第9話 ホープフルステークス

 英国ではプレミアリーグの地獄のような過密日程の最大の要因となっている労働者の休日・ボクシングデー。

 たしかクリスマスプレゼントの箱を開けるからその名前が付いているのだったか。


 ここ極東の島国では単なる平日。我らが学び舎では冬季休暇前最後の授業が行われる日。

 必修授業を適当に過ごし、大学近くの喫茶店『月が丘』にてホットココアを啜る僕。向かい側には澤多莉さん。

 今日の彼女の耳元には、ブルートパーズのイヤリングが煌めいている。


「それにつけても有馬記念の盛り上がりは凄かったわね。こうやって目を閉じると、まるでつい昨日のことのようだわ」

「いや、まあ、つい一昨日のことではあるんだけど」

「そっか、あれはday before yesterdayのことだったわね」

「なぜ英語?」


 質問には答えず、陶器製のグラスに口をつける澤多莉さん。ちなみにその中身は焼酎である。

 テーブルに着くなり「森伊蔵、生で」とオーダーすると、当たり前のように出てきた。アルコールを提供してるなんてメニューの隅々まで見てもどこにも書いていないのだが。

 カウンターテーブルの向こうに座っているマスターは、澄ました顔で本を読んでいる。


「そしてあさって……いや、day after tomorrowにはまたGⅠがあるのね」

「なんでわざわざ言い直す?」

「なんというか、いまいちやる気が湧いてこないのが正直なところではあるわね。まだ有馬の余韻も冷めやらぬうちに、無粋というか蛇足な感が否めないというか」


 まあ、それはこちらも同感だった。

 特に今年は王者キタサンブラックの大勝利、そしてオーナーの大御所演歌歌手のステージと、まさしく大団円で幕を閉じたという印象なので、そのすぐ後にもう一つGⅠというのはどうにも違和感が拭えない。


「やっぱり中央競馬は有馬でドカンと大勝負して締めくくりというのが様式美というか、競馬ファンの身体には染み付いちゃってるわけだし」


 総意とまでは言えないだろうが、実際多くの競馬ファンが思っているところではあるだろう。

 まあ、今年から、それも一月半ほど前に競馬を始めたばかりの人が何を言ってるのかという気もするのだが。


「そうは言っても、そこに競馬がある以上、戦いに身を投じなければならないのも馬券師のサガってものよね」

「そうだね」

「そういえば最近、私が競馬やってるってことを知ってる人が結構いるみたいで、たまに言われるのよね」


 学内でも知られる美女が、教室や学食で特に隠すでもなくタブレット画面に馬柱を表示して検討をしている以上、いつかは周知のこととなってしまうのは必然だろう。

 僕のようなイケてないぼっち野郎とつるんでいること以上に驚きのトピックだったかもしれない。


「まあ別にいいんだけど、変な勧誘もあったりするのが困りものね」

「変な勧誘?」


 穏やかでないことを言い出す。


「そう、先週も同じ学科の茂手とかいう男子学生が『澤多莉さんって競馬好きなんだって? オレも結構好きな方なんだよねー。アガるよねー』とか声かけてきて」

「!」


 途端に胸が激しくざわめく。

 茂手モテ太郎------ウェーイなグループの中心にいる男子で、見た目だけはやたらと良く、ミスターコンテストにも出場したという、僕にとっては一生友だちになることはないであろう人物である。

 当然口を聞いたこともないどころか、おそらくそいつの視界には僕の姿など入っていないのではないかと思える。


「『日曜日有馬記念ってやつあるんでしょ? 一緒に観に行こうよ』とか勧誘してきて」


 ザワ……という効果音が文字に現れそうなほどにざわつく胸中を押し殺し、精一杯平然を装う。


「へ、へぇー、そうなんだあ」

「先約があるって言ってもしつこくて。誰と行くの誰と行くのって聞いてきたり」

「そ、そう……それで、誰と行くって答えたの?」

「ザコ敵」

「ザコ敵って!」


 思わず大きめの声が出てしまう。的中率・回収率ともに、澤多莉さんよりは遥かに上回っている筈だ。


「そのうちその人、『じゃあ来年一緒に競馬場行こうよ。いつなら行ける? 今決めちゃおう』とか言い出して」


 随分と押しの強い奴だ。これだからウェーイは嫌いだ。


「そ、そう、それで、その、澤多莉さんは……」

「質問してみたのよ。『GⅠファンファーレのとき、オイオイって歓声あげるのって最高に盛り上がると思わない?』って。そしたら、『アレ超盛り上がるよね。オレすっげー絶叫しちゃうわw』とか言ってきたから」


