉さんは、その両手を、太腿の付け根あたりで下から上に滑らしてこう言った。


「コマネチ!」


 …………


 ……………………



 ちなみに。

 僕の秋華賞の本命は、言うまでもなくアーモンドアイなのだが、澤多莉さんはカンタービレ本命とのこと。


 曰く、京都内回り先行馬で武豊騎乗、前哨戦勝ち馬で東京2400以外すべて連対している馬を買わない理由はないとのことだが、騎手の名前が武ってことと、半姉にソナチネって馬がいるから選んだんじゃないかと密かに疑っている。


(つづく)



 ◆秋華賞


 澤多莉さんの本命 カンタービレ

 僕の本命 アーモンドアイ

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