外伝 レオーネ家の狂気



 ――――ドナウ歴520年――――



 ドナウ王国の民にとってレオーネ家とは謎めいた存在なのは疑う余地がない。それは平民でも貴族でも共通の意識である。厳密には創始者であるアラタ=レオーネが異郷より来訪したのだから、作り上げた家もまた不可解さを帯びるのはある種の必然だと理解に至る。そしてその子らの一部もまた不可解な言動や行動に走る癖があるのは、やはり親の影響ではないかと考えられる。

 まず、長男のオイゲンは義理とはいえ四歳年上の姉と結婚している。彼のような大領主ならば隣国の王族やドナウ内の貴族か王族から嫁を貰うのが筋ではないのか。その方が政治的に利益が大きい。しかし彼はサピン人と結婚している。一応かつてのサピンを治めるカール王弟の妻と従姉妹なので親族の繋がりがあると言えるが、それならばリトニアもプラニアもそれぞれドナウ王族が王に嫁いでいるので、血族と婚姻を結ぶのは西方では珍しくないのだから、そちらの娘を貰い受ければ、より安泰ではないだろうか。

 次に挙げるとすれば四男のイブキだろう。風変わりな名を持つ彼は、ひとときも同じ場所に居座れないという厄介な性格をしており、もう何年も前にドナウを飛び出し、東へ東へと旅を続けているそうだ。普通ならそれっきり生きてはいないと誰もが思うが、レオーネ家は誰一人として生存を疑っていないのが理解に苦しむ所である。

 三人目は平民の側室との間に生まれたクマノ。彼は諜報部で色々と評判の悪い事をしているようだが、それらはどちらかと言えば後ろ暗い事をしている者が抱える恐怖から、彼を貶めているのだと個人的に思う。彼自身はむしろ滅私奉公の精神で職務に励んでいるに過ぎない。ドナウ貴族の血は宿していないが、褒められて然るべき男である。

 そして極めつけに謎というか不可解な思考と奇行を繰り返す四人目、五人目がこの私、ヴァルダー=ベッカーの主人である事は、この世で最も理不尽極まりないと父祖に、始祖フィルモに嘆かねばなるまい。


「助手、手が止まっているのです。何か良からぬ事を考えているのですね」


「ベリーズの言う通りです。きっと心の中で私達を罵倒しているに違いないのです。これは後でお仕置きですね」


「ベリーズ様、ヒナギク様。それは邪推というものです。私のような清廉潔白な男など、このドナウ広しといえども、他にはおりません。そのような考えに至るお二方こそ心が邪だと宣言しているようなものです。ブランシュ王家に連なる淑女としてお改めになさいませ」


 正確に人の心を察するのはいつもの事。逆に皮肉を言えるぐらいでないと、この気狂い姉妹には仕えられない。

 アラタ=レオーネと王女マリアの次女と三女、ヒナギクとベリーズは双子で外見からまったく見分けがつかない。さらに嗜好も言動もほぼ一緒だったので、彼女の兄弟でさえよく間違える。確実に個々の判別が可能なのは彼女達の両親やごく一部の観察眼に優れた者だけだ。その為、二人は区別がつきやすいように普段から色の違うリボンを付けている。ヒナギクは白を、ベリーズは黄のリボンを付けているが、実はこれが曲者だったりする。二人は時折わざとリボンを交換して互いに成りすまして、自分達が入れ替わっているのを判別出来るかを試して遊んでいた。そしてたまたま私がその一人に該当して、二人が興味を持ち、我が家とこの家の繋がりの深さから家宰見習いとして出仕している。

 それを不満に思う事は無い。実家は兄が継ぐのだから、身の証は自分で立てて生きる他ない。王家に近い家の家宰となれば下手な官僚より権限はあるのだから、父ヴィルヘルムもこの選択には理解を示してくれた。そこまでは別に構わないのだが、問題は仕える相手となったこの双子だ。事あるごとに私に本来の職務と違う労働をさせようとする。なぜ貴族の私が彫り師の真似事をせねばならんのだ。


「むむ、以前は唯々諾々と言う事を聞いていたのに、いつの間にか理論武装とは味な真似を。成長しているようでヒナギクは嬉しいのです」


「ヒナギクの言う通りです。助手が貴族として成長すれば今後、我が家にとって大きな利になるのです。ベリーズは貴方に期待しています。だから早く木版を彫るのです」


 何が成長して嬉しいだ。15歳の小娘が上から目線で人を評価するなど10年早いわ。自分より1歳年下の娘に顎で扱き使われねばならん己の無常を嘆きつつも、手に持った彫刻刀で無心に木を彫り続ける。