 澤多莉さんはスッと冷たい目つきになり。


「『ファンファーレの時にオイオイ言う迷惑野郎と一緒に競馬場なんて死んでも行きたくないわね。このこえだめで生まれたゴキブリのチンポコ野郎』って」


 温度が一度か二度は下がった。

 凍りつく僕を見て、澤多莉さんは肩をすくめた。


「そう言ってバックブリーカー決めたかったのを我慢して、丁重にお断りしておいたわ」

「ああ〜、良かったあ〜」


 僕は安堵して思わず崩折れた。危うく学内での彼女のイメージが完全に崩壊してしまうところだった。


「ま、余談はさておき、ホープフルステークスの検討をしましょうか」


 澤多莉さんはテーブルの上に置かれたタブレットの画面に目を移すと、1枠1番から8枠17番まで指でなぞり、ため息をついた。


「とは言っても、GⅠなのに重賞ウイナーが1頭、1勝馬が10頭となると、どう考えたら良いものか難しいわね。2歳重賞だけは阪神ジュベナイルフィリーズ、朝日杯と連敗してて相性悪いのよね」


 一体どの口が『だけ』なんて言えるのであるかまったくもって意味不明であるが、澤多莉さんの表情は真剣そのもの。


「まあ、あなたは迷わずマイハートビートなんでしょうけど」

「いやいや、たしかにレインボーラインと同じ勝負服なんで目は惹くけど、別にその馬主さんが好きってわけじゃないから」

「あら? じゃあどの馬が本命なの?」

「まあシンプルに力上位と思えるのはこの辺かな」

「タイムフライヤーにルーカス。デムーロ兄弟ね」

「うん。デイリー杯勝ったジャンダルムも強いと思うんだけど、中山2000に伸びて、あのキレを見せられるのかなあって気がして」

「だったらそれよりは、同じか近い距離を経験してるその2頭ってことね」

「うん。どっちも前哨戦の重賞2着だけど、1着だった馬は出てきてないし、ここでは強いんじゃないかなあって。それに、先行馬が多いからペース上がったら、決め手のあるこの2頭に有利なんじゃないかと」

「なるほどねー」


 澤多莉さんはひとしきり頷いた後に、こちらをキリッと見据えた。


「だからあなたはダメなのよ」


 見事に切って捨てられる。


「まったく、つくづくどうしようもない人ね。有馬記念のときはあなた一人でハズレ馬券コレクションを積み上げるのも気の毒だから付き合ってあげたけど、今回はあなた一人で中山競馬場の地面に膝を落とすことになるわね」


 随分なことを言われる。


「先行馬が多いからペースが上がる? あなたはこれまで一体何を見てきたの? 今回は完全に前の馬が牽制しあって、ペースは思いの外上がらないパターンじゃない」


 そうだろうか。確かにそういう展開のレースもしばしばあるのだが。


「そうなってくると有馬記念同様先行有利な展開は必然よ。とは言っても、先行馬の多くはそもそもの力が足りてなさそうなので、単に前に行った順の決着とかにはならない」


 澤多莉さんは、馬柱の一頭を指で差した。

 4枠8番・シャルルマーニュ。


「差し有利だった東京での重賞で好位から3着に粘ったのはかなり評価に値するわ。ここならコーナー抜けたあたりで先頭に立って、そのまま最初にゴールってことになるんじゃないかしら」

「まあ、なくはなさそうだけど……でも戸崎かあ……」

「ふっ、昨年のリーディングジョッキーをいくらなんでもナメすぎなんじゃない? 元来技術はある騎手なんだから、もうどう足掻いても今年のリーディングは無い状況で、最後にGⅠかっさらっていくなんてこともあるかもしれないわよ」

「でも、今や一部では平場王って呼ばれてるジョッキーだよ」

「ふっ、愚かね」


 ビシッとこちらを指差し、はずみでイヤリングがプラプラ揺れる。


「今回のメンバーは、平場みたいなものでしょ!」


 何も言い返せない僕。

 澤多莉さんは勝ち誇ったような表情を浮かべ、グラスの森伊蔵を飲み干すと、おかわりのオーダーをした。


「さあ、今年最後の大勝負。あなたの吠え面を見るのが今から楽しみだわ」


 僕とて押されてばかりはいられない。


「ああ上等さ。きっと次からは僕のことをザコ敵だなんて言えなくなるからな」

「あら? もうそんな風には言わないわよ」

「え?」


 お互いに不思議そうな表情で見つめ合う。


「だって、あの時点ではあなたのことをそう表現するしかなかったから。次誰と競馬場行くのかって聞かれたら、ちゃんと答えるわよ」


 澤多莉さんはごく当然のこととばかりに、あっさりと言った。


「彼氏と行くって」


 体表面の温度が二度か三度は上がり、身体中から汗が噴き出す。何も言えねえ。


 マスターの静かな足音。

 何事もないように森伊蔵のおかわりを受け取る澤多莉さんの耳元、一昨夜贈ったブルートパーズのイヤリングが光を弾いた。


(つづく)



◆ホープフルステークス


澤多莉さんの本命 シャルルマーニュ

僕の本命 タイムフライヤー

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