 今何をしているかと問われたら、双子なら『高尚なる布教活動』の準備と表現するだろう。ヒナギクが物語を書き連ね、ベリーズが言葉を絵で表現する。それを私が木版に彫り、書籍の原版へと作り変える。勿論紙に摺って本文を印刷して製本するのは業者に頼まなければならないし、普通は原版の彫りも職人に任せるものである。

 ではなぜ私が職人の代わりに木版を彫っているかと言われたら、ひとえに才能の成せる業である。どうやら私は類稀なる彫刻の才能があるらしく、幼少期から趣味として続けた程度でも、既に本職顔負けの腕前だそうだ。貴族が創作活動をするのは何ら恥ずかしい事ではなく、寧ろ文化的活動は推奨される。中には王家が直接囲い込むほどの芸術家も何人か居る。

 そうした道も用意されていると周囲からも言われたが、それが本当に一生やりたい事かと問われたら否と答える。貴族の本分は人を使う事である。故に他家に仕えて、いずれはその家を取り仕切る立場になる事が夢だった。そう思えば今は下積みとして腹が立つ双子の小娘相手でも耐えるべきである。

 そこまでは良い。問題はこの文化的活動が『高尚』とはお世辞にも言えない事である。ベリーズが描いた絵を木版に張り付けて彫っているが、その内容は見るに堪えない。何故男同士で抱擁を交わしている情景なのか。それも一人はどう見ても王冠を戴いている。不敬にも程があるだろうが。


「――――この挿絵、どう見てもリトニア王ですが、かの王が男色だという噂は一度も聞いた事がありませんよ。不敬に問われない内に取り下げる事をお薦めします」


「何を言うのです。この世で殿方同士の愛ほど純粋で素晴らしい物は無いのです。互いを高め合い肉欲に拠らない真実の愛は、この世で最も穢れを知らない奇跡なのです」


「そうです。助手も一度でも殿方との恋愛を経験するのです。そうすれば私達の布教活動もより一層にはかどるのです。不敬などと、助手は物事の本質を理解していないのです」


 言いたい放題言ってくれる。男色そのものを否定する気は無いが、断固拒否させてもらう。というか女の貴様等に男の心情が理解出来るとは到底思えない。それどころか、二人揃って恋愛経験すらないのに恋愛劇を取り扱うなど片腹痛いわ。そういうのは一度でも男に抱かれてからにしろ。そして何より、リトニア王に抱かれる男に自分の父親を据える趣向こそ、この双子が気が狂っているとしか思えない所業だった。

 今回の二人の作品は亡きリトニア王リドヴォルフ陛下を取り扱った物である。昨年の暮れに病で父祖の元に旅立ったリトニア王を讃えるという名目で彼の生涯を綴った作品だった。そこまでなら高尚と言える創作活動だろうが、何故そこに男色を混ぜるというのか。ご丁寧に直接的な伽などの描写は極力避けて、あくまで地位や生まれの差を超えた高貴な友情に仕立て上げているが、よく読むと所々に恋愛感情を匂わせる展開や表現が散りばめられている。それを自分の父親で行うなど狂気の沙汰である。さらに始末に負えないのが、作品自体は非常によく出来ていると言わざるを得ない出来栄えなのが余計におぞましい。どうして神はこの気狂い姉妹に余計な才を与えたのか。そしてこの冒涜的な双子が貴族内において一定の影響力を獲得しているのを嘆かずにはいられない。

 先代様――――既に家督は長男のオイゲン様に譲られたのでアラタ様はそう呼ばれている――――はリトニア再興王と深い縁を持つ人だが、決して二人は男色の間柄ではないし、恋愛関係にあったなど聞いた事すらない。つまり、この二人の勝手な解釈で付け足された異物でしかない。しかし同好の士、あるいは熱心な支持者の存在がそのような不敬を却って歓迎する様が双子をのさばらせている。


「私の事は放って置いて頂きたい。そして、先代様の話ではリドヴォルフ陛下にはガートという武芸者の友人兼妾が居たと以前聞いた事があります。彼女を据えた方がより事実に近づくので、そちらの方がよろしいのでは?」


「もちろんそちらも書いてあるのです。ヒナギクは男女の仲を否定する気は無いのです」


「そうです。殿方同士の睦事と男女の睦事は別腹なのです。だから助手にはその場面を彫る仕事もあるのです。さあ、キリキリと手を動かすのです」


 どうにか二人の嗜好を改めさせたかったが無駄に終わったようだ。尤もこの程度の諌言は日常的に行っているので効果など大して期待していない。しかしながらこの悪徳姉妹を正道に引き戻す事も高貴な使命の一つだと思えば苦痛と感じない。貴族とは困難に立ち向かってこそ真価が問われる、私は父より教えられた。ならばこの腐れ姉妹の更生こそ私に課せられた天命。そう志を高く掲げればこのような扱いも耐えられた。



 しばしの間無心で木版を彫り続けると、およそ形が整ってきた。非常に不愉快な図柄ではあるが職務放棄するつもりはない。

 休憩を兼ねて目と手をほぐす。長時間の酷使は却って効率が悪く、適度に休息を入れて常に万全の状態を維持した方が結果的に早く仕事が終わると先代様は仰っていた。

 彼は無駄を極端に嫌う。時間であれ、労力であれ、金銭であれ、いかなる物でも常に合理的、効率的である事を好んだ。この印刷技術もそんな彼の嗜好の具現ではないかと思えてしまう。こうした技術の殆どは彼の故郷での発明だろうが、それらをドナウに広める選択はアラタ=レオーネ個人の意思だ。つまり彼は当時のドナウに満足していなかったのだろう。

 実際にこの印刷技術に触れてみると、その利便性は嫌というほど分かる。手書きの書物一つを作るには何日も掛かる。そして、そこから人の手で書き写して二つ三つと増やしていくが、印刷技術を用いれば同じ時間で十倍、いや百倍の書物を用意できる。それも書き損じなど一文字も無い状態の完璧な写本をだ。これほど製本に効率的な手段は存在しないだろう。

 しかしながら当時は書物が求められる事は少ない。字の読める人間はごく僅か、貴族なら誰でも扱えても大多数が属する平民には書物など不要。初めはそのように笑われたそうだが、挿絵付きの本が出回ると状況が一変する。たとえ字が読めなくとも、絵と字が同時に記載されていれば字の意味は分かる。これには最初は鼻で笑っていた者も考えを改め、感嘆の声を送ったという。まだ字の読み書きの出来ない幼い子供にも早く字を教えられ、より勉強がはかどると子を持つ親は称賛の声を送った。かくいう私も幼い頃は動物や果物の描かれた絵本で文字を覚えた一人だ。おかげでそうした絵本は貴族の家には必ずと言っていいほど一冊は置かれて親しまれていた。

 さらにドナウ中の村々にレオーネ家とデーニッツ家が私費で絵本や簡単な本を何年かに一冊ずつ寄贈し、直轄軍で教育を受けた退役兵士を教師として、平民の識字率向上に努めている。さらには近年サピン地区で安くて質の良い農機具が大量に生産されて、ドナウ中に普及したため農作業の時間が短縮されたのも関係がある。学問を学ぶ時間と教材、そして教師。この三つが揃う事で数十年前は百人に一人しか読み書きが出来なかったが、今では三十人に一人まで識字率が上がっている。これは二十年の成果としては驚嘆すべき事だと、学務省に勤める友人が語っていた。このまま読み書きが普及すれば百年後には十人に一人、三百年もすれば二人に一人と、どんどん識字率が上がり、いずれは全てのドナウ人が好きに学問を修められるのではないだろうか。

 このような偉業の先駆者である先代様の娘にも関わらず、個人的な欲望にかまけて道を踏み外し、素晴らしい技術を悪用した畜生双子の存在を私は快く思っていない。いかなる手段を用いても正道に引き戻さねば、ドナウ貴族の名折れである。



 適度に休憩を入れつつ全体を粗方削り終えると、見慣れた人物が部屋に入って来る。一人は私の両親と同じ年頃、四十を過ぎた鮮やかな赤髪を持つ中年女性。現在は所々に皺が見受けられるが、身内の贔屓目を抜いても、さほど美しさに陰りは無い。これなら二十年前は多くの男を振り向かせただろうが、それを本人に言うと、決まって夫だけに見てもらえれば良いと返したらしい。私の実の叔母、アンナ叔母上が二人の子供を連れて、お茶と軽食を持ってきてくれた。焼きたてのパイの香ばしい匂いが食欲をそそる。

 子供は男女ともに一人ずつ、二人はどちらも先代様とマリア様の子供だ。七男ライコウ様は今年7歳、末子の五女ラティナ様は今年5歳になる。どちらも叔母上に懐いており、他のご兄弟同様、母と呼んでいた。


「三人とも、手を止めて一息つきましょう。今日は砂糖漬けのディディのパイを焼いてもらったの」


「はい、アンナ母様。ヒナギク、助手、続きは明日にして、今日はもうお終いなのです」


「今から片付けをするので、少しだけライコウもラティナも待っているのです。二人とも、さっさと片付けるのです」


 そう言うとヒナギクは原稿を片付け、ベリーズも筆やインクなどを片付け始める。私も道具や床に散乱した木屑を箒で掃いて大雑把に掃除する。片づけを使用人に任せず自分で行うのは、先代様の教育らしい。自分に出来る事はある程度自分でやるのが、この家の規則だとか。この辺りの教育は私もかなり驚いたが、あまり悪い気はしなかった。

 ある程度片付け終えると、叔母上のほうは既にお茶の用意を済ませてくれたので、私は双子と共に席に着く。この家に来た当初は主人一家と席を共にするのは抵抗があったが、外道双子が強制的に席につかせたり、叔母上がやんわりと同席するように頼んだので、現在は僅かばかり遠慮はあるが同じ卓に着いている。

 切り分けられたパイと温かいお茶から湯気が立ち上る。焦げ目の付いたパイ生地には卵黄とバターの香ばしさが、中央には砂糖汁で漬け込んだ果実のディディが一口大に切り分けられて、甘い匂いを漂わせている。どちらも窯の熱で程よく焼きあがって、見た目にも匂いでも食欲をそそる。ライコウ様もラティナ様も待ちきれないと、私達が席に着くと同時にフォークでパイを一口分切って、それを突き刺し頬張る。


「おいしー!姉さまたちもヴァルダーも早く食べなよ」


「ヴァルダー、これたべたらあとでごほんよんで」


「はい、分かりましたラティナ様。後で何冊か書斎から持ってきますね」


 幼い兄妹の無邪気な姿に、先程までの理不尽な扱いで荒んだ心身が癒される。このお二人が冒涜双子と父母共に同じとは信じられない。余程本人の性根がねじ曲がっているせいだろうが、世の神秘は誠に常人には計り知れない。ライコウ様は年相応にハツラツとして、ラティナ様は人懐っこく甘え上手。それに家臣である私を兄のように慕ってくれる。叔母上も何かと気に掛けてくれるし、本当にこの家に出仕して良かったと思う。何よりディディのパイは私の好物、この果実の酸味と砂糖の甘みの融合、それを包み込んで香ばしく焼き上げたサクサクとしたパイ生地の触感が堪らない。一口一口減っていくのが惜しくなるほどの至福の時間を与えてくれた叔母上には感謝のしようもない。


「あらあら、ヴァルダーはパイにご満悦ね。あなた、昔からこのパイが好きだったものね。わざわざ二人が今日のおやつに頼んだ甲斐があったわよ。そうでしょう、ヒナギク、ベリーズ」


「「なんの事でしょう?今日はディディパイな気分だっただけなのです」」


 まったくだ。この極悪双子が私に気を遣うなどあり得ない。叔母上は人が良いから、何でも人の行為を好意的に解釈してしまうのだろう。それ自体は美徳だが、出来れば私も間違いを訂正したかった。この双子はレオーネ家に出仕する前から、いつもいつも私を振り回して迷惑をかけ続けている。きっと私の事など便利な小間使い程度にしか思っていない。

 しかし叔母上は何を勘違いしたのか含み笑いをしながら、これからも二人と仲良くしてね、とお願いをしてくる始末。仕事だから世話役は引き受けるが、決して好き好んで側仕えしたいとは思わないぞ。



 だが、この時私は叔母上や先代様、そして我が両親が何を画策していたのか知る由も無かった。きっと知っていれば猛然と抗議しただろう。しかしその機会は既に永遠に失われており、三年後、私は引き取り手の居ないヒナギクとベリーズの二人を娶る羽目になった。世は無情なり。


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空の勇者と祈りの姫 外伝 卯月 @fivestarest

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